老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

追憶のほんやら洞

2020年09月27日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)

「 一九七二年春、京都最大の学生街に

風がわりな喫茶店が出現した。

店には行列ができ、

ミニスカ・ノーブラの女たち、

長髪に髭モジャ男が働く。

輪転機、旋盤が無造作に置かれた

店の片隅で愛を、

わいせつを、原発を語り、

自作詩を朗読し、

シンガーが新曲を披露する。

―「ほんやら洞」とは何だったのか ?

二〇一五年の焼失まで、

それぞれの時代に其処に通った六八人が

それぞれの「ほんやら洞」を追憶する。

著者略歴

甲斐扶佐義
 
1949年大分市生。十一歳で写真開始。
 
1968年同志社大学政治学科入学、即除籍。
 
1972年「ほんやら洞」開店に貢献。
 
1977年写真集「京都出町」出版。
 
1985年ヤポネシアン・カフェバー「八文字屋」開店。
 
京都市経済局で商業診断の仕事にも従事。
 
京都美術文化賞受賞、
 
パリ・ボザール展ジャン・ラリヴィエール賞受賞   」(内容)

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