京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 花いろいろ

2013年08月29日 | 日々の暮らしの中で
秋の気配は風でわかります。気温が高く日差しの強さはあっても、不思議と大文字の送り火が終わって何日かしますと風はひんやりとした感触を残していきます。一番敏感に、おそらくは真っ先に、季節の移ろいを実感する瞬間ではないかとも思うのです。

頭に心地よい季節がいよいよ到来。その時になって、さて何かをと動けばよいか。事前準備を済ませておいてスムーズに活動を開始するのが上手なのか。人それぞれのペースがあるというものですが、置いてきぼりを食っても惜しまれます。ならば…。決めかねる、そんな状態のまま散歩に出て、考え事などはすっかり忘れてしまいました。


葛の花です。秋の七草の一つ。山上憶良が一番最初に挙げたのは萩の花、そして薄、葛の花…と続きます。鴨川の上流へと進む散歩道の至る所で見かけます。を伸ばして、近くの木にからみついているからなのか、どれもこれも見事な大木の葉陰に咲いているように見えます。その蔓というのが、これ!? この威力を目にしては「秋の七草」のイメージが崩れそうです。


クサギの花もやがて青い実をつけます。染色をされる方にとっては「青いダイヤ」なのだとか。この秋、私も一つ挑戦を??と思っているのですが、「思うだけ~」と終ってしまうかもしれません。野山の彩り、これからが楽しみです。
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 地下水は豊かに

2013年08月26日 | 日々の暮らしの中で

自転車で、最終目的地だけを決めて、気ままにこぎ出しました。どこなっと通ってみるものです。えっ!えっ? と、思わぬところにとんでもない?湧水がありました。

説明板によると、これは『枕草子』168段に登場してくる古い井泉ということになりそうです。「井は……少將の井。桜井。后町の井。」の桜井に当たると考えられると伝えています。浅いが、古くから旱魃にも枯れることなく湧き出しているとあります。井泉を囲った上部には「南無妙法蓮華経 桜井水」と刻まれた碑が建ち、今もお墓参りの供え水とされているようでした。山の斜面下、側溝に突き出たパイプからはちょろちょろと水が流れ落ちていきます。

京都盆地の地下は「水盆」構造をしている。水量は211億立方メートルで、琵琶湖の8割近くもある。地盤は固いので、沈下の心配はない。】かつて、こんな新聞記事を目にしました。「不況で企業や染織業者の地下水くみ上げが減った」ためか、水位が回復している。その一方では、大量に地下水「取り放題」の施設が増えているとありました。地下水を公共財産と見なし、どう守っていくかの知恵が試されている、と結んでいます。

雨水が地下水となって…、この大量な地下水を水不足の際に役立てる…。そんな簡単にはできることではない、ようですか。
見えないところでは、静かに豊かに潤う領域がある。人もかくあれたら…。

鐘楼の瓦の葺き替えが、お盆が終わると同時に始まりました。瓦はすでに外し終えて、ただ今作業は小休止中です。職人さんの姿もありません。目下私もこやすみです…。
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 雨乞いダンス

2013年08月22日 | 日々の暮らしの中で

午前中は少しばかり頭を使って過ごした。雲があってカンカン照りの日差しが避けられそうに思えたので、思いきって散歩に出ることにした。

道路沿いの小さな畑に、小さな畝が2筋、3筋。その中央部分だけ、土が黒くしみていた。畑を囲う柵を挟んで、内と外で一度立ち話をしたことがあるお婆さんではないか。昼にでも水遣りに出て来られたのかもしれない。まだ乾ききってもいない跡は、土ぼこりを上げそうな乾燥した畝の土台部分、土手というのだったか、とは対照的だった。

空の百獣の王も姿を崩し、暗さを増してきた。突然にゴロゴロッ! 降られてもいいか、と思いながら歩いていた。閃光、稲光が走った。ゴロゴロさんが近づいてきた気もするが、やっぱり歩き続けていた。人通りがないので身体をほぐそうと、腕を振り、足を上げ、お尻ふりふりワンツー・ワンツー! 人目をはばからぬ体操に、気分は思いっきり解放!!


広がる白い花を見つけた。これは!? 熊野古道の深い山中、休憩のために立ち止まった足元に、美しく群生していた白い花を忘れられないでいる。人目に触れることも少ない山道に、美しさは際立つ思いだった。どうしたわけか写真も撮らずじまいを悔いたが、この花だろうか。写真がないからこそ、あの白さがいつまでも鮮明に蘇るのだと思う。記憶の中の花、でも名前が知りたい。暑さのせいで随分とへたって見えるが、可愛い花のわりに旺盛な生命力なのか。茎も太く、のび広がる勢いは盛んだ。

涼しい風が吹きだした。ほどよく汗を流したが、それでも少し歩き足りない気分のまま終えた。頭も使わなければ錆びつくし、じっとしてたら運動不足で夏太り…。それにしても雨は降らない。
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 極楽模様

2013年08月20日 | 日々の暮らしの中で

琵琶湖湖岸にハスの群生地があります。訪れるのはいつも日盛りで、花の一番の美しさに触れるには遅過ぎているわけですが、はらりと、開き終わった花びらが一枚、また一枚湖面を彩り飾るのも極楽模様です。その茂みの中から鴨の親子づれが3羽、音もなく現れました。極楽の余り風、…には程遠い熱風の午後、暑さを避けてまた姿を消していきました。

            
そんな湖岸沿いに、なんとも印象の強い朱赤色の美しい花が咲いています。今少しのところ手が届きません。琵琶湖に落ちなどしたら大変。水中、泥の部分にでも根を宿しているのでしょうか。色は鮮やかですが、すっきりとした風情が好ましいモミジアオイです。

寺院の庭に多いのは、特有の陰気臭さを吹き飛ばしてくれる魅力があるからだと、どなたかが…。そういえば、私のところに赤い花はありません。春、夏、秋、冬、思い巡らせても、これほどの赤い花は咲きません。
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 「近江風土記の丘」

2013年08月19日 | こんなところ訪ねて

滋賀県近江八幡市安土町にある安土城考古博物館まで行ってみました。
名神高速道上りはわずかに渋滞、竜王で下りてから8号線で向かいました。湖東平野は米どころ、太陽が照りつける青々とした田んぼが広がる、緑の海です。車を脇に停めて、青いにおいを吸い込みながらあたりを一望。日頃なかなか目にすることのない風景に、安土まで来た嬉しさもあってか、いい気分です。
           

開催中の夏期特別展【琵琶湖の華麗なる漁と美味なる食-魚・人・琵琶湖の過去・現在・未来-】に関連して、「琵琶湖の華麗なる漁法-魚と人の知恵比べ」を副館長さんがお話でした。

夜、ヤスを持って就寝中のコイやフナを襲った縄文人(入江内湖遺跡)の知恵。湖面に群れ上がったアユを網でいっきにすくい取る堅田の漁師さん。琵琶湖ではトロール漁など、動力を使うのは禁漁だそうです。漁法によって魚の値段が違う。一匹一匹釣り上げて生きたまま消費地の京都祇園に運んだアユは、大工さんの日当が450円の時代に、1匹120円だったとか。2万円とすれば5300円。今、琵琶湖では定置性の大きな罠を使って魚を陥れる漁法、エリが発達しているようです。

淡水の大きな水面、海にはない環境への理解、魚の習性、水の流れ等々、熟知したうえでの人間の知恵の使いようが、琵琶湖の多様な漁法を発達させ、継承されてきたのでしょう。それは食の文化にも支えられているようです。“琵琶湖の魚は美味しいですよ” 琵琶湖の魚料理の数々が発信されていました。人の生命を守り、豊かな文化を育む琵琶湖だとわかります。

【琵琶湖大橋がかかっている場所に堰堤を設けてコンクリートで囲った内琵琶湖を造る】1960年代にはこんな形態での琵琶湖開発案も出されていたと知ったのはちょうど2年ほど前、京都新聞でのコラムででした。琵琶湖を南北の湖に分断しようというわけですから、驚きました。
琵琶湖の冨栄養化問題は中学校の国語の教科書でも取り上げられていました。赤潮の発生を受け、リンを含む合成洗剤販売を禁止した滋賀県琵琶湖冨栄養化防止条例を設定。その施行を記念して1981年、7月1日を「びわ湖の日」とした経緯があります。


ここは「近江風土記」と呼ばれる歴史公園の一角。帰り道、隣の「安土城天主 信長の館」に立ち寄りました。
築城3年で焼失し幻の名城と呼ばれてきた安土城でしたが、【近年になって加賀藩の御砲大工に伝わる「天守(主)指図」が発見される。元・愛知大学学長 内藤昌氏により「信長記」「信長公記」などの資料との照合や遺跡発掘、実測調査の結果「安土城」であることが解明された】と案内されています。

 
6階部分に金箔10万枚を使用したという外壁の豪華な輝き。金箔の鯱(しゃちほこ)が顔を見せる大屋根を見上げます。5階部分の天界をイメージしたという見事な黄金の間。高さ46m、世界初となる絢爛豪華な木造高層建築物の様相を「ヨーロッパにもあるとは思えない壮大なもの」とキリスト教宣教師を絶賛させたとか。山城を仰ぎ見た光景や如何に…。城跡の周囲も、実は琵琶湖を削って埋め立てた干拓地です。

湖岸道路への近道を聴きに立ち寄った大中のスイカの直売所。「ひとつこうてえな~」に負けました。
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 送り火を見ながら 

2013年08月16日 | 催しごと
 

     (右は東山如意ケ岳の「大文字」  左は松が崎西山の「妙」)


     (右に西賀茂妙見山の「船形」  左には金閣寺裏山の「左大文字」の右側が小さく)

送り火焚く。
8月は「鎮魂の月」と言われるように、戦争犠牲者への祈りに始まり、肉親に限らず有縁無縁…、亡き人に心を寄せながら過ごすことが多い。そんな気持ちも、やはり京都の盆の風物詩「五山の送り火」で一区切りつけることになる。
健康を祈り、楽しく過ごしていくからと父や母に思いを告げた。

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 「面白かったよ、楽しかったよ」

2013年08月13日 | 日々の暮らしの中で

「まったく性格が異なっていたにもかかわらず、血を分けた兄弟のように信じていることができた。一緒にほろんでもいいと、無条件で思っていた二人の男がいた。その一人が彼だった。」  

【目を閉じると浮かぶのは、あいつに初めて会った頃のことばかりだ。
16歳の秋。屋上の部室だったか、パンドラだったか、大神宮の地下の雀荘だったか。その隣のバリケードに差し入れを持ちこんだママのいたバンバンだったか。靖国神社だったか、人形の家だったか。軽い心だったか。クラスは一度も一緒にならなかった。たぶん16歳の秋。

お茶の水のMDに泊まり込んでいた夜更け、あいつと正門前に来る屋台のおでん屋によく行った。高校生だとわかってからは、おやじがいつも半額にしてくれた。引き手のところに汚く錆びついたような鉱石ラジオがぶら下がっていて、ひび割れた音で深夜放送がいつも流れていた。“突破あるのみ”が迫っていたある夜、腹いっぱいにしておこうとあいつが言いだし、ヘルメット片手に食べに出た。ラジオから、「♪明日という字は明るい日と書くのねぇ」と「♪圭子の夢は夜ひらく」が流れていた。がんもを食う手を止めた。16歳の高校生が二人、ため息をつきながらその歌を聴いていた。

17歳の秋に二人で作ったガリ版刷りの同人誌に使ったあいつの名が〈塊打無鉄〉。書いた散文のタイトルが「無間地獄」だった、はず。神田のウニタ書房に100部置いてもらったことを唐突に思い出した。全部売れ、あいつが安酒に消した。走ると早く酔えるからと、九段坂を駆け足で3往復して、屋上の部屋でタバコをふかしながらさぼっていた。あいつとおれは、ピースを吸っていた。
あいつは、鮎川信夫の詩「死んだ男」と吉本隆明の詩集だけを読む老成した17歳だった。星霜が過ぎてもなお、あいつはそんなふうにおれの中に生きている。

「知ろうとして知ったら負けると気がついて知りたくはなし知るほかになし」、そんなことば遊びがあったのを思い出す。あいつはそういうのを好んでいた。おかしな17歳だった。】  ・・・略・・・ 

M氏によって綴られたことで初めて知ることができた弟の高校時代でした。M氏には昔から何度かお会いする機会もありました。この時の仲間にも。こんな生活をしながら、弟は3年間で高校を卒業しました。卒業アルバムに、校庭の朝礼台で演説をぶっている写真が残されています。一年後、大学に進学。ゲバ棒はペンに持ち替えました。倒れた時、カレンダーには10日先の締め切り日が2件書かれてありました。

姉と弟、同じ家庭で育ちながらこの高校時代の異なり様には衝撃を受けます。しかし同時に、彼が「時代」の中で真剣に生きていたことも理解しようと思えるのです。
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 無風の森を逍遥

2013年08月11日 | 催しごと

いっぺんは行ってみないと気が済まなくて…。

東京ドームの約3倍、12万4000㎡の面積を持つという糺ノ森は、下鴨神社境内に広がる原生林とあって、深い影を落としている。その緑陰に、80万冊を集めて40店が並ぶという「納涼古本まつり」が、今年も今日から6日間の予定で始まった。

油照りと形容される京の暑さ。昨日は、お昼前に『はだしのゲン』の英訳本が届き、早速に箱詰め作業を完了させるにもエアコンのお世話になってしまった。一度つけたら最後、我慢がきかず、エアコンを消すことができない。それよりはと、木漏れ日が揺れ、涼風が通う自然の恵みを期待して糺ノ森へのこのこと出かけていった。毎夏の恒例行事を覗かないではいられない(だけ?)なのだ。特別大きな目的があるわけでもないのに…。

 
          
      隣にはギターを弾く日本人の友人がいて、ポールさんの英語の絵本でのライブも

炎天下、ひと息つける安らぎの場所になるはずだったのに、無風の森はうだるような熱気に包まれた酷暑。汗が背中をたら~り、また一筋、たら~っと。団扇をバタバタとこぜわしく動かし、合間にハンカチの出番が増える。「古本の森 逍遥」ふ~らふら。空威張りの余裕などないほど、暑さに負けた。

もう限界だと思う気分を欲が引きずり、もうちょっともうちょっと。冥界への入り口に足でも突っ込んだら、お盆を前にとんだヒンヤリ「納涼」になるところだったかもしれない。

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 『はだしのゲン』

2013年08月08日 | 日々の暮らしの中で
間もなく、オーストラリアで暮らす娘の夫・Jayの誕生日がやってきます。その5日後には娘も、二人ともがそれぞれに一つづつ齢を重ねて、Jayは娘のあとを追い続けるのですが1年の年の差が埋まることはありません。

若い男性向けに何を選んだらよいものか、贈り物を決めるたびにあれこれ思い悩みます。何度かJayと同い年の我が息子に相談したこともありました。具体的に、使い勝手の良い、しかも新しいタイプでの品定め、最後の見極めをまかせてみたり、と。

 

8月6日、ある新聞記事が目にとまりました。【「はだしのゲン」国境、世代超え】【翻訳20言語、広島では教材に】と見出しにあります。イラン人女性によるペルシャ語版での翻訳が出版にこぎつけたというテレビ報道もありました。
これにしようか、という気持ちが膨らみだし、さて、どうしたら手に入るのか…。『はだしのゲン』の英訳本『BAREFOOT GEN』(全10巻)が「プロジェクト・ゲン」によって出版されていることを知り、早速に申し込みました。広く海外への普及を目的に、翻訳、出版をしているボランティアグループだそうです。「今ちょっと忙しいのですが、3日の内にはお届けできると思います」

5日あれば、おそらく誕生日に間にあいそうです。彼には“広島”を見せてあげよう。弟のショーンや従兄弟のクリス、若い彼らに「ゲン」を知ってもらうよい機会になりそうです。おじいちゃんは、どうでしょう…。第二次世界大戦中、パプアニューギニアが戦火地となり、ココダの戦いで撃たれて負傷したと聞いています。
日本軍の上陸を許さずに守ったことを思えばオーストラリアの勝利。ではあっても、「nobody winners」だと言ったJayが、どのような思いで読んでくれることか、いつか感想を聞いてみたいものです。

 「はだしのゲンは広島・長崎市長の名代を務める“核兵器廃絶を訴える反核大使だ”」

 





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 「山上の聖地」高野山で

2013年08月06日 | 講座・講演

8月2.3.4日と2泊3日で高野山夏季大学に参加してきました。
新大阪を午前10時、集合した直行バス利用の受講者は3台のバスに分乗し、講座会場となる「高野山大学松下講堂黎明館」に向かって出発。到着後受付を済ませ、まずは一人で宿泊先に向かうことにしました。ご住職が迎えて下さり、部屋に落ち着くと「ようこそ」とばかりにウグイスの盛大な歓迎です。彼らはモーニングコールまで担ってくれることになりました。


庭に面した長い廊下に続く各部屋の障子は明け放たれており、横になって身体を休めている人もあれば、遅い昼食をとる人など、思い思いに過ごしているのがわかります。おしゃべりの声も聞こえてきます。5人部屋にすでに二人分の荷物は置かれてありましたが、同室者と顔を合わすのは講座を終えて夕食に戻った時でした。
幸い、千葉県から参加された隣室の方と誘い合わせることができ、昼食後は開講式までの時間に宿坊に近い霊宝館をゆっくりと拝観し、写経会場で過ごしました。霊宝館には各地を巡回展示されることの多い童子像すべてがおそろい、といった機会でした。

朝は宿坊の本堂での勤行に参加。寺のこと、満足してもらえぬ面も多々あるでしょうけれどといった意味合いのあと、「せめて心は丸く穏やかに過ごしてください」とご住職は結ばれました。遅れてきた同室者に聞かせてあげたい言葉でした…。7割がリピーターとのこと、慣れは「比較」を生じさせるせいか、部屋では聞きにくい話題に事欠きません。
講座の合間、朝や昼休みを利用して、自由に山内を見学し、写経を済ませ、お受戒にも参加しました。

 
 
(上)根本大塔・西塔 (下)御影(みえ)堂・金剛峯寺の庭園

●「私の野球人生」張本勲氏  ●「虚の空間(余白)はどうして夢想できるのか」上村淳之氏

●「“二期目”に入った安倍政権の課題と展望」後藤賢次氏  ●「辺境の食卓」椎名誠氏
●「葉桜のころ」朗読、「のど元過ぎれば有馬稲子」有馬稲子氏  ●「写真から学ぶこと」織作峰子氏

●「人口成熟-日本経済の問題と対処策」藻屋浩介氏  ●「高野山とそのマンダラ世界」 藤田光寛氏

世界で「辺境」と呼ばれる地では、人々は自然が与えてくれる恩恵の中で生きている。それに文明国で勝手な価値判断を下すからおかしくなる、と椎名さんのお話は始まりました。寺で死者の魂を解放したのちの鳥葬は「ふるまい」であるとするチベットでの例を始めとし、モンゴルの風葬、インドの水葬などの話が多かったようです。「食事情が変わり、ケミカルフードを食べだしているからか最近はハゲタカも食べない」には、驚かされました。死者を送った後は、この世に生きた痕跡をすべて消してしまうという地域がある一方で、永代供養をし墓が増え続けていると口にされたことは耳に残りました。

有馬稲子さんの華やかな存在感は登場された瞬間から、会場内の空気を変えました。スパンコールが煌めくドレスに身を包み、時に鼻を詰まらせ、そっと涙を拭いて終わった朗読。金遣いの荒かった中村錦之助さんとの結婚生活。過ちを繰り返し繰り返し生きてきていると、張りのある声でメリハリの効いたおしゃべり。きれいな立ち姿も素晴らしいと感じました。

初めての参加とあって、空き時間をもう少し工夫できたら良かったと思いましたが、バス車内で隣り合った群馬県の女性との時間は楽しく、往復とも居眠りを忘れるほどでした。来年は90回目、再来年は高野山開創1200年という記念の年です。講師陣の顔ぶれを期待できるでしょうか…。よい体験をさせていただきました。
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 あるがままに3日間を

2013年08月01日 | 日々の暮らしの中で

娘が4歳を前にして、おえかきちょうにいっきに描いたヒマワリの絵です。それをみていた私は、記念に残そうと丸く切り抜いて、厚紙に重ね貼りしました。昭和58年7月、たまごの殻を重ねてモザイクで仕上げたものです。病院に入院中の作品でした。8月中旬に誕生日がやってきますが、この絵を描いてからちょうど30年が経ちました。

向日葵(ひまわり)は、太陽の動きに合わせて向きを変えると信じられたために、中国では「迎陽花」と書くのだと、8月のカレンダーをめくったところ、そんなことが書いてありました。ひとえに太陽の光を浴びて輝き、「私はあなただけを見つめているのよ」といった花言葉にも納得させられそうです。一本の茎の上に大輪の花を一つの逞しさ、強靭さ。

明日はお山に入ります。どんな匂いがするのでしょう。著名な講師陣のお顔を見つめながら、お話を一言たりとも漏らさず…、とは全く自信ありません。一つでもふたっつでも心に残して帰りたいものです。マジメに、ゆったりと、しなやかに~、と楽しみたい。
霊妙な気に包まれて過ごす3日間、広くて深い青空が迎えてくれることを期待しています。
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