京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

空手

2017年05月31日 | HALL家の話
5月28日、孫娘Jessieの「少林拳空手道昇給昇段審査」に付き添いを依頼された。

 

弟のTylerと一緒に、4月から習い始めてまだ2か月。「高い審査料を払うのだから受かってもらわないと困るよ」という母親の申し渡しを受け止めての挑戦になった。5歳の弟は、8月の審査会には臨もうと意欲満々。ちょうどこの日はフットボールの試合があって、彼も家族もそちらが優先。娘の空手には付き添う人がいないという家族事情で、私に呼び出しがかかることになった。


この日審査に臨んだ白帯の中では最年長となる孫娘。帯の色ごとで、小グループに分けられて黒帯の審査員が見守る前で何度か形を演技をする。最終的に合否が判定された用紙を受け取って解散だった。

白帯の中でも、4名が選別されて、「試合」により上位3位まで表彰される。それは、黄、緑、茶、紫などの帯を締めたそれぞれも同じようだった。
初めて見る「空手」の試合なるもの。ルールなど全く知らないが、素人目にも経験を積んだ者の動きの良さは見て取れる。
 
午前中だけのことだったが、緊張したのだろう。疲れた様子でショッピングの予定はキャンセル、まっすぐ家に帰ろうと言い出した。
おかげさまで白帯から黄帯には昇級。次は、黄から緑帯への昇級を目指して。この一歩を抜け出るのには相当な努力が要るのではないかしら。

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「千日回峰行のこころ」

2017年05月31日 | 講座・講演

5月27日  中外日報創刊120年記念で開講されている「宗教文化講座」に参加した。
本年度2回目。「千日回峰行のこころ」と題した千日回峰行者・光永覚道氏によるお話を、時に声を立てて笑いながら耳を傾けた。
悟りに近づくために行う修行の厳しさをお話であるにもかかわらず、ユーモアを感じる言葉の選び方。この楽しさを、氏は「法話は漫才の始まりというようですが、笑ってもらってなんぼと思って…」と気さくにおっしゃる。

つい2日ほど前の友人との会話の中で、友人からは「お説教や講和が発展して落語になったと思っている」などと聞いたばかりだった。そして、このやり取りの中で、長らく忘れていた策伝さんのこと、京都の新京極にある誓願寺の僧・安楽庵策伝の『可笑記』のことを思い出させてもらうことになった。講演会でも氏の言葉に触れることができ、この話題の重なりは、ちょっぴりうれしい出来事だった。
第5回河合隼雄学芸賞に選ばれた釈徹宗氏の『落語に花咲く仏教ー宗教と芸能は共振する』。仏教の教えが笑いに通じ、庶民の共感を呼び起こす特徴に迫った作品、拝読してみたいと思っている。

講演後いったん帰宅し、娘家族の所へと向かう。
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出会いも縁も

2017年05月26日 | 日々の暮らしの中で

古本屋で本を値切ってたしなめられた客がいた。
その時の客が、あるとき、どうしても欲しい本があるが、今はお金がないので取り置いてもらえないか、と頼んだ。わけあって郷里に帰らなくてはならない。恐る恐る事情を打ち明けたら、それなら半値でいい、とあっさりまけてくれた。
これを徳とした客がのちに出世して、当時のことを店主に語った。しかし、店主に記憶はなかった。客の顔も覚えていない。店主は大森の古本屋「山王書房」主、関口良雄。客は芥川賞作家の野呂邦暢。野呂は自著の扉に献辞を記して関口に贈った。「昔日の客より感謝をもって」。

関口も野呂も今は世になく、山王書房もない。ただ、関口が『昔日の客』という可憐な随筆集を残したことで、本来なら当人だけしか知らない美しい交情を、当人たちの感動と同じ感動をもって、知ることができる。――と、出久根達郎さんが「美しい交情」と題した短い文章に書いている(『人さまの迷惑』)。

少し前に、古くからの知人で書籍の編集に携わるMさんから『野呂邦暢小説集成』の続巻が上梓されたということを教えていただいた。7巻以後、1年ぶりだろうか。全集はなかなか思い切れなくて、図書館利用派の一人でいる。外出ついでに近くの書店に立ち寄ってみたが、全集V8はあった。手に取ってみた。一方、目的の一冊はなくて、取り寄せで頼むことにした。
本との出会いも人との縁も取り扱いを大事に…。

数珠には、切れかかった縁を再び結びつける働きがあると耳にしたことがある。縁の切れかかった関係があるわけではないが、つまずく石も縁の端? 乱れた心を整える。それには数珠を手にしてみるのがいい。
 「はづかし はづかし わが心」
 「やれやれうれしや、ありがたや」
妙好人、才市のつぶやきを口にしてみている。

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「デコちゃんごっつん事件」

2017年05月24日 | 日々の暮らしの中で

昨日のこと。額の右上を柱の角にごつん!してしまいました。

柱のキズは縦に3センチほど、わずかにふくれて赤く痕がついた。一日経って、ほとんどわからない状態になったが、触ると痛い。
玄関の上がり框に置かれた座布団を片付けようと持って立ち上がったとき、わずかにバランスを崩した。背側には衝立があり、倒してはならじと避けたのがもとで、よろけて膝をついた。運が悪かったのは、膝から落ちた傍に柱があったこと。身体が前のめりになったせいで、柱の角にごっつん! 幸いひどい痛みはなく、それよりも腫れたら一大事だと冷やすことに専念。

「人生の下り坂では〈滑る、つまずく、こける〉ことが増えます。開けたはずのドアにさえぶつかるんですから…」などと耳にしたことがあったのに、人の言うことをおろそかに聴いていたようです。「行動の一つ一つを慎重に」という友からの戒めの言葉、まことにありがたく頂戴です。

  【またひとつ
   しくじった
   しくじるたびに
   目があいて
   世の中 すこし広くなる】    榎本栄一さんです。

ショックもいつしか癒えて、久しぶりのウォーキングに出るまでに気力は回復でした。


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『人生は愉快だ』

2017年05月21日 | こんなところ訪ねて

京都御苑にある閑院宮邸跡の建物で見られる「床みどり」。黒い床板に庭園の緑の葉が映り込んでいます。

【閑院宮は江戸時代の四親王家の一つで、新井白石の献策によって、将軍徳川家宣が新しく宮家を奏請したため、東山天皇の第六皇子秀宮(後の直仁親王)をもって一家創立を勅定し、幕府は千石の家領を献じました】、と蘆山寺管長の町田康宣氏のお話です。蘆山寺は紫式部の邸跡として知られていますが、閑院宮家の菩提寺です。

今日の京都市は気温も32.4度まで上がって、真夏日でした。「床みどり」は、うす曇りの天気の方が美しく映えるそうです。左京区岩倉の実相院の「床みどり」が有名ですが、より身近で優美な景色を楽しめるスポットです。
ザリガニのエサ捕りに歓声を上げて走り回る子供たち。苑内を流れる出水の小川で水遊びに戯れるたくさんの家族連れが、桜や梅の木の下にそれぞれのシートを広げていました。夏日を超えた真夏日の「小満」の一日。


池田晶子の没後10年を記念したフェアをしているからと誘われ、アバンティのブックセンターへ。哲学エッセイを確立した美貌の著者でしたが、若くして亡くなりました。かつて、『知ることより考えること』を購入したのを回してもらって読んだことがありました。今日は自身で『人生は愉快だ』を選んで購入です。赤い帯には、どれもに「悩むな、考えよ。」と書いてあります。ぼちぼちと…。

そして、東本願寺に参拝。 
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体調

2017年05月18日 | 日々の暮らしの中で
今日は文章仲間とのおベンキョー日。出町柳駅から京阪電車で大阪の目的地へと向かう。


出町柳駅に近い常林寺さんの屋根瓦が、日に照り映えて美しかった。
【勝海舟が海軍伝習生として長崎や神戸に赴く時、この寺を京都の常宿にしていた】と、知られている。バスを降りてから電車の時間まで余裕がなく、立ち寄ることはなかったが、こうした瓦の輝きが好きな私は思わず足を止め、カメラを向けた。

終了後、「ちょっと寄って行かない?」という誘いを受けたが、抜けさせてもらった。

なぜだろう…。昨日の夕刻もだったが、何の前触れもなく急にむかむかし出す。同じようなことが実は4月30日にもあって、このときは起きていられないほどだった。2日に娘家族を迎える予定だったので、準備であれこれ動いていたが、気温が上がって、熱中症の症状だったのだろうか。水分でさえ受け付けない不快さのなか、それでも水だけ飲んで横になり、結局寝てしまったのだったが、この不快感を2日ほど引きずった。

日々、水分摂取が少なめで、昼食も食べたり食べなかったり。これまではどうということもなくこれたが、さすがに年齢を考えて、気を付けなければなあと思った。…のだけど、再び昨日。
そんなわけで、ふらっとついていきかけたが思いとどまり、Sさんと駅に向かって歩いた。駅では1時間以上に及ぶ立ち話をして、別れた。
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楽じゃないけど

2017年05月16日 | 日々の暮らしの中で
先週末の土曜日から娘の家で過ごし、今日、午前中に帰宅した。


14日の日曜日には大坂の舞洲にある競技場でフットボールの試合があって、娘はLukasを家に置いていきたいと言う。その間の子守を依頼されていた。
姉のJessieと一緒に留守番です。その彼女は、前日の土曜日を学校行事のために登校。代休となる月曜日には、母娘で映画を見に行きたいというので、わたしにはさらにもう一日、Lukasの守り役が当てられて…。

Tylerは1ゴール、1トライ。このトライがチームの流れを大きく変えたという理由で、MVP(の一人)に選出されたとか。5ゴールで、父親からご褒美が出る約束だったようですが、それは果たせず。ですが、「母の日のプレゼントをもらった」という母親の言葉に照れ笑いを浮かべ、ゲームは「楽しい」と言い切る5歳児でした。
Jessieは梅田の紀伊国屋書店で洋書を3冊買ってもらって、ご機嫌さん。夜は早速遅くまで読んでいたようです。子守しながら本でも読めるかしらと期待するのですが、わたしにはそんな時間は全くありません。

今日は午後から光田和伸先生の「『徒然草』 その真実」の講座がありました。
社交的な遁世者で、座談を好んだ兼好。彼の女性論が集約された第107段では、「女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚(だ)しく、物の理を知らず、」「すなほならずして、拙きものは女なり。」、などと。
少々身体に疲れを感じながら眠気と闘っていたのですが、目も覚めて、兼好さん、なんて言い方を! 素直に納得などできるものでしょうか。

急ぎ自分の日常へとモードチェンジが要るようです。
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若楓

2017年05月11日 | 日々の暮らしの中で

「卯月ばかりのわかかへで、すべて萬(よろづ)の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。」(189段)
こう兼好法師は『徒然草』に記している。旧暦の卯月は現在の暦では今のこの時季で、「この頃の若葉の楓は、すべての花や紅葉にもましていいものである」、と。

鷺ノ森神社の明るい静寂さが満ちた参道。今、この楓の若葉が美しく、仰ぎ見ながら歩く葉は陽を透かして映える。水平に伸びた細い枝が、ゆうらゆうら。紅葉の名所は若楓の名所でもある。緑が目に沁み、やさしい気持ちにさせてくれるお気に入りの場所だが、今日は少しばかり身を取り巻く空気が熱い。暑かった。

『徒然草』ではまた、「世のあはれも、人の恋しさもまされ」と、ある人の言葉に共鳴の思いを述べてもいる。孫のTylerが歌う歌詞が耳に焼き付いていて、〈♪おかあさん おかあさん、おかあさんてば おかあさん…〉と知らず口ずさんでしまっているのだが、私も「おかあさん」と呼びたくなってくる。日に日に青葉の茂りを濃くしていく英気が、母への懐かしさを覚えさせるのかしら。「お母さん」、今一度呼んでみたい。
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「こころがおどってるぅ」

2017年05月09日 | HALL家の話

春休みに来て5日ほど過ごして帰ったHall一家。第三子のLukasが4ヵ月になったばかりでしたが、この5月の連休に再びやってきました。久しぶりに会ったLukasは5か月になっていて、上手に寝返りをうつのでした。狭いバウンサーの中でも半身になって脚をあげ、肩が沈むのをものともせず何度も挑戦。勢いをつけた脚でぐっるん! ひっくり返るのです。本人は必死の形相ですから、それがおかしくて、手を貸すことなくJessieと笑って眺めていました。

 

JessieとTylerが寝返りをし始めた頃の写真を探してみました。
大きな成長の証ですが、一つ一つは見逃すかもしれない小さな仕草であって、それを目の当たりにしながら日々過ごせる母親(娘)は幸せです。一日たりと同じ日はありません。いつの日も心を込めて、育児の大変さも楽しみながら…。

  おかあさん  おかあさん 
  おかあさんてば  おかあさん
  なんべんよんでも  うれしいなぁ
  なんだかよびたい  おかあさん

母の日も近く、幼稚園で習ってくるのです。「『おとうさん』にかえよう」、とTylerは歌い続けます。
人からみれば取るに足らない小さなことでも、何か気持ちもふっくら、楽しみの種と変えて受け止めることができます。毎日一緒に暮らすとなると相応の努力がいるかもしれませんが、ときどき会って、感性を耕してもらえるとなれば言うことありません。

「心がおどってるぅ~!」 
なんて洒落たことを言うのかと驚いて、聞けば、お気に入りのテレビ番組のヒーローが言っていた言葉だそうな。まさにこれ! これこそが常に生き生きとした人生を送るには欠かせないことだと、5歳児から教えられました。
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最古の壁画写真展

2017年05月01日 | 展覧会
先日、千日回峰行の写真展を拝見してから同行の友人とランチを共にしたあと、もう一つ、京都文化博物館(別館)で開催中の写真展に向かうことにした。15日から京都市内一帯で「KYOTOGRAPHY 京都国際写真展2017」が繰り広げられている。16あるプログラムの中の一つで、人類最古とされる壁画が残る世界遺産のフランス・ショーヴェ洞窟を写真で表現する「ラファエル・ダルポルタ展 ショーヴェ洞窟」が目的だった。


新聞紙上でこの太古の神秘世界が紹介されていたが、それによると――。
〈フランス南部にあるショーヴェ洞窟が発見されたのは1994年。2001年になって、ラスコー洞窟(およそ2万年前)をはるかにさかのぼる3万6千年前の壁画だと認定された。現在は非公開だが、ダルポルタ氏は6時間だけ立ち入りが許され、全方位360度を独自の技術で撮影した。会場には高さ3.9m、長さ11.8mの円弧状の4K超高度画質モニターが設置され、45分の動画映像で見ることができる。〉


線刻画で牛や馬、ライオン、サイなどが描かれいる。よくわからない動物の絵もあるが、すでに絶滅した動物らしい。岩の凹凸を利用した立体感ある群れ。輪郭線をずらして動きを感じさせる、アニメーションのような感覚。3万年以上前の人類によるものかと感嘆。


友人が漏らした一言から、ふっと思い出すことがあった。3年ほど前、「ことばと出会う 文学と出会う」と題したフォーラムに参加した折、芥川賞受賞作家・玄月氏のお話の後、俳人・坪内稔典氏との対談があった。その中で、玄月氏が「言葉より絵を描く方が先だったと思う」と発言されたのに対して、坪内氏は「私は、言葉が潜在していてイメージを絵にすると思うから言葉が先ではないかと思う」と応えられる経過があったのだ。

想像力は言語の発達と関係があるという。3歳ぐらいになると「顔」を想像して絵を完成させることができる。目、口、鼻などを書き込んでいけるのだ。でも、チンパンジーは輪郭をなぞっているが書き込むことができない。人間にだけ備わっている想像力の賜物か。そんなことも考えながらだが、太古の人類の、情報や意思の伝達手段はどのような形だったのかしら、とは不勉強ですか…。

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