京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

安上がりな?豊かさ

2021年01月29日 | 日々の暮らしの中で
    布団着て寝たる姿や東山    服部嵐雪

前書きに「東山晩望」とあって、夕暮れ時の、京都の東に連なるなだらかな東山三十六峰の稜線が「まるで布団を着て寝ているかのようだ」と詠まれている。
東山三十六峰とは通説では比叡山を第一峰とし三十六峰目の稲荷山に続く山並みを言い、鴨川のほとりに「山紫水明処(どころ)」という書斎を建てた儒学者・頼山陽の命名だと伝わっている。



上・左端の比叡山から第11峰目の如意ケ岳まで
下・如意ケ岳(大文字山とも呼ばれる。火床が茶っぽくわかるでしょうか)から・・・なだらかに続いて・・・・・・稲荷山へ

鴨川に架かる北大路橋から河川敷に降りてみた。橋の上からでは、比叡山までは目に入らない。
不要不急ではあったがMARUZENまでぶらっと出かけた帰りに立ち寄ってみたのだった。ただちょっと寄り道してみたくなっただけだが、ここは何にもないが「公園」と呼ばれるところで、書店での立ち時間が多かった足の疲れを休めることにした。もう長いこと休憩目的で店に立ち入ることはしていない。

おいしいコーヒーをいただくことも確かに幸せな瞬間かもしれないが、私にはこうして心休まる景色を眺めて、物思うひとときがとっても豊かな時間に感じられる。それを安上がりな人だと、喜ぶ人がいる。

布団を「着る」と「かける」。金田一京助さんが触れていたことを思い出して帰宅後ページを繰ってみた(『ことばの歳時記』)。
「着る」はいかにも京都的だとある。西日本方面では一般に「着る」をよく使い、江戸なら布団は「かける」ものだと。
「布団をかける」という私。さて、あなたは?

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高校一年生に

2021年01月27日 | HALL家の話
孫娘は今日から高校1年生です。

0歳

2005年10月にオーストラリアで生まれました。
生後半年で初めて日本にやってきました。こちらで幼稚園にも通いました。3歳でのデビュー当日から、お弁当は完食の連続。小学校生活も聴講生として2回ほど体験しました。
オーストラリアでは現地の小学校に通い、土曜日は日本語補習校でオベンキョー。日常、母親と日本語での会話もありますし、おしゃべりに不自由はなかったでしょう。

5歳 10歳

そして、5年生になった春先から日本での暮らしが始まりました。地元の中学校へ進みました。
高校進学を考えるようになってきて、「学ぶ」には日本語のハンディが大…。書かれたことの読解がすべての入り口となる段階で今躓くよりはと、英語圏での学習を選択したのでした。
中学2年生を終えて再びオーストラリアへ戻ることを決めました。実際は昨年来のコロナ騒動で、オーストラリア入国の門戸が閉じられる前にと急遽2月に帰国の途に就きました。父親と二人の暮らしです。
中学3年生を過ごし、高校生に「進級」です。

このお正月にテレビ電話で弟たちも加わって賑やかなおしゃべりをしました。「もっと学校以外でいろいろしておけばよかった」ということばが漏れました…。たとえば?と聞きたいところでしたが、弟組がうるさいこと! で、気になったままスルー。

やはり大きな節目です。3年後には将来を見据えた選択をすることになります。ぼんやり生きていたらあっという間の3年間。
今日はひとまずお祝いのメールをしましたが、週末にでもまたちょっと思いを伝えようかな?と。

Jessieは「高校生」になりました。 (15歳、写真がありません)
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春隣

2021年01月25日 | 日々の暮らしの中で

雨、三日。そして一転、今日は春のような陽気になった。
ぱっかぽかの陽ざしが外に出よと降り注いでくる。東へ行くか西へ向かうかの違いくらいで、ほぼ歩くコースは決まっているが、少しばかり遠出した。
そうして塀越しに見上げたよそさんの早梅に、「春隣」の季語が降ってきた。
春立つ日のめでたさを心待ちにする、はずみ心がそこにはあって、今年は2月3日がちょうど立春に当たるし、もうまさにこの時期は春隣。

毎月一回、文章仲間の例会で作品の合評会を行っているが、来月も中止にすると正式に連絡が入った。切磋琢磨する刺激が欲しい。例会日は少なからずそんな機会のひとつにしてきたが、合評を得るのはまたまた先延ばしだ。

少し前にファンタジーの作品を書いた知人から感想などを求められたことがあったが、その逆をお願いすることにした。
短い時間だけど、やはり会うっていい。「いいねぇ」なんて簡略化されるより、読んで考えや意見を伝えてほしい。読んでくれる人、読める人だというのが信頼の根っこにある。「読んでみて。そしてきっちりコメントお願いです」。そして、「近いうちにもう一作も」と。これは何よりも自分のやる気を高めるために、頼み込んだ。


何を読んでいるのかしら。上着が今日は少し暑そうだけど、読書している姿を見るのはいいものだ。
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熱量に打たれ

2021年01月23日 | こんな本も読んでみた

昨日、今日と雨が降り続いた。『熱源』を読み終えて、その余韻のままに再度ページを繰り直しては思い巡らせた。
樺太アイヌのヤヨマネクフ。サハリンに流刑となったポーランド人でロシア国籍のプロニスワフ。彼らを軸にしながら、多様な人間模様が世界の各地で交錯する壮大なドラマを編み上げた作者の熱量に打たれて興奮気味だったみたいだ。夜、横になってから2時間ほど寝つけずにいた。

(少数)民族には同化への圧力、異化、疎外、蔑視、憐憫など様々な困難がある。だが彼らには、「環境に適応する叡智があり、よりよく生きようとする意志があり、困難を前に支え合おうとする関係があった」。「原始的に見える生活は、当地の風土や気候に適した合理的なもの」。
「我々が掲げる文明は、暗闇を照らす光を装って隣人たちの営みを灼いている」のだ、ということへの想像力も働かないでいると訴える。

文明の理不尽「古来からのアイヌの生き方を文明がそぎ落としていく」。
自分が誰なのかを忘れて、何が、「誰」が残るのか。文明の波に、また政治にさらわれない「民族」、「個人」の存在、生き方、‥在り方など考えさせられた。
二つの国籍を持つ孫たちのことが頭をよぎったりもする。人はいかに生きるべきか。どうあるべきか…。あれこれ刺激を受けた頭の中を今日は一日鎮めていた。

「滅びゆく民と言われることがある。けれど、決して滅びません。あなたの生きている時代のどこかで、私たちの子孫は変わらず、あるいは変わりながらきっと生きています。出会うことがあれば、私たちの出会いのような幸せなものでありますように。そして、あなたと私たちの子孫歩む道が、ずっと続くものでありますように」。未来に向けたメッセージだったが、今、この世で受け止めるなら…。
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背中合わせ

2021年01月20日 | 日々の暮らしの中で

今地元紙では昨年末の25日から今村翔吾氏による『茜唄』が始まっている。
二十余年の歳月を費やし「平家物語」を編み上げた「誰か」と、それを語り継ぐ役を引き受けた(らしい)「誰か」とが登場する序章。
次いで、各地で平家に立ち向かう乱が起きていた時代の清盛最愛の4男・知盛が描かれた。知盛は「今の平家の敵は三つ」として、源行家、木曽義仲、源頼朝の三人を挙げる。手ごわい頼朝だが「今なら潰せぬでもない」と思ったところで終った第一章。

朝から系図を描いて人間関係を確認しながら読むなど面倒で、もうやめようかと思い始めていて今日、平家の物語を残そうとする者のもとへ親鸞門下の西仏が人目をはばかるようにしてやってきた。伝え残そうという者にはもう時間がなさそうだ。すでに世は源氏のもの。迫る手があることを予感している。誰なんだ? 今井氏による新しい平家物語、やはりちょっと気にかかって、明日を待つことになった。
切り抜きをためては一気読み、この繰り返しとなりそうだが流れが追える。

平家物語は作者未詳。琵琶法師によってさまざまに語り替えられ継がれてきた。読み本系統でも多様な写本が伝わっている。
義仲の物語はまだ何も始まってはいないが、木曽義仲が琵琶湖畔の粟津で源頼朝・義経の軍勢と戦い戦死したのは寿永3年の1月20日と伝えられている。
塚を近江守護の六角氏が義仲寺に再建した。芭蕉はここを何度も訪れていて、大阪の旅先で亡くなると、遺骸は寺に運ばれ葬られた。二人の墓が並んで建っている。2011年に訪れた義仲寺を思い起こしていた。
 

           木曽殿と背中合わせの寒さかな      又玄(ゆうげん)

今日は大寒。11年に訪れた時は境内の池の亀が冬眠から覚めた時だった。

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ハンター・トンビ

2021年01月18日 | 日々の暮らしの中で
肩が凝る? 頭が凝っているのかしら?? 連日朝から体がかたく首筋が詰まった苦しさがある。時間とともに徐々に和らいでいくが、寒さのせいかしらん? で、思った。せっかくある豊かな日差しを浴びようと。歩きに出たのはいつもより1時間ほど早かった。


これまでトンビは空高くを悠々と飛んでいるものだとしか思っていなかったし、それ以外の姿を見たことがなかった。
池の上にトンビのエサになるものがあるのか? そんなことを思いながら池の端を上を見ながら歩いていると、その数はどんどん増えて、頭の上で輪を描いている。まさかまさかの話だが、狙われているのはこの私かと思えてくる。ざっと数えて12羽。


なめらかな弧を描きながら少しずつ少しずつ水面へと迫る。と、何かが跳ねてしぶきが上がり、水中にもぐった。離れた場所に顔を出したのは小さな鴨のようだった。マガモはこの池にいくらでもいるが、多くは縁の木陰に身を寄せて休んでいる。2羽のコガモを狙っていたのだろうか。

トンビは解散の様子もなく、ひるがえり、飛ぶ。とまた、なめらかに素早く獲物に迫る。水しぶきが上がるが、間一髪水中に潜りおおせているようだ。危ないアブナイ。執拗な繰り返しを目の当たりにして、しばらくその場を離れられなかった。方向転換して迫ってこられては大変、退散だ。
あの2羽、無事だっただろうか。

「心を凝らし、泥を踏みしめて」歩いていては、かえって疲れるではないの。思わぬ世界を見せてもらった。
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待てば出会いが

2021年01月15日 | 日々の暮らしの中で

3月下旬並みと気温が上がって、久しぶりに鴨川上流へと向かってウォーキングに出てみた。あてにしていた運動公園の駐車場が開いていたので利用することにした。もうここまで歩いてくる勇気はないので大助かりだ。


ランニングしている数人とすれ違うだけ。目に入る限り花のひとつもないが、日差しがまぶしい。いつもよりぐっと静かなせせらぎの音。水量はずいぶんと少なかったが、こんな鴨を見かけた。初めて見る種類だった。

「普通に人々が、この景色は佳いだのあの景色は悪いだのと云ふ、そんなことは殆ど意味もないことだ。人々の心の奥底を動かすものは、却て人が毎日いやといふ程見てゐるもの、おそらくは人々称(よ)んで退屈となす所のものの中にあるのだ」
佐伯一麦氏はこの中原中也の言葉を引き、「私が自然の風物に寄せる気持ちもそれに近い」と記されている。
「向こうから自ずとやってくるものをじっと待ちうけて」いたら、私も今日、このキンクロハジロとの出会いがあった。
(※キンクロハジロではなくマガンの雑種だろうとご指摘いただきました。訂正いたします)

寒見舞いをだした。

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冬芽のけなげさに

2021年01月14日 | 日々の暮らしの中で

ウンベラタム(和名でオオアマナ)に小さな緑の発芽が見られ、喜ばせてもらった。暗く凍てつくような土の中で、ちゃんと冬芽の準備を整える自然界の命のたくましさに、毎年のことながらやはり大きく感動させられる。ほんのちょこっと顔を出し、この世の空気を取り込むような芽の開き具合が愛らしい。春を思わせる今日の温かさは、どう? 気持ちいいねえ。

実は昨春はひとつも芽が出ずに終わってしまった。〈球根を植え付けたあと2か月は水遣りの回数を少なく〉などとあったので、雨に当てすぎたせいかと振り返ってみたが、もともとは地植えで育っていたものだ。それをいくつか掘り上げてプランター栽培し始めた。でも確かにあの時、10月に球根を植え付けたあとの雨量が多かったとは思い出される。

そこで初めて、プランター二つと、さらにもう一鉢にびっしりと球根を植えたあとの水遣りを控えようと、地で育つ花に手間をかけ、過保護みたいだが軒下で管理することにした。置きっぱなし。半月に一度ほど水をやるなど、手間をかけるなど言っては申し訳ないか。まあ、なんせ素人と呼ぶのがふさわしい者がすること。
でもどう? それに報いてくれるように冬芽はけなげに顔を出してくれたではないの。今度はこちらでその健気さに報いなくっちゃ。…でも本来地で育つ花なのだ。毎日のぞいて目をかけ声をかけて、春先の開花を待つとしよう。

 

2列になったその真ん中にも球根をずらし加減で一列植えたはず…。これからか。思わところから顔を出し、のぞいている芽がある。葉に入る白い筋は、こんなに小さいときから確かなDNAを見せる。

  冬がすんだら あたたかい春がくる
  楽しみだ
  楽しみを待つような原因を平常からつくっておきたい

どなたのことば、なにからの引用なのか。こんな一節に出会ったことがある。
楽しみを待つようなタネを平常から蒔いておきたいものだと、改めて思った一日でした。


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難を転じる

2021年01月13日 | 日々の暮らしの中で
豊かな実の房それぞれに紙袋をかぶせて大切にされた南天を、報恩講の時期になると仏さんにと上げてくださる。磨き上げた仏具の荘厳。松を真に立てた花瓶に、南天の赤い実がたわわだ。菊の花も色どりを添える。鏡餅がひときわ和やかに正月気分を浮き立たせていた。


南天は「難を転じる」ということで昔から屋敷の鬼門に植えられるようになった。縁起の良い植物として好まれている。

今日、緊急事態宣言が発令された。
「昼夜を問わず外出をなるべく控えることが感染収束に向けて今最も大事なことだ」という尾身会長の言葉があった。どこまで自身を含め各人が自らの行動を律することができるか。発令された以上、もう散々してきていて我慢ガマンではあるが、自分にできることはするつもりだ。ただ、緩んでいた外出へのブレーキは、今少し強めに踏み込む必要がある。

ただねー、政府と国民との間に一体感が生まれず、政府の姿勢に何か不満が沸いてくるのよね。国民の代表である議員さん、お大臣さん、彼らは国民のために何をしてくれているだろうか。なにも伝わらず見えてこない。
万が一感染したとき、受け入れてもらえる病院がないなんて。これだけ市中での感染拡大が懸念されるとき、明日は我が身と言えるのだ。
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解体、ちょっと修正

2021年01月12日 | 日々の暮らしの中で
薄暗い、火の気のない早朝の本堂は、身がちぢみあがるほどの冷気に包まれている。
ロウソクを灯し線香をくゆらせた。お仏飯からゆげが立ち上がる。
だれ!? 秋だったら軽やかな虫の音があるのだけれど…。目? なんの気配?
幾代と続いた朝のお勤めだ。

薄化粧の朝だった。午後2時を回って歩きに出た。いつもこのくらいの時間に出ることが多い。電光表示は5℃、寒くはなく軽く汗ばむ歩きやすさだった。


昨年末21日には十月桜がきれいに咲いていたが、さすがに幾度かの雪をまとって花はない。それでもこうして薄明るく色を成しているではないか。遠く、東山の連峰も一帯に雲がかかり霞んで見えない。

文章仲間との例会は中止が続く。2月もきっと活動は中止だろう。11月に体調悪く欠席しているので、都合4か月の無沙汰が続くことになる。
一作書き上げたいとメモを採り、構成、展開も練った。順序が違うと書くことがまとまらない。どう書き出そうか、最後の一文は?? 頭の中で思い巡らせ、いつでも書き出せる時間の多さについつい先延ばし。
この甘ちょろさを解体。そして午前中の2時間を有効に使おうと、自分の生活のペースを考えあわせて気持ちに強く修正を加えた。

明日には大阪、兵庫、京都にも緊急事態宣言が発出される見通しだと報道されている。何ごともないような暮らしでも内面では常に細かな修正を加えながら暮らしている。近隣への外出も制限されそうな日々に、メリハリつけて乗り切らなくっちゃなあ…。

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事もなく書を読む

2021年01月10日 | 日々の暮らしの中で
分厚いツワブキの葉がすべてぺっちゃり、くたくたに萎れてしまっていた。そして霜柱が立った朝だった。
次第に日差しが出て、気づけば昨日のように強い風が窓ガラスをゆすることもなく、静かな日曜日。


雪でないなら行ってみたい所はあるのだが、「自粛」の言葉が脳裏を通過…。
予定もない。

たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時   (橘曙覧)

『熱源』(川越宗一)を読み進めた。
針葉樹の森に覆われ、一年が半分が雪と海氷に閉ざされる島・樺太から北海道の対雁(ついしかり)村に移り住んだアイヌの人たち。9歳だったヤヨマネクフは27歳の時再び樺太に帰っていく。
ロシア人、和人、アイヌ。様々な人が訪れる島。懲役囚がいたり。どうかかわっていくのか。どういう作品なのだろう、と先が読めないのがまたいい。

今日は佳い日だった。

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啼いていた

2021年01月08日 | 日々の暮らしの中で
外に出してあるバケツの水に氷が張り、道路の水たまりは凍っててかてか。強い風は冷たくって、寒かったこと。そんな中を物好きにも?日差しのあるうちにと小一時間歩きに出た。すれ違う物好きさん?はやっぱりいました。



アオサギがカウ カウ カウ(?)っと繰り返し繰り返し小さく鳴いているのを、後ろから回って少し離れた隣で聞いていた。何が鳴いているのかと思わず耳を澄ます大きさだったが、恐ろしげどころか意外とカワイイ感じの声音だった。子猫?のような可愛さの声ではあった。「にゃおん」ではなく、あの響きで小さく、短く「カウ」。「クアゥ」とだとちょっと…。 
そもそも鳴き声と言っていいのだろうか。
これほど傍に近づけるなど初めてのことだ。たいていは川の中州で、塑像か!?と思う姿でじーっとしているのに。

イギリスで発見された変異種のコロナウイルスによる感染者が二人出たとかで、孫娘が暮らすブリスベンは即、今日から3日間の集中ロックダウンだと聞いた。国によって対応の違いを改めて見せつけられた。

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枯れても美しい

2021年01月07日 | 日々の暮らしの中で

アジサイの花びらに筋(花脈と呼ぶらしい)が残って枯れている。
指先でぱりぱりと崩せるはかなさだが、こんなふうな軽みを持ち合わせたまま年齢を重ねていけたらいいものだな。枯れても美しい。
森羅万象の仏性に触れる、ということかも。この姿、形、色に。
寒波襲来。そんな厳しい季節に似合う美しさではないだろうか。

昨日の内に買い物も済ませ、家に籠っていられるようにと備えた。その結果今日になってみれば、一日フリーだということで返って出好きの虫が蠢く。で、ちょっとだけ外出することにした。当然不要不急の用事ではない。
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「心田を耕す」

2021年01月05日 | 日々の暮らしの中で
一年が良きことで満ちるよう願って交わす「おめでとうございます」ということば。
新年早々、験が悪いことをいうものではない。だから、どうぞどうぞ日々平穏に過ごせますよう…。

「ああ、たのしかったね」という言葉を置き土産にして、4歳児は兄と母親と一緒に帰っていった。去ったあとの片付けで時間が過ぎ、今日も日が暮れる。日常なんてそんなもので、そうした雑事をこなしながら私自身もペースを取り戻していく。


〈憧れや夢を失わずに、いつも希望と道づれ〉。これは確か木津川計さんが言われた言葉と記憶している。
好奇心をいつまでも強く持って、新しいことでもできるだけ受け入れて行動してみるとしよう。そうした心が動かなくなるとき、希望は失われるのだろう。
「心田を耕す」という言葉がある。自分の心の土壌を常に肥えたものにしておけば、飛んできた種は芽を出し、根を張る。そして時間をかけて育つ。そのための時間の量の多少は私には問題ではない。ただ楽しみごとのタネや芽を心のうちにたくさん持っていたいと思う。趣味の世界、参加している活動、どんな場合にも、これからは尚更のこと工夫や努力が大いに要ることだが、楽しい毎日は自分で作るのだと心して、この一年も暮らしていこうか。

     孫たちが帰った晩から『熱源』(川越宗一)を読み始めた。ところがなんと頭が読書モードになっていないのか作品に入り込めず、前の部分を読み返してはちょっと進むといった具合で足踏みしている。

写真:鴨川の三条大橋を少し下がった(南下した)辺りで、飛来しては流れに乗って泳ぎ去り、また飛び立つユリカモメを見ていた。彼らのねぐらは琵琶湖だそうな。
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