kyon's日誌

つれづれに・・・

11年

2022年03月11日 | 日記
思えばなんて年月は理不尽かと思うことがある。
その日の地震はワタシも自宅で感じた揺れだったし、その後の津波がどれほど残酷な状況を生み出したかも映像を見て言葉も無かったことを昨日のことのように思い出せます。つまり、忘れないように追悼記念日を設けているにも拘らず、やはり一年ごとに繰り返される記憶が忘れられない記憶を上塗りしていく・・・追悼はするが、少しも忘れ去るという記憶処理が出来ないでいるものだねぇ・・ホントは覚えていたくないことだけどさ・・・
災害や戦争という体験はそういう惨さを持っているのだね。
早い年月と言えばそうだし、中々過ぎてはくれない年月だと言えばそうだし・・
人の感情は複雑に出来ている。スッキリはっきりと忘れ去ることは出来ない。ましてや実際に体験した人達には永遠に忘れられないだろうと思われる。
サイレンと共に祈りながら11年という月日が過ぎたのだなぁとあらためて思った。少し肌寒く、まだまだストーブが必要な季節だったし、霙交じりの雪も降ってた。助かった人々が暖を求めて片寄せ合って・・そんな映像は辛く苦しかった記憶もある。あれがもし、この秋田で起こったなら、私たち家族はどうしていたろうかと思えば、他人ごとではなく思えたしね・・
友人や知人が助かっててくれろと願ったことも、自分勝手とは思うが本当に手を合わせて天に祈ったのだったっけ・・
それから原発の爆発があって、どんなに離れていてもこの放射能からは逃れられないような気もした。
今はどうだろうか・・・
あのチェルノブイリの時にも感じた恐怖感が日本の原発で起こるとは信じられなかったけれど、ヒトが作ったものは何時かは壊れたり故障を起こしたりするものよね・・何事も永遠に・・・ということは無いのだよねぇ・・
ヒトって、どうしてそんなものを作りそこに頼らねば生きられないのかしらと子供のようなことを思ったりする。
歳だけは食ってるのになぁ・・・何の役にも立たない自分なのだと思うわ・・・(=_=)
亡くなった方々に心から哀悼の意を捧げたい。今日は祈りの11年目。

コメント
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