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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

一羽の蝶の軽さで

2025年04月26日 | 今日も生かされて
読書で、あるいは「ブログ」という媒体を通してもだが
「ほんの小さな欠けらであれ、他人の人生に触れることで自分を見つめなおせる」。
そんな機会は得てきた。

共感できること、共感できないこと、人生模様はさまざまだと思ってもきた。
他者の世界を読んで(ああこんな人もいるのか)と愉しめたら、実生活の役にも立とう。

2008年の2月末日に初投稿して以来今日まで、小さな気がかりを重ねて生きてきた。
どのような心配りや覚悟を持って、どう日々を送ってきたか。書ける範囲で文章にしたいと思ってきた。
今少し、そうした心の軌跡を綴っていこうという気持ちでいる。

「消える時は一羽の蝶の軽さでよかった。言い換えるなら、この美しい地上に生きた証を残すなどまっぴらであった」
乙川優三郎氏の作品に読んだ。なんて強い覚悟のある言葉だろうか。
氏は、直木賞受賞後のインタビューで「この世に自分が生きた痕跡をとどめたくないのです」と語られたようだ。
心中共鳴もしているが、未だ私はそこまでの覚悟も定まらず、芯もない。


だから今、過去の文章とがっぷり向き合い、削除も視野に手直ししつつ保存につとめていた。
カテゴリーによってはすでに保存済みがあるが、時系列でという助言もあって、取り敢えずの保存にさらに精を出している。

   日記は自分との静かな対話。
   記録のためというより、一日を生きた証。
   荷風に倣おう。

とは川本三郎さん。




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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ブログと日記 (うばゆり3)
2025-04-27 20:30:34
こんばんは。

日記は若いころのものは全て焼却しましたが、後に残しても良い日記は纏めて製本し残しております。
こうしたも自分のもの以外に歴史関係他、義理覚書など様々な記録を残しておかねばなりません。

ブログの場合は私も少しずつコピーしておりました。
フォローしてくださった方々のブログ名などもコピー済みですので、移られた場合にはお伺いいたし、お付き合いは続けます♪
お孫ちゃん可愛らしいですね~~♡
返信する
残すもの捨てるもの ゆりさん (kei)
2025-04-27 22:21:08
こんばんは。
私の場合は残してもよい日記というのは存在せず、すべて処分しました。
乙川氏には立派な作品が遺されます。
わたしにも拙いながら同人誌や他で発表して一応形になっているエッセイの類があります。
未整理のもの含めて、やはり残されて喜ばれるかと考えます。

ブログはあくまでも自己との対話にスタンスを置いて日々のことを記し、向き合ってきました。
唯一、孫の成長が追えるエピソードは取り出そうと思っているくらいです。
ブログを書籍化して残したところでお蔵入りが関の山?という思いもします。
自分のためには要らないのです
さすがにこれでは後ろ向きなのでしょうかねえ(笑)

なんのかんの言いながら、移行先だけは決めてあります(笑)

Chat GPTですね。してみろと娘がしつこいです。
返信する
Unknown (nasaki)
2025-05-19 15:00:43
幸せ感の比率が高いアイルランドでは、「自分史」が盛んだと以前読んだことがあります。
 死ねば死にきり、ではないですよね。 
 あなたのエッセイは、貴女自身の、時、意識、魂なりの総体、エキスのようなものかもしれません。
 全て無になるのかもしれない。それはあくまで地球惑星なり太陽系の原理によります。あるいは、人間の手によるか〜?
 未知の前で、無にこだわるのか、否か、人それぞれのスクブン、ミッションや使命、運命があるとも言えそうです。
 日々の実存を言葉にするのは、生存の記録、実証でもあるのでしょうか。
返信する
日々の実存を言葉に  nasakiさん  (kei)
2025-05-19 20:45:52
nasakiさん
お言葉を繰り返し拝読することで、自分の気持ちの少し深いところと向き合うきっかけを
いただいた思いでおります。

母恋し!と齢を重ねるにつれて思い出されますが、
そんなとき実母が私に残してくれたものに手紙の束があります。
わたしが残せる(遺せる)ものはと考えますと、みずから無にして消えたいとは言い切れません。
「未知の前で、無にこだわるのか、否か」
まずは「日々の実存を言葉にする」、ブログやエッセイを通して私という人間が生きた足あと、証しを静かに綴っていくことに心を向けようと思います。
いただいたお言葉を大切に、これからも考えていくことが続きそうです。ありがとうございました。

賜った場に座し 
いつわりなき光にてらされつつ
すべてと共に実りゆくいのちを
苦難のなかにつらぬいて成就されんことを

座右の銘としていただいております。
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