京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ひとり観梅祭

2021年02月25日 | 日々の暮らしの中で
もともとは西の畑にあったものを庭師がこの位置に植えたと伝わる梅の木です。


ご老体。今年の花つきはあまりよくありません。



北野天満宮では梅花祭がありました。そんな華やかに賑わう場とは縁遠くありますが、
  観梅やよく日の当たる縁の先     (観梅やよく日の当たる谷の中  渋沢渋亭)
縁に腰を下ろして、ひとり見つつ春日を暮らしました。

今春、梅のことを書いた文章で一番心に残ったのは・・・
元『暮らしの手帖』の編集長だった澤田康彦氏による新聞連載ミニコラム「暮らしの歳時記」にあった
「梅は静かに長くこちらを見つめているような木」という一節でした。

桜にはこうした感覚がわきません。静かで清楚な趣、まさにこれ。
静かに、見飽きることがありません。
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調理の腕 料理の味

2021年02月24日 | 日々の暮らしの中で

市営地下鉄京都駅の改札を出てヨドバシカメラ店へ向かう側の地下通路に建つ「東本願寺出版」の広告。足を止めて見てる人を見たことがない。そこを私はちら見している。ただ、内容が変わっているのかいないのか、さっぱりわからなのだけれど。

向かう先はここではなく、法蔵館でした。寺の用事で、受け取りに出向きました。
難しい仏教書はほとんど読むことがない。身につかない。むしろわかりやすくお話をいただくほうがありがたい。運び役ぐらいはいつでもいたしますが。
               

読書は自分の好みで、読みたいものを読んでいきたいと思うようになった。
調理の腕。料理の味。味は自分で考えて加える余地があるほうが良い料理と思える。
森毅さんが、じょうずにおっしゃっている。読書にもこうした言葉で表せる楽しみ方がある。
調理の腕を楽しませてもらいながら、料理の味が気に入ると嬉しいものだ。

昼から、風の冷たさが応えました。
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つぼみから香る

2021年02月22日 | 日々の暮らしの中で
ご近所さんに見事な白梅のしだれ梅があって、まあるくふくらんだたくさんの蕾がつく中で3輪、4輪とほころんでいる。開花はそれだけなのに、足を止めてほんの少しばかり見上げていたらマスクを通してでも馥郁とした香りに包まれ、まさに梅は匂いだと思ったものだ。
「梅はつぼみから香る。才あればにおい立つ」ってどこかで目にして、なるほどね!! そうそう!と納得でした。

 

御池通に面した京都市役所の西、寺町通を北に上がったところに「藤原定家京極邸址」の碑が東向きに建っている。
軒近くに植えられたという梅が『徒然草』に登場する。

「家にありたき木は、松・さくら。」と始まる第百三十九段(岩波古典文学大系)で、
「梅は白き、うす紅梅。ひとへなるが疾く咲きたるも、かさなりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。…『ひとへなるが、まづ咲きて散りたるは、心疾く、をかし』とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなん軒ちかく植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。」

などとある。けれど今は梅も屋敷もない。 


ここからまだもう少し北の進々堂で友人と待ち合わせた昨日。
3月早々には文章仲間の例会が開催される見通しとなり、会誌発行につき作品提出が求められている。この1年、例会中止が重なり合評を得る機会が減った。やはりちょっと意見が聞きたくて何度か友人にそれを頼んだのだった。その受け取りとお礼もかねて…。
やはり相手を選ぶ話題でもあり、会うっていいなあと思えた数時間だった。ぐっと気持ちもアップして、なんとかなりそうかな。
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「牛のように押すのです」

2021年02月18日 | 日々の暮らしの中で

漱石は筆まめで門下生や文学仲間に実に多くの手紙を残しているそうだ。
誠実な心情の吐露があり、歯に衣着せぬ率直さで辛辣な表現もあれば、相手に応じた適切で自在な語り口が特徴で、佐伯一麦氏はそこから文学生活を送る上での処世のことを数々教わったと記している。(「牛のように押すのです」『とりどりの円を描く』収)

その一つ、漱石から芥川龍之介、久米正雄にあてて。
「牛になることはどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなりきれないです。……あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです」
ここには、小説を書いて苦労しながら慎ましく生活した一人の男の肉声があり、明日も暮らしていこうという静かな熱を与えてくれる、と佐伯氏。

八木義徳の遺作集「われは蝸牛にて」。八木を師として師事した水村節子さんは78歳の新人作家として作品を上梓した。師以上の蝸牛のような歩みで、しぶとくしぶとく努力を重ねて。


さあ少し頑張ろうっと。うんうんと根気ずくで進む。さすれば石をも穿つ?ってことではないか。でもこれハート型。
〈今は、とにかく一人静かによろこびたい〉なんて、夫の一文を真似てみようか。
そのうち、きっと。根気よくしぶとく。
「牛のように押すのです」ね。
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季節は巡り、やがて

2021年02月16日 | 日々の暮らしの中で

  昨日猶お寒し南岸の柳
  今朝已(すで)に暖かし北枝の梅
  晴れを吹き雨を送り互いに相い報ず
  信(まこと)に是れ春風
  脚を踏みて来たる

〈晴れたかと思えば雨になるといった日々をくり返し、まことに春風は足踏みしながらやってくる〉
『漢語日暦』(興膳宏)では、季節の遅々たる歩みを写していると江戸の漢詩人・舘柳湾(たちりゅうわん)の「春日雑句」を引いている。

通りがかった家の前に市中の人形店の車が止まり、幾箱かを運び込んでいるのを見かけた。
子供の成長を願い、成長を喜びとする家族の中に雛がある。初節句を迎える女の子がいるのかなと思って、ほほえましいあたたかな思いがわいてくる。

   箱を出て初雛のまま照りたまふ  渡辺水巴    

「今年もお会いしましたね」と言葉をかけたくなるこの瞬間が、飾り手の大きな大きな楽しみで
よろこびごととしてきた。やっぱり飾ろうか…。
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ファッション

2021年02月14日 | 日々の暮らしの中で
佐伯一麦氏の『散歩歳時記』のページを繰っていた。
氏が仕事に倦んだとき、庭の樹木の芽吹きの様子を毎日のように観察していた時のことが書かれている(「若葉紅葉」)。
山桜は…。楓も…。公孫樹が…。と、定点観測で変化を感心しながらあれこれ思う。そして、こうあった。
「胡桃の芽吹きはもっとも遅く、枝先にくりくりっとした若葉をつける。それは天然パーマの赤ん坊の髪の毛を想わせた」。

何度か読んでいたが、今だからこの一節に目が留まったのだろう。
仙台とこの地方では季節的なずれ、芽吹きの時期にずれは生じるだろうが、このクルミの若葉の出を見逃さないように、こまめに通ってみるか。とりあえず今一度と、クルミの冬芽を確かめてきた。



桜は前年の夏には花の芽を作るという。その桜並木を歩いていて、こんな冬芽の木をみつけたのだが、桜にまじっていたとは、はて何の木だったか。




ドウダンツツジは早くから針のような芽をつける。ハクモクレンも花が終わって、気づく時にはふわっとした毛で包まれた芽をつけている。かなり早い時期からずっとこの状態だ。寒い冬を乗り切るためにまとう毛皮?

 


それぞれに独自のファッションで命を継いでいくんだな。なんてことを、柄にもなく思ってみた。
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「人にいしいしに(厳し)過ぎてあらしゃる」

2021年02月12日 | こんな本も読んでみた

皇女を住持にいただく比丘尼御所の生活は、長い歳月の中で培われた年中行事とともにある。

7編の短編の連作『駆け入りの寺』は比丘尼御所に出入りする町の人々の様々な人生を見ながら、つながりを感じ取っていくうちに7つが重なってラストを迎えた。短編なので各編は思い切りのよい展開だが、感情のひだがうまくとらえられている。

〈芝折垣の陰で、盛りの過ぎた小菊が揺れている。〉の一文で始まるのは表題作「駆け入りの寺」。
〈早春の淡い陽が、なだらかな斜に広がる畑を温めている。〉で始まる、「不釣狐」。
〈鼻をつく樟脳の香りが、薄暗い納戸に垂れこめている。〉と、「春告げの筆」。
〈林丘寺の庭の木々を、澄んだ夏の陽が眩しく照らし付けている。〉は「朔日氷」。
…などと各編冒頭の一文(部分)は季節感にあふれ、松の内、上巳の節句、水無月の氷の朔日、乞巧奠(七夕)、重陽の節句での観菊の宴に達磨忌、といった行事が営まれる。そこに駆け込んでくる人がいて、事が持ち上がる。


目の前の現実を捨て、ひとときの安寧を得ても過去は必ずその身に付きまとう。正面から向き合ってこそ、人は初めて違う生き方をつかみ取れるのだと、寺につかえる青侍・静馬は人の逃亡を許すことができない。子供のころ、養父母の元から逃げ帰り前住持・元瑶に救われた静馬だったが、罪の意識を抱えていて、人に厳しかった。だがどこにも駆け入る場所がなく、かつて一度人を傷つけたことがあるという元瑶の過去に触れ、人を慈しみ、人を許す心のやさしさ、柔らかさの奥を知るのだった。
人を許すこと、そして自分は人に許されていることを知って、静馬は背負ったものを一つ捨てることができただろう。

「人の世というものは、辛く苦しいものであらしゃる。そんな中で一所ぐらい、誰もが逃げ込める場所があってもよろしいんやないやろか」

まろまろとしたやわらかな御所言葉を楽しんで読後の気持ちも落ち着いた。読みたっかった『孤鷹の天』上下を手に入れてあり出番待ち。大好きな奈良時代が舞台なのはこれまた楽しみなこと。
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ひょいと出たのは

2021年02月10日 | 日々の暮らしの中で
何度も歩いている坂道で、この木の脇も幾度となく上がり下りしている。
探そうと思って見出したわけではなかった。
今日に限って出た!? ゴリラの横顔。


「自然のものは、あるがままにあるがよろしく、人は、それにひょいと出逢えればいいのである」と前登志夫氏が書いておられた。
「ひょいと出逢えればいい」、と思い出している。

マスクをしていても馥郁とした香りが漂ってくる梅林の横から、ちょっとした山中へと入った。前回は北から南へと抜けたが、今回はその逆をたどってみようと上がってみた。
記憶のある場所へ出た。そこでいっぷく。そして、そこからの後半、…どうやら違うコースをたどったようで、目的の北側へ出るどころか大きくぐるっと山中を一回り…、スタート地点に近い別の出口に出る羽目になった。
落ち葉が積もり、足元も悪く、段差のある山道。それでも踏みしめられた道ができており、整備の手も入っているので、道はたどれる。なあんだ、でがっかり。
東に比叡山を眺め、


振り返れば西の山並みが望める。


遭難しなかっただけましだった。とはオーバーか。
この景色を見たから良しとして再挑戦だわ。
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水温むとき

2021年02月08日 | 日々の暮らしの中で

(府立)〈植物園つうしん〉で先日、上のオニグルミの大きな冬芽の写真が紹介されていた。

「冬芽は落葉樹において春に再び葉が開くための準備をしている新芽で、それぞれの樹種により個性がある」。
秋に葉が脱落したあとの「葉痕がヒツジやオオカミの顔に見える。」「目鼻のように見えるのは枝と葉の間で水分をやりとりしていた管(維管束)の断面」、といった説明も私には新知識を得るような状態で、目は写真と説明文とを何度往復することだったか。

オニグルミと自分が見知ったクルミとどう違うかも曖昧だが、今は葉を落としているので知らなければ殺風景な1本の木としか見ずにやり過ごしているのだろうが、川沿いを歩いていて、この木が時季にはたくさんのクルミの生る木であることを知っていた。ついで、ある時期になるとすっかり実がなくなることも知っていた。鬼?「オニ」がつくほどの特別感はないクルミの木だ。





帰宅後、ちょっとボケてしまった写真を、これまた見入ることになったのだけれど、ヒツジやオオカミが浮かんではこない。
秋に葉が脱落したあとって、ここかな? う~ん? 水分をやりとりした「管」の断面って…。 わかりずらい。やはり写真がイマイチまずいか。

単調になりがちな生活。薄っぺらくなってしまわないように、何とかなんとか工夫したい。
水温む季節になって、ふと、思いがけなくも命の目覚めに出会えるような機会が増える。
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「しれ者」でも、待ってみるか

2021年02月06日 | 日々の暮らしの中で
「徒然草」にも出てくる楝(おうち)の木。
5月5日に行われる上賀茂神社の競馬の行事を、この木に登って見学する僧の話がある。
僧はやがて居眠りを始める。落ちそうになっては目覚める姿を見て、あんな高いところで、どうして安心して眠っていられるものなのかと、人は僧を「世のしれ者かな」とあきれてばかにするのだが…。(41段)
神社にある楝の木(センダンの木)は何代目かになるらしい。映画「獄に咲く花」の中で知り、実物はここでしか目にしたことがなかった。

ところが時折歩く道にあったのだ。その下をくぐったこともあったとは。昨年の5月になって初めて花に気付くというボンヤリ。

秋。すっかり葉を落とし尽くした木には、鈴なりの実がぶら下がっていた。

頭上にアーチをかけるように枝が大きく張り出しているが、下から手が届きそうでいて届かない。
神社の木はすくっと直立。高いところに咲く花は見づらく、ましてや実になど気づけなかった。

3日前、たくさんのヒヨドリが実をついばんでいた。


今日、その実が一つ残らず消えていた。まさかヒヨドリ!?

たたき落とし、掃き集めたのではないかと想像できるほど下も周囲もきれいになっていた。
拾った実。食べることはないから毒については問題ない。


土に埋めて置けば、いつか芽を出す日が来るだろうか。なんて気の長い話を、「とんでもない あきれたばか者だ」と笑われるだけだろうか。

待ってみるのもいいかな。
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「春のせい」

2021年02月04日 | 日々の暮らしの中で

昨日から寒くて寒くて、少し書き物をしながら昼過ぎまでは家に籠っていた。
が…。
日差しの中、やっぱり光の明るさが違う。なんて思うのは「立春」を迎えたせいだろうか。
数日前に書き上げて寝かせておいた。見直して、やっぱり…と構成上入れ替えをした箇所がある。その部分を考えながら小一時間歩いて、家路についた。

小学生の下校時の集団と出会い、友人と肩を組んで戯れる子供たちを見かけた。首を90度下に向け、少し前のめりに歩く、重そうなリュックを背負った女子中学生ともすれ違う。
その向こうに、あの少しはにかんだような笑顔を浮かべた孫娘が、ふと姿を見せた。久しぶりに会えたような気がした瞬間だった。懐かしい笑顔がいつまでも残った。これも春だからかな。

春の日差しの中に育まれている。
     

今日は小川糸さんの『ペンギンと青空スキップ』なる一冊を教えて頂く機会に恵まれた。早速に『今日の空の色』と2冊を購入した。
『駆け入りの寺』はもう間もなく読了だし夜に読んでいるので、その隙間にページを繰ろう。

なんかいいこといっぱいあった気がする。
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つなぎ目の夜

2021年02月02日 | 日々の暮らしの中で

今日は節分。明日は春が立つ日となる。
歳の神サンが入れ替わるわずかな隙間につけ込んで邪悪な鬼どもが悪さをする。そこで戸口にイワシの頭を挿した柊の小枝を挿し、豆をまいて鬼を追い払うのも、新しい年を迎える大事な行事になってきた。
新しい年へのつなぎ目となる夜だ。

〈母の発案で夜に部屋の中を真っ暗にして、「鬼は外」の言葉とともに、豆に加えてガムやチョコやキャラメル、さらに硬貨の入ったおひねりが投げられた。みんなキャアキャア大興奮で拾ったのは忘れられない思い出です。〉と、朝刊連載のミニコラムで澤田康彦氏(「暮らしの手帖」の前編集長)が書かれていた。

我が家では事につけてアイディア・ウーマンだった義母だが、さすがにこんな名案は浮かばなかったなあと笑った。子供たちが帰ってくる時間を見計らったかのように、火を起こした七輪でガサゴソガサゴソ器具の中の豆をゆすって炒り続ける。当時、下の流しがある三和土は天井が吹き抜けになっていたが、それでも香ばしいにおいが充満したところに「ただいまあ」と顔がのぞくのだった。おひねりまで加わる「豆まき」は初耳だが、もっと早くに聞いていたら真似をしていたかもしれない。楽しそうだ。
子供たちが高校生になって、一緒に豆まきをどんなふうにしたのだったろう…。頭を寄せ合い、義母が炒った豆をそれぞれに年の数だけ食べていたのは覚えているのだが。

「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」 
俵万智さんが詠っている。「いつが最後かわからないまま時が過ぎてゆく」。

子育てに限ったことではない。・・いちいち大切に…ということを思った夜・・。
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比丘尼御所・「きゃもじな(美しい)もの」

2021年02月01日 | こんなところ訪ねて
全国皇后杯女子駅伝のコースにも入っている白川通。ランナーは国際会館の折り返し地点までに白川通で高架橋を渡るが、その少し手前から東へ修学院離宮道を音羽川沿いに進んでいくと、
やがて門が閉められたままの林丘寺の門前に立つことができる。


もうずっと堰堤の砂防工事中なので、川を隔ててで近づくこともできない。



「洛中から北東に一里。比叡の山裾に立つ林丘寺」は「歴代皇女を住持にいただく比丘尼御所(門跡)」で、「創建は36年前、後水尾上皇が営んだ修学院山荘の一部を寺に改め、上皇の第八皇女・緋宮光子内親王こと元瑤尼を開山として迎えた」のに始まる。
『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台である。現在元瑤は83歳、姪の元秀21歳に住持を譲っている。

仏事としての役目を担う「奥」と、その運営を司る「表」に大別され、表には朝廷から御内(家来)が派遣されていて、奥の尼たちを守って日々過ごしている。四季折々の行事もすべて宮中に倣うのが慣例だという。駆け込む女がいたり、様々な問題が比丘尼御所内でも持ち上がる。

「なんとまあ、大にぎにぎや(にぎやかな)と思えば、そもじたちであらしゃったか。これ、円照。かようなところで、何をむつこうて(泣いて)おわしゃる。」「いや。おにつこうて(怒って)いるのではない」
よく聴いて、語るだけ語らせて言葉を引き出して、何とも不思議な柔らかさ、あたたかさで受け止める元瑤が魅力だ。彼女の御所言葉の柔らかさが心地よくもあり、『熱源』とは全くの別世界を楽しませてくれる。

青蓮院の里坊から出た火事にまきこまれ下男として働いていた両親を失い、乳飲み子だった静馬は林丘寺に引き取られた。7歳で上賀茂村の鍛冶屋夫婦を養父母としたが、元瑤を慕う静馬は馴染めずに長雨の中、寺まで一里の道を歩いて帰った。その半日後、川は氾濫し養父母の家を含めた数十軒が濁流にのみ込まれてしまった。雨の中、7歳の子が上賀茂の地からここまで歩いて帰って来たのか…と、来た道を振り返った。
25歳になった静馬。〈目の前にある現実を捨てたところで、過去は必ずその身に付きまとってくる〉。自責の念を抱える静馬の思いが物語に大きく投影されている。


修学院離宮を北隣にしたここは歴史的風土特別保存地区となっていて立ち入りが禁じられている。おそらくこの道から右手奥方向に?寺の総門へと向かえるのではないだろうか。と想像。このあたり、赤山禅院へ、あるいは曼殊院から詩仙堂、さらには金福寺へとも足を延ばせるお気に入りの散策路だ。
    7編の連作短編集のうち2編を読み残しているが、堅く閉ざされたままの門の向こうに、そうあったかもしれない描かれた日常を、人の動きを想像するのだった。
京の土地や風土の歴史に縁のある作家が描く。だからこそこの比丘尼御所の物語は私にとって魅力も増す。
金網越しにいつまでも眺めるヘンな人かもしれないが、とても楽しいことのひとつを得た昨日の日曜日だった。
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