
『教誨』(柚月裕子)を読み終えて解説を開けば、ノンフィクションライター・堀川惠子さんが執筆されていた。
著書『教誨師』や『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』を、柚月さんは参考文献の中に挙げられていた。
【その事件は、半世紀前に起きた。東京、京都、北海道、名古屋で、市民4人が次々と拳銃で撃ち殺された。世間を震撼させた「連続射殺間」は、つかまってみれば19歳になったばかりの痩せっぽちの少年であった。
のちに死刑囚として獄で人生を歩むことになるその少年は、本書の舞台と同じ青森県に育った。】
少年の死刑執行から10年が過ぎて、取材のために青森の町を何度か訪れる。
【少年の名を口にするだけで、朴訥で優しい町の人たちの眼差しが凍りつく。どこを訪ねても門前払い。息の詰まるような閉そく感。小さな共同体に暮らし、そこで生を閉じていくであろう人たちが慎重に築いた「結界」を、よそ者は乱暴に踏み越えてしまう】 - 解説より

『教誨』での死刑囚・三橋響子は我が子と近所の女児を殺めた。
息も詰まる虐待の連鎖が描かれる。「苛めは虐待の極み」だと堀川さんだが、「執拗なまでにいじめに対する糾弾を緩めない」終盤、響子が橋の上で我が子の腕に見つけた黒い痣は衝撃だった。
どうして事件が起きたのか。どうすれば防ぐことができたのか。
原因があり結果がある。結果には原因がある。
「響子が犯人であることは事実だ。だが、事実と真実は違う」
響子の遠縁でもある吉沢香純は、遺骨を抱いて「響子」という人間を知ろうと青森へ向かう。
響子が遺した最後の言葉は「約束は守ったよ、褒めて」だった。誰となんの約束をしていたのか。
重苦しい、やりきれない哀しさが積もる作品に、いったいどこに救いがあるだろうかと読後しばし考えた。
一人でも二人でも、響子の哀しさに触れ、魂の安らぎを祈ってくれる人がいた。
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