kyon's日誌

つれづれに・・・

良き?昭和を知る母の年代

2013年12月14日 | 日記
さびさびっ!
な~んして こんたに 冷えるべがなぁ~お蔭で皆早々に起きてくる(笑)
いつもはネボスケなのになぁ(笑)
ま、早起きは三文の得?!
しかし、こんなに寒くては暖房費だけが高上がりか・・・
格言も時代と共に変化する・・・か・・・(^_^;)

母に昔の生活の話を聞かされる事が多いけど、
時代劇じゃないが、ご飯一つ炊くのでもマキをくべて、火起こしから始める話はおお~っすげっ(笑)
都会と違って、ガスも普及するまでエライ時間差があった事が分かる。

ド田舎のリンゴ農家に嫁いだから、嫁の役割は朝早くから大変だったようだ。
とにかく眠くてと・・・若干お嬢様?育ちの町育ちには、同じ青森県でも東と西では言葉も違うし、まるで外国で暮らすような感じで言葉を知らなくて失敗したことが山ほど。
あはは・・・そぃだば んだっすべな~と笑い話になってしまうけど。

18で嫁に行くという事は、今の時代ではあまり聞かないような時代だねぇ。
手頃な年頃になると世話焼き婆さんとか爺さんとかいてさ、隣町でも何処へでも嫁貰いの世話役をする・・・人のうわさや情報がラジオより正確?なメディア?だったんだろうねぇ。
本人の希望や自由意思なんてお構い無し。親の判断で見合い話がトントンと進む・・・好いとなれば日参する・・・嫌でも知らない場所や人に嫁ぐ・・・なんてよくある話だったようだ。
ん~~・・・私には考えられないわ(^_^;)
昭和の20年代の話だ。

以前、「三丁目の夕日」という漫画が映画になって大受けした事があった。
私の記憶にもあるような昭和の年代だ。
今や大都会の東京の下町でさえ、何だか今とは比べようもないような不便さの中で人は生きてた。
生活は田舎よりも進んでいただろうけど、人情だけは田舎と大差が無かった時代。
その頃に、青森の片田舎は「ガスもね~、電気もね~」なんて時代で誰かの歌の文句さながら(笑)
今だからまぁ笑えるけど、思えば殆ど現実だったのよねぇ~(笑)
そういう田舎もんが都会に出て言葉が可笑しいとか、田舎くさいとか小馬鹿にされたりしながら、その反動がバネになって頑張って高度成長は進んだのよね・・・

母の話の中ではその昭和を懐かしむ気持ちが溢れてる。
辛かったけど、貧しかったけど、不便だったけど、人はもっとイキイキして暮らしてた。
一々手を掛けないと暮せない手間もあったが、それはそれで楽しかったと言う。

自分らはガスも水道も電気も有り、便利な道具が溢れ、今更その古い時代には帰れもしないし、帰りたくもない。
けれど、、母の家のご近所をみても、雪が降っても大丈夫か、どうしてるかと声を掛け合うような日常は薄れてる。皆、どこの家のドアも鍵が掛かり、人の出入りを拒んでる。
だから、雪掻きも出来ないような役に立たなくなったかのような年寄りはじっと家の中に引きこもるしかなくなる。
それはボケを助長し、認知症が進み、孤独な老人死に繋がるような環境が増えるということなんだろう。
余談になるが、
先だって「クローズアップ現代」という番組で、イギリスで”世界認知症サミット”なるものが開催されてこれからも確実に増えて行くであろう認知症云々と。
薬や画期的な治療法云々以前に、日本はそういうカウンセラーのような育成が遅れてるらしい。
イギリスでも認知症の増加は財政を圧迫して深刻なのだそうだ。
今の日本は劇的に介護施設などが増えている。けれど、皆商売だ。
福祉にしても、そういう老人が増えるとサービスが行き届かなくなるような懸念もあるのだ。
お金のある人には素晴らしく便利で、お金の無い者には優しいとは思えない。

あらためて、良き?「人」の時代、昭和を知る最後の年代が母の年代なのではないか?
ふと、そんなことを思わせられた。
笑い話に変化する母の昔むか~し・・・
過ぎたら笑い話にもなれるんだよねぇ~(^_^;)
コメント
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