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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

四十九日のおくりもの

2025年04月06日 | 今日も生かされて

2014年の4月5日。花冷えでしたが上野公園は週末の花見客でごった返し、浮き立つような気分が満ちあふれていました。
その中を気ままに道をとって、東京芸術大学大学美術館まで歩きました。
開催中だった「観音の里の祈りと暮らし ーびわ湖・長浜のホトケ立ち」展の拝見が目的でした。

湖北地方は小説やエッセイを通じ、また実際に歩くなどして関心を深めていた地でした。
幾多の戦禍をくぐり抜け、土地の人たちによって篤く守り継がれる観音さまが多く存在しています。そんな来歴が見て取れる、痛ましいけれど素朴な姿と対面していると、漂う安らかさとでもいえる何かで気持が満たされていき、立ち去りがたいものを感じて心ゆくまで過ごしていたのを思いだします。


義母の急変、危篤状態で入院となったことを知らせる夫からの電話が入ったのは、その晩遅く、息子宅でくつろいでいるときでした。
動悸がしだして、一気に気持ちは重く沈んでいきます。
翌朝の新幹線車中で、義母が息を引き取ったことを知りました。

あまりの急変、よりによって私の留守中に…。ずっと心にかかったまま、初七日、ふた七日と、七日七日に法要を重ね五七日を済ませた頃、この上京は義母がくれたプレゼントだったのではないか、と自分本位の解釈のようにも思えるのですが、そんな思いが胸をよぎるようになってきたのです。
残されたものが心を癒していく。そのために忌明けまでの四十九日の期間があるとすれば、私自身の気持ちが明るいほうへ向かうことは、何よりも義母への供養につながると思えてくるのでした。


浄土真宗では親鸞聖人の教えを熱心に聞法し、念佛ひとすじに生きた篤信者を「妙好人」と名付けて讃えています。
人を常に温かく迎え、妙なる物言いの心を持ち合わせていた義母。その巧みな話術で紡いだ縁の広がりを思うことで、「あなたは妙口人でした」と義母に贈ったのでした。

「四十九日のおくりもの」を、互いに交わすまでになれたのでした。
年月を経て増すのは悲しさでも寂しさでもなく、ただ存在感です。
コメント
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