京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

秋だからちょっと夜ふかし

2024年10月30日 | 日々の暮らしの中で
「伝記は、ひとの人生の読み方であり、書いた人による或る人の生き方をどう読んだかという報告の書である」と長田弘氏は書かれていた(『本に語らせよ』)。


明恵上人に少し近づきたいと思うとき、敷居の高い仏教書や解説本ではなく、また伝記でもなく、梓澤要さんの小説『あかあかや明恵』を選んだ。
小説だから当然わからない部分は虚構あり脚色ありだが、歴史上の人物を踏み込んで梓澤明恵として描いてみせてくれるはず。
私の感受性に働きかけてくる言葉を味わうことになる。どう味わうか、その読みの姿勢は問われるのだろうけど。


2024年度の読書週間の標語は、「この一行に逢いにきた」だそうな。
「読むことは言葉を手渡されること」。
読んだあと胸に残る一節はどんな言葉だろうか。

「その言葉に魅せられてゆく。その言葉が自分の中に残す感覚の充実を読書に求める」
長田さんの言葉に重なるのは、今、乙川優三郎作品。まさに、面白いでは言い足りない。心を惹きつける、でも不十分。心を奪う、没頭させる、…面白くてたまらない。

 

『立秋』と『屋烏』の出番もやって来た。まだまだあるわ、買い置いてある本が。
「金があったら本を買っておけ。どんな本も3年たったら役に立つ」。尾崎紅葉は弟子に説いたという。

本を読むのは、旅への切符を手にするようなものだ、と『モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語』にあった。
〈秋だからちょっと夜ふかし あと1ページ〉1994年

明日から11/4まで秋の古本まつりが知恩寺境内で開催される。でも行かないと決めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨上がりも一興

2024年10月28日 | こんなところ訪ねて
比叡山の西麓にある詩仙堂、曼殊院、修学院離宮を過ぎて赤山禅院のあたりを南から北(あるいは北から南)へ歩くのが、私が好む散策コースの一つになる。

時には勘を頼りに、初めての道を選んでみる。不安を覚える頃に、前方に見覚えのある建物や店舗が見えてほっとする一幕もあるが、まあ、歩いてさえいれば道はどこかに通じている。


昨夜来の雨が上がって、薄日が差し始めた。秋晴ればかりが良いのではないだろう。
曼殊院の白壁に土塁と、雨上がりの微妙な光を受けてしっとりと生きづく苔との調和もまた一興という感じだった。楓の青さは、はっきりしない天候を少し晴らしてくれるものだった。


何度も訪れて拝観もしているので今日はソ~リ~、ソ~リ~と心の中で手を合わせ、『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台、林丘寺が見える道へと抜けた。何やら草が茫々としている。


そして赤山さんを目指して。


赤山大明神とある石の鳥居をくぐって



「赤山明神 是より不一」とした先に見えてくる門には、「天台宗修験道本山管領所」と看板が掛かっている。
「叡山で行をするひとびとの本締めでもあるのだろう」

「赤山(せきざん)という変な漢音の名称の赤山明神(禅院)」。寺なのか神社なのか。
本来「明神」なのを「禅院」にしたのは、明治初期政府の神仏分離策をごまかすためであったろう。「明神」なら神社にされてしまうが、「禅院」なら寺として残されるから、と司馬さんは『街道をゆく 叡山の諸道』で書いておられる。


緩やかなのぼり道を進むとなにやら大声が響いてきた。マイクを通しているような声だから、威嚇されてるような怖さを覚えるものだった。
ドスの効いた早口で怒鳴り声のよう。「あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい」? と聞き取るものの…。

お参りがあったのか、10人ほどの人たちが出てきたのに合わせて、年配の上品な女性がテント張りの小屋から姿を現し、出くわした私に「お参りありがとうございます」と言葉をかけて下さる。きれいな方だった。



拝殿の屋根の上には猿。「危難ヲ去ル」で、京の東北の鬼門を守るお猿さんだと以前ここで聞いたことがあったような。

少し疲れたのを感じながら、下校時間となった小学生たちと白川通りへと下りた。
開放された子供たちの声に元気づけられて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり笑えたほうが

2024年10月25日 | 日々の暮らしの中で
なんでもない平坦な道を歩いているのにつま先が突っかかるなんてことがときどき起きる。これは結構周囲から経験談が耳に入ってくる。
ひとりでいて、しかも人目があるとちょっと恥ずかしく、えっ!? あれ? なんてふうに足元の体裁を繕ってみせてしまう。
散歩道、転ばないだけよかったとしなくっちゃ。

京の六大学落語選手権なるものがあるらしい。
 

3日ほど前、車の中でNHK-FMの「ひるのいこい」を聞いていたときの1句。
〈ころんだら 靴にごめんと あやまられ〉
  思わずクスッと笑った。
〈靴にごめんと謝られ〉、か。
  いいなあ、と思ってはハハハと笑えてきちゃって、何度でも口にする。
〈靴にごめんと謝られ〉
  もう気に入っちゃって、一度で頭に入った。
放送では2回読み上げてくれるんじゃなかったかな。確か仙台市にお住まいの方だった。
〈ころんだら 靴にごめんと あやまられ〉

地元紙には「川風(せんぷう)」という読者による投稿句が掲載される枠があって、一昨日には宿題「正しい」で選出された10句が掲載された。
うち初めの3句が秀句として★印が頭に並ぶ。

〈孫2着ビデオ判定してほしい〉
この★の2句目にクスリ!
わかるわかるこの気持ち、とやっぱり笑いが生じる。

ちなみに★のトップには〈正論を探す遠近メガネ2個〉
「正しい」をテーマに、この目の付け所。確かにね…。
でもやっぱり2句目がすっと頭に入って気に入っちゃったわ。
どうでもよさそうな? でもちょっとこだわる(ってみせる)おじいちゃん。

話は変わって23日、JAXAの宇宙飛行士に29歳の米田あゆさんが認定された。
東京生まれの京都育ち。日本赤十字社医療センターに所属していた外科医だそうな。今後訓練を積んで、もしかすれば日本人で初めて月面に降り立つこともあるかもしれない…という夢を描ける。


日本人で初めてスペースシャトルで宇宙に搭乗したのが毛利衛さん。
ずいぶんと歓喜に沸いて…。
後日こんな著書を買って読んだこともあったが、長きにわたって仕舞い込んだままに。

このニュースを耳にした同日、手持ちの本を少し処分したのだった。
 「この本を読んで楽しんで、それで100円儲けたらいいじゃない」
こう出久根達郎さんが言われたときとは、今や社会の事情も大きく違うが、5円だった。

これには笑えない。
けれど、「ブ」で買い取ってもらうとき、「本の値打ち」なんてのは関係ないのだそうだ。
うーん、わかっているけど、ちょっと残念。
笑えるほうがいいに決まってる。ふん、とひとクスでも・・・。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つまずきも縁のうちと

2024年10月23日 | 日々の暮らしの中で
何かに導かれるように巡り合わせていく運の良さ〉などと自ら綴っていた昨年の8月。
上野英信の名を刻んだ月だった。

氏は京大中退の学歴を隠して1964年、親子3人(子息の朱氏は小学校2年生)で筑豊の炭田の一隅、福岡県鞍手に移り住み、炭鉱労働者として働く。
記録文学として『追われゆく抗夫たち』が残された。


ここに至るまでには、『花をたてまつる』『豆腐屋の四季』『読書の森に寝転んで』などの作品に導かれる出会いを重ねた。
40歳まで生きられない境涯でありながら石見銀山で懸命に生きる者たちを描いた『輝山』(澤田瞳子)を読んでいたことも、自分を突き動かすことになっただろうか。
出会いの芽はそこかしこに潜在していたのだ。

先月の下旬ころ、京を拠点とする劇団「二人だけの劇場スザンヌ」の公演案内を見た。
筑豊の炭坑で働いた女抗夫たち「火を産んだ母たち」が一人芝居で上演され、そして筑豊から来演する劇団「やしゃぶし」が、閉山に追い込まれてゆく時代を男性側から描く、現代狂言「穴」を披露するという。
狂言は上野英信の『追われゆく』をもとにユーモラスに仕立てられているというし、「火を産んだ」の原作者井出川康子さん(91)がトークセッションに招かれているというではないの。

見逃す手はないと思った。10月13日正午の上演時間を希望して…。
が、声をかけた演劇好きの友人の予定が定まらず…、つきあってしまった。
遅かりし! 満席だという。立ち見も身動きしにくい状況になるという。定員オーバー、残念だった。 
逃がした魚は大きいぞ。決断力、行動力が落ちたんじゃない!? かなり悔やむことになった。


つい先日20日の日曜日。夜9時からテレビ番組〈海に眠るダイヤモンド「1955年の長崎端島と現代の東京を舞台に描く70年の愛の物語」〉を見た。
海のダイヤモンドに、軍艦島。
海の底のそのまた地底におりて石炭を掘り出す抗夫たち。時代が交錯してややこしややこしのドラマ展開も、いくらかつかめて…。
世界文化遺産に登録されているという軍艦島の姿を知ることもできるか。

今度は忘れず見てみよっと。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あかあかや明恵

2024年10月21日 | こんなところ訪ねて
「 序
  栂尾高山寺を囲む山の稜線から朝日が少しずつ覗いてくる」
の一文で始まる『あかあかや明恵』(梓澤要)。



冒頭の一文には、高山寺の寺号の由来となる「日出先照高山」 - 日出でて先ず高山を照らす、が下敷きあるのだろう。
一途に華厳思想復興を志した明恵上人。8歳で両親と死別した明恵は、亡き父母の面影を釈迦に重ね合わせるかのように深く信仰したという。

明恵上人時代の唯一の遺構、石水院

富岡鉄斎による「石水院」の木額   財善童子(華厳経に出てくる求道の菩薩)

34歳の時、後鳥羽院から神護寺の別所・栂尾の地を賜り、ここが明恵上人の後半生の活動拠点となっていく。その徳業は多くの人々の信仰を集め、そして「鳥獣人物絵巻」に代表される多くの文化財も集積されていった。

梓澤氏の『荒仏師運慶』にも明恵は登場した。
〈人気のない薄暗い木立の中でひとり、座禅している…年若い色白で華奢な美僧の姿は、神々しいまでの静寂に包まれていて驚嘆したが、よく見ると衣の裾のあたりや腰のあたりに、リスが何匹もちょろちょろ動き回り、肩には小鳥が止まっているのだった。〉(運慶の弁)

樹上座禅象

世俗を嫌い、隠遁を繰り返した孤高の生涯。印象深い言葉がある。
※「人は阿留辺幾夜宇和(あるべきよう)と云う七文字を持つべきなり」- 人はそれぞれの立場や状況における理想の姿(あるべきよう)とは何かを、常に自分自身に問いかけながら生きてゆくべきである。日々、日常の中で。
※「愛心なきはすなわち法器にあらざる人なり」 - 愛する心がなければ、仏法を十分に理解できる人とはいえない。

24歳の時、右耳を切ったこと。そしてこの御詠草
「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」

などは読み知るが、何度か高山寺を訪れてはいても明恵上人についてこれといった書を読んだことがない。
ちょっと敷居が高くて…。それなのに、これまではずっと書店で背表紙を眺めるだけだった『あかあかや明恵』を読んでみよう、とまさに一念発起の感で思いついた。なぜかわからないけれど。
その前に、今日は高山寺を訪ねてみたのだった。


史実と虚構や脚色。どのような世界が描かれているのか。少し気持ちに力を入れて一歩踏み込まなくてはならないものがあるようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心得違いこれ無きよう

2024年10月18日 | 日々の暮らしの中で

積ん読崩しではないけれど、買い集めた乙川作品時代小説を読み続けている。

幼いころから身売り同然で丁稚奉公にあがり、十年の年季明けと同時にやめたのに始まり、職を転々とし続け、挙句は何もかもが鬱陶しくなり…と言った男や、手代として奉公していながら、店の金を盗んで逃げてしまう男とか…。

生きるのが下手な人間たち、市井の隅っこで暮らす貧しい人間や窮地に陥った人間が、ギリギリのところで生きる力をとり戻して生き直そうとする姿が描かれる。最後のいさぎよいほどの展開での終り方にも、余情の中で想像の世界を広げてくれる。希望を感じ取れば緊張した気持ちが緩むのを感じる。

必要あって古い資料の探し物をしていたら、杉本新左衛門秀明が呉服商として1743年に京都市四条烏丸に開業した奈良屋さんに関係した記事があった。

経営の才に長けた3代目・杉本新左衛門は店員の訓練に大変な注意を払い、自ら店員の指導書「教文記(きょうもんき)」を書き定め、それは以降の奈良屋を支え続け、道の種となって今に残されているという。

〈(中略)父母の恩徳は産み落とすよりも懐に抱き、仮寝の床に臥すとも我は濡れたる方へ、
乾ける方へ児を寝させ三伏の夏の夜も冬の寒きも肌に添え、親の恩恵の深き事しばらくも忘れず奉公大切に勤められ、身も心も親より預かりし一生大切な形見と心得る事、孝経の教えの御教育有り難く存じ候(中略) 
教えに随い少しも私なく正直正路を基として奉公大切に相勤め候はば、忠孝の道にかない申すべく候間、心得違いこれ無きよう頼み入り候〉(抜粋)

毎月朔日の夜、全店員を一室に集め、上役が読み上げて聞かせたのだそうな。
読み上げるたび、耳にするたびに、たとえ少しずつでも心に深く届くようになり、みなが一つになって励めるように。

物語中の鹿蔵や矢之吉は失敗はしたが、
「生きてさえいりゃあ、どんな人間だって変わることができる。生きている間に変わらなきゃ意味がねえからな」と矢之吉(でも彼は死んでいた)。
「辛いことは誰にでもいろいろある。一つひとつ乗り越えてゆくしかない。人間はみんなそうやって生きてゆくのよ」


お地蔵さんの耳は、一度に何人もの話を聞いておいでだとか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている間に蓄えたものが

2024年10月16日 | 日々の暮らしの中で

    冷たしや式部の名持つ実のむらさき     長谷川かな女

宇治市が主催し、女性が執筆する文学作品に贈られる「紫式部文学賞」に、皆川博子さんの歴史小説『風配図 WIND ROSE』が選ばれたことを知った。
100歳におなりでは?思ったものだが、94歳での受賞で、歴史小説に戯曲を組み込んで書かれているらしい。
何かの機会にお名前を知っただけなのだが、1986年に『恋紅』で直木賞を受賞。デビューは1972年だから、長く作家の道を歩まれて素晴らしい人生だなと感じ入っていた。

山口市の瑠璃光寺五重塔を舞台にした『見残しの塔』を遺された久木綾子さんは、89歳での作家デビューだった。
今夕、テレビ番組の中で新人絵本作家として91歳の中橋幸子さんという方が紹介されていて、象の話が絵本になっているようだった。
90歳を過ぎて絵本作りに取り組まれ、絵本教室に通って学んでいるとかで、「狭くなった自分の考えを広げてもらえる」と。

ああ、年齢など関係ないのだなあ。久木さんは、年齢は考えたことがないと言われていた。
でも、どなたもいきなり輝かしい「今」があるわけではない。それが問題だ…。

ここに思い出されるのは、乙川勇三郎氏がある作品のなかで言っていた言葉、
〈人の終り方はさまざまだが、生きている間に蓄えたものが最後は先導してくれる〉で、
お三方にしても、こつこつと積み上げた努力の先に花が咲いたと了解できる。
この言葉を身にしみこませよう。
人の一生は決して見通せない。けれど、晩年は自分に楽しい収穫の時期に。そうありたいなと思っている。



ムラサキシキブの変種で白い実をつけるのでシロシキブと呼んでいるが、正確にはシロミノムラサキシキブと呼ぶべきだろう、とどなたかが書かれていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳月に耐え、新たな時間を重ねて

2024年10月14日 | こんなところ訪ねて

きのう日曜日、13日の奈良の空はすばらしい青空だった。
西ノ京駅の改札を出ると目の前に薬師寺方向を示す矢印があって、なんの思慮もなく歩きだしていた。
杉山二郎氏が「近鉄駅を西に渡り迂回して六条大路を東して、薬師寺八幡宮を拝した後、正面から訪問することを勧める」と書いていたのを読んでいたのに。
  東院堂

初めて訪れた大阪の四天王寺では、西の鳥居をくぐって境内地をうろうろキョロキョロ。整えられた伽藍配置を正面から拝すことに気も回らなかった失敗の経験をした。幸いにもなぜかそれが思い出され、「白鳳伽藍」の姿を見なくちゃと東院堂に寄り、回廊など眺めつつ南門へと歩き、中門をくぐることにした。



  左手に西塔

西塔には風鐸があった。けれど、東塔にはないことに気づいた。
風鐸と言えば、たくさんの風鐸が揺れる高野山の根本大塔が思い出される。寂聴さんがその音を「天来の妙音」と讃え、私も聞いてみたくて塔を仰ぎ時を過ごしたことがあった。
この西塔は1528年に焼失してのち、東塔への綿密な調査に基づいて設計され、伝統的な木造建築の工法で1981年に再建されている。この令和の世に至って、どのような音を奏でるのだろう。
  こちらは東塔

古色の趣のためか東塔の姿は美しく感じる。三重塔でありながら、裳階による装飾があるせいで、その軒の出が全体を六重塔のような姿で見せてくれている。
東塔は創建当時から残る建物だが、2009年から12年かけて全面解体修理が行われた。母を誘い二人で奈良を巡った20代前半、以前の姿の東塔前で写真におさまる母と私が残されたが、ここに来たのもそれ以来となる。


金堂には薬師三尊像(中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩)が安置されている。風に幕が揺れて・・・、失礼ながらカメラを向けてしまった。
薬師如来像造立の意図には、病気の治癒祈願が主であって、温和で雅潤な顔貌を造形するものだが、ここ金堂の薬師如来像のお姿は「隙のない王者の風格、畏厳に満ちている」と杉田氏は指摘される。
当時の国際情勢の投影を見いだし、また、不祥事が続いた薬師寺の歴史への記述にも興味深いものがある。


今度は、眼前に塔!ではない姿を望みたい。屋並み越しにとか木立の向こうに…塔の姿を眺めてみたいものだ。
歩いて10分ほどのところに唐招提寺があるが、いずれまた訪れようと帰路に着いた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この日、この時、この場所が

2024年10月11日 | 日々の暮らしの中で
秋の陽に、稲の実りが黄金色に輝くのは本当でした。そして杭を打つことなく、ビニールハウスの支柱に稲わらを掛けているお宅がありました。


スーパーの売り場から米が消える、いささかショッキングな現実を目の当たりにしたせいばかりではありませんが、新米をとてもおいしくいただいています。
娘のところへ送ってあげたい。けれど、送料が高いしいらんよと言ってきた。うん…。
5日もあれば届くのですけど、きっちり10キロの荷をEMSで送ると、送料は2万5千円を上回るのではなかったかな。
AUS米を食べたあと、日本のスーパーで日本米を買うと、男組二人・TylerとLukas(13歳と7歳)は食べてお米の違いにすぐ気がついたという。


明日は文章仲間が寺子屋に集う。
お花を立てかえた。そして、仏さんのおさがりの菓子もなくって、お茶菓子を見つくろいに出かけた。仲間の参加を待つだけに場を整えて、
「明日が楽しみです」。
うーん、ほかに言いようはないものか?
「明日はがんばります」
は、オカシイな。

書き出しのうまい作者を〈カキダシスト〉、結びのうまい作者を〈キリスト〉と宇野浩二は分類したそうだ。
地元紙に若者だけの投稿が掲載される日がある。つい先日のこと。
「ゆっくり探したいと思う」「頑張りたいと思います」「一生懸命頑張ろうと思っています」「これからも頑張りたいと思います」などと、末文の多くには念押しだったリ決意?表明がなされる。

酒井順子さんは、最後の一文はもっとも遊べるところ、と言われていた。

「私たちの前(背後)にはただ静かに聞いてくださる阿弥陀さまがいらっしゃる。明日はこの恵まれし場で、深い縁の出会いを持ちたい。」
ちょいと理屈っぽいかねえ。
余韻を含みながら、末文の工夫をどう考えるか、みなさんの意見も聞いてみたい。


刈田の脇に、名も知らぬ小草に花が咲いていた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上賀茂の社

2024年10月09日 | こんなところ訪ねて
年に何度も訪れる上賀茂神社。


秋はこの萩の花を見るため“だけ”に、と言っても過言ではない。


「花を愛おしむわれわれの心はいつでも、花を愛おしむわが心を愛おしんでいるのであり、
また、そういう心を宿して生き続けているわが身をさらに愛おしんでいるのにちがいない」


上賀茂の社を流れる御手洗川の紅萩。
花にも花どき。伸びてたわんだ枝が、微かに風に揺れる風情など、たおやかで美しい。
草カンムリに「秋」と書く、まことに愛すべき花。
どうやら良いタイミングで今年の命を共にした、と言っておきたいな。

などとのあれこれも、なるほど杉本秀太郎氏が書かれていた通りかもしれないと思うのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こぶしをあけてみろ、中は空っぽだ

2024年10月07日 | こんな本も読んでみた
9歳で自転車を、14歳で豚、ピーナツ一袋(このときは鞭打ち20回に)などと盗みを繰り返し、19歳では服役していたルイス・ミショー。
彼の生年は諸記録あってはっきりせず、作者は1895年8月4日と設定された。

時代や人々の悪意が自分たち黒人にどんな仕打ちをするかを見てきたミショー。その状況を変えたい。彼はマーカス・ガーヴィーの「黒人は自分たちのことを知らなきゃならない」という言葉に出会い、わが人種は本を読まなければならないと考えるようになった。


黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれている本を、世の黒人男女が発する声を聞き、学ぶ必要がある。知識が必要だ。自分で学んで、事実を知る。それができる場所が必要だ。
44歳のミショーは、ハーレムに〈ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアー〉を蔵書わずか5冊で開店した。
1939年、人々はまだまだ大恐慌から立ち上がろうともがいている時期だった。


ハーレムで暮らす人たちは本や雑誌を買い求めるためだけではなく、話をするために店を訪れた。店は様々な思想や意見であふれ、店の前の歩道は公民権、教育、政治などについての演説の拠点にもなっていく。
ミショーはあらゆることに自分の意見を持ち、語った。「黒人の手に本を渡すこと」を使命に。書店にやって来る人たちに知識の一部を受け渡していった。


本が買えない少年には店の奥の部屋を提供し、読書を薦め、これも、これも、これもと読むよう周囲に積み上げた。
こぶしを高く掲げ、ブラックパワーのポーズをとる客がいると、「こぶしをあけてみろ、中は空っぽだ」と言って本を持たせ、言った。「いいか、それがパワーだ。黒は美しい、でも、知識こそが力だ」。
髪の縮れを伸ばして黒く染め、撫でつけた客に、「レイ、頭のまわりにつけているものは、寝たらこすれて落ちてしまうだろう。君を死ぬまで支えてくれるのは頭の中に入れたものだぞ」 知識こそが今の若者に必要なものだ。知らなければ身を守れない。「なるほどな」とレイ。

知識を求める多くの黒人たちが、ミショーの店の敷居をまたぎ、この店を図書館代わりにして、教育の不足や欠落を補ってきた。


「私は、誰の話にも耳を傾けるが、誰の言い分でも聞き入れるわけじゃない。話しを聞くのはかまわないが、それをすべて認めちゃいけない。そんなことしたら、自分らしさはなくなり、相手と似たような人間になってしまうだろう。勢い込んで話してくる人を喜ばせ、それでも、決して自分を見失わずにいるには、けっこう頭を使うものだ」

ハーレムに州政府の合同庁舎が建設されるにあたって、立ち退き指示を受け入れた。息子は19歳の大学生。本を売るのは私の生きがいであって、息子の生きがいじゃない。閉店を決めたミショーは80歳になろうとしていた。
5冊から始まった店は、在庫数22万5千冊となった。それに加え、植民地からの独立を果たしたアフリカ諸国の指導者に関する写真や絵画、記念品などがあった。

大量の蔵書をどうさばいたのだろう。閉店前の〈特別セールのお知らせ〉がいい。

通常価格3.00ドルから10.00ドルの書籍2万冊の本を1冊99セントで販売。5万冊の書籍を半額で。子供向けの本も多数ある。
「ハーレムにお住いのお子さんをお持ちの皆さんに、アフリカの子供たちの生活史を描いた2万冊を用意しました。この絵本は、その他の本を購入してくださらなくても保護者の方と来店してくださったお子さんのすべてにさしあげます」

「他書店のみなさん、蒐集家のみなさん、図書館関係者、教員、子育て中の方、大学関係者、どなたでも大歓迎!
そろそろ店をたたもうと思います。私は遠くへ行きます」と呼びかけていた。


ミショーのインタビュー記事や録音、親族が保管していた記録、実在の人物から聞き取った話などを拠りどころに、情報不足の部分は調査に基づく推測で埋められているので、この作品はフィクションになる。
行きつ戻りつ、ざっくりとルイス・ミショー―の生涯を追いなおしたが、作品は年代を追って読みやすく語られていた『ハーレムの闘う本屋』。


本の実物を見て驚いたのは、絵本によくあるA4サイズ大だったこと。

    
 図書館で借りた本で返却し、今手元にありません。
記録しておこうと長文になりました。悪しからず。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやかな今日のひと日

2024年10月05日 | こんなところ訪ねて
思いのほか良い天気になった。2日ほど雨にこめられていたので行こうと誘って、京北町山国の常照皇寺に向かった。

龍安寺、仁和寺の門前を過ぎ、周山街道を三尾の神護寺・西明寺・高山寺に至るころには、道路わきの気温表示も28℃あったのが次第に26℃、23℃、21度とさがっていく。
高山寺の脇に市営駐車場があるが、そこから道なりにもう30分余。トンネルを3つ4つ抜けたあと、美山へと北進せずに右折する。
桂川沿いに山懐へと入っていく風景は、いつ来ても心落ち着く穏やかなたたずまいだ。

清流の向こうに茅葺の屋根が見え、常緑樹に囲まれるようにひっそりと家々が建ち、そこかしこに彼岸花やコスモスが咲き、ススキの穂が群れそよぐのを眺め、山国神社、山国護国神社と過ぎて、そのまましばらく、まだかなと思ううちにお寺への道が現れる。

駐車場から

更に石段を上がって本堂へ

もう何度も訪れているので目新しさってのはないけれど、かなりヒンヤリした風が何とも心地よかった。聞こえるのはカラスとコオロギの声。
縁も板戸も,ずいぶんと傷みが進んでいる。本堂の屋根も修理が必要らしい。北側の縁は日当たりも悪く、雨ざらし吹き曝し、足が汚れそうな気分にさせられる。

天皇陵は寺の北側、更に階段を上った高所に南面している。

南北朝争乱の時代。北朝の光厳天皇は吉野の山中をさまよい歩くなど難渋の日々を過ごされてのち皇位を去って、ついにこの地にたどり着き、終の棲家と定めて落ち着かれた。 
「こんな寂しいところにおかわいそう」と言われる人に、そのようなことはなく、ようやくのこと「安心(あんじん)を得てお幸せだったのだ」と住職は言われたとか。


朱印帳を持つことをやめて何年にもなるし、数珠だけ持ってお参りした。
静寂の安堵感の中で、何を考えるでもない。
このただただぼんやりの時間にも、目には見えないけれどなにかとの出会いが生じている。
仏との縁はあとになって気づかされることもあり、仏縁はひそかに結ばれる。
こんなひとときがほしい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かに満ちて

2024年10月03日 | 日々の暮らしの中で
昨日は近江の人と待ち合わせ、昼を供にしながらゆっくりとおしゃべりを楽しんできた。
夜にはいって、いつにない足腰の疲れを感じて起きていること自体がだる重い。どうしたんだろうと思いながら早めに横になった。

早い時間から庫裏と本堂の奥座敷との間にある中庭の草取りに精を出したことをけろっと忘れていたのだ。
夜中に目が覚めて、異常な疲労感の原因がわかって気がかりもどこへやら。始めるまでが、で始めてしまえばもう少しだけと勢いがつくので、調子に乗り過ぎたかもしれない


ずっと同じ一画にトクサが育っている。
トクサって「木賊」、あるいは「砥草」と書くこともあるように、研磨紙などがなかった時代には木の細工物を磨くのに、陰干しにしたトクサを利用していたという。太さ一律で管状の茎は珪酸を含んでいて、とても硬質なのだ。
節目から一節はがした青いトクサででも爪を磨けば、たちどころに爪の汚れが失せて艶が出る。「ためしてごらんなさい」と言われていたのは杉本秀太郎氏(『花ごよみ』)。

たまに小さな水盤などで、トクサを利用しあっさりと花を活けることがあるくらいで、あまり普段かえりみることは少ない。
日常に活かす工夫は、はて…。


予報通りの雨が降っている。久々の雨が地にしみて黒々しているのを見るにつけ、きれいになったなあと私の自己満足度は静かに満ちている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする