クズラのブログ

日頃の農作業や社会活動、そして両親の介護などを綴ります(22年1月記)

母は肩の痛みもあって、いろいろと面倒くさくなる

2022-01-31 | 介護
←自宅の庭で人参ができました。

 今日(1月31日)は、田舎の家から、母を連れて予約していた歯科医院に行って歯の治療をしてもらいました。受付や治療後の支払い、次の治療予約などは、母だけではできなくなっています。

 母は、筋力が弱くなってきたうえに左肩が痛くなり、衣服の着脱が面倒くさいみたいで、ここ数日はお風呂に入っていないと言います。

 今日は僕が洗濯しようかと言うと、「トイレに行く途中で出てしもうた」(尿漏れパッドは着けていたのですが、ズボンといっしょに脱ぎかけたとき、間に合わず出たようです)と言って濡れたズボンなどを持ってきたので、いっしょに洗濯しました。

 朝食は、母と2人だけ(父はショートステイの最終日)なので、インスタントの味噌汁にして、昨晩仕込んでいた鯖の甘酢漬けや残り物のおかずを食べました。母だけのときは、どんぶりにご飯と残り物のおかずを入れて混ぜて食べています。最近は、箸が使いにくくなったみたいで、ご飯やおかずをスプーンで食べるようになりました。残ったおかずを冷蔵庫に戻すのも重たいみたいで、僕に頼むことがあります。

 夕方、父が帰ってきました。送迎車から車いすで玄関まで送ってもらい(昨年までは自分で歩行器を押して移動していました)、家の中に入って、なかなか立つことができず、「痛っ!神経痛で頭に稲妻が走った。歩けんなったし、もうおしまいかな」と独り言。最近はときどき弱音を吐くことがあります。

 外が薄暗くなったころ、僕が母に「イノシシの柵は閉めれる?」と訊くと、母は「開けるのがめんどいから閉めん」と言います。肩が痛くなってからは、柵を閉めていないようです。以前は、イノシシが家のそばの畑に入って野菜を掘って食べることがあり、数年前にイノシシの侵入を防ぐための開閉できる柵を家に入る道に設置し、毎夕閉めて朝開けていました。

 母は、今晩はお風呂に入りました。

母は38度あったので、施設から呼ばれて病院に

2022-01-27 | 介護
 今日(1月27日(木))の父は、スローながら順調に準備ができて、4泊5日のショートステイに"出勤"して行きました。

 そして今日は、母(=要介護1)の週1回のデイサービスの日でした。母は、肩の痛みをこらえながら、前日から施設に活けてもらうための花束を作ったりして準備して、迎えの車に乗って出かけました。朝食後の体温は37.1度あり、いつもは36度台なのでやや高めでした。
 その後、介護施設から電話があり、母の熱が38度あるので迎えに来て受診してくださいと言われました。迎えに行くと、その時の熱は37.7度でしたが、母を病院に連れて行きました。

 僕が病院の受付に行って母の状況を話すと、二人とも駐車場で待機するように言われ、待っていると看護師さんが車まで来て、母の赤血球の濃度を測りました。しばらくして若いお医者さんが車まで来て診察、肩はレントゲンを撮った方がいいかなあと言っていました。お医者さんらが白衣の上に着ていた透明のカバーは、ナイロン袋の中に脱ぎ捨てていました。
 またしばらくして看護師さんが来て、母は車いすに乗せられて、病院の裏口から入っていき、僕は車の中で待機。その後、僕は母のいる個室に案内され、母はレントゲンを撮った後でした。僕の妻にメールで今の状況を知らせようとしたのですが、この個室は電波が届かない部屋でした。母の体温は37.5度でした。しばらくして看護師さんが入ってきて、母の鼻の奥に綿棒を入れて組織を採取しました。
 しばらくして、内科に案内され、PCR検査の結果は陰性だった、レントゲン画像を見ると肩の骨は骨折の可能性もあるので、整形外科の先生に診てもらいましょうと言われました。整形外科の顔なじみのお医者さんの診察を受け、レントゲン室でCTを撮影しました。
 しばらくして、整形外科でCT画像を見ながら、骨折ではなく「剥離骨折」?とか言われ、痛み止めを処方され、3週間後の受診予約となりました。
 会計を済ませたのですが、このままでは妻に母の状態を説明できない!という"恐怖感"に襲われ、看護師さんに母の状態を尋ねると、「薬をもらってきて下さい。その間に先生に聞いておきます」と言われました。
 薬局で薬をもらって戻ると、僕は整形外科の診察室に案内され、お医者さんから骨の模型を出して説明され、「左肩腱板断裂」と書いたメモを渡されました。左肩から腕にかけての痛みは、痛み止めを飲みながら動かせる範囲で動かしていれば1カ月くらいで痛みは取れるということでした。
(この記事は1月27日に書きかけたのですが、書き上げ・投稿は29日になりました)

敷き布は尿で、掛布団はミルクで濡れました

2022-01-25 | 介護
 今日(1月25日)は、夜明け前に「来てくれえ」という声で起こされて父の部屋に行ってみると、父はベッドの端に座って「寒い。濡れた」と言っています。尿をたっぷり含んだ紙パンツは脱ぎ捨てられていましたが、パッドがありません。パッドを充てるのを忘れたみたいで、衣類も濡れ、敷布と防水シーツも濡れていました。衣類を持って行って着替えを手伝い、シーツ類をはがして代わりに臨時の毛布を敷きました。そして、蓋つきのコップに入れたミルクを持って行き、朝食の支度にとりかかりました。父からは「お婆さんはどねえなら?」と聞かれました。昨日の母の転倒で、父も昨夜から動揺していたみたいです。
 支度の途中で様子を見に行くと、「ミルクのコップが無(ね)えなった」と言うので探していると、掛布団の足元近くに蓋のないコップがあり、ミルクがこぼれ出ていて、僕が布団を引っぱってしまったので、ミルクは畳の上にもこぼれました。畳の上にこぼれたミルクを濡らした布と乾いた布で拭き、掛布団も濡れ布と乾いた布で簡単に拭いておいて、朝食の支度に戻りました。

 母は、昨日転んでわき腹を打っていましたが、わき腹を押してみてもほとんど痛みはないようでした。しかし、肩の痛みは少しは軽くなったものの残っているようでした。母も何とか食卓に着き、父と3人で食事(メインディッシュはシシャモ焼)を済ませ、父はトイレに行き、母はベッドに戻りました。父はトイレを済ませ、ゆっくりと余裕で玄関に向かいましたが、途中で「少し残っている」と言ってトイレに戻り、再びトイレから出たときには遅くなっていて、迎えの職員に家に上がって手伝ってもらいながらデイサービスに"出勤"しました。僕は、濡れたシーツ類を洗って干し、掛布団のミルクは再び濡らした布で拭き、こたつ布団のようにこたつに被せて乾かしました。

 午後は、予約しておいた3回目の新型コロナワクチン接種を両親が受けるため病院に行き(父は施設に迎えに行ってから病院に)、母は整形外科も受診してレントゲンを撮ってもらいました。注射の副反応もほとんどなく、骨の異常もありませんでした。注射が終わった車いすの父は、自動販売機のそばのテーブルで缶コーヒーを飲んでいて、僕は母がレントゲン室や整形外科に行く度に付き添ったり、父の様子を見に行ったりしていたのですが、途中で父の姿が見えなくなって、探した結果、病院の外にいて、「寒いなあ」と言う父を見つけて「やれやれ」って感じでした。

うん〇拭きの日でした

2022-01-24 | 介護
 昨日(1月23日)は日曜日で、小雨がずっと降っていたので、父は一日中田舎の家で過ごしました。午後、父から突然「生まれ故郷に行きてえ。もう行けんようになるから、連れて行ってくれえ」と2・3度言われました。悪いけど、コロナ下で行くのはまずい、父の実家にいるのは視力障碍の甥だけなので迷惑かけるからというと、今回は早めに引き下がってくれました。あとで「わがまま言うまあか」という独り言が聞こえました。昨日の父はわりとおとなしい人でした。

 今日(24日)は父のデイサービスの日です。朝、父は部屋から出てきて、僕が用意した着替えをゆっくり着ていました。その途中で、僕は父のパッドを回収するため、父の部屋のトイレを見に行きました。すると、パッドや便座などにうん〇が付いていました。そのうん〇が付いているところにトイレットペーパーを濡らして被せてから、着替え中の居間に戻り、父のお尻を濡らした布で拭きました。母も着替えを手伝ってくれ始めましたが、なんか臭いが消えていないような気がしていて、父の手を見ると、両手の何か所かにうん〇が付いている!布を何枚か濡らしてきて、父の手を何回か拭き、着替えた衣類もまた着替え直しました。父の手を石鹸でよく洗って(父はチラッと涙を流しましたが)、やっとご飯となりました。3人で朝食を済ませ、父は洗面所手前のトイレに行き、僕は父の触ったところを濡れた布や除菌タオルなどで拭いて回りました。父が用を足して玄関に出て少し待っていると、迎えの車が来て出かけて行きました。僕は、拭き残したところを拭き、便器を掃除して一段落。途中で父に聞いたところ、うん〇が出たのが分らなかったようです。う~ん、これからどうなることか。便が軟らかすぎたことも分からなかった原因かもしれないので、今日の夕食後の酸化マグネシウムを1錠抜いてみようと思いました。

 今日の夕方はいつもより早めの16時ごろ田舎に帰りました。家に着くと、母が焼却場の近くで転んでわき腹を打ったらしく、ベッドで横になっていました。僕は妻(=元看護師)と連絡を取り、母には安静のままでいてもらって、夕食(メインディッシュはアサリの酒蒸し)を作りました。母は、わき腹は体を動かさなければ痛くない、肩の方が痛くなっている、風呂に入って肩を温めたいというので、風呂を沸かして入ってもらいました。そして、今宵は父と2人で夕食をとりましたが、父は寂しそうでした。母は、いつものような長風呂から上がり、寝室に入りました。肩は痛いけど、このまま寝て、明日朝の調子をみて対策を相談することにしました。

朝の洗顔を省略して蒸しタオルで顔を拭く

2022-01-22 | 介護
 今日、1月22日(土)は父のデイサービスの日でした。朝のミルク、着替え、入れ歯装着、顔拭き、食事(ほっけ味醂干し焼がメインディッシュ)、薬服用、検温、排便ともにスローペースながら順調でした。

 前記の「顔拭き」について。以前、父は起床後に父の部屋のトイレに入り、部屋から歩行器で出てきて洗顔の前に洗面所手前のトイレに入り(トイレがあると便意をもよおすようです)、食事が終わって出かける前にもトイレに入るため(時にはトイレから出て玄関の方に行っている途中でまた便意をもよおしてトイレに戻ってくることも)、だんだんと動作も遅くなってきて、施設からのお迎えに間に合わせるのが大変になってきていました。そこで、父も納得して食事前の洗顔を省略し、蒸しタオルで顔と手を拭いてもらって支度時間を節約して、お迎えに間に合うように工夫しました。でも、最近はさらに動作が遅くなって、蒸しタオル拭きでも、お迎え時刻に間に合わせるのが大変になってきています。

 父は、施設に行くのが好きではありませんが、母は、手のかかる父に、施設に行ってほしいのです。数年前に母の勧めでデイサービスを利用した父は「子ども扱いのチイチイパッパに付き合えるか」と言ってほとんど行っていませんでした。3年あまり前に腰を複雑骨折して動きにくくなった父は、仕方なく施設の利用を増やしてきました(施設のお遊戯との相性も少し良くなってきました)。それで、虫の居所が悪いと「脚が痛い。今日は行かん」と言って"出勤"を拒否することがあり、でも母の説得で、最終的にはほとんどの場合"出勤"しています。

父のショートステイの間は自宅に帰って作業

2022-01-21 | その他
 今日(1月21日)は父がショートステイから帰ってくる日で、僕が17時前に田舎に帰ると、父と母は父の部屋で何か話していました。僕は「帰ったよ」と言った後、車から荷物を下ろし、炊事場の片付けなどをしていました。しばらくして父の部屋から「ご飯にしよう」という声が聞こえ、庭に出ていた母も戻ってきて3人で夕食。夕食の途中、父が食べかけていた唐揚げが箸からすべって床に落ち、母から「食べるときは口の下にお皿を受けて・・・」と注意が入り、僕も母に賛同してしまい、父は機嫌を損ねて「お前ら、親子してお爺さんを悪う言う」とすねました。父は文句を言いながらも、部屋に戻って寝てくれました。

 自宅にいた3日間の僕は、田舎の買い物の清算、我が家の家計簿への記帳、請求書に対する送金、介護施設や役所・農協・共産党などの書類のチェックや作成、残飯暈しの準備、残飯暈しの埋設、残っている家事などのいつもの作業をしました。また、遅くなっていた共産党議員の議会報告配り、赤旗日曜版の配達、集金、赤旗日刊紙の早朝配達(金曜日が僕の担当です)も行いました。やり残したこともありますが、時間を見つけてハマチと大根の煮付、かぼちゃと豚肉の甘煮も作り、煮大根とかぼちゃは少し田舎に持って行きました。

 毎週木曜日は母のデイサービスです。母はデイサービスに行くのが楽しみで、前の日から行く用意をして、後で聴くと「楽しかったー」と言います。

田舎で木を伐採。慣れないチェンソーで疲れる

2022-01-19 | その他
←剪定した梅の木(左上に少しだけ枝を残している)

 今日(1月19日)から3日間、父はショートステイです。
 6時過ぎ、父の部屋に蓋つきのコップに入れたスキムミルクを持っていくと(朝スキムミルクをお湯で溶いて父に飲んでもらうのは、母がかなり前からやっていた習慣です)、父は部屋のトイレから出たところだったので、声をかけてスキムミルクをベッドの端に置き、トイレのかごを見ると軽めの使用済み尿取りパッドが2枚あり。これなら紙パンツの方は濡れていないなと思いました。以前は、2回分吸収用のを使っていて尿が漏れることがあり、3回分に替え、4回分に替え、最近は5回分のパッドを使っています。
 父はゆっくり動作で、母に手伝ってもらいながら着替えを済ませ、食事と薬の服用、検温を済ませ、トイレにも行って、施設からの迎えに間に合ってショートステイに出かけました。

 午前中は、先日から母に頼まれていた、下の雑種地に生えている木の伐採をしました。チェンソーを家の温風ヒーターで温めてからエンジンをかけ、まず枇杷の木に取り掛かり、太めの枝を切り落としていき、最後に根本近くを切り倒しました。その琵琶の木は、世話ができていなかったので、まともな実がならなくなっていたそうです。次に花枝の木を何本か切り倒し、そして梅の木の太めの枝を切っていきました。チェンソーに不慣れだったので、枝の切り落としのときにチェンが2回はずれ、切れ味も悪くなって、途中でほとんど切れなくなってしまい、本日の伐採はここで終了しました。

 父がショートステイで施設に宿泊しているときは、僕は自宅で宿泊します。田舎では母が1人になりますが、ご飯だけは自分で炊けるので、おかずを作り置きしておけば大丈夫のようです。
 僕は、お店で買った海苔巻き弁当を食べながら車で自宅に帰りました。慣れないチェンソーで疲れていたのか、お腹の調子が少し悪くなり、ときどき横になったりしていて、出席予定の共産党県委員会主催の動画作成講習会には行けませんでした。行ったとしても、大半は居眠りしていたと思います。

母からも保険証や診察券を預かる

2022-01-18 | 介護
←今朝は雪景色。土の上の雪は解けています。

 今朝(1月18日(火)デイサービスの日)の父は順調でした。6時過ぎにお湯で溶いたスキムミルクを父の寝室に運んで「おはよう」と声かけ。トイレの隅に置いてある、中にナイロン袋を敷いたかごに使用済みの尿とりパッドが1枚だけ(いつもは2枚くらい入っていて、濡れた紙パンツが入っていることも)。ソックスを履き替え、ズボンと上着を身に着けて、食卓まで出てくるのは相変わらず遅い。でも、残り物の焼鮭を温め、具だくさんの味噌汁、その他の残り物を食べ、施設の連絡帳に書くための体温を測り、トイレに座って用を足し、玄関に出てくると8時半過ぎ。ちょうどそのころに施設からの車が来て”出勤”(父が「出勤」だと言うんです)できました。

 母は、昨日(17日)夜中に「あった、あった」と言って保険証の入った小物入れを僕に渡してくれました。3日前に地元の病院にかかったときから保険証が見つからず、ずっと探していたのですが、母の寝室の枕元にある箱の隅にあったそうです。こんなことは以前にもありました。母が受診するときは僕が付き添うので、これからは僕が保険証や診察券を持っておくことにしました(父のは以前から僕がもっています)。母は、夜中に洗濯したり入浴したり雑用をしたりします。今は、朝食後の食器を洗ったあと、ベッドに斜めに横たわって眠り続けています。

落ち込んだことも忘れてくれる"認知症"

2022-01-17 | 介護
 1月17日、父はデイサービスの利用日でした。僕は、昼間に自宅で用事を済ませ、少し買い物をして、17時すぎに田舎に帰ると、父はいつものように施設の方に送ってもらって母の待つ田舎の家に帰っていました。父の部屋に行って「帰りました」と言うと、父も帰って間がなかったみたいで「帰りました」と返してくれました。今朝の重たい雰囲気は忘れ去られたみたいで、これが認知症のいいところだなと思いました。
 夕食は、冷蔵庫のご飯を温め、サケを電子レンジで焼き、あとは残り物(南瓜と鶏の煮物、ひよこ豆の煮物、千切り大根の酢の物、鯖の甘酢漬け、買った漬物類)で済ませました。

便が軟らかくなりすぎて失敗か

2022-01-17 | 介護
 昨日(1月16日)は、父と「今日は天気が良さそうじゃから、昼から少し歩こうや」と話していたけど、午前中に排便を失敗。軟便で、便座に落ち着く前に漏れたみたいです。それで落ち込んだのか、午後の歩行はやめて、ベッドに入って寝ました。
 夕方は、トイレの汚物入れの上に尿取りパッドが置いてあり、開くと軟便が付いていました。普段はあまり失敗しないのに、今日は2回も失敗。
 夕食後は普通に床に就きましたが、深夜に大きな声で「おーい」と呼ばれ、父の部屋に行ってみると濡れたズボンとズボン下、ソックスが部屋のトイレに脱ぎ捨てられていて、父は「こねーに布団を冷とうして、しっこが漏れたがな」と怒っています。電気シーツの温度調節が冷たい方にいじられていました。「誰が冷とうしたんなら」と怒られましたが、父以外にいじる人はいませんでした。乾いたズボン下、ズボン、ソックスを持っていくと、自分で履いて寝ました。
 今朝(17日)は父の動作が非常に緩慢で(昨日の落ち込みを引きずっている模様)、朝食は何とか済ませましたが、施設からのお迎えまでにトイレが済まされず、数十分遅れで僕が送って行きました。父は、朝と夕に酸化マグネシウム(カマグ)各1錠を他の薬といっしょに飲んでいますが、今朝は朝の薬からカマグを除いて飲んでもらいました。カマグは便を軟化させるみたいなので、今朝は飲まない方がいいと考えました。薬は、朝は5錠、夕は7錠飲んでいて、以前は僕の手から父の手に手渡ししていましたが、たまに薬が床に落ちていたこともあったので、今は薬を小さなカップに入れて渡しています。

田舎で介護しています

2022-01-16 | 介護
←お正月に柚子ジャムを作って、お遊びで柚子の皮の中に入れてみました。

 2020年ごろから、田舎の父に対する母の老々介護が限界になり、僕の妻と協力して、介護と家事の援助で田舎と自宅を通うようになりました(田舎は車で35Kmのところです)。

 20年5月、蕗取り中の妻が斜面から転落、大腿骨折して2カ月入院しました。僕は、田舎の両親の介護や自宅の家事などで右往左往。

 今は、1カ月30日のうち20日間、田舎で介護や家事の手伝いをしています。妻は自宅でリハビリ中ですが、最近は田舎の介護・家事などたまに手伝ってくれるようになりました。
 父は、1カ月のうち14日(4回)のショートステイと13日のデイサービスを利用しています。母は週1回のデイサービスを利用しています。ときどき父が「今日は行かん」と言って困らせることがあるので大変です。