京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

振られても

2016年04月30日 | こんなところ訪ねて

日蓮宗の本満寺では300本を越える芍薬が見事だとテレビで放映されたらしく、誘っていただき出かけました。時期遅し。5日前ならあの大輪の黄色い芍薬も美しい立ち姿を誇っていた、とは門前で客待ちのタクシー運転手のお話です。ざ~んねん! 来年はこの枝垂れ桜を拝見しに来ようっと。



「寺町通」はその名の通りお寺が並ぶ通りです。本満寺さんから少し北に、浄土宗の十念寺さん。中へ入れないので門前からのぞきこんでいたのですが、若いので副住職さんでしょうか、小学生にもならない二人の子供さんと一緒に戻って来られて、中を拝見させていただけることに。
きれいに手入れされた緑の美しい境内です。平成5年に建立の「近代的な寺院建築」(案内板に)の本堂です。初めて見る様式に、ちょっとびっくり~。

発見もびっくりもあって、やっぱり外へ出なければ知ることもないままですから…。

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はかどって

2016年04月29日 | 日々の暮らしの中で

日差しがあるかと思えばいきなりの雨。
水たまりができていて、中断を余儀なくされていたと思われる上賀茂神社では、揃いのジャンパーを着て背中に「賀茂競馬(くらべうま)」の文字を背負った役員さんたちによる境内の設えも進んでいるようでした。
写真右端にできている直線200mのコースを、2頭の馬が駆け抜けるのはあっという間だとか。沢山の見物客で賑わうのを知って敬遠気味、見たことがありません。なんぞ事にはのこのこ出かけていくというのに、です。


5月5日の競馬会神事のために埒(らち)と呼ばれる柵が設けられています。その埒に巻かれている青柴も青々としていますが、この神事が終わるころには枯れ柴状態です。


一連の神事を終え9日、この埒があきます。取り払われます。「埒があかない」ままでは15日の葵祭りの神事が行えません。
ということで、「埒があく」は、京都起源の言葉の一つです。
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おもろないときは…

2016年04月25日 | 日々の暮らしの中で


グラスをいったい何個!? お皿も重そうですがさすがの腕力?  おもろないですね。
何か面白いことがないかしら。
気ーがすかーっとするような? 気分がころんと入れ替わるような?? 

「散った花は忘れるべし。心機一転の方策要」 この間の運勢欄にあったんだなあ…
「路地を曲がれば旅。道草を食いながら」 これでいこか…。変わりばえしないなあ…

さあて、明日はどうやって気分転換いたしましょ。
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土曜日、気ままに

2016年04月23日 | 日々の暮らしの中で
 これはなんじゃもんじゃ? 
 こちら、シモツケソウ?? 
花に気付いて初めてこんなところにあったのかと知ることになります。
朝からの日差しも徐々に陰りを見せて、夜は雨降りです。

「私は今迄に姑を除いても四人『母』と呼ぶ人を持った」という一文で始まる網野菊の『母』を読んでいた。
 文中、…そして私は、「母、母、母。母。母は沢山あるけれど、本当に心から甘え懐かしめる母は一人もいない。」と思うのである。

見て、感じて、考えるままに書いている。読む者に感じる暇を与えてくれる網野菊。――そんな筆を味わって。

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「心澄みゆく…」

2016年04月19日 | 日々の暮らしの中で

命を狙われていつ死ぬかわからない。心配が尽きず「胸とどろくのみなり」だった伊達藩領地を無事に通過し、尾花沢へ。そして立石寺を巡る。
紅花に、少年時代を過ごした故郷・伊賀盆地でみた風景が蘇って心もうきうきと弾み、細い蝉の鳴き声が岩にしみ入るあたりの静けさに、「心澄みゆくのみおぼゆ」芭蕉。ここからの『おくのほそ道』後半は、生きのびた芭蕉の喜びが爆発していく…と。

自説にそって展開される光田和伸先生のお話には、系図や曽良の“旅日記”による里程表、地図等々多くの資料を添えて下さり、メモを取りながら聞き入った。とっても中味の濃い時間だった。芭蕉はきちんと古典の教育を受けている。―そう、やっぱり古典だ。古典は学ばなければ~。と、つい先日も友人との会話で「古典」の教養の大切さが話題となったのを思い出す。

帰りは京都御苑内を抜けて歩いた。目に優しい、心に優しい青葉の頃。夢中になった2時間の緊張がほぐれていく。
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「熊本地震」

2016年04月16日 | 日々の暮らしの中で
すさまじい破壊力を見せつけられて、テレビ画面を通してでさえ息苦しさを覚えます。「こわかった。手が震えてる」と答えていたのは若い男性でした。
【京を襲った慶長伏見地震(1596)では伏見城が崩落した。目の当たりにした伏見の惨状は(加藤清正の)居城の熊本城に活かされた。近江の石工集団「穴太衆」を迎えて堅固な城郭を築き、約270年後の西南戦争にも耐えた】といった記事を読んでいました。難攻不落の名城・熊本城。

 

写真は変色してしまったのですが、はるかに昔、熊本城へ行ったことがありました。この地震でひどく損傷してしまって、「熊本の誇りだったのに」と嘆く女性が映っていました。
高野山夏季大学に参加して宿坊が同室になった方が、熊本駅に近い場所にお住まいだと言われていたのを思い出しています。

また一晩、眠ることもできずに不安におびえて夜を明かさなくてはならない被災された方々、避難されている方々、お見舞い申し上げます。
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食うほどに食い気が増し

2016年04月13日 | こんな本も読んでみた

無類の本好きの勝海舟は立ち読み派、「ただ読み先生」と言われたという。龍馬もどうもそのよう。暗殺される直前、軍鶏肉を買いに行かせた峰吉という少年は土佐藩御用達の書店のせがれで、龍馬になついていた。龍馬はこの本屋に入り浸って立ち読みしていたのだろうか。無類の本好きという共通項が二人を近づけ、龍馬は弟子入りしたと思われてならない――などと、龍馬ファンの出久根達郎さんは綴っている(『本と暮らせば』)。

図書館で借りて、いわば「ただ読み」を2回目。その返却に当たって、どうしても手元に置きたい一冊になった『本と暮らせば』。こう言うことは時々あって、新刊や古書を利用して手に入れる。今回、こちらは新刊で注文した。そしてもう一冊、これは京都の古書店に注文した。少々前後しての注文だったが、今日相次いで届いた。嬉しや嬉しや! 
古書店からの封を開けると、チラシが同封されていた。そうだった、と思い出させてくれた五月の古書市。楽しみ楽しみ~。

午後2時、歩きに出ようと着替えて外に出たのにポツポツと降り出してきて、中止した。書きものの続きを少し頑張ってみた。
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春昼

2016年04月12日 | 日々の暮らしの中で

気温は次第に上がってきた。午後、久しぶりに車で北へ向かい、山道を歩いてみた。背筋を伸ばして、そして、時々深呼吸。さくらさくらの喧騒はここにはない。
緑色をした細い茎、鮮やかな黄色が山道を飾っていて、風のまにまに揺れてるヤマブキ。この軽さがなんとも優しい。熊野古道を歩いていて覚えた花、地獄の釜の蓋などと、おどろおどろしい名のついたかわいい花も群生していた。


「暖い、優しい、柔かな、すなおな風にさそわれて、鼓草(タンポポ)の花が、ふっと、綿になって消えるように魂がなりそう」(「春昼午刻」)
泉鏡花があらわす不可思議な春昼…。

陽のあたる山道をマイペースで歩いて、気分転換、満足なひとときでしたこと。
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石山寺本尊御開扉

2016年04月10日 | 催しごと

はらはらと、しず心なく舞う落花。一方で、青紅葉が美しく映え出していた石山寺。33年に一度、日本で唯一の勅封だという秘仏本尊・如意輪観音菩薩が御開扉中で、拝観した。駐車場は満車の順番待ちで、大型観光バスも目立つ。こんなに観光客で賑わうのか、と改めてこの寺の人気を知ったが、そのわりに御開扉の本尊拝観者は少ないようだった。


「(入り口で)払ってきてるのに、まだお金取られるの!? 」って女性の声がした。そう…、入山料600円、本堂まで進んで本尊(内陣)拝観にまた500円。特別展も見て行こうとなると、ここにまたプラス。ご朱印をいただこうと思えばさらに…。寺詣りも出費がかさむというわけで、パスする人も多いのだろうか。関心の有無はそれぞれだけど、33年に一度の機会に足を運んでいて、拝することなく帰るのももったいないのでは。


本堂は火災に遭っていて、天平時代作の初代本尊は損傷。残された破片が特別展示されていた。着衣部分の破片には、細かな花柄を含む文様が線描状態で残っていた。ガラスケース越しに目を凝らすと、薄く、しかし、はっきりと朱赤の色がさされているのが見えた。小さな花びら2、3枚にだったか、小筆の先でチョンチョンと色を置いたように。色が残ってる! この小さな発見が嬉しかったのに、見終わって横を見れば、「彩色の塑像だった」ことが説明されていた。これほど無数の時間を重ねた今、天平の古びとが彩色する姿を想像して、なんとなく感動してしまった。

「唇が赤いね」と言われ、「うん…」とだけ返事していたのは、いつ、誰と、どこででの会話だったのか。最近だったと思うのに思い出せないでいる。夢だったのかしら…。
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花びらが舞う

2016年04月08日 | 日々の暮らしの中で


「知は力なり」「自分の強みを持って、…社会貢献を」などといったことばをいただいて帰って来た。「学ぶことは楽しい! 若返る」…と。
一念発起。今年は学びの年にしようと思い立ったもので、この桜の季節の中で、まずは初日を迎えた。
大げさなことではない。自分に多少の負荷をかけて学んでみたいことがある。それだって、関心の続きにあることだし。ただ、これまでのように、気ままに、といった姿勢からは少し抜けたいと思って…。

  【   一人一道    
    人間はみな
    だれも通ったことのない
    自分がはじめて通る道を
    一生かかって歩く  】


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桜の国

2016年04月04日 | 日々の暮らしの中で

近くまで行く用事があり、そのついで。北大路通りから南へ入って白川疏水沿いでお花見でした。時折、風が強く吹き、まだ満開ではない木もある中、盛んに花びらを散らします。疎水に流され、北へ北へ。


銀月アパートメントの枝垂れ桜はどのあたりだったか…。一筋東まで足を運んでみるもののわかりません。まことにうっかりポン!! とおに通り越してしまっていたのを帰り道で発見。
この桜、どんな由来があるのでしょうか。どこに行っても、歴史があって由来が語られることが多い日本の桜。旅行会社の案内を見ていても、見事な桜ばかり。が、どうしてか、桜の時季に腰は上がりません。こうしたところをちょろちょろと花見で終わりそう。充分満足です。


それこそ帰りにでも時間があれば拝見しようかと通り越したのが、駒井家住宅でした。ところが、戻ってみれば「本日の受付終了しました」と張り紙がされて、門は閉じられました。こちらは西側の疎水に面した入り口ですが、比叡山の眺めも素晴らしいお住まいのようです。
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