kyon's日誌

つれづれに・・・

「男の作法」

2016年09月26日 | 日記
「男の作法」などという、まぁ、女性にはあまり関係無いかなぁ~というエッセイ風の池波正太郎さんの作品を読みました。
インタビュー形式?っぽいので、池波さんの話すことをまとめた・・・という感じ。
そそ、ホントに仰ること、ごもっとも!という感じは、女性の端くれのワタシが読んでもなるほどねぇ・・と頷くことばかり・・・(苦笑)
けれど、男性としての論理が先行してる気がしないでもない・・・とも、思ったけどね(笑)女性には少々耳痛い感じもあり・・・殊に奥さんや母親に対してのやりように思わず苦笑いするわ(笑)

ただ・・・、「死を意識」して生きていくことは大事だとか、磨ける時の己磨きを怠ってはイケないとかね、今の時代であろうと、過去の時代であろうと、ある意味、普遍的課題のような・・・をしてるかしてないかで後々の生き方が変わるのだ・・・という仰りようには賛同する。
で、人生の味わいを白か黒かのキッパリした色ではなく、その中間色が人生を深くする・・・みたいな言い方だったかな?、始めと終わりの間の、過程が面白いと仰るのも分かる気がする。
それにはとても深く感じ入りました・・・

愛読者も多いから、色々ご存知のことだろうけど、「剣客商売」の「秋山小兵衛」を生み「鬼平」を生み、「梅安」を生み等々・・・、作品に人の心の機微をうまい具合に溶け込ませ、人の暗部をあぶり出し、情があり、非情さあり、まぁ、実に面白い。面白いから続きが読みたくなる・・・必然的にファンが増えるね~
意外だったのは、舞台作家や演出もやっておられたのね・・・これは知らなかった。
配役で出来の良し悪しは決定するとか、その役者の普段の生活が如何に大事かとか・・・まぁ、素敵な役者さんは皆仰ることだけど・・確かだなぁ・・と、これも妙に納得する。

1990年に亡くなって既に26年かぁ・・・例えば教育の頂点が大学だとして、そういう教育を受けていないにも関わらず、人生体験が勉学の場であった生き方には独特な美学も哲学も生まれ・・・それが作品の血肉になっているのは確かだろう・・・小学だけというのは某有名政治家にもいたけどね・・・

そう言えば昔ね、学生時代に言われたことがある・・・前にも書いたかな?
入学したばかりのワタシらを前に、ある講師が問う・・・生徒は大抵は高校を出、大学まで行ったのにまた入り直してる人も居るし、社会人でありながらという方も居る。年齢も身分?もバラバラな専門学校な訳で、それなりに面白くはあるのだけどね・・・
「君たちの中で、小学校だけの人は居る?」
その時には誰も手を挙げなかった。居なかったのだ。一寸見回して、
「じゃ、中学までの人は?」
何を問いたいのか・・あの時は分からなくてね・・・あの時、中学だけという人が一人だったか、居たなぁ・・・するとエライ褒めるの
「小学校までだったらもっと凄いけど、まぁ、せいぜい中学校でも凄いやね・・・」
その講師が言いたかったのは、高校まで行くと、もう既に既成概念というものが身に付いてしまって、新しさとか斬新さとかは殆ど消え失せてるというか、麻痺している・・・それはデザインを志す身としては決定的にドン詰まりになってる・・・イメージが枯渇してしまっている・・・
それを壊して始めるのは大変だよ・・・。
分からないながら、あの時のワタシは感心してしまった(笑)感心したのに分からなかったけどね(笑)

で、天才と言われる某政治家のみならず、天才的な作家もおられる・・・という訳で・・・と、話を無理やり繋げてしまったけど(笑)、まぁ・・・笑って許して下され、ちょっと本に毒され易いタイプなのですよ(笑)
「男の作法」なんて仰々しいタイトルだけど、実際そういう手本があるのなら、『人の作法』というタイトルでも良かったような・・・(^^;)
コメント (9)
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