あの日から・・・もう20年も経ったのだと思うと・・・時の過ぎるのは誠に早い。。
今日は日本海沖中部地震の災害が起こった日である。。
先だって、75を過ぎた老人がなまはげの面を付け、衣装を付けて、秋田駅の通路に募金に立って呼びかけていたというニュースがあった。
海外の女性が、あの津波の犠牲になり、その20年目の供養の為の慰霊塔を建てる募金を募っていたものらしい。
その募金をしている老人自身も、もう少しで津波で亡くなっていたかもしれない方だったらしい。。
自分は助かったが、海外の女性は助からなかった事で、生死を分けた事への奇遇に感謝すると共に、せめて海外の女性の供養をと思い立っての事だったらしい。
毎年供養は続けているが、節目の20年という時でもあり、慰霊塔を建てたいという話であった。。
人の人生は先が分らない。。
人は日々50パーセントの確率で生きているのよ・・と言った恩師の言葉も忘れられない。。
だから、出来る事からはじめようという姿勢は大切だよね・・・。。
男鹿の加茂青砂海岸の津波にのまれた小学生の犠牲者達も、生きていれば既に30代であろう。。生きていれば如何なる事があろうとも、楽しい時間も過ごせたであろうに。。。
ともすれば、怠惰に生き流してしまいそうな日々の自分に喝を入れねばならない気分になった。。
亡くなったみなさんへのご冥福を祈りたい。。
今日、秋田は県民防災の日。。
今日は日本海沖中部地震の災害が起こった日である。。
先だって、75を過ぎた老人がなまはげの面を付け、衣装を付けて、秋田駅の通路に募金に立って呼びかけていたというニュースがあった。
海外の女性が、あの津波の犠牲になり、その20年目の供養の為の慰霊塔を建てる募金を募っていたものらしい。
その募金をしている老人自身も、もう少しで津波で亡くなっていたかもしれない方だったらしい。。
自分は助かったが、海外の女性は助からなかった事で、生死を分けた事への奇遇に感謝すると共に、せめて海外の女性の供養をと思い立っての事だったらしい。
毎年供養は続けているが、節目の20年という時でもあり、慰霊塔を建てたいという話であった。。
人の人生は先が分らない。。
人は日々50パーセントの確率で生きているのよ・・と言った恩師の言葉も忘れられない。。
だから、出来る事からはじめようという姿勢は大切だよね・・・。。
男鹿の加茂青砂海岸の津波にのまれた小学生の犠牲者達も、生きていれば既に30代であろう。。生きていれば如何なる事があろうとも、楽しい時間も過ごせたであろうに。。。
ともすれば、怠惰に生き流してしまいそうな日々の自分に喝を入れねばならない気分になった。。
亡くなったみなさんへのご冥福を祈りたい。。
今日、秋田は県民防災の日。。