京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

何ごともなく

2021年04月27日 | 日々の暮らしの中で
なんでもない一日だった。ふと目が覚めて時計を見ると、まだ午前2時半過ぎ。この二日この状態で、さすがに頭がふらっとするような…。

ご近所さんと立ち話の中で、クスリによる副作用で息が詰まり、下唇が2倍に膨れ上がり、意識も朦朧…、救急車のお世話になって2週間入院した2年ほど前の話を延々と聞くことになった。もちろん、今回コロナのワクチン接種は控えるという。何度も聞かされて、それでも教えられることはあるのだからありがたく思うことにしよう。

こんな気分の良い池の周りを歩いた。


亀も列をなす。


何歳の亀さん?と思ってみるが、それだけのことだ。古事記にも亀の記述があり、亀の甲で占うことも歴史で習った昔。浦島太郎は亀の背に乗って竜宮城へ。お前ほど歩みの遅いものはいないぞと、歌われて。相手が寝ている間に先を越したからといって、気分はいいものだろうかと思ったことがある。鶴と亀はセットで仏具にもなる。

駐車場が閉鎖され、若い女性が運転する神戸ナンバーの車が引き返していった。

記録のためというより、一日を生きたという証。42年にわたって書き続けた荷風さんに倣おう。
「日記は自分との静かな対話」。
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醍醐味

2021年04月24日 | こんな本も読んでみた
  「比叡のお山が西日を受けて赤く輝いている」

薬草園で暮らす元岡真葛を主人公にした連作短編小説が詰まったシリーズもの2作『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園目録』と『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園目録』を読んだあと、いっぺんこの薬草園がどのあたりだったのかを歩いて確かめてみたいと思っていた。

北山通を西へ。紫野泉堂町を過ぎ、佛教大学前でバスを降りた。千本通を北へ入り、坂道を10分ほど上がったところにあるコンビニの駐車場に、「鷹ヶ峰薬園跡のいまむかし」とした説明版と「徳川時代 公儀 鷹ヶ峰御薬園跡」「山城国愛宕郡鷹ヶ峰村」と刻まれた碑が建っていた。




すぐ近くの筋から東に、比叡山が目に入る。


冒頭に記した一文で、シリーズの幕が開く。
京都の北西、市中を見下ろす高台に千坪あまりの広さを有する鷹ヶ峰御薬園は幕府直轄の薬草園の一つで、御薬園を預る藤林家の当主・藤林匡は御典医を兼ねている。当時の京は江戸をも凌駕する医学の興隆地で、多くの医師や本草学者たちが出入りしていた。
3歳のときからここで実子同様に育てられた真葛は21歳になった。幼い時から着物や人形には見向きもせず薬園を駆け回ってきて、薬草栽培、調薬に関しては卓越した腕を持っている。日に焼けて化粧っ気もないが、芯の強さをうかがわせる「凛然とした風情の娘だ」と描かれる。

ときには冬の早朝。寒さ防ぎの被布をまとって鷹ヶ峰街道を南に下り、千本通を北風に押されながら市中へ向かう。豊かな薬草の知識を生かして、かかわった人のしがらみをほぐしていく真葛。「ちょっと出かけさせていただきます」「所用を思い出しました。これより洛中に参ります」。突然の言葉、真葛の行動は早い。青蓮院へ、真如堂へ、壬生村へ、薬種問屋に、患者の家へ…と。


この道の突き当りは源光庵の白壁で、「鷹峯」の標識が見えてくる。鷹峯と言えば工芸村を経営し始めた本阿弥光悦。左に進むと名刹・光悦寺がある。

薬草園のことを聞いたことがある、というような方と出逢わないものかと歩いていたのだが、光悦寺入り口わきで、缶ジュースでひと休みする女性がいた。近くに住んでいるとのことで聞いてみた。と、あの道を下がっていったところが玄琢。そこから…で、…、・・・、「くすしやま」と呼ぶ山がありましてね、と話は展開した。クスシ! 薬師か。薬草とかかわりがあるのか? 思いがけず新たな刺激を得て、何やらほくほく気分で丁重にお礼を言って別れた。
作品に絡む話が聞ける現地の人との出会いを楽しむのも、作品の舞台を訪れる醍醐味だ、と納得納得。

歩いてみようか? 下調べしてから。「今はなあんにもありませんよ」と言われたが。
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春の再会

2021年04月22日 | 日々の暮らしの中で
「春の再会」という佐伯一麦氏にある小文のタイトルを真似てみた。
氏の再会相手は、減りつつある燕の群れだったが、私は今日、コロナ禍で今年に入ってご無沙汰続きだった友人と再会した。


高齢の姉と暮らし、友の年齢も私より少し上を行くだけに、誘い出すことがためらわれ、もっぱらメールか電話での近況報告になっていた。とは言っても、彼女自身は好きな美術館を巡るなどして空いた時間を楽しんでいる。姉がデイサービスに通っている間が唯一の自由時間になるという。その曜日も時間帯も知ってはいたが、私からは誘えなかった。感染経路が追えない状況が広まる中で、万が一…、と思うと用心してしまって。

積もる話と言ってはない。お互い変わらずにいられて、会えたことを喜ぶひとときだった。

   「これ面白かったけど読まない?」と差し出されたのは内館牧子さんの『すぐ死ぬんだから』。まあ、なんてタイトル。読んだらもらっといて、と言う。小説のようだ。まさか、これが目的ではなかっただろうが、思わぬ一冊がやって来た。
作品を読んだことがなかったが、ずっと昔、弟の家に向かう新幹線の中の雑誌で内館さんの記事を読んだことがあり、「出し惜しみしてはいけない」という一節だけが記憶に残っている。ゆっくり読ませてもらおう。


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春暑し

2021年04月20日 | 日々の暮らしの中で
お仏飯を供える。ロウソクを灯し、線香をくゆらせる。
こうして一日が始まる。

春も深まりつつあり、このやわらかな若葉の美しいこと。
軽い上り坂が続くこの道は、今が一番の時季だと思っている。少々息が切れるが、なんのなんの、励まされて前を向ける。


庭の草むしりをして、気分転換に外へ出た。
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百冊を目指す春

2021年04月18日 | 日々の暮らしの中で
  百冊を目指す読書の春が来た    

本日の〈ねんてん先生の575〉に掲載された小学校6年生、Sさんの句。

100冊を目指すとは、どのくらいのペースで読むのだろう。
息子が小学生の頃にもこうした取り組みがあって、学校図書館で借りては簡単な記録を残し、更新しているのを黙ってみていたことがあった。
小学生は量、中学生は質、とは教師側の理想で、現状は子供たちも放課後、帰宅後と予定が詰まっていて読書どころではない、と忙しい。
それでも、子供のころに夢中になった本を、以後、繰り返し何度も読み返す一冊が持てることの幸せを思う。

書架の前で目をつむり、3回ほど回ったところで手を伸ばして、手に触った本を読む。
「この本の選択ゲーム、Sさん、やってみて」と 、ねんてん先生はお勧めに。そして、「意外な本だったり、むつかしかったりするかもしれません。でも、そんなふうにして偶然に出会った本が、あなたの世界を開いてくれるかも」と。


出番待ちの本の上に、読み始めて間もない文庫本のページを開いている。本の選択のためのゲームは異なるが、友人の勧めで一緒に読み始めたのだった。
同じところを何度も読み返し、それでもなかなか頭に残らない。ちっとも先に進まない。なんだかねー、入りにくいねえ…。でも読まなくっちゃ。
説明的な部分を、もうあと2ページほど読み進んだところで、視界は明るくなった。
おそらく自分では選ぶことがない一冊だったろう。

一冊の本を読んで、会話して、いろいろな感情に浸り、心を耕したほうがどれだけ豊かなことかと思うので、つい、ゲームばかりしていないで!と、小4の孫には口やかましくなる。でも実のところ偉そうに言えるほど私も小学生時代はさほど読書好きではなかったと思う。

100人100様。今日は、泊りに来ていたラグビー友達と二人で、モノレールに乗って練習会場に向かったという孫。母親は、「初めてのお使いを見守る気分」だと言ってきた。こうした時間の使い方もあって、読書がすべてでないのは承知だが、やっぱり読書せいよ。

心に住まう本をいかに持つか。数より心に残る一冊との出会い。やっぱり読書せい!と言いたくなる。


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花あるときは花に酔う

2021年04月15日 | 日々の暮らしの中で
作品が一点でも展覧会はできる、と。


〈踊り子〉


白い衣装も美しい。
  
      

   花アルトキハ花ニ酔イ
   風アルトキハ風ニ酔ウ

竹内街道(奈良)の古代池辺りに、榊莫山さんは請われてこんな詩を彫った碑を建てた。
今月27日から聖徳太子1400年遠忌記念「聖徳太子 法隆寺」展が始まる。行きたいな、奈良。

群舞もいいのかな。
トラックが爆走するような道端で、一陣の風に揺れて舞う踊り子たち。


空を見て、山を見て、花を見て、歩く。
    花アルトキハ花ニ酔ウ。

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この木なんの木? 気になる木

2021年04月13日 | 日々の暮らしの中で
       2/12

       3/30   

   3/30

2月に気づいたこの芽吹き。 
このような変化を遂げてきていて、いったい…
春雨に潤う万物の命。
この木なんの木? 気になる木…。

   4/10


「おもしろの世の中や、恩を忘れぬほどあそべ」
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好日

2021年04月11日 | 日々の暮らしの中で
自分をせっつく用事などなんにもなくって、ただただ気軽な穏やかな心持ちの日曜日。晴れて初夏の陽気となった。家でゴロゴロしているのはもったいない。出好きの虫がウゴメクのだけれど、さて、どこへ…。


木々の新緑が豊かになりつつある足元に、シャガの花が見事に群生している。



         紫の斑の仏めく著莪の花  高浜虚子

歩きながら気晴らしに言葉を唱えるのもいい。例えば、般若心経? 誰も聞いてはいないが、ちょっと笑えるなあ。
今朝ほどの新聞で、〈ねんてん先生の575〉では上田敏の訳によるブラウニングの「春の朝」という詩が紹介されていた。
  「時は春、日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、蝸牛枝に這い、神、空に知ろしめす。すべて世は事も無し。」
そこで紙にメモし、これを音読して歩くことにした。春の朝をたっぷり楽しめばいいのだ。初夏みたいな陽気だが。

クルミの芽吹きは進んでいて、〈枝先に、天然パーマの赤ん坊の髪を思わせる、くりくりした若葉〉というのは、すでにこんな状態だった。


何度か観察には出向いていたが、その都度大きな変化はなかったので、この2週間余りの、大きな変貌だと思うのだ。

    2/13

孫のTylerも土曜日曜とお泊りしながらラグビー三昧だったとか。「久しぶりにくたびれてはります」こんなメールが届いた。いいことだ、と喜ばせてもらう。
今日は好い日でした。
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難しいことをわかりやすく 鑑真和上

2021年04月10日 | 展覧会
奈良の唐招提寺の鑑真和上座像が45年ぶりに上洛。凝然国師没後700年 特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」が開催中の、京都国立博物館平成知新館に行ってきた。


5度の失敗を経て天平勝宝5(753)年に来日した鑑真は、中国正統の戒律 、〈釈迦が定めたとされる仏教徒の道徳規範(生活習慣に関連した心構え)であるべき「戒」、僧侶が守るべき規則の「律」〉を伝えた。
鎮護国家的仏教(奈良仏教)から貴族の現世利益的仏教、個人救済的仏教へと変化もあるように、最澄は厳しい戒律を守るのは無理だと考えて大乗戒を定め、南都とは異なる立場を取った。仏教も風土や時代の中で変化しながら空海、法然、親鸞らに引き継がれ、日本仏教の基礎になっていった。と、歴史などで習った程度の知識は少々ながら持ち合わせてはいるが…。

第一章 戒律のふるさとー南山大師道宣に至る道
第二章 鑑真和上来日-鑑真の生涯と唐招提寺の創建
第三章 日本における戒律思想の転換点ー最澄と空海
第四章 日本における戒律運動の最盛期ー鎌倉新仏教と社会運動
第五章 近世における律の復興


展示品の解説をいちいちしっかり読んだ。目を凝らし、書かれたことを読み取ろうとしてか頭もいっぱいいっぱい。足腰も疲れたこと。
その結果、「鑑真以来の千数百年の仏教思想が根付いている素晴らしさを目と心で楽しみ、日本仏教史を捉え直す」など程遠い思いで終わった。
日本の名僧たちの中には、何かの折に目にした名前もあるが、まあ、すべてガラスケースに貼られた短い解説を頼りに読んでいくしかなく、素人でもある程度変遷を追える、わかりやすい解説の工夫が欲しいと思う。

時代的には孝謙天皇による仏教色が強まる中、「徳、孤ならず」と大学寮で道徳を重視する儒学が叩き込まれ、個々が信じるもののために命をなげうって戦いに挑む者たちがいた『孤鷹の天』。『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』での仏教感。光明皇后が書写をさせ、大仏開眼供養(752)に読誦させた由緒正しいものだと展示されていた、根本説一切有部戒経、摩訶僧祇律。また遣唐使船や商船が安全に大陸と往来できる海の道を作ろうと挑む話もある『秋萩の散る』。戒律の流れなど無縁のところで、頭の片隅に一連の澤田瞳子の作品世界が浮かんでくる。
難しいこと、知らなくてもどうということはない。…のかもしれない。でもなあ、とも思うのだ。

    帰宅後、『天平の甍』(井上靖)を引っ張り出した。初めて読んだのは高校時代で、課題図書だったのを記憶している。久しぶりに栄叡、普照といった懐かしい名前に触れている。
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ちる、ちる、さくら。

2021年04月03日 | こんなところ訪ねて
明日は花散らしの雨になりそうだ。週明けから3日間は孫守りの予定。とするなら今日が桜の見納めになるのだろう。昼食を済ませてから、西京区大原野にある西行ゆかりの花の寺・勝持寺に向かった。


車を駐車場に止めて歩き出すと、ウグイス! ウグイスが見事な声で鳴いていて、足は止まってしまった。
鳥羽上皇につかえていた北面の士・佐藤義清が1140年にここで出家し、名を西行と改めて庵を結び、一株の桜を植えて愛吟していたと伝わる。応仁の乱で焼失後、再建に取り組んだもののかつての規模はなく、こじんまりした寺になった。


その境内を埋め尽くす桜。そして何代目になるのか西行桜(↓左手)。虚子が「地に届く西行桜したしけれ」と詠んだほどの枝はなかった。




満開は過ぎた。散る、散る、桜。散る桜の美しさをこれほどまでに目の当たりにしたのは初めてな気がする。
風の音が聞こえてくる…。立ち止まって、あたりを見回していると、境内一面にはらはら、はらはらと際限なくはなびらがふぶく。時に、瑠璃光殿の屋根に積もった花びらが二度目の花吹雪となって地に落ちる。桜の花びらに埋め尽くされた境内でもあった。



    (小さなドットのようなポチポチが花びらなのだけれど…)よく見えないけれど、「降る」というのがふさわしいかもしれないほどの散りようにただ感嘆…。

「散る桜も根にかへりてぞまたは咲く老こそ果ては行方知られぬ」 西行 
若い人たちへの慈しみにも日常の中では節度があり、花や風や月や雲に、弾むような喜びを感じていた西行だったが、こうした節度なく雪崩れてゆくような感じに、藤原秋実が師の老いを述懐する件がある。『西行花伝』)。
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「失わはったら、あきまへんへ」

2021年04月01日 | 日々の暮らしの中で

木々に芽吹いた若葉が何とも言えない彩を添えてくれる。桜に、楓の若葉では、「錦」とは呼べないのだろうな。やはり柳でなくてはならないのか。楓にかわいい花がいっぱい咲いているのを見つけた。


行く、去る、逃げる。
1月、2月、3月と足早に月日が経った、とは感じている。
その一方で、行動にもおのずと制限が課せられ、大きく変わらない日々の連続の中ででも、一日一日いろいろな思いを交錯させて過ごしている。まあ、それなりで、ああしとけばよかったと、今ことさら悔いて振り返ることも思い当たらない。

「ぱあっと綺麗なもの」「陽気なもの」「かわったもの、新鮮なもの」「楽しくなるもの」に、いつもびっくりする、面白がる精神を「失わはったら、あきまへんへ」
田辺聖子さんは言われている(「お目にかかれて満足です」)。

季節は大きく変わった。4月1日。年度替わりで、ともかくもスタートした。
早々に、明日はエッセイサークルの例会日。まず、あした。これも楽しみ、楽しみ。

黙って咲いても名花。固有の花が咲くととらえて、自分だけの蕾を開かせたいものだなあ。ちょっと我が心田に肥やしを追加したいと思うのだが、価値観の違いにしょっちゅうぶつかる。時間つぶしなんかじゃないわよ。
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