黛まどかさんの『私の同行二人 人生の四国遍路』に、「昨今、四国遍路を世界遺産登録しようという機運が高まっている」と書かれた一節があった。
四国の自然の豊かさに加え、周辺の人々の生活やお接待の人情など、お遍路文化全体を将来に受け継いでいこうとすることが本来の趣旨なのだろうとしつつ…。
スペインのサンティアゴ巡礼道が世界遺産になり観光地化したことで失ったものを求めて、外国人の歩き遍路が日本人を上回る数ではるばる四国まで来ている現実を重く受け止めるべきだ、
と思いを述べておられた。
おおよそ10年ほど前になるが、
「『長崎でキリシタン発見』150年」と小見出しがついた新聞コラムがあった。
1865年に十数人の日本人が大浦天主堂を訪れて信仰を告白して以来、約250年の禁教下をくぐり抜けたキリシタンの存在があった。
その信徒が発見されて今年で150年になるという。
多くの記念行事と連携して、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す運動が熱を帯びていることを伝えていた。
その中で、注目を集める聖地に軽味をおびた現代的巡礼者、つまり、「伝統的宗教の信仰の枠の外に出て、それぞれの思いを深めたり、何かを考えたりする巡礼的観光客」の増加で、
「信仰なき巡礼者が群れをなすに違いない」という見解が記事とともに妙に記憶に残っている。
この記事を目にする5日前。嫁いで以来持たなくなった朱印帳を「北びわ湖の観音の里巡り」参加のために新しく買い求めたばかりだった。
このタイミング、そこに加えて「信仰(心)」という言葉に極めて弱い自分の心に、記事はグサッと刺激してきたのだ。
(実際、東京での「観音の里の祈りと暮らし」出展以降、この観音巡りにも多くの人がやって来るようになったと嬉しい?悲鳴をガイド氏はあげられていた)
昨日の鷲尾座主のお話に、読んだのはもうずいぶん前になったが林京子さんの「長い時間をかけた人間の経験」のなかの一節を思い出した。
「二、三の札所を巡っているうちに、仏像に対するときの心が、少しずつ穏やかになっているのを私は感じていた。寺が持つ歴史と、迎える人の暖かさが、心を癒してくれるのである。…留守を守る夫人たちも朝に夕に、御仏に手を合わせているからだろう。話す声も、彼岸の彼方からのもののように、やわらかで剣がなかった。
開山当時の800年も昔の村人と寺の密接な関係が話題になる。仏たちは人の中で暮らし、人も仏を身内のように頼ってきた。一村一寺の蜜月のころの話しになると、寺の内はあの世とこの世の、混交の世界に移っていった。」
巡礼には少なからず観光的要素も含まれる。
信仰なき巡礼であっても、何かを抱える(背負う)自分の心と向き合うことになる。
何かが育まれる、培われるということ…。場数を踏んで、私の心にも…だ。
篠田節子さんの『冬の旅』を読んだときにも感じたことだった。
巡礼を離れた日日の営みのなかで、わが身を顧みる時間を与えてもらったこと、有難し。
藤の花の蕾が色づき、膨らみ始めている。