京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

やっとの京都、父と娘…

2009年05月30日 | JESSICAの日本滞在記
          (保津川の川下りを楽しんで)
 
「一家春」とは“心慰む楽しい境地をいう”。
初唐の王勃の詩「山扉夜に座す」をひいて『漢語歳時記』(京都新聞29日付)で取り上げられていたのだったが……。

28日は、すでに5か月余りを父親と離れて暮らすJessieが、喜びの再会を果たし、父親に抱きあげてもらえるはずの日だった。が、思わぬ成り行きに振り回される事態となってしまった。ゴールドコーストと関西国際空港を結ぶ直行便でPM6:40着予定が、いきなり東京経由に変更の申し渡し。では何時に離陸?何時に東京着??わからない!?なぜ!!

問い合わせた。成田発PM9:00-関空着PM9:55という。「はるか」の最終便に間に合うまい。リムジンバスもない。不慣れな大阪を乗り換えし、京都着が午前0:54になる方法を探す。最悪ホテル泊も念頭に、連絡を待った。最終に飛び乗れたの?12:15頃、関空に着いたという電話に唖然!!

格安のセールで購入したチケットには、かくも驚くべき勝手さが押しつけられるのか。全く補償はない?なんてことはないですよね。
直前に運航自体の取りやめ、あるいは時間の変更が通知されるだけというのはざらに聞く。
TVでもずいぶんとPRしているが、お気をつけ遊ばせ~。「二度と使いません」と告げていた娘。黙って素直にホテル代を支払うJayではなかった。当然だわね。

 
    (待っています。ダディ~走り寄って…)

翌、正午過ぎ、到着を京都駅で待つ。さぞかし疲れたことだろうに。
Jessieは、ダディ・ダディでおんぶに抱っこ。抱きしめながら手をつなぎながら、5か月間の空白を埋めているのはどっちだろう。

ジェシンタは、日本から帰国後の一週間、登校できない。今回のインフルエンザ感染者が出た国からの帰国という理由で。そして登校後、日本での滞在レポートを発表する課題を持ってやってきている。学校ではいつも誰もがそうしているのだと。彼女の口から「ブッダ」という言葉が出る。どこへ行っても何やら神妙に合掌している。大変な思いをして着いた京都。ジェシンタ、京都を心に焼き付けて帰ってね。

   

昨日半日は、祇園から清水方面へ、近場でゆっくりたっぷり、ぶらぶらと……。
本日は映画村で変身!後、トロッコ列車で移動し保津川下り。
「悠久」なんて言葉を思い出しながら、深緑の美しい大きな自然に抱かれた最高の2時間を過ごしてきました~~。

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何をお土産に…

2009年05月26日 | 日々の暮らしの中で
烏丸通りを東に入って三条通りを歩いていくと、中京区の郵便局、京都文化博物館などを始めレンガ造りの建築物がいくつも目を引く。若者や、ガイドブック片手の人たちで賑わう、雰囲気のある通りだ。一筋南へ下がれば、六角堂がある、そんな界隈。

写真は旧家邊徳時計店。明治23年(1890年)築。一階には衣料店が入っている。別に店内をのぞいたわけではない。

創業130年の分銅屋足袋店で、足袋を買おうか……。かわいい京友禅小紋柄は色合いなどからも人気が高く、ジーンズにこの柄の足袋を合わせて履くお洒落さんもいるとか。ジーパンに足袋。奇妙な組み合わせだが、新感覚なのか?
オーストラリアの彼女がはくだろうか?ハーフか七分丈のパンツを、サンダルに素足でという格好ばかり目につく日常に、足袋を持ち込んでもなあ。

明後日再会するジェシンタの母親サラに、何をお土産にしようか。気持ちは楽しんでいるのだが、実際に何が良いかが定まらない。あれやこれやと物色するが結局決まらず。娘との同行の方がよさそうだ……。

なんとも思いがけないところで友人Iさんと出会い、話が弾む。帰宅が遅れた。

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あの手この手…、本音は…

2009年05月25日 | 日々の暮らしの中で
マスクとは無縁の別世界。観光バス2台が止まり駐車場への長い車列が続く。何のイベントが、と思わせる府立植物園の人の出だった先週末の土曜日。桜の花が散り、今は葉の中に見つける小さな赤い実が愛らしい。実桜。

サムライはどうしていなくなったのか、と問う娘の夫だ。彼を二条城に案内しようか。映画村で殿にでも変身できぬものか? 東大寺南大門・大仏殿も驚くだろう。「あ・うん」の呼吸はどう説明できるだろう。狛犬など知るよしもない。

この手はある……。南大門を三歩入って、両脇の仁王像を振り返るとどちらの像とも目が合うというから、それを確かめるのもいい。そして帰り際には、何か得るものはあったかな?というように優しい目で見送ってくれる。どうだったか聞いてみるとするか。

子どもたちの周りに鹿せんべいで鹿を誘おう。日本のかわいい文具は女の子のお楽しみ。お目当ての店も決めてあるのだが…。

あの手この手、手を替え品を替え、どうしたら楽しさで埋め尽くせるかとばかりに知恵も絞る。あらゆる心づくしでもてなそう。そんな機会を嬉しく有り難く感じてはいる。

ただ、本当のところは、周囲の喧噪から隔離されたような植物園でお弁当を広げ、広い芝のグランドで親子が、子供たちが興じているのを見ているのが私には一番の喜びでもある気もする。
なんと言っても四日間の滞在だ、迎える側でもつい欲張りたくなる。
「疲れた、もうどこにも行きたくない」とでも言ってくれないかなあ~。植物園に行こう~~。

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ダディのためなら私も

2009年05月24日 | JESSICAの日本滞在記
 
観光地の人の出が少ないという。清水の舞台もガラガラらしい。
旅行の延期や中止といった事情が、観光業界に与える損失の大きさを実感できるほどだ。

修学旅行生の姿も消えた? 消えたけれど、いる?? あるニュース番組での映像によると、目的地をタクシーで回り、内部の拝観などはせず次の場所へと移動して行くようだ。昼食もタクシーの中で済ます。降りてはいけないのだと話す女子生徒。中止にもせず、来ておいてそこまでせずとも、と日々暮らす側からすると感じますが。

WHOは「マスクは効きません」、マスクでは防げないと言っているとかだ。一方で「マスクをしましょう」という呼びかけ。日本人は潔癖性過ぎる…、そうかもしれない、異常なほどに。

マスクとは無縁の日。
ダディのためなら私も!3歳児が人のあとを追ってせわしげに動き回る。
「自転車に乗せさせてー」(譲り受けた、補助輪なしのもの)、「ピアノひこー」と誘うが誰にもまったく相手にされない。廊下の階段をびちゃびちゃの雑巾で濡らしだし、とうとう外へ追い出されてしまった。が、“マミィちゃん”に良い仕事を割り当てられて大活躍です。まあ、ここなら少々どぼどぼでも気になりません~。

    
トイレ休憩の合間の笑顔。

「ダディが来るからお掃除しなくちゃ」、そうつぶやきながら手は動かしています。
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おろおろ…

2009年05月21日 | 日々の暮らしの中で
兵庫・大阪・滋賀と包囲され、時間の問題と恐れていたが、とうとう「京都でも新型インフルエンザの感染者が」と耳に入ってきた。日々の暮らしぶりはほぼ平穏、だった。しかし、今、社会的不安にも似た要素が、様々な姿でじわじわと迫ってくるのを感じている。

「従来のインフルエンザと同様の対応を」
まあ、あまりバタバタするなと言う意味では落着きを与えてもくれる言葉だが、のんびり・おっとりとはもう構えてはいられないわけよね。マスクは、ほんまに、どこを探しても完売。「ドラエモンの四次元ポケット」の話などに、笑って付き合う余裕も無い。

大事な客人があるという時に身動きが取れないのかしら。関空までの出迎えからして「私は行かへんわ~」と娘。なに?あのゲートを出て顔見知りに出会う嬉しさはないのを知っているくせに、大阪は怖いと。そうだけど…。

短期間の計画を練りながら、時期の悪さにはほとほと閉口している。雨が降っただけでも予定を変更せねばならないほどの短期間。いかに楽しく良い思い出にしてあげられるか。

今夜、どこかで打ち上げ花火の大きな音がしていた。日常の音からはかけ離れた大きさだ。雨迄いや疫病を払うために神に祈願したことが始まりらしい。乞わずとも明日は雨のようだ。どうぞ京の街に疫病が蔓延しませんように!!それにしてはまだまだ本数が少なかったかもしれませんが……。
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本舞台に向けて

2009年05月20日 | 日々の暮らしの中で

親鸞聖人降誕会祝賀園児の集い。今日、親子で西本願寺参拝が幼稚園行事として予定されていたが、インフルエンザ対応のために中止となってしまった。Jessie によると、毎朝「こっち向いて」「親鸞さんおはようございます」って唱和が盛り込まれているようだ。彼女にとって惜しい体験の場をなくしたことを残念に思う。

28日には、Jessieの父親が8歳になる姪のジェシンタを連れてやってくる。Jayに託し娘を送り出す母親のサラ。「あー、楽しかった」「また日本に来たい」、少なくともそう思って帰ってほしいのだ。ジェシンタは大切なお客様だ。日本で過ごす4日間・たったの4日間が、これからの彼女の人生を生きるときの勇気や自信の根底に存在してもらえるように。……ちょっとばかり大げさ過ぎるだろうか。

「日本初の女の暴走族なのよ」と冗談めかしていたという彼女は、政治家尾崎行雄の三女で相馬雪香さん。学生時代、はかま姿でバイクを乗り回していたらしい。90歳を過ぎても世界を飛び回り、50以上の国や地域で難民支援・地雷廃絶に取り組んだ。昨年11月、96歳で亡くなる。魅力的な女性。

「人生の本舞台は常に将来にある」と言っていたのが父親だという。「つぎの時代の子供たちのためにどんな世界にするか。そのためにどんなことができるかと言うことを考えないといけないと思います」

幼いJecintaとJessieだが、これからの彼女たちの本舞台にも4日間が・そしてなにげなく過ごした日常の繰り返しの体験の日々が反映されていくことを夢みて――も、いいですよね~。

Jessieは父親やジェシンタと会話できるんだろうか~、はーて。

            ('07/9/29 ジェシンタ・その弟コービーと)
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息子どの!

2009年05月19日 | 日々の暮らしの中で
「元気ですか。忙しいのにごめんね~。
突然だけど、マスクを買って送ってほしいのです。こちらはどこを探しても完売、入荷予定も未定、予約もできず、買い置きが少なく底をつきそうです。マスクなしでは外出もできません。大人用と子供用ね(キティちゃんの絵柄入りなどであります。なければボーイ用でもよいと)。多めに買ってほしいのだけど。
ぜひお願いします。困り果てておりまする。助けてたもれ。 母」

夕刻五時半ごろ、メールしたけれど、返信なし。…時間は過ぎる。
娘曰く、「電話した方がいいんじゃない?」(そうは言うけど、仕事してたら困るでしょうに…)あんたがしてよ。

ふと思い出した息子の存在。あれやこれと、遠慮しながらもぐたぐたと書き並べた。親を思う子の愛の深さ、息子どの、試されておりますぞ~。
東京ではまだ騒ぎになっていない。今ならマスクもありそうじゃない。困った人を助けるとご加護がありますよ~。

午後九時、「見てみます」と、なんとも頼もしき、当てにもしにくいお言葉が返ってきた。「できることなら早く見てよね!」とは言葉にできず、娘の言葉を伝えておいた。「紙袋にでも入れたら、コンビニからでもチョイチョイと送れるから大量に頼みます」、“って言ってるよ”と付け加えて。

いつもいつも人を頼って、この癖は抜けないんだろうなあ。
息子様、頼りにしています。

            (「母の日」のゆり、蕾が開いて…)
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「…体裁のいい話ぢゃないヨ」

2009年05月18日 | 日々の暮らしの中で
さあっ、急転!我が家も娘の一言で外出時にはマスクが義務付けられた。

私が乗る時間帯の地下鉄は混雑というほどのことはない。ただ先週末と比べれば確かにマスクをしている人は目立つ。それでもまだ、目立つ程度だ。いろんなマスクがあるんだなぁと、わずかな作りの違いを観察してみる。久しぶりに25度を超えた夏日にマスクとは、ちと奇妙な光景。

のほほんとしていた。肝心のマスクが品薄だ。結局いつもどこかで互いに誰かを頼り合っている。家長は誰だ~?う~~ン、私か?違うよなあ、こんなとき家長は関けーない。じゃあ、管理責任者は?私か!?う~~ン。娘よ、あんたはいつもほぼ掛け声だけだからね。どうも聞くところでは完売らしいよ。これからいるって時に、足りなくなるでしょ~。明日からマスク探しに奔走しなくっちゃね、家族総出で。自分の体は自分で守れってか…。

「そんなに騒がなくても京都は大丈夫でしょ」とは大阪の友人。映画の予定が狂ったと嘆く私に、映画館行くより病院へ行く方が怖い、というではないの。なるほど、そうかしらねえ。勇気あるね~。ほんとかしら?『五右衛門ロック』(ゲキ×シネ)見てダウンでは笑われそうだけどなあ。見たい気持ちが内心では勝っているのだけれど、こんなときに映画館に行くのは、どうも体裁が悪いようでして…。

感染が懸念される今、自分だけはかからないと思い込むか。できるだけ心に近い行動をとる思いっきりのよさを発揮して―。行ける? 自らに問わずにはいられない。マスクして最後列の席で見よ、とのアドバイス。

でもね、やはりひっかかるのは…、体裁だけか。

         (マスクをしたがります、ファッションね…)
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張り替えてすむならおやすい…

2009年05月17日 | 日々の暮らしの中で
壊れないと思えば、少々乱暴に扱うことになる。放り投げたり、ピシッ! バターン!と勢い余って大きな音を立てる開け閉めなど、荒っぽい動作となるようだ。

外は雨。家での遊びに飽きぐずり出したJessieは、寝っころがって両の足で襖をもろにドンドン蹴り出す。へこまされては一大事!ドア感覚があるのだろうか。これまでにも何度もしでかし、敷居から外してしまう。ところが、なんと今日は「ごめん。外れたの直して」と先を越してきた。最近はどうもこの手が目立つ。やけにかわいく、「ごめんね」「あっ、…してごめん」「ごめんなさいね~」。知恵者め~~。

汚れた手で触って、かわいい「もみじの手形」を残してきた我が家の子供達だが、彼らに足蹴りの過去があったかどうか。

ふすま同様、障子の開け閉めにも作法がある。が、まあ、私自身も普段はちょっと口には出せない器用な“足技”も多用で、手早く仕事をこなす。この3歳児は、両手を桟に広げ全体重をかけて開けるのだが、あけそこなってよく破く。大体同じ位置に構えるので破けるところもほぼ一緒。あ~、だが仕方ない。本当なら、破けるからこそ破けないように扱いが丁寧になるのだが、そこは子供…。

先日、海に落として液晶画面が暗くなり見にくくなったまま使っていた娘のデジカメを(写真自体はきれいに撮れるのだが)修理で見積もりに出した。店では一万円前後ぐらいで?と。メーカーの工場に回り分解し、結果、六万。これでは修理の域を超えている。

Jessieが破いた障子はそこだけ張り替えれば済む修理法。よい文化だ。

             (この足で蹴られたら…)
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笑顔で一つ乗り越え…

2009年05月15日 | JESSICAの日本滞在記

食事中ふと黙りこくったかと見るや、顔がゆがみ「まみちゃん早く帰ってきてよー、さびしいよー」と大粒の涙を流すJessie。まさに心中、耐えがたきを耐え―なのだろう、まことにいじらしいかぎりだ。

毎度のことながら、彼女の話にひとつひとつ相づちを打ち、共感しながら言葉を返し、話を広げていくことになる。3歳児ではあってもちゃんとその展開はキャッチボールになるのだから、楽しいといえば楽しい。疲れた顔は隠し、ひたすら笑顔を見せて姫のお相手を務めさせていただく。心細くならないように、泣き出されないようにというべきか…、少々オーバーな、まさに演技で、笑顔を振りまく。しかしこれがまた面白く、かえって私の気持ちは軽くなり、日ごろよりもはるかにこの子のかわいさがよく見えてくることとなる。笑顔は人のためならず、って本当だわ。人としての「芸」とか。…とにかく寝せるまではがんばろう、となるわけで。

毎夜のリーディング・タイム。今夜は、どういう取り合わせかわからぬが「こぶとりじいさん」と「ぶらんこをこいだら」の2冊。あと一息のところまできた。
あ~、やはり読み手の方に早く眠けが…! 姫は抜け出してどこかで遊んできたらしい気配。戻ってきたらしく、私の首に手を回し抱きついて、まもなく寝入ってしまった。

マミちゃん一筋、周囲のものは目にも入らぬようなこの怪物の、全く無防備な寝顔。
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女のバトル

2009年05月14日 | JESSICAの日本滞在記
千年の夢を山々によって囲み護ってきたような町、京都。
明日は、平安王朝の面影を色濃く残す行列が京都御所を出発し下鴨神社、上賀茂神社へと優雅に練り歩く葵祭の日。

この賀茂祭りの日……。
六条御息所は、行列に加わった光源氏の晴れ姿を陰ながら一目見ようと密かに牛車で出かけた。また、出産間近の葵上も珍しく見物に行ったのだった。この二つの牛車が場所の取り合いをし、御息所が後方へ押しやられてしまう。このときの御息所の屈辱感の深さは、嫉妬と恨みの生霊となって葵を憑き殺してしまうのだった。

着替えをしても髪を洗ってもとれない護摩の芥子の匂い……。自分の意識の外で、体を抜けだしていった生霊に染み付いてしまっている。理性があり人一倍プライドが高い御息所が、激しい情熱・情念と理性の板挟みになって苦しむ。緊張感あるこの場面は、圧巻、でしょうか。

「ウワッハッハッハッハー」高笑いが聞こえる。
ピンクのヘルメットをかぶり、自転車の後ろにまたがるその声はだんだん近づいてくる。「ウワッハッハッハッハー」
着いた!ひときわどでかい高笑いを一つ。「ウワッハッハッハッハー」

「ただいまあー」「ようちえんたのしかったわ―」ごきげんさんだ。
だけど……、さあ、これから、ちょっとへん……。
「ねっ、マミちゃ-ん」「はいっ、どーぞ、マミちゃ-ん」「ありがと、マミちゃ-ん」「はんぶんこしようか~、マミちゃ-ん」「おいしいね、マミちゃ-ん」

ムムッ、あのなー、このお菓子私が買ってきてあげたんよ~。おひとつどーぞぐらい言わんか~。もう買いまっせん!

さ~~て、明日の夕刻と明後日一日、とても理性があるとは言いかねるこのチビギャングと付き合わねばなりません。ムムム…どうしてくれよう~~。
幼稚園はお休みだわ、残念!!どうしよう。頭が痛い。

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マスクもファッションに…

2009年05月13日 | 日々の暮らしの中で
病院に行って来たらという娘の声は聞き流し、市販の風邪薬で間に合わせてしまう。外出先から帰っての手洗いは必ずの実践派、うがいはたまに手抜き。で、風邪をひく。鼻水・鼻づまり、のどの痛み、発熱を一手に引き受け、咳だけが無い。今晩はだいぶ調子も良い。

ドラッグストアーのレジ横に「マスクは一家族様一箱で…」という張り紙がある。なるほど、「マスクが売っていない」と聞くわけだ。
家には未使用のものが残っており、あわてることなく構えていたが、それにしても、ない・ないと騒ぐほどには外出時のマスク姿は少ないように感じる。

一番慣れ親しんだガーゼのマスク。細いゴムで耳にかけ、本体の内側にガーゼを一枚はさんで使用する。洗って何度も使える。服一枚分の暖かさが増すので、寒さ対策の一つとして真冬の外歩きには重宝した。

先がとがって鳥のくちばし如きもの、プリーツが幾重にも入って、あれなら外敵も吸い込みにくかろうと見えるもの、柄模様入りでカラフルなもの、人気のキャラクターものと、マスクもファッショナブルになって、進化している。商品化にわずかな差を見いだし競争が加わるのだろう。

娘が買ってきたものは、なんと「銀力」と銘打ってある。
“銀の力でしっかりガード”“銀はイオン状態になると、金属状態よりもさらに抗菌力が増します”とある。ふ~ん…。

トロ~ンとした眼だけ出してマスク着用、なんか人相悪~~い。
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また会いたいと思わせる…

2009年05月09日 | 日々の暮らしの中で

姿は見えない。あのざわめきはいったい……。小学生の遠足帰りの集団でもこちらに向かってやってくるのかと思って見ていた。地下通路でのこと、声の反響も考えられるが、正面に現れたのは、中学生らしい女子生徒がたった四人。横に一列に並んで、今の今までおしゃべりしていたはずで笑顔が浮かんでいる。制服の胸元の白い切り変えが彼女たちをいっそう清楚に映している。

地下鉄ホームのベンチで一緒になった。まだまだあどけなさが残る彼女たち、おしゃべりがはずみ笑い転げ、文句なしの仲良し四人組か。隣にいてもうるさすぎない、程よいかしましさに好感が持てる。

♪ソファミソファミレ ソファミソファミレ ドレミファソラファ ミレド
眼鏡をかけた一人が何度か口ずさむうちに、お相手が加わって、輪唱というのだろう、繰り返し繰り返し歌い続けている。うまいじゃないの!
思わず顔を向けると「ごめんなさ~~い」って。なんも誤らんでもいいのに~。
さて、この音階は、何だったっけなあ……。

全くの他人、初対面の中学生なのに彼女たちの温かみが伝わってくる。年相応に品性さえ感じられる中学生だった。

“またお会いしましょう、サヨナラ、サヨナラ ”

        (日々たくましく…確かな脚力!)
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蒔き忘れた花の種

2009年05月06日 | 日々の暮らしの中で
庭でたばこを吸うために、お気に入りの場所に置かれたお気に入りの古びた木の椅子。そこに座り、真冬でも冴え返る月を眺めていたという弟の在りし日……。彼が好きだったその場所近くに見つけた朝顔のたね。もらい受けた。

在宅での仕事時間も多かったので、庭いじりを楽しみ漬物作りにも熱心で、出来栄えは上上、楽しみにされていたと聞く。日野菜を刻み、その年初めて桜づけで漬け込んだ、その夕刻に倒れてしまった…。

忌明け法要を勤めた昨年1月のことだから、花が咲いたのはその前年の夏。計算が合っていれば、今日に至るにはおよそ21カ月は経っているわけだ。

……蒔くを忘れた花のたね。
写真用フィルムが入っていた白い透明の容器に密閉されてからでも17か月余り。ひょんなことから姿を現した、黒々としたたね。忘れずに蒔いていたら、きれいな花を咲かせたものを。この長い月日、どんな夢を見ていたのやら、どーにかしてやらねばなるまい。

古いたねはだめなのだろうか。いつ蒔けばいいのか?どーも勝手がわからない。
― この連休明け、気温が安定した頃(地温20度が最適)に蒔くのがよい ―とあるではないか。間に合うな!古くても咲くのだろうか?……そんなことは蒔いてみなければわからないか。

とりあえず、蒔いてみるか。モーツァルトのCDでもたっぷり聴かせてやることにしよう。咲くだろうか。

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子供の日、雑記・・・

2009年05月06日 | 日々の暮らしの中で
冷たい雨がそぼ降る午後、子どもの日。端午の節句。上賀茂神社での競馬(くらべうま)見物帰りの人達の冷めやらぬ興奮の中に混じって、ただ流れのあとに付いて歩いていた。全力疾走で速さを競う姿を目の当たりにして生じる疲れ……。

かしわ餅にくっきりと残る歯型。「たあちゃんがつけたのよ~」と教えてくれた時の亡き母のおかしげに笑う声、あの笑顔。たくましい成長をと願って、残された歯型が宝物。飾り付けるたびに最高の笑いをプレゼントしてくれる息子となった。

穀雨からちょうど半月余り、今日は立夏でもある。
芽吹き出した若葉ははや日に日に緑を濃くし、その生命力に力をもらう。その一方で、少々なぜそう生き急ぐのかと感じてみたり。この「歯型」とたぶん同年かと思われるJessie 。彼女にも多くの恵みが静かに、気づかないくらい静かなうちに注がれて、なんとも見事に会話の力をつけている。「あっ、ごめんね~」「ありがとう」に始まる日常の潤滑油も上手に使いこなすまでになって。

唐突ながら…、ホトトギスの拓卵の習性について書いたものを目にしたのだが……。
ホトトギスは、巣作り・抱卵・育雛を自分でしないということ。
うぐいす・拓卵相手の巣に一個の卵を産みこみ、その際に他の卵一個を飲むか捨てる。
他より少し早く孵化した雛は、他の卵を背中にのせて巣外に放り出し、仮親の世話を独占して成長する―ということらしい。

あはれと見るか……?
触れ合う親子の体のぬくもりから、一切を任せた思いで相互が潤っているのではないだろうか。抱え合う母子の姿には尊ささえを感じる。たとえ血のつながりがなくとも。子供の日、たくさんの親子連れを目にした。
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