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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ほんのちょっとの根気で

2008年08月31日 | 今日も生かされて
おお!私にもやればできる、できることがまた一つ増えた。
やっと終わって解放された。ちょっとしたやる気と根気があればできることだから、心のおごりが言わせる言葉です。
「セブンミール」9月号(お食事宅配サービスのカタログ)、結局O氏と二人で済ませることになってしまいました。
なぜ。「ほんの少し」だけお手伝いのはずを相当量をこなしましたよ。お話が、ちょっとちがいませんかしら。

チャットで雑談しながら10時ごろから準備。マイクのテストOK。
スカイプとメッセンジャーが、私の方の作業は見守ってくれていますから、心配なしといえます。
今日は、エクセルでメニューを日本語のまま入力していきます。
先月の土台がありますから白紙状態ではないにしても、ほとんどは打ち直し。
秋の色濃いメニュー。お昼を済ませていても、見るともなく見えるおいしそうな写真で空腹感が生じてきます。
最後はO氏作成のファイルと交換し、入力ミスがないかを双方で読み合わせ、確認して終わります。

暗くなりかける部屋の中で、「いい加減に早く終わりにっ」とイライラ叫びたくなるのをあと少しと我慢。
休憩をはさみながら今日はこれで終わって。5時はまわっていた。
モゾモゾモゾモゾ、口ではいえぬ行儀の悪い恰好で読み合わせをしてしまいました。こちらの姿まで見えていたら大変です。失礼、許して下さいませね。

テキストファイルで打ち出し、点字に変換。点字化した際の間違いの有無を確認する作業が残ります。ここ数日で仕上げることに。

夜に入っても蒸し暑い日でした。頭の芯が疲れている...早く寝よう。

紫のかわいい実がいっぱい!
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呪文、くるわばくるえ

2008年08月30日 | 今日も生かされて
窓を開けてみました。雨あがり。澄んだ虫の音が暗闇に響きます。

       夥しい数の   (吉野 弘 『叙景』より )
   夥しい数の柿の実が色づいて
   やせぎすな柿の木の華奢な枝をたわませています

   千手観音が手の先に千人の赤子を産んだとしたら
   こんなふうかもしれないと思われる姿です

   枝をたわませている柿の実は
   母親から持ち出せる限りを持ち出そうとしている子どものようです

   能う限り奪って自立しようとする柿の実の重さが
   限りなく与えようとしてやせた柿の木をたわませています

   晩秋の
   赤みを帯びた午後の陽ざしに染められて

巧みな比喩で、絵画を観るように秋の一情景が浮かびます。
実りゆく若い命。何物にも代えがたい宝の山。
おおいかぶされたその重みの下で、母とはさらに祈る人なのでしょうか。

母であり妻であり、家族の中心でもある女性は、いつ解放されるのでしょう。

茨城のり子さんが若い人に向けて、「詩のこころを読む」として語っています。

  くるあさごとに (岸田衿子 ―「詩集『あかるい日の歌』)
    くるあさごとに
    くるくるしごと
    くるまはぐるま
    くるわばくるえ

「私が毎日じたばた暮らしているせいか、生きるというのは、なんてこう、じたばたしなくちゃならないのかと思います。喜怒哀楽のさざなみ、大波にゆすられて」
「ときどきとなえたくなる呪文の一つ。」
「くるまはぐるま  くるわばくるえ
 時にはそんなふうに自分に言いきかせ、解き放ってやることも必要でしょう。」
「同じ空気を吸いながら、まったく自分一人のペースで生き、人に何と思われようとかまわず、自分の歌しか歌わない岸田衿子の存在と詩は、思いがけない方角に、ぽっかり風穴あけるような、作用を果たしてくれます。」

案外、この“呪文”、小さなすき間に大きなプレゼントを運んでくれるやもしれません。 


     青いですが、すずなりに


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歩くことの効果

2008年08月28日 | 今日も生かされて
朝からムッとした空気に包まれて、曇天。やがて雨になる。

今夜、三十一日の作業に関し説明を受けるために、昨日ヘッドセットを購入。
チャットと音声との使用で、効率的に、合理的に…、が、固まった頭には、それさえ最先端に感じてしまう。 
音声テスト発信をしてみたり、チャットの画面をひらいてみたり。
ダウンロード自体は私でも支障はないが、問題はそのあと、“使い方”
なぜかそわそわと落ち着かないままに、午前中はあっという間に過ぎてしまう。

日差しも出始めた午後、体を動かそうと散歩に。


江戸時代後期に建立の酒蔵。約3000坪、300年を経て存在しているという。
人前式とキリスト教式のある結婚式場なのを知る。
雨上がりで水をたっぷりと吸った苔、あたりは湿った空気がよどんでいる。
かわいい石像がいくつか配置され手入れの行き届いた美しいお庭でした。

  『1日1万歩歩こう』(京都ウォーキング協会のお話です)
●一般的な大人の食事による摂取カロリーは、一日平均2100キロカロリー
→このうち1400キロカロリーは基礎代謝として横になって安静にしているだけでも消費される
→さらに仕事や家事などの日常生活で400キロカロリーが消費される
→残りの300キロカロリーを消費しないと肥満につながる
→大人が1キロカロリー消費するには、30歩歩かなければならない
→ですから300キロカロリーなら9000歩

→これだけでは、摂取したエネルギーを消費したに過ぎず、「メタボ」解消にはそれ以上歩くことが必要
→そこで「1万歩」という目安になる、という。

簡潔で分かりやすいので、なるほど!とすぐ納得してしまいました。
万歩計など一度身につけてみるのも楽しいかもしれないと感じたものです。

夜は2時間半ほどの交信で、「Lesson1はこのへんまでにしておきましょうか」と終わる。
リモートアシスタントの術を知るO氏。わが目を疑い、不思議な感覚で、O氏が進める私の画面の変化を見ていた。

☆便利!☆楽しい!☆絶対に娘たちと交信しよう!
思いもよらぬ大きな収穫がありました。


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よいっぱりに反省

2008年08月26日 | 今日も生かされて
    
昨夜のこと。
札幌からエクセルで送られてきたファイルをプリントアウトし、原本のパンフレットと照合したりしながらのTV視聴。
『セブンミール …セブン-イレブンのお食事配達サービス』、この9月号のほんの一端に参加させていただこうというものです。

遅くまでのP.Cは視神経が疲れ寝付きも悪くなります。
眠くないのでなんとなくのTVでしたが、気付くと俳優の瑛太さんがぽつぽつと語っています。
午前0:10 ~ 「トップランナー」。 
言葉を選びながら、好感が持てますものの、非常にスロー。篤姫に出演中。

1:00~「プロフェッショナル」にまたまたくぎ付け。 がん専門の看護士さん
いのちの“限り”を受け入れた患者さんは、ほとんどの方は、人生を前向きに生きようとされると。そして、しっかりと生ききった患者さんから学んだものを、他の方に生かして仕事をすると。素敵な笑顔の女性でした。

寝なくてはなりません。
最近は就寝時間が遅すぎる、変えなくてはと、「反省」です。

朝刊の少年少女のコーナーに小6の男子の、『汗』と題した詩を発見。
   
   汗はがんばっている人だけの
   アクセサリーだ!
   ・・・・・・(後略)

うん、きれいな喩えだなあ…と、ねぼけた脳にもさわやかに映る。
「子供が詩人であるのはろくにことばを知らないからである」と。『忘却の力』(外山滋比古)


北海道では、30度以上の夏の体感は2週間ほどしかなっかたとか。
長袖を着用し、銀杏並木は枯れ葉も舞うようです。

スカイプで本番前のテスト…。
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もののかたみ

2008年08月25日 | 今日も生かされて
こんな涼しい水辺で新しい命が生まれていた...、昨日池のほとりで見つけたものです。

    
  
   
     「空蝉」     (金井直 『Ego』より)
   なにげなく
   木の葉をかえして
   蝉のぬけがらをみつけるように
   人は
   心のうらがわに見出すだろう
   激しく飛び去っていったもののかたみを
   うつろな内部がのぞける
   ひとつのするどい裂け目を

作者の心の痛みを自身に照らし合わすことはお任せするとしましょう。
また、空蝉と言えばやはり『源氏物語』でしょうか。「空蝉」の巻。

源氏の君は、空蝉が脱ぎすべらせて残していった薄衣を手に退出する。そして、
「私は、あなたの抜け殻のようなこの衣を手放さずいつも眺め、残り香を懐かしみ、あなたの人柄を慕わしく思っています」と歌を詠んでいる。

空蝉という女性にふさわしいお菓子として、“夢を誘う”連想の見立ての一例としてということですが、
鶴屋吉信の上生菓子、「夏衣」が挙げられています。(『源氏物語の京都案内』 文芸春秋編)


薄い衣が透けて中が見える、美しさと涼しさをそなえたお菓子。
闇の中を逃げる空蝉の姿を重ねて。(道明寺・粒あん)

思わぬ所に話が飛んでしまいました。
長い地中生活から這い出し、この世のひと夏の命を謳歌して消えてゆくものたち。
すべてが廻っている。

午後からの雨で、肌寒いほどです。
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季節に乗ろう

2008年08月24日 | 今日も生かされて
まっ黒に日焼けしたおじいちゃん、孫のあんずちゃん、その弟の3人が、楽しげに大笑いしています。
そのかたわらでほほ笑むおばあちゃん。
そこに電話です。
「ちょっと待って下さい。何かメモするもの…」と振り返って口早に。
おじいちゃんが右上腕の一部を差し出しています)

「書けないでしょ」
「ダメ?」
     (地元紙の四コマ漫画「あんずちゃん」)

そんな皮に書けるか~~。
もう!どこがおもろいんや~。

 

おにぎりとお茶を用意し、涼風を求め、豊かな緑に囲まれた宝が池へ。今日は北から入ることに。
見落としている景色にも出会えるというもの。いつも同じではつまらない。
比叡山が間近だ。延暦寺もお堂もみな、向こう側。琵琶湖を向いて立っているから、比叡山は滋賀のもの?

池にせり出た休憩場所でお腹を満たし、心ゆくまでのんびり時間を過ごす。
犬と散歩する人。ジョギング中のグループ。ベビーカーを押したお母さん。家族連れ。老夫婦。友人同士?
水面を渡る涼しい風が最高だ。
岸に上がったカモも羽づくろいしている。カメさんは甲羅干し。
 

季節の変化に乗り遅れないように過ごそう。

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大きな試みに参加したくて

2008年08月23日 | 今日も生かされて
31日の作業本番日に向けて、段取りをしていかなければならないことが多い。
それほど手間がかかることではない、と言えばないのでしょう。
それでも隠した“面倒くさがり屋”の心が、ちらっちらっと。それを押しつぶして。

スカイプをダウンロードしました。ウインドウズライブメッセンジャーと。スカイプは以前娘との交信でちょっと触ったものの、あまり必要性を感じなくアンインストール。
北海道のNPO法人団体の活動に、こちらから一部(初回ですからほんの一部かと)作業を担って協力することで参加させていただきます。
エクセルも普段は使うことなく不慣れですし、徐々に不安が大きくなります。

エクセル操作が分からなくなった時、スカイプで会話しながら先方の行う動作を同時に見ながら進められるのだという。
そんなに機械に強くない私は、大仕掛けな気がしてきて、それだけで心は重くなりそうです。

「セブンミールサービス」のカタログを、点字・大活字・メール・SPコード版で同時発行するというものです。北海道からの全国展開。
希望する方にこのカタログを配布されているのです。
月刊となりますから数日で仕上げることになる。

私が協力させていただき、こちらでの会での作業仲間を増やしたいと考えています。そのはじめの一歩。
ああ、もう、なにはともあれ、初回のクリアーが私にとっては大問題。


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丸と角と

2008年08月22日 | こんなところ訪ねて
目の前に鷹ヶ峰三山が迫っています。
右手、少し平たく天ヶ峰、正面あたりに大きく鷺ヶ峰、そして左は鷹ヶ峰です。
葉が生い茂り展望を妨げますが、はるか遠く京都市内を望める「光悦寺」の庵におかれた椅子に腰かけています。

オイッス オイッス オイッス…
オイヨース オイヨース オイヨース…
川の流れが大きく響きます。
葉ずれの音とともに、涼しい風が流れます。

鷹ケ峰、昔はよほど差し迫った用事がある旅人しか通らなかったという。大阪城落城の1615年、本阿弥光悦とその一族親類がやってきて以後賑わい始めた。58歳、すでに芸術活動で一家をなしていたが、「京には住み飽きたので田舎に住みたい」。で、家康から鷹ガ峰一帯が与えられた。家康にしてみれば、現実的な治安策にもなるわけだが、広大な光悦町・芸術村ができていく。有名な光悦垣。


2年前と同じ、よい香りが迎えてくれた源光院。
丸窓は「悟りの窓」、角窓は「迷いの窓」。
人間の生涯を象徴した「生老病死」「四苦八苦」になぞらえられる角窓。

しばし座って、思いを巡らせて…。
丸と角、その対照的な美しさと静けさに、心が落ち着きます。

誰か、メガホンで大きな声を発しています。
聞き取れませんが、何かウーウーと。
「今は応援しなくていいのよ!」とあわてて制しているのはお母さん。
「おうえんしてたのね~~」と、お母さんと笑い合うのを、3歳ぐらいの女の子はキョトンとして見つめています。
ここにもオリンピックの小さな影響が見られました。

久しぶりに郊外へ散策に。
じっとしているのが惜しい、しのぎやすい一日でした。
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「続ける」ことが与えたもの

2008年08月21日 | 今日も生かされて
比較の対象があることで、記録がどんなに“すごい”のかがわかります。
街中で、通り名の標識を見つけたら確かめてみよう。
三条大橋のこっちと向こうで物の投げ合いができるってことかしら?
(その考え方は...おかしい)
え~~っ!?電話ボックスを飛び越えるのですか!

ライト兄弟の空への憧れ。「♪翼をください」。
“鳥人”。
そして超人。

「よーっし!」
「アウトーー!!」
「やったーっ!やったーっ!」
元監督宇津木さんの歓声です!

声が続きません。涙声になっています。(中継を見ていました)

ソフトボール、3-1でアメリカを下し、金メダル獲得。
宇津木さんの声に思わず胸が熱くなります。嬉しいですね~。
選手の喜びを、一緒に感動できる自分がいます。
一喜一憂しながら、この瞬間への時間を共有できた楽しさ。

わが娘、幼いころは体が弱く、スポーツとは無縁に育ちました。
彼女が自分のペースで健康体への階段を昇るのを、見守るばかりです。
小学校までの道のりさへ、しんどい時があったほどです。

中学校に入学し、友人関係が優先されてか、ソフトボールをすると言い出した日。
「大丈夫~?」と言ったはずです。
キャッチボールさえしたことのない子。
ボールを投げる、そのフォームさえ身についていない子。
ヒーヒー言いながらへとへとに。
楽しかった仲間関係は、それぞれにお母さんとなった今も続いているようです。
この子にしたら上出来。
続けたことには意味を持ちました。

ああ、「継続」は彼女にオーストラリアまで飛ぶ「力」を与えてしまった。





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大きなヒーロー

2008年08月20日 | 今日も生かされて
どのスポーツでも、選手たちは壁にぶつかり挫折し苦悩し、それでも不断の努力で高みを目指すのだろう。

華やかさの裏での見えない部分を知ればなおさら熱いものを感じる。先ごろ現役を引退された桑田、野茂両選手にしても然り。だからこそ、活躍の姿は尊く、涙は人の心を動かす。

さまざまな選手のコメントも印象に残るが、私はとりわけレースや試合を見つめる子どもたちの表情に惹かれる。
先日、北島選手の100メートル自由形のレースを応援する、地元の少年の顔にカメラが注がれていた。
身を乗り出すように見つめ、その輝く目、顔つきが刻々と微妙に変化していく。レース展開を見事に表出しているのだ。

スポーツをしている子、していない子。子供たちの小さな心を刺激し、刻まれる“大きなヒーロー”。
感動は生きていく力にさえなる。彼らはどんな夢を描くことだろう。それを想像するのもまたワクワクする思いだ。


                      
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睡魔に勝つ色

2008年08月18日 | 今日も生かされて
送り火も終わって、アスファルトは照り返しで相変わらずまぶしさだけれど空にあの夏の勢いはない。空っぽの駐車場には、トンボの飛行隊の姿があった。

窓から冷たい風が入り込む夜。
アイヘルパー養成講座の受講生のレポートを写して代表に送る仕事がたまっている。
P.Cの前でじっとしていてできる仕事だから早く片付けてしまおうと思うところに、邪魔がはいる。眠りに落ちてゆくあの心地よさ。

一日に何度か着替えることで意識が変わり、生活のリズムに変化をつけることができるというではありませんか。
朝、心身にエンジンをかけるとき、人に会うとき、仕事に気合を入れるとき、リラックスしたいとき、服の色がポイントになる、と。
色が自分の行動や心に力を与えることができるというわけです。
確かに色は五感を刺激し、感情を揺さぶるものでもある。「勝負服」と言う言葉もある。

涼しさ第一主義者にふさわしい色は?
借りた色の力は、ピンクにそらいろ、薄い藍色。
縦の配色に、横の切換えが他色の模様で混じり、緩やかに大きくくれたネック、やわらかな綿素材。

至った結論は、睡魔に勝つ「色」は無し。
今日の仕事は明日に延ばしてしまった。明日こそ。
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「人」と「すみか」と

2008年08月16日 | 今日も生かされて
見事な月明かりを感じ、窓をあけた。高く昇った月に心奪われ拝んだのは、午前0時半過ぎごろのこと。

今朝は少し雲行きが怪しく、午後、雨のぱらつきもありましたから、送り火のことが気にかかります。
家の前でおがらや藁を焚いて、祖霊が迷うことなくあの世へたどり着くように道を照らしてやるのだという「送り火」。
この大がかりなものが「五山の送り火」ということになるわけです。
私の家では、送り火も、もちろんお盆初日に迎え火を焚くこともありませんので、家々のそうした慣習を目にしたことなく過ごしています。

小学生だった夏休み、まだ周囲に家は少なかったようで、「妙」の送り火を伯母の家の玄関先から見ていた記憶があります。
長じては、高野方面へ出かけ東山の如意ヶ岳の「大」、そして「妙」・「法」と 伯父・伯母の3人で眺めた。
軍隊時代に身に付いたのか闊歩する伯父とは、よく下鴨神社へ散歩したものです。

いろいろな思い出を抱え込んでくれていた家の跡地には、短い草が生え出していました。
なんと気ぜわしく事が運ばれてしまっていたことでしょう。
悲しいものです、何の跡形もなくなってしまった。
池のはたには松、こけが。釣り好きのおじが集めた石。四季を楽しんだ木々、もうすぐ斑入りのススキが…。
まさに「夢の跡」。『方丈記』冒頭の名文が思い出されます。
「無常」とは闘うものではなく“受け入れる”ものだという。

送り火は時間通りに点火。
船にちゃんと乗れましたか? 西方浄土まで、迷うことなく帰り着きましたか?
また来年ですね、懐かしい人たち。
残暑厳しいものの秋の気配を感じ取り、深まりゆく季節を体感していくことになる。

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心に迎えた近しきひと

2008年08月14日 | 今日も生かされて
先日阿波踊りの光景をテレビの映像を通じてみていた。富山県の風の盆や岐阜県の郡上踊りも含め、バスツアーの募集もしきりであった。
それぞれに振りも異なり、歌う唄も違う。

盆踊り。
 ≪向こうの世から帰ってくる先祖の霊を慰め、これを送るために、こちらの世の者が集まって歌い踊る「おどり」のこと≫と説明される。(宇田喜代子氏)

一度、町内が集まって境内で盆踊り大会を開いたことがあるが、はるかに昔、私が嫁いで初めての夏の事でした。
歓迎の思いも込めてもらい、皆で踊って乾いたのどをうるおしながら、輪に入った私のしぐさはと言えば、さぞかしあほ踊りの様だったことでしょう。
あの晩境内に集った顔ぶれから、11人があの世へと消えてしまった。新盆の老夫婦も一組み。
先祖供養のためのものであったものが、娯楽要素大と変化している盆踊り。

この世にいながら、なかなか戻らぬ者は我が息子。
新幹線で3時間もあれば帰れるでしょうにと、のど元まで出かかるが、ぐっと飲み込む。
普段の忙しさを知っているために、少しの休みは体をゆっくり休めてと願い、いや、あきらめて、またの機会を待つのだが。
何ということはない、かわいい女性との沖縄旅行の写真を見せられ、気遣うこともやめにする。帰れる時に帰ってくればいいさ、としか言いようがない。

せめて、心に迎えた近かった人との思い出を探ろう。

    盆は皆に逢ふて踊って一夜きり   大野林火





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鎮魂の月

2008年08月13日 | 今日も生かされて
「軍事郵便」が透明の袋に入れられて、昔の写真、絵ハガキなどと混ざって売られていました。およそ横20数センチ、縦は12センチぐらいの大きさの用紙ですが、3つ折りにするのでしょうか。

満洲から大阪の家族にあてた一通は、息子として父としての簡潔な文面ながら、行間に、文字面に心が引き付けられました。
 父上様  体丈夫で居てください
 母上様  ……義一は元気でいます
 そして、女性の名が連なります。
 妻へでしょう、「父母の言うことをよく聞くように」
 娘たちへは、「スポーツウマンもいいですね」「妹の面倒を見てください」「英語はどうかな…」
と言葉数も多く語りかけているのです。
また、北京から東京市渋谷区へ向けた一通には、内側の面の右下に絵が印刷されてあり、家族への思いを達筆な文字でしたためてあります。

差出人の運命は? どんな経路で、なぜこんなところで売られなければならないのだろうか。
供養することはできなかったのだろうか。博物館や記念館で見ているのではない。どれほど多くの便りがこうして往来したかは別として、少なくともこのようなところで、無造作に箱の中に立てかけられて売りに出されていることに、胸が痛んだ。
再び足を運んだ「古本まつり」でのこと。うっそうとした森にも日が差し込んでいました。

お盆の入り。
8月に入り間もなくに墓地の清掃は済まされている。数日に分けて早朝から各戸の墓前での読経に出かける夫。
内陣や、お内仏などを飾り付け、お花も立てて、迎える準備は済んでいます。

お墓参りの前後に立ち寄る人。故郷に帰ったからと昔話に花を咲かせるお年寄り。
赤ちゃんの時に連れられてきた子が、数年同行しないうちに、美しい中学生になってのおでましです。
これには驚きと喜びで、思わず声もはずみます。

風が南北に吹き抜ける最高の場所、脇の玄関で接待しながら、ここは、生き字引きと言われる年寄りの出番です。若いものでははなしになりません。

新盆を迎える身内の霊にも手を合わす。
六日の広島、九日の長崎、十五日の終戦記念日。糺の森で出会った古い写真に残された女性や赤ちゃん、手紙の差出人などなども含め、「日本人にとって八月は鎮魂の月」と言われる長谷川櫂氏の言葉をかみしめながら、合掌。


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探しものは何ですか

2008年08月12日 | 催しごと
久しぶりの糺ノ森。午後3時過ぎから「古本まつり」をのぞいた。
暑いが、思っていたほどではない。
ご覧のように、
うちわを片手に森林浴をしながらの古書店めぐりとなった。


「もう売り切れてしもたみたい」
「いや、もっとむこうの店やったぞ」
下見をしていたのか、何かお目当てのものがあったのでしょう。

古い雑誌類、美術・芸術関係、さっと見ておおよそ判断できるものはよいが、種々雑多に並んでいることが多いためにタイトルや著者名を、目を凝らして追っていくことになる。
手に取って、思いがけず書き込みなどに出くわし、しばし眺め入る。
高価なものから、数万、数千円…、市価の半額、500円、100円と。

学生時代は目的を持って神田の古書店街をよく歩いたものだ。
今は、そうした関連のものに特別な思いはない。
関心分野が狭くなったとばかりは言えない。むしろずっと読書のジャンルは広がっている。

記憶に残る本は、父の書棚から見つけた「銭形平次」だと言えるだろうか。
旧かなづかいのものであったが、ひとりでコツコツ読んでいたのを覚えている。さほど苦労せず、案外面白く読んだものだった。
小学校高学年ごろだったかな。
読書を強要されることはなかった。読みたければいつでも本に手が届く環境は作ってくれた両親ではあった。けれど姉弟の中ではさほど“本好き”ともいえなかった。

一つだけ目当てを持って出かけた今日、3分の1ぐらいの店で物色しているうちに、足腰が疲れてしまった。
森を出るとまだまだ日差しは強い。しかし、バスを待っているうちに陰り出し、涼しい風が。
バスが待てども待てども来ない。この4番、いつも時間通りには来ないのだ。


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