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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

嘘八百と言われても

2025年06月16日 | こんな本も読んでみた
先ごろ寂聴さんの『秘花』を読んだ流れで、まだ瀬戸内晴美の名で書いておられた頃の『比叡』を再読していた。

出家を決心し、31人の同期の行院生と叡山の行院で60日間の加行(けぎょう)を終えるまで、回想をはさみながら描かれた作品は、自伝的私小説と言われる。
けれど、ご本には秋山駿氏との対談で、
「私小説は作者イコール主人公では決してない。…ある意味で、私小説ほど嘘八百はないと思います」と語っている。


作中、「出家したいんだけど」とつげたとき、男は「そういう方法もある」と返した。「乾いた砂が水を吸い込むような速さで、ことばと想いのすべてを吸いとってくれた理解の完璧さ」に、この時本当の決心は成就した、と書かれる。
「過去のどういう境遇の変化の時も、必ずしも事前に熟慮実行するというたちではなかった。自分から自分の運命をねじ曲げるような行動をとる時も、前後を考えず、自分の内部の欲求につき動かされて、まず行動してしまうのが、藤木俊子の流儀であった。…理性や計算のらち外のものだということを彼女は知っていた」

小説にだまされる。
描かれた人間の弱さ、強さ。結局は自分に引き付けてものを見ることになる。自分とは異なる人生の歩みに重ねて、わが生を振り返る。
一生懸命に生きてきたのは間違いないけれど、案外単純に、甘い判断で割り切った過去の覚えがうずく。ただ、どんな生き方を選んでも楽な道はないのだ。

どんな時も情熱を持って人生を生ききろうされたエネルギッシュな寂聴さんのお話しぶりや笑顔が思い出される。


普段は子供たちが水遊びに興じる川も水嵩が増し、流れが速い。川縁に立つと、ツバメがぐるりを飛び交う。
写り込んだツバメがいた。
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汲めども尽きぬ

2025年06月08日 | こんな本も読んでみた
昨年の11月、テレビ番組「知るを楽しむ  佐渡に流された世阿弥の足跡をたどる」(再)で、寂聴さんのお話を聞いていた。


「人間が最後に求めるものはなんだろう」と、自ら80歳を過ぎて感じる老いと重ねた問いかけがあった。世阿弥は佐渡に残ったのか、京へ戻ったのか。「世阿弥ほどの人が孤独と向き合って何かを感じないわけがないと思う」
寂聴さんは、これが最後の小説になるかもしれないと『秘花』を書き出されていた。


その年の3月に藤沢周氏の『世阿弥最後の花』を読んでいたこともあり、『秘花』を手に入れたが未読のまま、読みどきは今になった。

句集『ひとり』を出されたとき、宮坂静雄氏が「長年の人生の結晶としての、人生の叡智がにじみ出た句集」と言葉をおくり、「文学で宗教を語る哲学者」だと寂聴さんを評されていた。

作中、「汲めども尽きぬということばは…、人間の不可思議の深い心にこそふさわしい気がする」と世阿弥。
聴力を失い目も不自由になった晩年、梵音(ぼんのん)を聴くよろこび、仏の声に限らず、森羅万象の発する快い音が世阿弥の心を満たしていた。
深い文学観、宗教観。とても色濃く寂聴さんが息づいて立ち上がる作品だった。たっぷりと言葉が詰まっていて、重かった。

句集『ひとり』には、こんな一句があった。
  鈴虫を梵音と聴く北の寺


杉本苑子さんの『華の碑文 世阿弥元清』に惹かれている。

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荷物の収めどころ

2025年05月05日 | こんな本も読んでみた
満目の緑に初夏の陽射しが映えて、よき子どもの日となりました。
水を掛け合って、喧嘩しいしいの兄弟もいれば、父子で釣りに興ずる姿もありました。


引っ越しをしようというのに、先方の家のデザインも知らずに17年間過ごした荷物をポイと放り込めるものだろうか…。
家の体裁を整えるにはどうするのかな。表札出して、カーテンもかけて? 
この先も静かに丁寧に暮らしたいという思いは、小さな家であっても使い勝手をあらかじめ見知っておきたくなります。初下見でした。
ブログ名は仮のまま、記事もないまま、居場所は作りました。いつ荷物を運び込もうか、考えます。




このところミステリー系の作品を楽しんでいた。

  

米澤穂信の名を知ったのは『黒牢城』でだったが、作品を読むのはこの『本と鍵の季節』が初めてになる。この続編はすでに刊行されているが、間もなく文庫で発売かという情報もあって、待つことにした。
6編の連作短編集。主人公は高校2年生の図書委員二人。二人の距離感がいい。16歳なりの経験、生活基盤、読書体験を通して謎解きは展開する。1作目は大崎梢さんの作品を思い出させた。
この味絶品。
日本語として語順が整っているからこその文章の美しさ。読み手に与えてくれる心地よさ。文体はとても好みだ。

『慈雨』では、警察官を退職した主人公は妻と一緒に西国八十八か所霊場を歩き遍路に出ていた。当初、巡礼と殺人事件の組み合わせはよい気分ではなかったが、何か秘められたことを予感させられながら引っ張られ、結局物語の構成力に参った。

シリーズ12作目になる『野火、奔る』。前回から1年、小間物問屋遠野屋の主・清さんのそれからがやっぱり気にかかる。心の闇、人の世の裏表。心理戦。
そろそろ読み止めにと思ったが、負けました。

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帰る場所

2025年04月21日 | こんな本も読んでみた

『教誨』(柚月裕子)を読み終えて解説を開けば、ノンフィクションライター・堀川惠子さんが執筆されていた。
著書『教誨師』や『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』を、柚月さんは参考文献の中に挙げられていた。

【その事件は、半世紀前に起きた。東京、京都、北海道、名古屋で、市民4人が次々と拳銃で撃ち殺された。世間を震撼させた「連続射殺間」は、つかまってみれば19歳になったばかりの痩せっぽちの少年であった。
のちに死刑囚として獄で人生を歩むことになるその少年は、本書の舞台と同じ青森県に育った。】

少年の死刑執行から10年が過ぎて、取材のために青森の町を何度か訪れる。
【少年の名を口にするだけで、朴訥で優しい町の人たちの眼差しが凍りつく。どこを訪ねても門前払い。息の詰まるような閉そく感。小さな共同体に暮らし、そこで生を閉じていくであろう人たちが慎重に築いた「結界」を、よそ者は乱暴に踏み越えてしまう】 - 解説より


『教誨』での死刑囚・三橋響子は我が子と近所の女児を殺めた。
息も詰まる虐待の連鎖が描かれる。「苛めは虐待の極み」だと堀川さんだが、「執拗なまでにいじめに対する糾弾を緩めない」終盤、響子が橋の上で我が子の腕に見つけた黒い痣は衝撃だった。

どうして事件が起きたのか。どうすれば防ぐことができたのか。
原因があり結果がある。結果には原因がある。
「響子が犯人であることは事実だ。だが、事実と真実は違う」
響子の遠縁でもある吉沢香純は、遺骨を抱いて「響子」という人間を知ろうと青森へ向かう。
響子が遺した最後の言葉は「約束は守ったよ、褒めて」だった。誰となんの約束をしていたのか。

重苦しい、やりきれない哀しさが積もる作品に、いったいどこに救いがあるだろうかと読後しばし考えた。
一人でも二人でも、響子の哀しさに触れ、魂の安らぎを祈ってくれる人がいた。

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世界を小さくしない努力

2025年04月17日 | こんな本も読んでみた

昨年の10月に亡くなった児童文学作家・中川季枝子さん(89歳)のお別れの会が開かれたと報じられていた。
孫娘Jessieも大好きで、よく一緒に歌いながら歩いたことを思い出したせいか、今日は幾度となく一人口ずさんでいた。
アニメ映画「となりのトトロ」のオープニング曲「さんぽ」の歌は、中川さん作詞によるもの。
 ♬ あるこう あるこう わたしはげんき
   あるくのだいすき どんどんいこう
   さかみち トンネル くさっぱら~ ・・・



「『アイヌ新聞』記者高橋真 反骨孤高の新聞人」(合田一道)


アイヌの家に生まれ、貧しい暮らしの中で幼くして母を亡くした真(まこと)。二人目の母親からはひどく嫌われたとか。
「誰が見てもすぐ“アイヌの子ども”とわかる人相をしていたから、ずいぶんバカにされ、嫌な思いをして育った。……遊ぶのも、学ぶのも独り、誰にも頼らない、自分だけが頼りという性格が備わっていった」と語っている。

警察署の給仕となって警察官を目指すが、アイヌということで道を閉ざされ、新聞記者を目指す。十勝新聞社でアイヌ記者誕生。
そして敗戦直後の占領下で(1946年)、『アイヌ新聞」を発行した。
長年抱いていたアイヌ民族としての鬱積した思いを炸裂させたような文面だったとか。激しい見出し、過激な報道。アイヌ解放の運動の先人に立っていると自負しても、それはたった一人で新聞を作るという小さな闘いに過ぎず、支持者は広がらなかった。

『アイヌ民族を、人間らしく扱ってくれ、平等に扱ってくれ」。ひたすらな願いだったろう。
明治維新直後に始まった北海道開拓により大きく変貌していった彼らの暮らしだった。
アイヌ民族の解放と援助を叫び続けた若きアイヌ。

同族も離れていく。
「ああ寂しかねえ」 石牟礼さんの言葉が聞こえてくるようだ。
(いいんだよ、それで、やるだけやったんだから、悔いはない)真はそう答えるだろう、と著者は記している。

ほんのはずみで手に取った本だった。
ほんの数冊だがアイヌに関する本を読み、映画で彼らの信仰の姿にも触れてきた。そんなことがひょいと手を出させたのだろう。
人が何に興味や関心を抱くかなどほんとうに千差万別。それぞれに自分の世界を持っている。
「目標を持って、世界を小さくしない努力が心身の健康のために大事だ」…とテレビから聞こえてきた言葉がよみがえる。
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図書館は異なる文化を結ぶ

2025年03月27日 | こんな本も読んでみた
3月の初めに知人が何気なく話題にして帰られた『あの図書館の彼女たち』(3/7記)
早速書店に走り、勢い込んで読み始めたものの、翻訳の文章に慣れないせいか半分ほどは展開を読むだけに追われた。個人の名前が定着し始め、ドイツ軍がパリに侵攻してくるあたりから引き込まれていく。
多くの文学書のタイトルが、その一節が、文中に組みこまれ、引用され、なかなか洒落ていると感じることも多かった。


戦時中のパリの物語と言うと、ナチスに対抗するレジスタンスの人々を思い浮かべる人も少なくない。しかし、実際に地下活動に加わったのはごくわずかだ。多くの市民は日々の生活を過ごすだけで精一杯で、自分たちに危害が加えられるのではないかと怯え、疑心暗鬼にかられていた。ナチスに売り渡そうとする密告が横行していたことも、今ではよく知られている。(「解説」)

「(非常時ばかりでなく、何気ない日常生活においても)異なる文化的背景を持つ者どうしが出会ったとき、偏見や先入観に邪魔されずに意思疎通ができるかどうかで、きっと世界は大きくちがってくるだろう。他者を受け入れることで、それは相手を理解し、自分の気持ちもわかってもらい、思ってもいなかった幸せを招くことができるかもしれない。
パリの住人やアメリカ図書館に出入りする人々、そしてモンタナ州の少女リリーなど、オディールを巡る人々の悲喜こもごものエピソードに、そんなチャールズ(作者)の想いがうかがえる。(「訳者あとがき」)

「わたしが本書を書いた目的は、第二次世界大戦の歴史の中の、このほとんど知られていない章を読者と分け合い、登録者を助けるためにナチスに抵抗した勇気ある司書たちの声を記録し、文学への愛を共有するためだった。
いかに私たちが互いに助け合い、邪魔し合うのかと言うだけではなく、わたしたちの在り方を決める人間関係を探求したかった。
言葉は、他者に対して開いたり閉じたりできるゲートだ。わたしたちが読んだ本、互いに話す物語、自分に言い聞かせる物語がそうであるように、単語を使ってわたしたちは知覚を形成する。
外国人職員と図書館の登録者は、“敵性外国人”とみなされて、拘留された者もいた。ユダヤ人登録者は図書館に入ることを許されず、多くはのちに収容所で殺された。ある友人は、第二次世界大戦の時代の物語を読むことによって、人は自分だったらどうしただろうと自問したいのだと言った。
わたしとしては、図書館と学習がすべての人に許され、人々を尊厳と情熱を持って扱えるような状態を確保するために、自分たちに何ができるかというほうが、もっといい問いかけだと思う。」(「著者の覚書」)


1939年、20歳でアメリカ図書館の司書に採用されたオディール。1983年、オディールはアメリカのモンタナ州に住んでいた。隣家の12歳の少女リリーと出会い、良き隣人として友人として歳の差を超えた関係が紡がれる。
人は過ちを犯す。図書館の仕事を放りだし、オディールがアメリカに「逃げた」わけも明らかになった。

コロンビア大学への入学が決まったリリーに、オディールはパリ行きの航空券と絵葉書が入った封筒を渡した。葉書には、「 “リリーへ。夏のために、愛をこめて” パリ  」とあり、アメリカ図書館と白い服の女性が映っていた。
「パリのアメリカ図書館 毎日開館」の文字と。  -これが結びだった。

リリーが心から願ったオディールとマーガレットにとってのハッピーエンド。リリーにとっても「思ってもいなかった幸せ」が訪れた。
二人の心の底にあった思いが、切れたかに見えた縁をつないでいたのだ。
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縁に咲く華もある

2025年03月04日 | こんな本も読んでみた
昨年の大河ドラマは(ああ、ドラマだなあ)と思いつつ、途中パスする回もでてきたが、今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 」は、はるかに興味を持って観ている。江戸の出版文化が作られていく過程が、蔦屋重三郎を通してどう描かれるかに関心がある。


山東京伝のもとに書塾を営む沢田東里が訪れ、越後の鈴木儀三治(俳号・牧之ぼくし)が書き集めた北國の奇談の草稿に目を通してもらえないかと相談をもちかけた。

その絵の巧みさに目を奪われた京伝。
聞けば儀三治は19歳のとき行商で江戸に出た折、沢田東里の父のもとで書の手ほどきを受け、越後にあっては狩野派の門人に絵を学び、俳諧も村人たちと楽しむ男だった。
耕書堂を営む蔦屋重三郎と京伝とは17年にも及ぶ付き合いがあったが、この5月に死んでしまった。どの板元に…。
「承知の助だ。まずは預かってみる」と京伝だったが、さてここからが長い。

京伝、馬琴、玉山、芙蓉、様々な戯作者の手に渡りながらも頓挫が続く。『北越雪譜』刊行まで40年のときを要した。
実に多くの板元や戯作者(その作品名もだが)が登場し、交錯する人間関係、思惑が展開するが、何を機に、どうあって実を結ぶに至るのかと興味を引っぱられる形で読み終えた。

松岡正剛氏によると、鈴木牧之が交流した人士は、交わした往復書簡を貼りつけて綴じた『筆かがみ』というものに丁寧に残しているため、大体がわかるのだという。
また氏は「原画は牧之が描いたが、仕上げは京伝の息子の京山の手が入った」と書いているが、作品中では京山は弟であった。京伝に実子はいなかった。史実の脚色はさほど簡単ではないというが、どうなのだろうか。
それにしても越後と江戸の遠さよ。



夫・吉村昭の死から3年あまり
〈生き残った者のかなしみを描く小説集〉、5作が収められた『遍路みち』(津村節子)。
「私の身辺のことを綴ったものばかりを選び、ほとんど事実に近い」とあとがきにあった。


「楽しいことも 嬉しいことも あったはずなのに…、
 悔いのみ抱いて 生きてゆく遍路みち」

夫の死にまつわる騒動のいきさつなど語られ、自らの軽率を省みている。
十分な介護ができなかった悔い。
作家夫婦の暮らしぶりも垣間見え、情愛など染み入るが、どうあっても苦はなくならないという生きることの事実を深く強く思い知らされ、胸を突いてくる作品だった。一気に読んだ。
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梅が、満開ですよ / 梅の蕾

2025年02月16日 | こんな本も読んでみた

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」

諦めていた診療所の医師・堂前が戻って来た。
歓声をあげたいような村長・村瀬の心の内は、夫人から分けてもらった梅の木が今満開を迎えているという歓びの声掛けとなって表われ、しみじみとするラストだった。
この梅の木は、三陸海岸に近い漁村の診療所に家族で赴任してきた堂前医師の妻が宅配便で苗木を取り寄せ、多くの村の人たちに贈ったものだった。
子どもは学校に馴染み、夫人は村人たちと山野を歩き回り、生活にも十分満足して暮らしていた。けれど夫人は白血病だった。

葬儀は湘南にある妻の実家で営まれた。
葬儀には岩手ナンバーのマイクロバス6台に分乗した200人を超える村人たちが駆けつけた。夜を徹してやって来たのだ。
わずか2年の日々に築かれた縁の深さに、思わず熱い気持ちがこみあげる感動の場面だった。


ブログを通じご紹介いただいた「梅の蕾」は、『遠い幻影』(吉村昭)に収められた12の短編の一つだった。
さほど多くは読んでいないが、そのなかでも短編集は初めてだった。

一篇一篇違うテーマで様々な人生を見せながら、それでいて描かれた世界は人間への慈しみが通底している。
短編だからこそだろう、どの作品もラストの切り上げ方がなんとも巧みだ。いいなあ!と思えて余韻に浸る。氏の優しさに触れるせいでもあろう。
文章も滑らかで、どことなく品?があるのをここであらためて感じていた。

表題作の「遠い幻影」では、印象深い記述に多く触れた。
「死はいつ訪れるかわからないが、漠とした記憶を記憶のままにしておきたくない気持ちがある。この世に生きていた間の事柄は、出来得るかぎりはっきりとさせ、死を迎えたい」


母親の壮絶な死を題材にした著者の私小説「夜の道」が収録されていると知って、同時に買い求めておいた『見えない橋』。今夜はこれを…。

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
早くこう言いたいものだが老木の蕾はまだまだ小さくてかたい。

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豆粒みたいな本屋でも

2025年02月10日 | こんな本も読んでみた
風は冷たいが、久しぶりの青空が嬉しい。


若い人が読んでいて、「よかった!」と言った。どうよかったのかな。読んでみることにした『あの日、小林書店で。』。

主人公は、出版社と書店の間をつなぐ「出版取次会社」の新人営業ウーマン・大森里香。
東京生まれの東京育ちが大阪支社に配属が決まり、戸惑う日々に小林書店の由美子さんと出会うことで成長していく物語といえようか。小説とノンフィクション(由美子さんのエピソード)を融合させた作品になっている。

店の前を誰も歩いてないような場所でも、商売は立地だけではないと思って頑張ってきた由美子さん。しかし、そうでないとわかっても移転するわけにはいかない。店の大きさ、売り上げの実績などで入荷する本や冊数には差別があり、個人商店の経営は難しい。
小さな町の本屋を続けるために、どうやって本を売るか、どう伝えたら欲しいと思ってもらえるか。お客さんの顔を思い浮かべながら行動してきた由美子さんの様々な挑戦は里香の心に届き、支えとなっていく。


本をほとんど読んでこなかった里香は、由美子さんに薦められて『百年文庫』(ポプラ社 全100巻)を読み始めていた。
読んだ本が圧倒的に少ない。そういう自分みたいな人には、誰が薦めてくれたらその本を読みたいと思うだろう。
お客さんからお客さんに薦めてもらう。お客さん100人に選者になってもらって、それぞれに1冊の推薦文を書いてもらおう。
里香が初めて立てた企画「百人文庫」は、書店でのフェアとして採用された。
どうやって100人を確保するか。店の売り上げにもつなげたい。準備は進んでいく。

私にはどちらの体験もないが、楽しそうなフェアがかつて実際にあったのを知った。
ほんのまくらフェア」が紀伊国屋書店で、「帯Ⅰグランプリ」がさわや書店フェザン店で開催されている。
本の中身を隠したカバーに「書き出し=まくら」の一文を載せて、それだけを手掛かりに本を選んでもらう。同様に中身を隠し、本のタイトルもだが、帯のキャッチコピーだけを頼りに選んでもらう、という試みだった。

文庫本に挟まれていた栞には、こんな言葉が書かれていた。
「なすべきことをなす
 という勇気と、人の声に私心なく
 耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
 知恵はこんこんとわき出て
 くるのである。」            (松下幸之助『大切なこと』)

自分は何を大切にして生きているのか。
泣いて笑ってを積み重ねる日々にも、考え続けて取り組めばきっと道は開けるだろうし、自分ならではの価値あるものを生み出していける。そんなことを考えさせてくれた一冊だった。


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本人のカイショ(甲斐性)

2025年01月19日 | こんな本も読んでみた

大学入学共通テストを迎え、また高校受験を控えて中・高生は欠席となるので本堂脇の玄関座敷に場所を移し、いつも通りに寺子屋エッセイサロンは開かれた。お隣さんがすぐ近くという近距離で、何かいつもより真剣な?深い合評会になり得た気がする。
今朝新聞に掲載された問題に目を通してみたが、問題文を読むにも根気が要る。解答してみようという気にもならない。それでもいくつか解いてみた。
努力を重ねてきたことを心の軸にして、がんばったことだろう。

入試に通ろうと落ちようが(大学進学に限らずだが)、与えられた環境をどう生かすかは、数学者・森毅さんの言葉を借りるなら「すべては本人のカイショの問題」ということになる。
一生懸命に〈ゆとり〉をもって、と森さん、何かに書かれていた。



西鶴の盲目の娘の視点から描く西鶴一代記。
「大阪では、氏素性も手蔓もない者が知恵と胆力だけでのしていける時代が始まっていた。道頓堀に芝居小屋が立ち並び、新町に廓ができた。分限者となった町人は暇に飽かせて俳諧に近づいた」

西鶴は早くから貞門派に学び、西山宗因に入門して談林俳諧の世界に身を置き、やがて浮世草子作家として名を成していく。
9つで母を亡くした娘おあいが生きるこの世の〈音と匂いと手触り〉の優れた描写。心の動きに、おあいならではの感覚が丁寧に紡ぎ出され、西鶴の人間像に迫る。
出版文化の隆盛に乗っかって制作は相次ぎ、版元との駆け引きも面白いし、同時代を生きた芭蕉、近松門左衛門、歌舞伎役者も絡んでいる。

嫁ぐことなく、おあいは25歳になった。
胃の腑がひどく疼く。「やせてきたなあ」と娘を気遣う父。
「おおきに。さようなら。」最後はこう言ったのかな、言えたのかな…。

「巧みな嘘の中にこそ、真実があるのや」
読み応えある作品でした。
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歓よ。父は今、35歳の冬を…

2025年01月10日 | こんな本も読んでみた

早朝に雪はなかったが、8時頃からか1時間もしないあいだにうっすらと雪がおりていた。
これといって外出の用もなく、寒さに体を丸めて家ごもり。

図書館への返却日まで残り少なになって、『かもめ来るころ』(松下竜一)を、特にⅡ章の〈かもめ来るころ〉に収められた作品の数々が好きで、読み返していた。未刊行の著作集ということだが、〈かもめ来るころ〉は熊本日日新聞に1972年11月14日から1カ月間連載されたという30篇になる。

氏が書く随筆を「貧乏くさくしみったれている」と評してきた人がいたそうだ。
氏は決して声高なもの言いをしない。「その評や、まさに正鵠を射て、私はしょんぼりするのである」
ある晩のことを書いた後、「貧乏くさくしみったれた我が家の愚にもつかぬ一夜の景だけれど、このような一夜一夜のなつかしさを塗りこめてこそ、なにやら人生というものが見えてくる気がするのである」と終っている。

仁保事件無罪判決要請という支援活動に関わり、家にやって来た友とその話をしていたとき、下の息子の歓クンが突然〈オトウサン、カンハ、ヨーセイシッテルヨ」といって、本棚に駆け寄り絵本を一冊抱えてきた。小さな指が指すのは、樫木の妖精だった。
「要請」と「妖精」。2歳の幼子のたわいない勘違い。
このことは「ヨ―セイ」と題して書かれていて、その文中、何にだかわからないけれど愛おしさで胸いっぱいにさせてくれる、こんな箇所があった。

 「歓よ。父は今日のお前のこんな愛らしい勘違いをしっかり書きとめておこう。ほんとうにたわいない些事なのだが、しかしこんな些事をもこまやかに記録していくことで、父である私の今の生き方を、のちの日のお前や健一にいきいきとなつかしく伝えうるだろうと信ずるのだ。

 そして歓よ。私が日々のこんな些事まで記録してお前たちに伝えたいのは、父としての自信なのだ。今の私の行動が、十五年後、二十年後の成人したお前たちの視点から裁かれても、なお父として恥じないものと信ずればこそ、どんな切り口を見せてもいいほどに、日々の些事をすら大切に記録し伝えたいのだ。とうてい財産など築けぬ父であってみれば、伝えうるのはそれだけしかない。父の〈生き方〉を丸ごと伝えて、しかもその中に、きらきらとお前たちの想い出をちりばめておいてやるつもりだ。

 歓よ。お前が二歳の日、要請と妖精を勘違いした小さな出来事は、しかし二十年もの時を経て読む日、それこそきらきらと光を放つ思い出となるのだ。そして、その思い出の核に、仁保事件という人権裁判支援に行動した父の姿をも見るだろう。お前たちが、必ず何かを受け継いでくれるのだと、私は信じる。
 歓よ。父は今、三十五歳の冬を溢れる情熱で生きている。
(そうだ、はさみを使えるようになったお前が、切り裂いてしまわないうちに、その妖精の絵本を仕舞い込んで、遠い先の日の思い出の証に保存しておいてあげようかねえ)


なんかですねえ…、人生についての見方をすごく豊かにしてくれる、深めてくれる、そんな気がするのです。

 

この写真は1968年、31歳のときに生まれた長男健一君が映る(『豆腐屋の四季』収)。この2年後、次男の歓君が誕生。1970年に豆腐屋を廃業されている。
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満ち足りる

2025年01月06日 | こんな本も読んでみた


   初凪やものゝこほらぬ国に住み     鈴木眞砂女
千葉県鴨川に育った眞砂女。
冬も物が凍らない温暖な安房の国への讃歌だと評される句がある。

そんな房総半島の海が見える街を舞台に13篇が紡がれた乙川優優三郎作品『トワイライト・シャッフル』が買い置いてあったので読むことにした。
思うようにならない人生、〈それでも人には一瞬の輝きが訪れる〉。好き度の差はあったが、文章と共に味わう。

私を作った書物として、乙川優三郎氏が様々な年代で出会った4冊について語る記事を読んだことがあった(本よみうり堂)。
20代の頃に出会ったのが山本周五郎の作品で、「そこから人間を学んだ」と言われている。
『赤ひげ診療譚』が一冊挙げられていた。映画にもなって知られているが、原作を読んでいなかった。
小石川養生所の医師、通称・赤髭と、患者たちを巡る人間模様を、見習い医師として働く登の視点から描いている。
〈様々な出来事の根っこには、貧しさがある。貧苦のどん底とはこういうことだと教えてくれる。市井の 汚穢(おわい) まで描ききり、それでいて美を忘れない。長屋暮らしの人々の、善と悪を併せ持った人間を描きながら、その筆は彼らを突き放さない〉

  

暮れに借りてきた図書館本、松下竜一の『かもめ来るころ』。
『豆腐屋の四季』を読んでいたが、その後の人生をほとんど知らなかった。

唐突に豆腐屋を廃業し、ペン1本の作家生活に転身を宣言。
転身を迫った衝撃は、石牟礼道子の『苦海浄土 - わが水俣病』を読んだことで、自分があまりに他人の苦しみに無関心であったこと、ただ自分の家庭を守り、はらからのことを思うだけで精いっぱいだったことを思い知ったからだと書いている。
『追われゆく坑夫たち』の上野英信との交流も読める。
読者との交流話、まだ幼い我が子のと会話、思い出、抗議活動の様子、自らしたためた議決文…。

「松下竜一を目の前にすると、まるで壊れてしまいそうなほどひ弱で、とても竜どころか、むしろタツノオトシゴという感じです」と上野英信が話す。
か細く、体重42キロは、機動隊員に腕をとられ引きずりおろされる時など腕は折れそうに痛かった。痛いと低く声を漏らすと彼らは力を弱めてくれた、と。

周防灘総合開発計画という途方もない巨大開発計画は自然破壊計画であった。自らが旗を振り、反対運動の先頭に立つ。良い幻想で計画に期待する人が圧倒的だったので、たちまち自分は憎まれ者になってしまった。
「あなたは道を誤ってしまった。もういちどあの優しかった(『豆腐屋の四季』の)世界にもどりなさい」
それに対して「私は少しも誤ってはいませんよ。…その優しさの延長に私はいるつもりです」

反対運動に髪振り乱したお母さんたち。反対運動せずに家庭を守ったお母さんたち。
優しさの世界を守ろうとするとき、戦うことこそ優しさであることが現実にはあるのだと言っている。5年後10年後、子供にとって孫にとってという視点で見ると…。
居心地のいい小さな世界から抜け出た勇気に感じることは大きかった。

家に居たことで、小刻みであっても本を開く時間に恵まれた年末年始でした。
自ら満ち足りているという心境は最大の富だという。おかげさまで財産がふえました。
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わがまま者が今日も許されて

2024年12月15日 | こんな本も読んでみた
もうあと半月…。あれこれの算段で頭の中がぐるぐる回ってしまうこの頃なのだけど、反面(もうしばし!)とその思いを押しやっている。
この時期は私に中途半端なゆとりを持たせてくれていて、ましてや今日は日曜日。
いつだって時間は持ち合わせているようでいて、それでも「今日はほんとうの日曜日」なのだ、特別感ありの。だから一日家に居て、何かをしようというのでもなく過ごした。

一年の終りも近くなって思う。わがままものが今日も許されて生きている、と。


読んだ本の記録をノートに残した。
ここには「こんな本も読んでみた」と残しておこう。

 

吉村昭の『雪の花』を原作とした映画が公開されるのを知った。
日本に初めて天然痘が入ったのは聖武天皇の天平7年(735)だと言われている。治療法がなく、死病として恐れられていた。
4年前の夏、息も詰まる思いで『火定』(澤田瞳子)を読んだことを思い出す。そのあと『雪の花』を知ったのだが、漢方を学んだ福井藩の町医・笠原良作の天然痘との闘いの生涯が描かれている。再読し終えたところで、「種痘伝来記」が収められた同氏の『歴史の影絵』を手に入れたのだった。三条にあるブで。

 

立花隆さん。「ひたすらよりよく知ることだけを求めて人生の大半を過ごしてきた」と訃報後の記事に書かれていた。
「知の巨人」の膨大な蔵書をどうされたのだろうと、NHKのドキュメンタリー番組をみていたのだけれど、どうやら後半居眠りしてしまったようで、気づいたら終わっていた。

若いときは本当に面白いと思って文学書に熱中していたが、今は文学書を読んでも面白いと感じることがほとんどない、と書いている。
出版界では読者離れをおこしているが、読者が離れていったというよりは、むしろ今の人たちをとらえるような作品を現代文学が生んでいないということが一番根本的な原因であると思います、と。(そうかしらねぇ、文学を読まないなんて人は…と言いたくもなるが)
あちこちのページを拾って未だ読みつつあるところ。

「老人」という言葉をタイトルに付けるのが気に入らないけれど、妻・音羽信子さんを亡くされて一人になった夜、書棚から手当たり次第に本を抜き出す。
88歳を襲うすさまじい孤独から救い出してくれるのが、一冊の本だったそうだ。新しい本もいい。古い本には生きた時代がよみがえる、と。
それぞれにそれぞれの文学があるのだ。そして、読み浸った時間がそこにある。

「底惚れ」(青山文平)も読み終えている。


葉のぎざぎざも年数が経って丸くなると読んだことがあったが、真偽のほどは知らない。
これは冬の木、「柊」の花だろう。
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生きる甲斐になっている

2024年11月22日 | こんな本も読んでみた

「喫茶シトロン」を会場にして、高齢者6人が月に一度集う読書会〈坂の途中で本を読む会〉は、課題図書を決めて、順番に朗読し、その読み方についても語り合い、物語の解釈に独自の感想を披露する。
それは〈感想という名の想い出語り〉で、わが身に重ねての記憶なのだが不思議と作中人物の眼差しと結びついていて、共感が生まれる。

前店長の叔母のあとを引き継いだ28歳の店長・安田松生。彼は小説で新人賞を受賞したが、送られてきた手紙が心の奥でうずき、書けなくなって久しい。
 
  ほんとうに、あなただけのお話ですか?
  あなたひとりでつくりましたか?
  モン

何かと引きずりがちな安田の、想い出の中の記憶が浮き上がる。
読書会の活動を軸に、周辺の物語がふくらむ。実はそこに仕掛けがあった。それが明かされるのは物語の終わり近くだった。
手紙の差出人も明らかになった。
物語の佳境はどこだった?? まったく伏線に気づかぬまま読み終え、ページをめくりかえした。

「死んでいくには生きがいがほしい」。それは「ここでみんなで本を読むこと」だった。
それぞれに過去を屈託を抱えながら、孤立せずに仲間を見つけ、どの人も自分の人生を生きていることの尊さを思った。生きる喜びは、生き抜く力になる。


そして物語の終りに、谷川俊太郎さんと出会うという驚きが潜んでいた。
訃報を知ったのが読了の二日前。
「この若者は意外に遠くからやってきた、してその遠いどこやらから彼は昨日発ってきた、十年よりさらにながい、一日を彼は旅をしてきた・・・」
会長が谷川俊太郎の第一詩集『二十億年の孤独』の序を誦んじる場面が描かれていたのだった。

ちょっと疲れる読書だったけれど、「生きる甲斐になっている」という93歳のまちゃえさんの言葉は、いつか私も思い返す日がくるかもしれないと思って胸にしまっておこう。
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坂の途中で本を読む会

2024年11月07日 | こんな本も読んでみた
中古書店(ブ)を探し回って買い集めたぶんの『屋烏』まで、乙川勇三郎作品(時代小説)を読み終えたので、現代ものの『立秋』へ。これも読了。
これほど一人の作家に傾いて読み続けたのはいつ以来のことか。数冊ならあるが、これだけの数となるのは初めてかもしれない。

 

ブで見つけて、手に取ってみて、の作品だけではあるけれど、文庫本で買うと読後に読む「解説」が視野を広げてくれることもある。
ただ、知らなくてもよかったなと思う作家のプロフィールを細々と記されるのは、いいような迷惑のような…。

(ああ、終わるな)と思い始めると、どんな文章で最後が綴られるのだろうか、どう終わるのだろうかと期待が先走ってしまう。余韻がまた深い。
次から次と、結果、タイトルから作品の内容がすぐには思い出せない状態でいるけど、氏の文章を味わい、心に残った言葉も数多くある

ちょっと一服、のつもりで買ってしまった『よむよむかたる』(朝倉かすみ)


帯に
【小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉のためだった。
この会は最年長92歳、最年少78歳の超高齢読書会サークル。それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡が一度だけで伝わることもない。この会は発足20年を迎え、記念誌を作ろうとするが、すんなりと事が進むはずもなく…】
とある。

実は先週末に地元紙で読んだ書評がきっかけになった。

コロナ禍で休止していた活動が3年ぶりに再開することになり、メンバーの6人が奇跡の全員集合を果たす場面から幕を開ける。
読書会の在り方がとても素敵に思えた。
課題図書を決めて本を読む読書会ではあるものの、本の感想だけでなく、順番に朗読し、読み方についても語り合う。声色を褒め、抑揚を讃え、物語から受けた印象を話し、独自の解釈も披露する、のだという。

20周年記念誌に86歳の会員女性がこう記したらしいわ。
「誘われるうれしさが、独り者の生活を、いきいきさせます」

どんな物語が待っていてくれるのか、楽しみ楽しみ。さっそく今夜からページを開きたい。

 
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