[白い花の咲くころ] 伊藤冬留
往年の歌手岡本敦郎(おかもとあつお・北海道小樽市出身)の死去を1月8日(2012年)の夕刊が報じていた。戦後間もない頃、彼の歌う抒情的歌謡曲は一世を風靡したが、中でも広く歌われたのは「白い花の咲くころ」である。
白い花が咲いてた
ふるさとの遠い夢の日
さよならと云ったら
黙ってうつむいてたお下げ髪
悲しかったあの時の
あの白い花だよ
この「白い花」は、私は辛夷ではないかと思っている。私の郷里北海道では、雪が解けると、裸木ばかりの里山に真っ先にあの白い花が咲くからだ。あの頃肺結核で自宅療養していた10歳違いの兄は、この歌が好きで、低い声で良く口ずさんでいた。兄の古いアルバムのお下げ髪の少女は、後に許嫁になった同じ職場の後輩である。この歌のレコードが売りだされた昭和25(1950)年は、私は新制高校1年生だった。6月のある朝、国語の先生が教室に入って来るなり、「朝鮮でまた戦争が始まったぞ」と大声でいった。朝鮮動乱である。
長い十五年戦争が終って、やっと平和が実感され始めた頃に、また戦争かと驚きと共に暗澹たる気持ちになったものだ。翌年3月、春の大雪の夜、兄は闘病の甲斐無く他界した。葬儀の日、兄の柩は馬橇に載せられ、列の先頭に遺影を抱いた許嫁が泣きながら立ったのを今でも覚えている。
今年2013年は朝鮮戦争休戦協定締結60年に当たるが、南北朝鮮は正確には未だ戦争状態にある。しかし「戦後」といわれた時代は遥か遠くになってしまった。あの頃日本人は貧しかったが、みな明るかった。抑圧された時代からの解放感と、民主主義という新しい価値観の国づくりが意識下にあったからだ。今日の経済的には一応満ち足りた後の閉塞感とは大きな違いである。貧し過ぎるのは喜ばしい事ではないが、富み過ぎるのも又喜ばしい事ではない。敦郎、亨年88歳。
故郷の山の辛夷を弔花とす 冬 留
表記の企画展が始まります[7月20日~8月31日]。
まずは展示途中の様子を公開。文字パネルに厚みを加えながら絵画の展示替えを並行して進行してゆきます。
この企画はこの「森の空想ブログ」に連載した、詩人・伊藤冬留氏のエッセイと高見乾司の絵画のコラボレーションシリーズから抜粋して「展示」としたものです。インターネットで手軽に情報を入手できる現代において、実際の作品の前に立ち、「観る」「読み取る」「思索する」などという行為を再考し、本来の「観賞」を考える機会になればありがたいと思っています。(企画者・高見乾司)