京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

あと少しが遠くても

2024年08月29日 | 日々の暮らしの中で
台風情報に翻弄され気味で、本土上陸後の激しい雨風による被害の大きさを知っても、さて、いつから行動を起こすかと思案で終わっている。
庫裏の建物は周囲ぐるっと溝がめぐらされているので、大雨に供えて流れをきちんと確保できるようでなくてはならない。
吹き飛ばされそうなものはすべて蔵へしまおう。
一度庭木の枝が高所で折れて、それが廊下の窓に倒れかかったことがあった。雨戸はいつ閉めよう? 本堂は厳重に雨戸を閉める。

雨は降ったりやんだりで今は特段警戒を要する状況までは至っていない。最接近するという日を目安に、明日にでも、情報を確認しつつでいいだろう。
溝は大丈夫。大慌てしてでも閉めまくればいいのだから。
と、やきもきするのは女手一つ。…いざとなったら動いてくれるのでしょう。


そんななか、孫のTylerに贈ろうとバースデーカードを認めた。
ちょっと油断してしまって、来月15日にぎりぎりで間に合うかどうか。明日には郵便局に行く。


13歳。thirteen。「ティーンエイジャー」だから、ちょっと大人っぽい?カードにして、しかし中はくだけて、生まれてからの想い出をいくつか並べ、親切心はほめ言葉をちりばめた。

夜、まだ封をしてないカードを取り出して、とどめの一筆を。
テレビで聞いたばかりの歌詞を片隅に記した。

    ♪あと少しが遠くても
       足あとの数を誇ろう

想いは通じるかしら、13歳に。
それにしても・・・ 過ぎたるはなんとやら言いますわなあ。


アイスが欲しくて探しにいく4歳半ばのTyler.
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心が和んだ

2024年08月26日 | 日々の暮らしの中で

どうしても今日には詣っておきたかった事情もあって東本願寺へ。
塀沿いの法語行灯の中に、〈苦し「み」  悲し「み」  悩「み」、いずれも人生の味 〉ー といったことが記されたのがあった。
人の心の底など見通せる(見通される)ものではないと思うも、人の中に生きるとき、こうしたことがわかる細やかな神経、思いやりや優しさをもっていたい。


父の母親は寺に生まれた。だからといって特別熱心なということは表面上は感じてこなかったが、この祖母や父の姿に倣い生きてきた日々に、仏縁はひそかに結ばれていたと気づかされる。




〈秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く〉
  心が和んだ。ああ、短歌はこんなに静かに情景を丁寧に歌っていいのか。多く学ぶところがあった。作歌に迷ったら、佐藤佐太郎を読みなさい。そう言って下さったのは、誰だったのだろう。

〈苦しみて生きつつをれば枇杷の花終わりて冬の後半となる〉
  私は考えた。それまでの私は、自分の心の激しさや思いの丈を三十一文字にぶつけるのが短歌だと思っていた。それは違ったのだ。佐藤佐太郎の作品は、そのことを私に思い知らさせてくれた。
                 (石蕗の章 佐藤佐太郎  より)

道浦母都子さんの『歌人探訪 挽歌の華』をゆっくりと、それこそ一日一人のペースで読んでいる。
1947年に生まれ早稲田に入学。反戦デモに参加するようになって、学生運動の挫折、その後の孤独といったことなどにも、なぜか心魅かれる歌人のお一人でいたが、道浦さんの「原稿用紙千枚分を三十一文字で表現するような一首ができるかもしれない」の言葉もまた強く印象付けられて記憶されている。

情熱を秘めつつ、物静かな人がいい。
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繊細な心と情熱があれば

2024年08月24日 | こんな本も読んでみた

紅蜀葵咲く地の影に暑を残し   石原八束

赤い花でも涼しさを感じさせるモミジアオイ。この猛暑日はいつまで続くのだろうか。
台風への備えも気にかかりだした。

幕末の世(政)情の変化激しい時代に、
十代で南画に出会い、世間という拒み切れない魔物に振り回され回り道をしたが、煩わしい日常と馴れ合わずにきた女の強情。
「強情と強靭な精神は紙一重」としながら、画家になりたいという夢を枯らさない、己を貫く強さを持った一人の女性を描いてみせてくれた。
人はさまざまに心に不自由を抱えているものだが、「繊細な心と情熱があれば、人は丁寧に生きてゆくはずである」。タイトル『冬の標(しるべ)』には、そんな思いを読んだ。

一人の女性の情熱と心の揺れを通して、生きる意味を読んだ。さまざまな両極端を身にからみつかせつつも生きる、人の自由さ。これも文学かな。
派手さはないがじっくりと読ませてくれた。

 

書店で『序の舞』が平積みされたのを目にし、どなたかのブログでキレンゲショウマを見たことが偶然重なったことで、2022年1月に買い求めたままになっていた宮尾登美子さんの『天涯の花』のページを開くきっかけができました。

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お地蔵さんを洗い清め

2024年08月21日 | 日々の暮らしの中で
地蔵盆をまえに町内の祠におさめられたお地蔵さまを洗い清めた子どもたち。
お座布団に前掛けと、新しいものが用意される。

当日は朝から大人が出て会所の庭先にテントを張り、座敷にはお地蔵さんの飾り付けをすませる。
23.24日と主役である子供たちを見守り、食事の世話などもろもろの助っ人役を務める大人の方が、子どもの数を上回っているんじゃない?という昨今だが、そのぶん安全に目も届き、思いっきりくつろいで遊びにも興じられるというもの。

お供え物を何にしましょう。
飲み物、駄菓子、カップラーメンなどのインスタントもの、果物…、各家から供えられたものは子どもたちで等分に分けて、彼らの口に入る。

「じぞ(地蔵)さんに賽銭あげとくれ~」
賽銭箱を持った年長者のあとについて町内を練り歩く子どもたちの声が通りに響く。
夜には町内が寄って数珠回しをしながら、子供たちの無病息災を祈り大数珠を拝す。
夏休み最後となるオタノシミ、どうぞ無事に済みますように。


様々な年齢が一つ箇所に集まって過ごす2日間。小さな社会体験を重ねて親睦していく姿はよいものです。


連日の猛暑は未だ衰え知らずとはいえ、季節の微妙な移りを覚えることがある。

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母娘の旅

2024年08月18日 | HALL家の話
「今から女二人でシドニーにいきます」
早朝、娘からLINEでメッセージが入って、突然だったが(もしかしたら…)とは思った。

案の定、「誕生日のプレゼントにチケットを取るから、週末を利用してシドニーに行こう」
誘ったのは孫娘だった。
ジェットスターのタイムセールを利用したチケットだというが、ホテルの宿泊費、食事代、もろもろ物価高で世界で2番目に住みにくい場所と言われるシドニー。日本人の感覚からすると、と値段にいちいち反応する娘。
「コーヒー2つ、ベーグルとで26ドル」「オイスター10個で30ドル、…」

 


昨日の上々の天気は一転、今日はロックスのマーケットを覗き歩くにも小雨でダウンを着用したという。

 

「よく歩いたわ。都会は歩くね、歩く!」
束の間の母娘の旅は明日の朝の便で終わる。1時間でブリスベン到着。また日常に~。


孫娘が生まれるので渡豪した2005年。
出産後病院から帰宅してまもなく、「せっかくだからシドニーに行って来たら」とチケットやホテルの手配も済ませて送りだされたことがあった。
(一人で?)と先ず思ったけれど、まさか娘と行けるはずもなく、しかしせっかくの好意を無にもできず…。
前日にはシドニーの地図を自分なりに描いて、そこそこ頭に入れて…、どこへ行こうかと急遽計画を立てたのだった。

「よく歩いた!」ということばを私自身も実感として味わっていたから「わかる、わかる」。
確か、あの当時はなかったトラム。夜、少しだけ思い出を交わし、引っ込んだ。


母と娘が共に暮らす時間は多くの場合とても短い。大切に過ごしてほしい。
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盆の夜空を飾る

2024年08月16日 | 日々の暮らしの中で

火を灯すには少しきつめだという北風が吹いているようだったが、今年もきれいに五山の送り火が焚かれた。

最近はもっぱらテレビでその様子を拝見している。動画にとってAUSの娘家族の元にも届けた。
昨日は「妙法」のうちの「妙」の火床を車からチラっと見て、暑いさなかに準備を進める地域の方々の努力を思った。

「大」文字は真西に向いてはいなくて、やや北西寄りに傾いて灯される。なので大文字が最も美しく、真正面に見えるのは足利義尚の墓所がある相国寺だという。
銀閣寺をたてた8代将軍足利義政が、25歳で亡くなった子の義尚の菩提を弔うために、相国寺の僧侶に頼んで作らせたのが送り火の始まりだった -という説があるそうな。
とすれば、「大」の送り火は義尚に見てもらうことを目的に灯されたと考えられる、と八木透氏が書かれていたことがあった。

浄土真宗では、お盆に先祖を迎え供養し送り出すといった習俗はないのだけれど、先祖を偲び、お仏壇に手を合わせ…、この先には、京都の盆の夜空を飾る風物詩。煙たなびく送り火を目にすれば、やっぱりしみじみする瞬間がある(小さな声で言っておこうかな)。


先祖のご恩に報いるためには、仏法を何より大切になさいませ…。

                    (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」より)
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生きてゆくのにも情熱がいる

2024年08月14日 | 日々の暮らしの中で
娘の夫と娘がそれぞれに誕生日を迎えるので、お祝いのカードを送っていたが、昨日「今朝受け取りました」と言ってきた。5日のずれがあるので、わざわざ中一日あけて7月29日と31日に出したのに何の意味もなさず、一緒に届いた。ということは、はてさて、どういうこと。


帰省されたとか、お盆だからとか、墓参りに来たのでと立ち寄ってくださる方がいる。墓地とは離れているので、わざわざという方ばかりだし、それを思えば留守にもできない。
盆正月だけの出会いとなると、かつては義母でないとせっかくの客人に気の利いた話もできず、愛想無しのままお帰り頂くことになりかねなかった。
「今の人誰?」と問えば、「〇〇さんとこからでた▢▢さんで…」と義母の説明は長く続く。

けれどこちらも先方さんもぼちぼち代変わりが進み、とともに距離は縮まり、身近なところでの会話も成立するようになった。こうして人は生き継いでいくのだろう。
それでもやっぱり家々の歴史への関心は薄く、相変わらずの愛想無しが顔に出てやしないかな? いや、それは言葉に現れているのかもしれないねえ。

「来る人の絶え間を己がものにして」
ときどきテレビをつけて、大阪の桐蔭高校はどうしたかと高校野球の経過を確かめ、“総裁選に出馬しない”という速報を目にしたけれど消した。そして、

 新しく乙川作品を読み始めることにした。
帯裏には「生きてゆくのにも情熱がいる。萌えるように輝いていたときは過ぎてしまったが、終わりはまだ遠いとも思う」とある。
ー 情熱はかけがえのない命のように愛おしい


来る人の絶え間を己がものにして結ぶも涼し滝の白糸
  熊野若王子神社(京都市左京区)の滝を江戸後期の歌人河本延之が詠んだことを「京近江 名所句巡り」に教えられ。

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100人いれば100の舞台が

2024年08月11日 | 催しごと
この暑さにお花も長持ちしないのが悩ましいが、阿弥陀さまへのお花も立て終えたし、お飾り、堂内もきれいに整えた。
心地よい大汗を流して、堂内吹き抜ける風に(ああ、極楽ごくらく)の心境…。 
まさに一事に専念よ。


だから今日は午前中から下鴨神社の糺の森で始まった「古本まつり」に向かった(~16日)。


会期の後半にもなるとあちこちで値下げが始まり、3冊1000円コーナーが3冊500円になったり、3冊500円が1冊100円になったり、最後は袋1杯でいくらとする店まで出てくるとか。
ほとんどが初日に一回ということもあって知らずにいるが、店側には、なるべく本を持ち帰りたくないという事情もあるらしい。文庫本を中心にこうしたコーナーを見歩いた。

「本との出会いは縁なのよ。自分の目で棚を眺めるうちに引っ掛かるものが見つかる。勘を頼りに選ぶ数百円の本に一万円の物語が詰まっていたら得した気になるでしょう」
少し古い文庫本を好んで、たまに買いだめして帰る母親に、「今度、神田で買い集めて送ってやるよ」と言ったクニオへ、一言(『クニオ・バンブルーセン』乙川優三郎)。

編集者として働く休日に母を訪ね、母の手料理を食べながら母と子の会話は戦争から文学へと移って ー。
「私ならこうする、という反発的な読み方はつまらないわねえ。ああ、こんな人もいるのかと他者の世界を愉しめたら、実生活の役にも立つし」
クニオにとって小説はすべて人生読本だったから、母親のこうした本の読み方にも教えられた。

以前『生きる』を読み、今回『露の玉垣』を読み終えて、8月に入ってから2店舗のブックオフで時代物ばかりを買い集めた。
乙川作品は現代ものから入ったが、絶望や虚無の底にも生の意味が潜み、明るさを見いだせる作品のとりこになって…。

 

小説は人に同じ解答を与えはしない。
〈文学は、真実は個々の内部にあり、誰にとっても同じである必要はないし、そこに意味がある。文学は個々のものだ〉
100人いれば100の舞台が生まれる、と永田和宏氏が書かれていた。

「憧れから始まる人生に無駄なことはない」とクニオさん。
楽しい毎日は自分で作らなくっちゃ。


水やりに顔を出したのは茶ガマかな?茶子かな? 
見分けはつかないけれど、見慣れてかわいいものです。
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ここはどこよ

2024年08月08日 | こんなところ訪ねて
ここはどこよと船頭衆に問へば  ここは枚方鍵屋裏
鍵屋浦には碇が要らぬ  三味や太鼓で船とめる  
                  「三十石船唄」


京阪「枚方市」駅(東見附)から隣の「枚方公園」駅(西見附)の区間を歩いて、江戸時代に「三十石船」の乗降地としてにぎわった鍵屋(資料館)を訪ねてみた。

本来は30石相当の積載量を持つ船のこと、江戸時代に淀川の伏見-大阪間を定期的に上下する客船を「三十石船」と呼ぶようになった。
屋形はなく苫掛けで、船員4人、乗客乗員28人。伏見から大阪への下りは半日か半夜、しかし上りは竿をさしたり綱を引いて船を引き上げるために倍の一日か一夜を要し、費用も下りの倍額だった - と資料館での記述を拝見。



船が枚方にさしかかると小さな船がそっと近づき、船客相手に大声で、汚い言葉で「酒くらわんか 餅くらわんか」と飲食物を商う。
煮売茶船は「くらわんか船」と呼ばれ、淀川の名物だった。
「三十石船」の乗客相手に煮売りの商いをした「くらわんか船」で使われたことから「食らわんか茶碗」という呼び名が生まれたのだろうという。

「食らわんか茶碗」を知るきっかけは向田邦子のエッセイ「食らわんか」だった。
気に入った季節のものを盛るとき、なくてはならない5枚の「くらわんか」の天塩皿があると書いていた(『夜の薔薇』収)。
「食らわんか」「よし、もらおう」となれば、大きい船から投げ下ろしたザルなどに厚手の皿小鉢を入れた。落としても割れないような丈夫な焼き物は(長崎県波佐見産のものが多かったそうだが)、汚れたような白地に、藍のさっぱりした絵付けだとも書いている。

 


この道は秀吉による文禄堤の上にできた道だ、と立寄った塩屋(屋号)さんで教えて下さった。店の向いが本陣の跡地になる。

 

庄屋と問屋役人を兼ね、幕末には農業経営を発展させ、金融業を営んでいたという大南善衛門家(屋号 田葉粉屋)が碑の後方に。



広大な敷地に蔵4棟を持つ泥町の大商家。泥町っていうには、水害も多かったのだろうか。

鍵屋資料館を訪ねた。

左手が主屋。

淀川沿いに、天正年間(1573-92)創業と伝わる鍵屋は「三十石船」の乗降地として賑わった。堤防で隔てられるまで、建物の裏手は川に面していたようだが、2Fから川が望める風景だった。大広間で、舟待ちの人々を想像してみた。


暑い中、案内するからと言ってくれた隣市に住む友人と汗をふきふきの半日だった。彼女も少し前に歩いたばかりだったのだ。
エッセイを読んで以来の心残りも晴れた。今一度もっと広範囲に川のほうまでも、秋風の吹くころならゆっくり歩けそうな気がする。
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腰が据われば心も据わり

2024年08月05日 | 日々の暮らしの中で
連日、「不要不急の外出を避け、…」と促す言葉が耳に入って来る。
私の外出などおおかたは不要不急のものかもしれないが、人生、無駄にこそ意味があると言われるではないの。
そもそもは、出歩くことに意味があるのだが、連日〈油照る逃げ場なきこと空気にも  宮津昭彦〉で、顔にまとわりつく熱気に息苦しさを覚える暑気。
この数日は家籠りを決めた。


出好きの腰は据わり、心も据えて、一事に専念。今のうちにしておきたい。書き物をするために多くの時間を割くことができた。

乙川勇三郎氏が作品の中で「推敲するだけでは足りない文章の彫琢」を指摘されていた(「この地上において私たちを満足させるもの」)。 
「わかりやすいことは薄っぺらでもある。何も考えさせない小説に良質な読後感は期待できない」とも。
ひと言ひと言に氏の存在が刻印されていて、私は学んでいる。書き過ぎない、言い過ぎないと心して、言葉を探し、文章を練り、自分の世界を大切に、励むのだった(などと自分で口にしていいものか?)。


乙川氏のエッセイ本は見当たらない。これまで著者の声が聴きたい、語るのを聴きたいと思ってきたので、出会えて嬉しや嬉しや。
すべては生きているうち 励めるうち、日のくれぬうち。

廊下の外で、アブラゼミが鳴いた。
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笑ふてくらそ

2024年08月01日 | 日々の暮らしの中で
娘はまだ夏の暑さが残る8月中旬に生まれた。
湯上りなどには体中にぱたぱた白い粉をはたいて、あせも予防をしていたのを思いだしていた。

   天瓜粉ところきらはず打たれけり 日野草城
まさに〈天花粉まみれの赤ん坊〉だったなあとクスッとした笑いがもれる。

黄烏瓜(天瓜)の根からとった澱粉の汗取り粉は、汗しらずとも言ったのだったか。
誕生祝いのカードの全ての締めに、「笑ふてくらそ ふふふふふ」と書き添えておいた。



「一緒に住んでる人間の顔色を見、いつも上機嫌で居らせてやりたい、ト。ブーとむくれた顔をさせるまい、ト。そのことに心くだいて一生送る、これは人間の一番大切な仕事と違いますか? こんなリッパな、人間の仕事、ないのんちゃいますか? それで一生過ぎたら、ええこっちゃありませんか。そうすることが、つまりは自分のたのしみ、自分の生き甲斐になるんやったら、
ええ人生やありませんか。」
  と田辺聖子さん。

今朝 八月朔日。
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