
「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
諦めていた診療所の医師・堂前が戻って来た。
歓声をあげたいような村長・村瀬の心の内は、夫人から分けてもらった梅の木が今満開を迎えているという歓びの声掛けとなって表われ、しみじみとするラストだった。
この梅の木は、三陸海岸に近い漁村の診療所に家族で赴任してきた堂前医師の妻が宅配便で苗木を取り寄せ、多くの村の人たちに贈ったものだった。
子どもは学校に馴染み、夫人は村人たちと山野を歩き回り、生活にも十分満足して暮らしていた。けれど夫人は白血病だった。
葬儀は湘南にある妻の実家で営まれた。
葬儀には岩手ナンバーのマイクロバス6台に分乗した200人を超える村人たちが駆けつけた。夜を徹してやって来たのだ。
わずか2年の日々に築かれた縁の深さに、思わず熱い気持ちがこみあげる感動の場面だった。

ブログを通じご紹介いただいた「梅の蕾」は、『遠い幻影』(吉村昭)に収められた12の短編の一つだった。
さほど多くは読んでいないが、そのなかでも短編集は初めてだった。
一篇一篇違うテーマで様々な人生を見せながら、それでいて描かれた世界は人間への慈しみが通底している。
短編だからこそだろう、どの作品もラストの切り上げ方がなんとも巧みだ。いいなあ!と思えて余韻に浸る。氏の優しさに触れるせいでもあろう。
文章も滑らかで、どことなく品?があるのをここであらためて感じていた。
表題作の「遠い幻影」では、印象深い記述に多く触れた。
「死はいつ訪れるかわからないが、漠とした記憶を記憶のままにしておきたくない気持ちがある。この世に生きていた間の事柄は、出来得るかぎりはっきりとさせ、死を迎えたい」

母親の壮絶な死を題材にした著者の私小説「夜の道」が収録されていると知って、同時に買い求めておいた『見えない橋』。今夜はこれを…。
「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
早くこう言いたいものだが老木の蕾はまだまだ小さくてかたい。
思い出させてもらえて嬉しいです。
ありがとうございました。
吉村昭さん、多作な方で読んでも読んでも終わらない、ありがたいですね。
将基面誠医師のような人がいれば、日本の僻地医療も変わると思います。
医師の苦労は大変でしょうが、住民との結びつきは強くなりますね。
昨年、京丹後出身でアフリカのニジェールで地域医療に尽くした医師・谷垣雄三さんの話を知りました。
利他の心で生涯を貫いた姿が『ひとつぶの麦』という絵本になりました。
いろいろな人生を見せてもらいながら、自分なりの人とのかかわり方をさぐっていきます。
互いに生かされることもなく、信頼、敬愛の念も生まれませんでしょうね。
「医療」だって成立しないのかもしれません。
人と結び合って生きるところに、夢を抱く者が育ち希望も生まれてくるのだろうなと思っています。
「赤ひげ…」先生の保本登、「風に立つ…」のケニアの少年。
人の数だけある人生の様相に、学ばせてもらうことは多いです。
どの作品も短編であるがゆえに心に残りました。
子供がおもちゃを欲しがって駄々こねるようですね。
子供なら母親が止めるでしょうが、
私は誰も止めてくれません。
楽しみが増えました。
読みたい、読んでみたいと思う関心、熱意、情熱こそ失いたくないです。
12編も収められて、読みごたえがありました。