京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 春へのはずみ、に

2011年02月28日 | 日々の暮らしの中で
             

外は暗く雨が降っているのがわかる。しぶしぶ寝床を這い出しても、うーっ、寒っ!とぶるぶるっとくる冷え込みは失せた。
ひと気のない六畳の間を覗けば、ひな壇に白く浮かび上がる人形の顔がある。桃の花を飾り、小さかったわが娘を膝に乗せてその前に座る母が見える。人形も、また巡ってきた春に大きく息して生きているかのようだ。その白い肌、美しい衣装に今を刻み込んでいる。

いろいろな思い出が交錯する三月。やはり心弾む「三月」の声。

日高川を渡って塩屋へ入った前回。熊野古道は塩屋から上野、海沿いに印南(いなん)に続き、切目王子へと歩くコースが待っている。
海のない大和人は紀ノ川筋を経て三日も四日もかかって広大な海洋にめぐり合ったという。眼下に和歌の浦の入り江を見下ろしたときの喜びは…。藤白峠の頂上、御所の芝から目にしたあの一望はまさに絶景、だったが。

平坦な道が続く。変哲もないコースだと受け止めてしまえば、退屈極まりなく疲れは大きいかもしれない。万葉に歌われた明るい紀伊の沿海地。この「風土景観の刻々の変化は、壮麗な南海の交響楽を奏でているようだ」と犬養孝さんは言われた。
これもまた熊野の文化に触れる小さな旅だろう。その一回一回の満足感は案外意義深いものだとちょっとだけ自負している。

疲れたー!と滅入りそうなときがある。ただ、ほんの5パーセントでも楽しもうとする気持ちが残せているかどうか、これを失わずにいられることが自分の強さだろうか…。新たな一歩も更新したい。
                 (なで大黒さん。脚も足も膝も念入りに撫でなで~)


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『ひとりの午後に』夢中に

2011年02月25日 | こんな本も読んでみた
明日は彦根まで往復しなければならない。お天気はどうだったかな…。
雨の高速だけは嫌いで長くは走ったことがないし、土砂降りなら絶対に使わないのだ。こわい。
雨なら琵琶湖の湖岸を行けばいいが、それでは時間がかかる。

100キロを越すと疾走感が始まり、120キロを越すと車体が不安定になる。140キロを越すと視野が狭くなり、160キロを越すと、ほんのわずかなハンドル操作のミスや路上の障害物にぶつかっただけで、クルマごとふっとぶ、そうなると助からない、という緊張感… 
でテンションが上がる。
真っ直ぐな道路を走り続けると眠気に悩まされるが、そういうときにはスピードを上げる。ほんの一瞬で命取り、そう思えば眠気対策にもってこいだ。
女の指定席は助手席、だなんて、どこのどいつが言ったんだ? …
 
 

と言われるのは上野千鶴子さん、彼女は車好きだった。
私はこれほどにスピード狂じゃあない。120キロを越えないように意識しているほうだ。こわい。
でもね、ついうっかり一般道で80キロが出てしまう無法者だけれど。このほうが余程キケン。

ずいぶん前になるが、話題に乗り遅れまいと著書『当事者主権』だけは読んだことがあった。
   一人の午後、『ひとりの午後に』をいっきに読んでしまった。「カミカゼ・ドライバー」の異名を持つ「けんかの達人」?千鶴子さん。
思わず好きになりました。大切にしたい一冊になると思う。

私は、安全運転第一だ。



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 三百年後… まず足もとを

2011年02月23日 | 日々の暮らしの中で
              

今年は「国際森林年」だと記事で読んだことがある。

立松和平氏の『遊行日記』で知ったのは、「古事の森」と名付けた、日本の木造文化を守るための森作りの活動があることだった。
日本は木の文化、富が集まるとまず木の家を建てたという。
神社仏閣も然りで、ただ、その維持管理のための修復を考えたとき、このままいけば心柱や柱の修理に必要な檜が日本の森林から消えていく危機にあるという。

そこで国家的規模で植林の活動が始まった。直径1メートル以上の檜を採る森として第一番目に植林したのが京都の鞍馬山だった。そして奈良の若草山、筑波山麓、高野山、北海道の檜山、岐阜の裏木曽と続く。今から植えれば300年後の修理に間に合うからという、なんとも長大な時間がそこにある。

先人達の「布施」で今私達が楽しみを得ていられる。であるなら、後の世の人にする「布施」もしなければならない、と。なんの見返りも求めない。むさぼらず、へつらわず、ごく平常心によって。

法隆寺の昭和の大修理の記録映像が、幸田文さんのしっとりとした語りで早朝のNHKに流れていた。熊野古道ウォーキング初回の日だったと思う。

   宝ヶ池公園へ 
ほんのひと時を森林浴などといって癒しの恩恵を被っている。
これまで考えたこともなかった「国際森林年」、何ができるのかとふと思ったが…、我が家の管理だけでもたいへんことやな…。 
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 十三歳のお手柄

2011年02月21日 | 日々の暮らしの中で
            
昭和51年、当時勤務していた中学校は創立30周年を迎えていた。
記念式典を伴う学校祭に向けて、1年A組40名全員の力を合わせて参加しようと作製した作品が、この「四季」。   

記録によると、美術の教師に助言と指導を仰ぎ、クラス選出の実行委員たちで10月18日にこの原図を作成している。
完成時の大きさは1.8m×2.2m、その下絵の40分の1を各人が担当した。
個々の木版に、切り分けた下絵を写してレリーフにしてから、モザイクで凹凸を工夫。色を付けながら修整、季節の変化と全体のバランスに苦慮して仕上げていたようだ。
放課後の教室は小さな頭を寄せ合う賑やかで楽しい場所だった。
12月9日、ベニア板に40枚を一枚の絵に張り合わせ、裏から添え木を当てて釘で留め完成の運びとなっている。

 利根川の堤防で、写生大会の日
四季、姿を変える、13歳だった彼らの中学校生活の一年間。
式典当日はもちろん、長らく飾られていたと聞いている。しまい場所がなかっただけかもしれないが。彼らの卒業アルバムをきっと小さく飾ってくれてもいるだろう。

「卒業」をテーマに何を書こうか考えていたのだが、思いもかけぬ引き出しが開けられた。
良くやったと思う。みんなの力が合わさった成果に誇りが持てていた、いい思い出。
13歳のお手柄やわ!!  …一度逢いたいなあ。

私の卒業・修了証書は当分先の話になりそう~。
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 とけ合って

2011年02月19日 | 日々の暮らしの中で
             
くるぶしまでの深さだし、ごっつく見えるが軽い、気がする。心もち右足のほうがゆるいだろうか? 紐の調節でカバーできるものなのか。靴底が厚くつま先でけつまずきそうだ。いろいろなことを確かめながら歩く足元のピカピカさ、これがちょっと決まりが悪い。いかにもおニューなのだ。
まだ一歩一歩と足で靴を運んでいる感があるけれど、なんと言ってもウォーキングシューズ履き初めの日。どこといって当たる箇所もないし痛みも出ずで、不快感はない。
1時間半余りの外出時間で、6308歩を記録した。まずまず、今日のところは合格~。

気温も上昇して絶好の散策日和、おまけに土曜日とあってべビーカーを押す家族連れも多い。
木蓮の大きな蕾が輝く通り。川の向こうにカメラを向けたまま陣取る一群があるかと思えば、私のように、すずめの集団を愉しく見上げている者もいるのだから、これで均衡が図られているのだろう。

            
突然目の前に現れた真っ赤な鶏冠(とさか)を思わせる鶏頭のような毛糸の帽子。人の上に立ち、歩く鶏頭に春うららな陽が当たっている。

  「鶏頭を三尺離れもの思ふ」   私はおかしさこらえて1枚! おじさん許されて~。

ひとつ、ひとつと身軽になってホンモノの季節に近づくのもれぞれに…。     
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 名を呼んで、名を呼ぼう

2011年02月18日 | 日々の暮らしの中で
                                       
『かんさい特集  認知症を抱える老夫婦・山登り1年の記録』(午後8時NHK総合)をみた。~ふたりでめざす登山1万回~とある。

学生時代に出会った二人。夫の事業失敗のたびに、妻は看護士をして蓄えていたものを黙って差し出していたという。
苦労をかけたと思っている。この先10年、15年・20年と妻への償いだ…、と夫は穏やかに語った。料理も洗濯も衣服を身につけることも、身の回りのことは何も自分ではできなくなってしまった節子さん。夫は10か条の接し方を自らに課して、認知症の進む妻を支え、共に生きている。心を通わすことを大切にしてきたと。

二人の趣味だった登山を始めて35年、元気に明るく生きていこうと、今は金剛山登山1万回を目指しているのだった。雪の降る日、手をつなぎ、いろいろなことを語りかけながら9840回目を登りきった。「よかったなあ、今日も来れて」
「節子、ウグイスが鳴いている」「節子、きれいだねえ、ほら見てごらん」
「節子、そう言わんと少し(お茶を)飲んだら」
「節子、手を貸して」「節子と手をつなぐの好きだから」「節子の手はあったかい」

ふと、気づいた。節子、節子、節子、節子は、節子が、節子に・・・と、いったい何度 妻の名を呼んでいたことか!

     
その昔、TBSアナウンサーだった榎本勝起氏はこんな事を番組放送中に話されていたようだ。 

   名を呼んで 叱るときより 誉めるとき
   名を呼ぼう 朝・夕・晩と 温かく
        相手の心 ノックする声
   名を呼ぶは あなたの愛の メッセージ
        愛なき人の 名をば誰が呼ぶ

そして、「名前とは、単品限りのブランド。家族の、友人の、その人の名を、もっともっと呼び合おう」と。

昭和63年発行とあるから古くなったが、著書『榎さんの 魅力の女性(ひと)讃歌』に収められていた。
亡き弟の書架から抜き取ったままになった1冊であった。珍しくつい最近、ページを開いたのだった。 
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 はきもの footwear

2011年02月17日 | 日々の暮らしの中で
              
               三条小橋に立つ弥次さん北さん はちゃめちゃ珍道中の足元は…

もう長年同じウォーキングシューズを愛用しているので、ここらでクッションのいい新しいものを買おうかと思い、どこへ買いに行こうかと考えていたが、掃除や洗濯などして一息ついたら11時半近くになってしまった。
こうなると、出そびれた感があって後回しにしてしまうことが多いのだ。
それに、今すぐどうしても必要と言うわけでもない。

使用後には抗菌のスプレーでちゃんとアフターケア、大事に履いて物持ちもいいのだ。といえば聞こえはいいが、単に使用頻度が低い、だけの話かも知れない。つまりはウォーキングといってもさしてしていないことになってくる。当然、どこかが磨り減るなんてことはあるわけないことだ。でもなんか新しいのが欲しくなったのよね…。

買いに行くのを億劫がりながら、3月の熊野行きに新しいのを履きたいと思っている。
やはり早めには必要だ、靴擦れだなんてことでは目も当てられない。
明日の予定も決まった。でもどこへ買いに行こうかな…。靴屋さんと家との往復ではつまらないでしょ。

雪も雨に変わっていく頃、大地の潤いを伝えるという言葉、雨水。
今夜は優しく雨が降っている。「いた」か。…少し雨脚が強まってきただろうか。
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 ひと目、と

2011年02月16日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
                 
広がった青空の一日、左京区岩倉の地にある顕本法華宗 総本山妙満寺を訪ねた。
広々とした境内に踏み入ると、真っ直ぐ続く参道の奥に大きな本堂が一段高く構えられているのがわかる。
屋根瓦が陽に映え、静かな落ちつきがあっていい感じだ、たたずまいも美しい…。

 
ただそれも、高さ約20メートルの仏舎利塔を除けば、だった…。
初めて目にしたこの景観は、異様だった。見たこともない。ただただ正直驚かされた。

仏舎利塔は、釈迦が悟りを開いた地にアショカ王が紀元前200年頃建てた供養塔・ブッダガヤ大塔を模したものだそうだ。
1973年に建てられ、外壁には釈迦像が500体近く安置されているという。
「仏教最高の聖跡」か…、インドへの旅行、これまた頓挫で若き日の夢物語になってしまっている。

    比叡山を借景に
実は今日ここへは、安珍・清姫伝説の鐘を拝見したくてやってきたのだった。次回の熊野行きまでにはぜひ見ておきたかった。

鐘は展示館に安置されていた。
戸をあけて入って閉めて、誰もいない。いくつものカメラが姿を監視しているのだろう。

安珍を鐘の中に閉じ込め三時(さんとき)ばかり炎を噴射し続けて止めると、両眼から地の涙をポタポタとこぼしながら境内を這い出ていった蛇体の清姫。…伝説の世界だ。

清姫ののろいか災厄が続き、400年の歳月が流れてようやく2代目の鐘が完成。盛大に供養を営むところに白拍子が現れ、呪力で鐘を引き摺り下ろすと、白拍子は蛇体の本性を現し、日高川に飛び込んで姿を消した、とか。
「鐘に恨みは数々ござる」・・・
 
依然と続く災厄に、清姫のたたりと恐れた寺は鐘を竹林に埋めてしまうのだが、後にその話を聞いた「秀吉根来攻め」時の大将が掘り起こし、妙満寺へ。供養し怨念を説いたら美しい音色を響かせた。
と、まあこんないきさつの伝説の鐘を京都で目にすることができたわけだが…。
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 真似て

2011年02月15日 | 日々の暮らしの中で
                  

「涅槃」①煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態で仏教における理想の境地。②仏陀の死、入滅。
   などと広辞苑では解釈されている。
旧暦の2月15日、釈迦入滅の日。
涅槃図について、子規に「木(こ)のもとに伏せる仏をうちかこみ象蛇どもの泣き居るところ」との言葉もある。

      
臨終間際のブッダを模した、涅槃像と呼ばれる仏像がある。
座したり立ち姿が多いのが日本の仏像だが、インドや東南アジアでは寝姿のものも多いという。
「日曜日のお父さんみたいにくつろぐ」… むしろ昼間のお母さんみたいといえなくもない?
そうした非常にリラックスした姿勢から優しく語り掛けてくれるような、ユーモラスな涅槃像が、今なにやら心を癒してくれるものになっているとか…。

似たような恰好で読書する生き仏ならぬ凡夫は、頬杖ついたまま何とかページを固定したい。
けれどいつもがいつもそうではない。本を前にちゃんと腰掛けての読書だってある。だが、やはりこのときも不精者は知恵を働かすのだ。

そんなときになくてはならないのがこの南部鉄製のこけし。

まさか読書の時にと意図したお土産ではなかったろうが、最も効果的使用法がご覧の通り。何十年と愛用、役に立っておりまする。
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 一週間

2011年02月13日 | 日々の暮らしの中で
                春めいて…

一週間の始まりで月曜火曜と働き出して、水曜日には明日は給料日だと心待ちにする。木曜日、給料が入りそろそろ週末の休暇の計画でも立てようかと考える。金曜日は休暇の前、今日一日がんばって働こう。そして土日はしっかり遊んで…。

およそこんな展開の一週間、シドニーのサラリーマンはいつ真面目に働いているのでしょうと、観光バスの添乗員が笑いながら話してくれたのを思い出す。

物価も高く、友人たち3人がシェアしているところに転がり込んで、あてがわれた部屋はサンルームのようなガラス張りの部屋。眩しくて、暑くて休日も寝ていられない。だが、金銭に余裕はない。海外で働く一見かっこよく見える?女性の裏事情だった。

娘の出産でブリスベンに行き、Jessie誕生後、お手伝いのご褒美(!?)にシドニーへの一人旅をしたことがあった。シドニーの地図を頭に入れて、船にも乗ったし地下鉄も体験した。むろん買い物もしたし、ブルーマウンテンのツアーも利用した。4泊5日たっぷり愉しんでブリスベンに戻る。

日本にいればこんな数日間の旅行すらできない日が続く。
次の休みには何をしようか、いつも頭で考えている人はいるだろう。人生は短い、いろいろ見たい聞きたいしてみたい。気兼ねなく思う存分遊びほうけてみたい…。とまあ、そんなこと考えながらうとうとコックリ、三連休も終わってしまった。

確か、日本をブロックに分けて休暇取得の分散化を図る案が出されていたはずだ。
仕事のない人、休みどころではない人、毎日がお休みの人も増えるわけだけど…。まあいいか~。
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 「ふとした表情」

2011年02月10日 | こんな本も読んでみた
  

「寒い冬は勉学に励む時期」… だそうな。

が、年を取るとなかなか読書も進まないことをユーモラスに描く蘇轍の詩がある。
「若い頃は寒い夜に火の気もなしに読書をした。次第に目がかすんで細かい字は苦手になって、日向ぼっこしながら書物を手にすると、すぐに眠くなる。子供の笑い声で目が覚めると書物が前に落ちていた」・・・と。

              
宋の時代の人間も今と変わりはないものだと思いながら、それでも新しい本を手に入れることは嬉しい。
書店に在庫があるのを日々確認しておきながら、今日買うことにした一冊の『奇縁まんだら 続の二』
 「この世で同じ世代を生き、縁あってめぐりあい、言葉を交し合った人々の俤が、夜空の星のように、過ぎて来た過去の空にきらめいている。その人たちのふとした表情や、無防禦な言葉の端々が、いきいきとよみがえってくる。どの人もなつかしく、もう一度逢いたいひとばかりである」 と寂聴さん。
そんなお方を41人、どんな人柄に触れさせてもらえるのか、それを楽しんでみたい。

今日は先負。ゆっくりすることに吉、とあるので急いで買うのもどうか…となるが、ゆっくり読めばいいやと、わけのわからない理屈をこねてもう一冊。
「エエ加減」がちょうどいい、と名物教授だった森毅さんの『…戯言』。

寒さが厳しい頃と捉えようか、春らしくなってきたと見たらいいのか?この「きさらぎ」…。
いずれにしてもポカポカになる前に読み終えよう。
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 記念の恰好は

2011年02月08日 | HALL家の話
卒園や卒業の時期を迎えるが、人生お祝いのイベントは数知れず。

                  
Jessieが初めて日本にやってきたのは生後6ヵ月の時だった。
関西国際空港から京都へと向かう特急「はるか」に乗って、疲れたとろんとした目で暗闇の外を眺めていたときの表情が忘れられない。こんなに小さな体ではるばる日本までと思うと、出会いの嬉しさも半減、不憫でさえあったのを思い出す。

かわいいドレス姿ならいつでも撮れるだろうからと、こんな恰好で記念の写真。
機嫌よくポーズを決めて?いるときにはタイミングも合わず、時間の経過とともにぐずり出した。おもちゃで関心をひいてあやそうとする声・声、大きく飛び交うのがこれまた逆効果で泣き声は大きくなるばかりだった。泣き止んだホンの一瞬の隙にシャッターは押されたようだ。
小さなシールにしてもらえたのを1枚残してもらっていた。

  
 2歳半頃のお手伝い。こんな姿を見ながら、早く来い来いと・・・

おかげ様で楽しく学校には通えていると聞いて一安心。生徒の学力アップに気を揉むのは日本ばかりじゃあないんだ~。
「宿題」もそんな思惑の一環らしい。

「一つづつ学んで覚えていけばいい」、母親はそう漏らした。
夕食後、就寝は毎晩7時だそうな、疲れるのだろう。

久しぶりの雨音が心地よい
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 安珍清姫の地は萌え立つ気配

2011年02月06日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
            
梅がほころび、かぐわしい香りを放つ木もそこかしこ。まっ黄に染まった畑が見える。見上げる頭上に木蓮の蕾が光り、路傍に広がるオオイヌフグリの小さな花。お豆さんの白い花も満開状態で咲いていた。
                   
アスファルトのに上に咲く花もある。左、日高町原谷特産の黒竹で囲って内側には笹ゆりか。花の栽培が盛んな御坊市では、中央にスイトピー、スターチスにカスミソウをあしらって?  

立ち止まり、家並みの切れ目から右手はるかかかなたに霞む二つの山を指して、あの後ろ側の山のふもとまで歩きます、と語り部さん。
だが、道は右手方向を目指すのではなく、左へと案内する道標に従って迂回、遠回りをして熊野古道は続いて行くのだった。
昔この地域が海であったためだという。大きな期待で足を運んだ道成寺も、そんな迂回の順路途上にあった。
寺への少し手前、田んぼが広がる道路脇に清姫入水の地と伝える「きよひめじゃづか」の石碑が立つ。田んぼで入水でもないが、ここも昔は海だったと知って、なるほど~。

 
             
「道成寺の七不思議」について、何も事前に説明もされず危うく見逃すところだった。
遠近法を用いて、下からは階段が短く見える逆「八」の字の工夫がなされているという階段。苦にせず楽に上れるようにと。
本堂から門、参道まで一直線に1300年以上変わらず見守る観音様のまなざしが届く。そうした配置も七不思議のひとつに。
  
   入水を示す碑            安珍と鐘を埋葬        あんちん釣鐘まんじゅう
          日高川

  
    塩屋王子神社ふもと               美人王子ではみめ麗しき子を~と

温かく、一足早い春を感じながら絶好のウォーキング日和であった。
バスに戻ってどっかり腰を下ろし… 20633歩。ちょっと、かなり疲れた…。
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 清姫 恋の炎は

2011年02月04日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
明日は熊野古道ウォーキングの5回目。
前回の終着地・紀伊内原を出発し、日高川を渡ってからは流れに沿って南下しながら塩屋王子へと至る、歩行距離12.1kmの平坦なコースになっている。コースには男女の恋物語や美人にまつわる史跡が多く含まれるとあって、語り部さんからはどのようなお話が伺えるのか、興味深い。

まずひとつは、安珍清姫の物語が残る道成寺。安珍を焼き殺した鐘楼のあとや安珍塚・蛇塚があるという。
          
     若い山伏・安珍にひと目惚れした13歳の清姫。  「安珍さまに逢いとうて お傍にいとうて」

          
     鬼女の狂騒、怒りの炎が体から燃え立ち、頭から下が蛇体となって追いかける清姫。
  
          
             恋の炎!?

          
             結末は・・・

もうひとつが、安産・無病息災・永遠の美を祈願され信仰されている「美人王子」で知られるという塩屋王子神社。
祈願すると美しい子供が授かると言う伝説があるのだそうだから、ぜひともここでは懇ろに…?。

道成寺の参道にあるお食事処あんちんで「あんちん風松花堂」をいただく今回の昼食も、また楽しみなこと。
明日のことを考えて静かに膝もいたわって過ごしていた。
明朝は4時起き、7時15分バスで京都駅を出発する。お天気の心配は要らないのがありがたい。
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 「四の凶」の呪縛

2011年02月03日 | 催しごと
      

立春が一年の初めと考えられることから2月3日は大晦日であり、季節の移り変わる時、まさに「節分」となる。
悪鬼を追い払い、福を呼ぶ「鬼やらい」・追儺の行事が行なわれる六波羅蜜寺に出向き、気の済むようここ一番にかけておすそ分けに預かることにした。
宮川町の芸舞妓さんたちによる福豆まきのあと、六斎念仏による追儺式が催された。

マイクを持った恰幅のいいご住職だった。
 福はうち、ではありません。ここでは「ふくかっこめ~」と言います。「福をかき込め」の意味です。では一度練習してみましょう。
 「ふくかっこめ~・ふくかっこめ~・ふくかっこめ~」

次々に豆が正面から飛んでくる。みごと!ワンハンドキャッチもあればコートの襟元に、バッグの隙間にとまで置いてくれる。おかげさまで手に持ちきれないほどの福をかき込んだ。
思わずニタニタ!ありがとう~。上出来過ぎてなにやらこわい。

    
       
          
              
太鼓が鳴り出し鉦が叩かれお念仏を唱えながらわずかな動きだが踊るようにして堂内を若者が廻る。民衆の娯楽として発展した芸能六斎に対し、念仏踊りの流れを継ぐ本来の念仏主体の六斎念仏であるという。

口から六体の阿弥陀仏を吐き出している空也上人立像、もう30年は昔のことだが、ここでガラス越しに一度拝観したことがある。秘仏で辰年に一般公開されるとあった。
鉦を鳴らし念仏を唱えながら悪病退散を祈りつつ歩くという上人像だ。

運気上昇などといかなくても、無病息災を祈願、身を慎みながらもこれで思い煩うことなく過ごせるはずだ。

駅の階段を上る時、突然に左膝小僧の芯にチクンとした痛みが走った。
「四の凶」の呪縛。警告なのかと頭をかすめる不安を黙殺しても、歩くと不安に追い討ちをかける左膝のかすかなチクン。
あー、やっぱり?

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