中国四川省の少数民族「羌(チャン族」の村では、美しい村長の孫娘が、その迷路のような石作りの村を案内してくれた。古代中国の英雄のように、美女を娶って幸福に暮らし、やがて復権へ向けて故郷へ凱旋するというような絵に描いたような図式にはならないだろうが、もしも許されるなら、私はこのままこの村にとどまり、静穏に残りの人生を送りたいとさえ思ったものだ。そのころ、私は、「由布院空想の森美術館」(1986-2001)を閉館し、宮崎県西都市へ移り住んだ後、友人が経営する旅行会社の仕事を兼ねてアジアの村を訪ねる旅を続けていたのであった。その旅は、見るもの聞くものすべてが珍しく、刺激的で感動に満ちた旅だったが、私の胸には、癒しがたい傷痕が疼いていた。
村の中央部にそびえる高い石の塔に上った後、村長の孫娘は、自分の家へと私を案内してくれた。そこには、石で囲まれた広い居間があり、中央正面の壁に大ぶりの鬼の面が飾られていた。それは、すでに使われなくなって久しい、追難(ついな)の面であった。その鬼面の前で、村の女たちが羌族に伝わる優美な踊りを踊り、私を歓迎してくれた。そのとき、激しい爆竹の音が響いた。村中に響き渡り、石の家々を揺るがすようなその音は、中国の旧正月「春節」を祝うものであった。
地震で壊滅したと伝えられたあの村は、半年を経過した今、復興への道を進んでいるだろうか。村長の孫娘や村の女性たちは、男たちが築く砦のような石の家へ向かって、一個ずつ、小さな石を運んでいるだろうか。
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