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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

異界への通路

2025年05月22日 | 今日も生かされて

「しばらく」と声をかけても、しょんぼりうつむいて黙っている。意外と無愛想だ。見とれるほどには気を引かない。

これといって美点をあげるでもなく、冴えない口ぶりでの花定めの杉本秀太郎さん。好印象の花ではないようだけれど、「ほたるぶくろ」という呼び名に、ずいぶん得をしていると言われる。
ほんのいっときにせよ、「人を詩人に変える魔法がほたるぶくろという呼び名にはひそんでいる」と。

江戸時代、この花は提灯花と呼ばれていた。あるいは釣鐘草の呼び名もあった。そして「ほたるぶくろ」と呼び出す人がいた。
呼び名はこじつけであったり、目の付け所の面白さからであったりしても、古くから親しまれてきた花のようだ。

  
  亡き母と蛍袋の中で会ふ
     三十七回忌終へし野辺にて

これは地元紙の歌壇「実作教室」の欄で、ある投稿者の歌を選者のお一人が添削歌として示されたもので、それを控えていた。
10年を超えて私が温めているのもおかしいようだが、ここには自分の内なる思いを見いだすことができる。
ちょうど時を同じくして、「花は異界への通路」という言葉に出会っていたことも、思いを強くした。
亡き弟を偲ぶよすがの一つだったアサガオの花とともに。

袋の中に入り込んで、亡き人へとつながる道を進んでみたいと思うとき、「花は異界への通路」が心にリフレインしてくる。
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スーとしちゃうんです

2025年05月20日 | 今日も生かされて
葉山椒は家の裏手に十分な大きさの木があるのですが、実山椒は時機を逸しないよう注意しながら店頭に並ぶのを購入しています。

前回と今日と2回に分けて、計500gほどの実を下茹でして冷凍保存することができた。
小枝から実を傷つけないように外す手間に案外な時間を要し、左手親指と人差し指の先っぽがなんだか痛む。
朝も早くから昼までかけて、2回。この頑張りが一年の楽しみの支えとなるのだから厭うことはない。けど、親指の爪が痛い。
もう100gほど欲しいところなんだけど、まだよい実は手に入りそうかしらねぇ。

なんとも言えない清涼な香りが家中に広がる。
「いい匂いをかぐと、香浴、薫欲、といいますが、こころのもやもやがスーとしちゃうんです。ハッピーになるの。」

おっしゃる通りです、聖子さん。
家人もどこかの部屋にいて鼻先に感づいているだろうけど、まあ私の特権、ほぼ独り占めだから幾度となく深呼吸。


たのまれ物の買い出しに車を出した。
沿道に続くツバナの銀白の穂が、前の車が走り過ぎる風圧で一斉に踊り狂う。その様がかわいらしくてならない。
ついでに立ち寄って、柿の花の様子うかがいをしてきた。
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プラス思考で

2025年05月18日 | 今日も生かされて

〈随筆の根本は、古今東西の本をたくさん読んで、その中からいい言葉を見つけ出して、
それを引用することにあるという基本を頭に置いておかないといけない。
『枕草子』、『徒然草』、『奥の細道』然り。『源氏物語』でさえも。
私の評論やエッセイは、ほかの人が書いた文章からの引用をなるべく多くするようにしている。引用によって文章を作ろうとしている〉

引用のないエッセイはエッセイではないとまで、川本三郎氏がある文学講座で話されていたのを心に留めて、かれこれ10年になる。
乏しい読書量のなかからでも、影響を受けた言葉、心に残した文章の数々は書き抜き、メモを取るなどして収めどころを作ってある。
ブログにも意識して残してきた。後日エッセイを書く時に利用したいからでもあった。

ブログの移行を前に過去の記事を振り返る機会を持ち、改めて本とともに過ごした多くの時間があり、自分がいるのに気づかされた。
削除した記事もあるし、編集で手も入れた。そうしているうちに、“同じこと”を何度も書いていることにも気づいた。

おそらくそれは、物忘れというものではなく、折々に何かに触発されては身の内にある言葉や思いが繰り出され、より深く心にとどめようとする自然発露の成り行きなのではないかしら。
本当の意味で自分のものとするために、血肉としていくために。
「本も人の中で眠るうちに育つ」と古井由吉さんが言っておられたが、言葉も、温めているうちに近づけることはあるかも知れませんね。

こうした積み重なりが私を作ってきた。けれどまだその途上。
時間をかけてゆっくり自分のものとにしていけばいいのでしょう。繰り返しを恐れることはないのですね。

閉じられたいくつもの部屋の開け方、使い勝手など新居に慣れるには時間もかかる。
荷物の運び込みの時期をどう判断しましょ。
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生きているんだ

2025年05月16日 | 今日も生かされて
みんなみんな生きているんだ
  ともだちなんだ~

これってカメムシの一種かしら?

 

花はまだかなと見に行って発見したのは、青々と茂る柿の葉の裏に身を潜めた1センチそこそこ(2センチ弱はあったかも)の虫でした。
薄茶っぽいか緑色をしたカメムシしか見たことがなく、柄的には珍しく、やけに角ばった体つきをしている。この御仁は何者?


なんにでも興味深げにキョロキョロ目をやっていると、思いがけない出会いが待っているものです。
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悠々不休

2025年05月14日 | 今日も生かされて
どちらを向いても若葉。
「若葉の樹々は全身をもっていのちを歌いあげている」とどなたかが書いていたが、そのエネルギーたるやすごい力だなと感心しきり。


常緑樹のクスノキは古葉を落として新葉を茂らせているので、その色合いがまさに「新緑」、うすい黄緑色をしている。
平安時代からみられる若苗色(わかなえいろ)という伝統色があるようだ。稲作文化の日本らしい色名で、早苗の色をあらわすと。

一口に「緑」と言っても微妙な違いがあって色名がある。
これも次第に色味を濃くしていくのだろうが、総身に黄緑色の小さな花をつけている。


明日の葵祭の行列を迎え入れる上賀茂神社では、ナンジャモンジャの大木が総身まっ白にけむる花盛りだ。




今日は、沢村貞子さんが『わたしの脇役人生』で書いおられて、長く忘れてしまっていた
「悠々不休(不求・不急)」の言葉と出会い直した。

〈人間は誰しももって生まれた運がある。下町言葉で福分という。
その運に振り回されるだけでは寂しすぎる。せっかく生きているのだから、それぞれの居場所で手軽に張り合いをみつけ、一生懸命やろうじゃないか〉
なんてことも言われていた。

「悠々不休(不求・不急)」
それぞれの居場所で、求めず、急がず、怠ることなく一日一日を大切に暮らす。
悠々不休の言葉をどのように受け止めていこうか。考え考え生きることで、人生いろいろな味付けが待っていると思えてくる。
「一日をゆっくり見つめ ゆっくり歩いて ゆっくり書いて ゆっくり生きて」


木陰で腰を掛け、川の流れを見つめながら29度にもなる現実を忘れていた。
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善光寺参りはしてないが

2025年05月12日 | 今日も生かされて
小雨が降り出すなかを、イチハツの花咲く得浄明院を訪れたのは4月28日だった。

得浄明院には、信州善光寺の本尊を模して一光三尊阿弥陀如来が安置されている。
中尊の阿弥陀如来、両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の3体とも立像で、三尊全体の背後を大きな1枚の舟形光背がおおっていることから「一光三尊」と呼ばれる。

この日は失念していたが、この23日に、信濃善光寺大勧進 第104世貫主 栢木寛照氏のお話をうかがう講座が予定されている。
ご自身のラジオ番組をお持ちだとか、テレビ・ラジオへの出演回数は3500回にもなるのだとか知って、知らないことを恥じなくてはならないほどの有名人?を知らなかった。
滋賀県の出身。比叡山無動寺で出家されている。大津の山慈光院住職を兼務とのこと。

善光寺に参拝したことなく、おそらく今後も機会はないだろう。
善光寺参詣で得られるのは現世利益ではなく、死後の極楽往生だった。身分も男女も善悪も問わず、どんな人でも必ず極楽往生できるというのが善光寺の特色だとか。全国から人々をひきつけるわけが、ここにありそうだ。

「いのちを育てる知恵に学ぶ」をテーマに〈原点を見る〉と題して、氏はどのようなお話をしてくださるのか。
ちょっとネットを開けばどこかに関連して書いてある、といったものではないことを期待する。


得浄明院を訪れた日、白川沿いからほんの少し東に入ったところに小さなお堂があって、「龍神路地」の名が見えた。
辻子・図子(ずし)は細い抜け道になっているので、道から道へ突き抜けられる。でも路地はどん突きがあり、先は行きどまりだ。

家が向かい合わせに建ち、写真の奥を左に曲がると突き当りが目に入った。餌にでもありついていたのか、いっせいに飛び立った雀の数に仰天したが、人の往来もない安全地帯にいきなりの侵入者なのだから、驚いたのは彼らかもしれない。

ふたたび善光寺さんとのご縁にあずかれることを喜びながら、風通しの良い楽しいお話だといいのになと思っている。
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必ず実は結びます

2025年05月10日 | 今日も生かされて
周囲がとりどりの若葉の緑に染まるこの時季、ヤマボウシのまっ白な花は際立って見える。
4枚の白く花のように見えるのは苞で、中心の黄緑色の玉のように見えるのが花なのだという。秋には赤い実を結ぶ。


白は色が無いようであって、その実、極めて自己主張も強く周囲をハッとさせるものを身に添えている。
上品な自己主張は好ましい。


今日は昼から文章仲間が集った。
連休明けで作品の提出は少なかったが、浮かれた世と一線を画すかのように地道に書き続けた参加者の作品は、評価された。

書き上げて合評の場に出せば、あとは仲間の評価に委ねられる。
自分が思うほどの評価は得られず、諸々の指摘を受けた。
提出する以上は何度も書き直し、推敲する時間もたっぷりとったつもりなのだけれどね。
一生懸命向き合っての結果。ここからは本人のカイショとなりそうだ。
失敗が結んでくれた実に気づいて、次に生かせばよいのだな。

「出来不出来はあっても、必ず実は結びます」
はい、ありがとう。一喜一憂しないでおこうっと。

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一羽の蝶の軽さで

2025年04月26日 | 今日も生かされて
読書で、あるいは「ブログ」という媒体を通してもだが
「ほんの小さな欠けらであれ、他人の人生に触れることで自分を見つめなおせる」。
そんな機会は得てきた。

共感できること、共感できないこと、人生模様はさまざまだと思ってもきた。
他者の世界を読んで(ああこんな人もいるのか)と愉しめたら、実生活の役にも立とう。

2008年の2月末日に初投稿して以来今日まで、小さな気がかりを重ねて生きてきた。
どのような心配りや覚悟を持って、どう日々を送ってきたか。書ける範囲で文章にしたいと思ってきた。
今少し、そうした心の軌跡を綴っていこうという気持ちでいる。

「消える時は一羽の蝶の軽さでよかった。言い換えるなら、この美しい地上に生きた証を残すなどまっぴらであった」
乙川優三郎氏の作品に読んだ。なんて強い覚悟のある言葉だろうか。
氏は、直木賞受賞後のインタビューで「この世に自分が生きた痕跡をとどめたくないのです」と語られたようだ。
心中共鳴もしているが、未だ私はそこまでの覚悟も定まらず、芯もない。


だから今、過去の文章とがっぷり向き合い、削除も視野に手直ししつつ保存につとめていた。
カテゴリーによってはすでに保存済みがあるが、時系列でという助言もあって、取り敢えずの保存にさらに精を出している。

   日記は自分との静かな対話。
   記録のためというより、一日を生きた証。
   荷風に倣おう。

とは川本三郎さんだ。



天気が悪く、サッカーシーズンが始まっても練習できず試合も延期が続くと言ってきた。
雨で家で暇すぎて、家族でしていることは、

  

  

一人欠けているのは、友人宅にお泊りで不在だったそうな。


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この道 平坦ではありませんが

2025年04月19日 | 今日も生かされて
12の短編の中のヒロインたちは、それぞれの人生の中でそれぞれの花と出会い、花とかかわることで、その後の運命に変化がもたらされる。
花がヒロインたちの人生と運命にどういうふううに交錯していくか。


京を舞台に、女性の生きる日々、避けがたい運命、感情のひだを、味わい深い12の人生で見せてくれる短編集。(『花暦』収 澤田ふじ子)
この時季、「重畳の藤」を読み返してみた。

八重が京の三条堺町で営む麩饅頭屋に嫁いで6年。八重を見初め、嫁にと迫った宗十郎は放蕩に走り、姑は八重憎さで息子をかばう。
庭には由緒ある藤が植えられてあり、その手入れをできるのは当主にしか許されなかった。舅は妻にも嫁にも無関心だったが、静かに八重をよく見ていた。
そして藤観(ふじみ)を催し、当主の藤兵衛は結論を出した。


昨日、ヤマフジの蕾を見つけた。見られるかもしれないと思いながら賀茂川の上流へと歩いた。


♪歩こう歩こう 歩くの大好き
なのだけど、どうもこの頃は ♬「おさんぽ おさんぽ たのしいな~」の歩調で、とてもウォーキングとは呼べないでいる。

 

葛は、葉が繁茂していると蔓の絡まりが見えにくいが、葉のない今の時期はよくわかる。
『絞め殺しの樹』というタイトルの小説があったが、周囲の木や歩道脇の柵にまで絡みつき締めあげている。

   ゆっくり歩くようになり
   道ばたの石ころも
   光っているのを知る     

   雨降れば傘をさす
   お日さまあつければ
   帽子をかぶる
   足もとくらければ歩かない        榎本栄一



夕刻から世話方さんの寄り合いがあった。新旧交代は少なく、今年度は総代さんはじめほぼ継続で役をお願いできるとあって、お膳を前にしての雰囲気は心安いものでした。文章仲間が寄り合う場として本堂を提供していますが、人が集う場所としてもっと開放する努力をしてきたらよかったなとちょっぴりの後悔も感じながら、まあ、まだチャンスは作れると期待感も少々。

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なにかに促され

2025年04月13日 | 今日も生かされて
4月4日で1学期が終わり、休暇を楽しんでいる孫Tは、
9日朝5時、友達10人と駅で待ち合わせて、海辺の町サンドゲートへと向かった。
あちらでは自転車を電車に持ち込めるので、彼にとってはそれも初体験。みんなで釣りをし、初めての街の探索を楽しんできたらしい。

8年生(中学2年生)になって、こうして日々どんどん世界が広がっていくんだなあと喜ばせてもらっている。友達と一緒にというのがまた何より聞いて嬉しいことだ。夕食を済ませるとすぐに寝てしまったというのは、さすがに疲れたのでしょう。
そして、連日友人たちと釣りに出かけていると聞いている。

   

左から①釣り名人J君と帰宅後近場で ②彼に影響されて釣り竿を買ってもらったら ③釣り上げる魚のサイズも次第に大きくなってる? ④弟はこわごわ? キショクワルイこの魚はなに?
サメを釣ったという子がいたらしいが、私はサメー!?って驚くだけ。 



雨でどんよりと暗い日曜日。
黛まどかさんの一度目の四国遍路での体験記、『奇跡の四国遍路』を購入しようかとネットで検索。
『私の同行二人』では、道々の実体験に「般若心経」や弘法大師の言葉を引用されては思索を重ね、つぶやくような思いも記される。単なる道中記でない深みに、心を揺さぶられることは多かった。

『般若心経』は子どもの頃から祖母や父が唱えるのを耳にして育ち、何となく口真似などしていたものだった。
仏教について、あるいは『般若心経』『歎異抄』にしても、学ぶ機会を得て、そして日日学んでいるようであって、やはり未だに知的な理解、教養の域を出ないのかもしれないと思うばかり。「信心」という言葉に弱い、というのもその流れだろう。教養以上に出ないことを意識して暮らしているつもりでも、「つもり」はいつまでたっても「つもり」でしかない。
ただこうして齢を重ねた者でも、何かに促されながら少しでも自分の生活の上に証していけるようでありたいと、やっぱり思ってしまう。

若い子の成長は無条件でいいものだ。



固かったオニグルミの冬芽がようやくほころび始めてきた
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すべては計らいか

2025年04月12日 | 今日も生かされて
黛まどかさんの『私の同行二人 人生の四国遍路』に、「昨今、四国遍路を世界遺産登録しようという機運が高まっている」と書かれた一節があった。
四国の自然の豊かさに加え、周辺の人々の生活やお接待の人情など、お遍路文化全体を将来に受け継いでいこうとすることが本来の趣旨なのだろうとしつつ…。
スペインのサンティアゴ巡礼道が世界遺産になり観光地化したことで失ったものを求めて、外国人の歩き遍路が日本人を上回る数ではるばる四国まで来ている現実を重く受け止めるべきだ、
と思いを述べておられた。

おおよそ10年ほど前になるが、
「『長崎でキリシタン発見』150年」と小見出しがついた新聞コラムがあった。
1865年に十数人の日本人が大浦天主堂を訪れて信仰を告白して以来、約250年の禁教下をくぐり抜けたキリシタンの存在があった。
その信徒が発見されて今年で150年になるという。
多くの記念行事と連携して、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す運動が熱を帯びていることを伝えていた。

その中で、注目を集める聖地に軽味をおびた現代的巡礼者、つまり、「伝統的宗教の信仰の枠の外に出て、それぞれの思いを深めたり、何かを考えたりする巡礼的観光客」の増加で、
「信仰なき巡礼者が群れをなすに違いない」という見解が記事とともに妙に記憶に残っている。

この記事を目にする5日前。嫁いで以来持たなくなった朱印帳を「北びわ湖の観音の里巡り」参加のために新しく買い求めたばかりだった。
このタイミング、そこに加えて「信仰(心)」という言葉に極めて弱い自分の心に、記事はグサッと刺激してきたのだ。
(実際、東京での「観音の里の祈りと暮らし」出展以降、この観音巡りにも多くの人がやって来るようになったと嬉しい?悲鳴をガイド氏はあげられていた)

昨日の鷲尾座主のお話に、読んだのはもうずいぶん前になったが林京子さんの「長い時間をかけた人間の経験」のなかの一節を思い出した。
「二、三の札所を巡っているうちに、仏像に対するときの心が、少しずつ穏やかになっているのを私は感じていた。寺が持つ歴史と、迎える人の暖かさが、心を癒してくれるのである。…留守を守る夫人たちも朝に夕に、御仏に手を合わせているからだろう。話す声も、彼岸の彼方からのもののように、やわらかで剣がなかった。

開山当時の800年も昔の村人と寺の密接な関係が話題になる。仏たちは人の中で暮らし、人も仏を身内のように頼ってきた。一村一寺の蜜月のころの話しになると、寺の内はあの世とこの世の、混交の世界に移っていった。」


巡礼には少なからず観光的要素も含まれる。
信仰なき巡礼であっても、何かを抱える(背負う)自分の心と向き合うことになる。
何かが育まれる、培われるということ…。場数を踏んで、私の心にも…だ。
篠田節子さんの『冬の旅』を読んだときにも感じたことだった。


巡礼を離れた日日の営みのなかで、わが身を顧みる時間を与えてもらったこと、有難し。
藤の花の蕾が色づき、膨らみ始めている。

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四十九日のおくりもの

2025年04月06日 | 今日も生かされて

2014年の4月5日。花冷えでしたが上野公園は週末の花見客でごった返し、浮き立つような気分が満ちあふれていました。
その中を気ままに道をとって、東京芸術大学大学美術館まで歩きました。
開催中だった「観音の里の祈りと暮らし ーびわ湖・長浜のホトケ立ち」展の拝見が目的でした。

湖北地方は小説やエッセイを通じ、また実際に歩くなどして関心を深めていた地でした。
幾多の戦禍をくぐり抜け、土地の人たちによって篤く守り継がれる観音さまが多く存在しています。そんな来歴が見て取れる、痛ましいけれど素朴な姿と対面していると、漂う安らかさとでもいえる何かで気持が満たされていき、立ち去りがたいものを感じて心ゆくまで過ごしていたのを思いだします。


義母の急変、危篤状態で入院となったことを知らせる夫からの電話が入ったのは、その晩遅く、息子宅でくつろいでいるときでした。
動悸がしだして、一気に気持ちは重く沈んでいきます。
翌朝の新幹線車中で、義母が息を引き取ったことを知りました。

あまりの急変、よりによって私の留守中に…。ずっと心にかかったまま、初七日、ふた七日と、七日七日に法要を重ね五七日を済ませた頃、この上京は義母がくれたプレゼントだったのではないか、と自分本位の解釈のようにも思えるのですが、そんな思いが胸をよぎるようになってきたのです。
残されたものが心を癒していく。そのために忌明けまでの四十九日の期間があるとすれば、私自身の気持ちが明るいほうへ向かうことは、何よりも義母への供養につながると思えてくるのでした。


浄土真宗では親鸞聖人の教えを熱心に聞法し、念佛ひとすじに生きた篤信者を「妙好人」と名付けて讃えています。
人を常に温かく迎え、妙なる物言いの心を持ち合わせていた義母。その巧みな話術で紡いだ縁の広がりを思うことで、「あなたは妙口人でした」と義母に贈ったのでした。

「四十九日のおくりもの」を、互いに交わすまでになれたのでした。
年月を経て増すのは悲しさでも寂しさでもなく、ただ存在感です。
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うかうかしてはおれない

2025年04月04日 | 今日も生かされて

   今日は見事なこぶしの木に出会いました。



いよいよ咲き始めました。
白川通を下がった銀閣寺道の交差点では、哲学の道を散策しようとする人たち、散策を終えた?人たちであふれておりました。
信号待ちの車から、咲き始めのうっすらした桜が目に入ります。

「日本は桜の国」だ。
うかうかしてはおれないのである。
(赤瀬川原平『仙人の桜 俗人の桜』)

所用で外出の身。明日に気持ちを向けて考えます。
賀茂川べりへ足を延ばそう。少し北へ、山桜に逢いにも行きたい。なるべく人気のない場所で、ゆっくり静かに、と。



「土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、都踊りを見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊まる。」

「明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中之島の掛茶屋あたりで持ってきた弁当の折り箱を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。」
「平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、此の神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで…。
まさに春の日のくれかゝらうとする、もっとも名残の惜しまれる黄昏の一時を選んで、半日の行楽にやゝ草臥れた足を曳きずりながら、此の神苑の花の下をさまよふ。」

「たまには場所を変えようと(貞之助が反対を唱え)、錦帯橋まで出かけたが、忘れ物をしたような心持ちで、やはり京をたずねている。御室の遅咲きの花にまに合った。」


大阪からやって来て豪華な、花酔いしそうな京の桜名所めぐり。
谷崎潤一郎の『細雪』で描かれます。これを読み返すだけで花見はもう十分の気分。

桜はすぐに散ります。
乗り遅れないようにと思うと、やっぱり「うかうかしてはおれない」気持ちが湧く。また、そんな気持ちにならないと、まあいいかと済ませそう?
いけないよ。何も特別感はいらないけれど、ちょっとそこまで、足を運んでみよう。
ためらっていると幸運をのがしてしまいますからね。
  明日ありと思ふ心のあだ桜・・・


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人を結ぶのりしろ

2025年04月01日 | 今日も生かされて

境内の隅っこで、古い家具を電動のこぎりで処分していると、向かいに住むSさんが戻ってきて車が車庫に収まるのが見えた。
「どこ行ってたんですか」 入って来たので聞いてみた。
「うん?」
「パチンコ?」 いつだったかパチンコが好きだと聞いたことがあったからたずねたが今や卒業したらしい。「ちがうわ」と笑って返事があった。

「なにしてるねん」
…って御覧の通り。解体すれば処分の費用も安くなるから頑張っているのだと言っても、
「したろか?」とは言ってくれない。手伝う義理もないのだが。


家に入らず、しばらく話していくには、
寺の総代になったという。そこに墓地の管理責任者の役も加わり、もう一つ、檀家で作るなんやらの委員もかぶっているというから、「もてもてですわね」と応じた。

わたしと同い年のSさん。総代を受ける年齢かと、わが身の齢を忘れて密かに驚きもしたが、良いお年頃だった。
宗派は同じでも、寺は別。
「そやさかい」「そやさかいな…」と話が続く人で、「そやけえ」と、たまに入るのもまた彼の癖?なのか。
生涯独身できている。そのあたりは彼のプライベートな話だから控えたい。
おっとりとした良い方だ。「そやけー、そやけー」が耳につくくらいで難はない。

我が家でも年度替わりで新年度の世話方さんの寄り合いを予定しているが、役員さんは継続でお願いする年にあたっている。
何をするにも“高齢化”の言葉がついてくる。少しでもご門徒の関りを多く得ていく工夫こそ欲しいと思うが、会食しながら、あれこれの話も出るだろうか。アタマがお堅い人ばかりじゃないはずだけど…。


Sさんのおっとり感は、きっとのりしろとなって人を結びつけるだろう。細身にも貫禄がついて、いつになく張り切って見える。笑みが滲むようなのも、気持ちが充実している証しかもしれない。今度会ったらそう言ってみよう。


不平の嵐に花を散らせず、楽しく花見をしましょっと。明日はあたたかくなるらしい。
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やれ私服警備員が、やれ万引き防止と

2025年03月29日 | 今日も生かされて
「当店は私服警備員が店内を巡回していますが…」と始まるアナウンスで、客個人も自分の手荷物は自分で十分気をつけるよう促される。
そこに続くのは「当店は万引き防止対策云々…」のアナウンス。
これがセットで繰り返される書店に、ちょっと遠出をした折に立ち寄ることがある。
なぜかすごく不快な気分になる。
この店には以前、「万引きはあなたの未来に傷がつく」の言葉が書かれたポスターが貼られていたものだ。


京都から東京の三鷹へ移り、書店「ユニテ」を経営する大森さんが、ある雑誌に寄稿された文章を読んだことがあったが、そこで万引きのことに触れていた。
「万引き1冊で本の利益の5冊分が吹き飛ぶ」

単純計算ではない。
「書店にある本は版元や取り次ぎからいわば借りている本だ。“借りている”本は、売り上げのうち決まった割合の金額が書店の取り分になり、それを引いた金額が取り次ぎから請求される。書店で売る一冊の本の売り上げを、取り次ぎや出版社と分け合うシステムになっている。
盗られてしまえば、そのぶんの売り上げがない上に、その本の代金も支払わねばならず、売り上げの数倍の出費が生じる」
「全国の書店の万引きの総被害額が合計で200億円になる年があった。」
(『桜風堂ものがたり』村山早紀)

書店側が万引き防止に躍起になるのはもちろん理解するけれど、長居して書棚を見て回れば、嫌というほど耳にすることになる。
その頻度や、いい加減にしてと思うくらいだ。万引きなんてしませんよ!!って言いたくなっちゃって…。


三鷹の書店ユニテ。
店を象徴する3冊として大森さんが選ぶのは、『読書からはじまる』(長田弘)、『常識のない喫茶店』(僕のマリ)、『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る: アフガンとの約束』(中村哲、澤地久枝)だそうな。

熊本には橙書店があるようで、田尻久子さんのエッセイが収められた『橙書店にて』で覗いた日常があったけれど、行くなら、やはり三鷹かな。
「人生の贈り物としての読書」(長田弘)の一冊を選ぶのだから、なんといっても本屋さんは居心地よくなくっちゃ。

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