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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

歴史教育の難しさと恐ろしさ

2013-01-05 14:18:05 | 政治経済のことも考えよう
ある社会運動団体が街頭で、
歴史教科書問題に関するビラを配っていました。

それは中学校の歴史教科書における沖縄戦の記述を例にあげ、
自虐教科書が日本人の誇りを失わせ、国家観を喪失させている。
ひいては我が国の主権の衰滅の根源となっているというものでした。

そこに書かれてあったのは、おおむね次のような内容でした。

・沖縄戦では戦闘能力を失った日本軍が、沖縄の住民の食料を奪い、
 安全な壕から追い出し、「最後の一兵まで戦え」と命令するなどして、
 住民を集団自決に追いやった等、日本軍の悪行が記述されているため、
 この教科書を読む生徒は、日本軍が住民を集団自決に追いやったと受け取る。
・日本軍は集団自決を止めていたのだから、事実が逆さまに教えられている。
                     (帝国書院「中学生の歴史」217頁を引用)
・同じ文科省の検定を通った教科書でも、日本の立場に立って記述し、米軍の
 攻撃で集団自決が起こったことや、米軍が逃げ惑う住民の頭上に雨あられと
 爆弾を落としたこと、洞窟に逃げ込んだ人々も、火炎放射器で容赦なく攻撃
 されたことを正確に書いたものもある。
                   (自由社「新しい歴史教科書」238頁を引用)

そしてこのビラを配っていた団体は、
「自虐教科書を追放し、誇りある日本人を育てましょう」と結んでいます。
それでは、このビラが言うように「帝国書院」の教科書は誤りで、
「自由社」の教科書が正しいのでしょうか?

日本軍兵士による略奪や集団自決の強要も、
米軍兵士による民間人への火炎放射攻撃も事実です。
どちらかが事実で、どちらかが事実でなかったわけではありません。
また、軍の正規の命令があったか否かも関係ありません。
それが戦争の狂気なのですから。

この問題は、
「どちらの教科書も一方の視点でしか書かれていない」
ということにあります。

かつて南米を征服したスペインを例に出すまでもなく、
自虐史観が他国に利用され、また国力を衰退させることは否めません。
その点では、この社会運動団体の主張は間違っていません。

しかし、歴史は数学や科学ではありません。
人間が織りなす出来事である以上、
立場が違えば、それに対する解釈や真実も異なるものです。

歴史を教える大人たちが、
一方の立場や考え方だけを教え、一方の立場や考え方を隠す、
あるいは教えないという行為こそ戒められるべきです。

その意味では、今の日本の歴史教育は不十分であるし、
中国や韓国のそれはさらに誤っていると言わざるをえません。

子供たちに双方の立場を正しく教え、
理解させてこそ、正しい歴史観と愛国心が生まれ、
真の平和につながっていくものだと考えます。

逆もまた真なり

2012-12-28 23:59:59 | 政治経済のことも考えよう
下村文科相が記者会見で、朝鮮学校に対して
高校授業料の無償化を適用しない方針であると発表しました。

一方で、朝鮮学校側は国家賠償請求訴訟を検討するといいます。
そして二言目には、「子供たちを傷つけた」「子供たちが可哀そう」とも。

しかし、もし現代の日本の学校で、天皇陛下の肖像画を掲げ、
教科書に「先の大戦は日本を護るためにやむを得なかった」と書いたら、
彼らや、彼らの母国はどんな反応を示すでしょうか。
おそらく、授業料無償化反対どころの騒ぎでは済まないでしょう。

また彼らは、「教育を政治の道具にしている」と非難しますが、
授業料無償化のために投入される費用は公金です。
公金であるということは「政治の問題」であるということです。

彼らが、「子供たちが可哀そう」などと情に訴えるのはナンセンスです。
なぜなら、「政治の道具にしている」と非難されている政治家も大人なら、
子供たちに、教室や職員室に「将軍様」の肖像画を掲げて崇拝させ、
彼らの母国にとって都合の良い歴史を教えているのもまた大人たちだからです。

子供たちは本当にそんな思想教育を望んでいるのでしょうか。
私には、どちらも「子供不在」の論争であるように思えてなりません。


鍋の中の蛙(かわず)

2012-12-25 23:12:50 | 政治経済のことも考えよう
デフレを喜ぶのは公務員だけです。
なぜなら物価が下がっても、あるいは税収が下がっても、
給料はほとんど下がりません。
むしろ相対的には上がっているのと同じですから。

民間企業では、物価が下がると給料はそれ以上に下がります。
なぜなら民間企業は、商品の値段を下げて利益を出すためには、
値下げ分を上回るコストの削減をしなければならないから。

「牛丼やハンバーガーの値段が下がった」
などと喜んでいられるのは束の間、
デフレはめぐりめぐって、それ以上に賃金が下がり、
下手をすれば収入源(職)さえ失いかねません。

その悪循環に陥ったのが、日本のこの20年間でした。

先の衆院選挙で野田首相は、
「民主党はこの三年間で、公共事業の三割を削減した」
「昔の時代にまた逆戻りするのか、前に進むのか」
と自慢げに演説しました。

しかし、自民党は三年前の政権交代までに、
すでに建設投資をピーク時の半分近くまで削減していました。
そこから三割の削減ですから自慢するほどのことでもありません。
前政権を踏襲し、絞った雑巾をさらに絞っただけにすぎません。

この20年間、公共工事を目の敵にして削減し、
景気は回復したでしょうか?国民は幸福になったでしょうか?

また、天下り根絶や公務員制度改革、
議員定数削減などによる歳出削減も財政再建には不可欠なものです。
しかし、結局、この20年間で完遂されたものは何もありませんでした。

どんな政策であれ、施策であれ、
20年も続けて成果が表れなかったということは、
とりもなおさず、それは失敗だったということです。

そして20年かけてできなかったことは、
これから20年かけても実現の見込みはないということです。

これまでのやり方で成果が出なかったのだから、
新しいことにチャレンジするのはあたりまえでしょう。
民主党の三年間は、そのチャレンジが失敗したということです。

「このまま茹でガエルとなるのか、鍋から飛び出すのか」

今回の衆院選挙の結果は、
多くの有権者がそのことに気付いた結果ではないでしょうか。





死してなお、名を落とす

2012-12-18 22:47:29 | 政治経済のことも考えよう
民主党の大敗で、報道される落選議員の恨みつらみ。

「戦略ミスだ」「準備不足だった」「自爆テロ解散」
「首相は『近いうちに』の言葉に重きを置きすぎた」
聞こえてくるのはそんな声ばかり。

鳩山元首相から菅前首相、野田首相へと続く
三年間の失策の積み重ねを省みることなく、
解散時期や選挙対策ばかりに原因を求める不甲斐なさ。
これじゃあ恥の上塗りというものです。

三年前の政権交代の時、
民主党は大勝のあまり、「浮かれぽんち」になっていました。
いま思えば、それが「いま」を暗示していたのかもしれません。
さすがに自民党は、今回の圧勝にも厳しい表情です。

いまの民主党の体質では、
議員一人ひとりの体質が変わらなければ、
解散が予算を成立させてからであっても、
任期満了であっても、結果は大して変わらなかったでしょう。
昨日のブログに書いた、チャート・テストと同じです。

このままでは、
来夏の参議院選挙も言わずもがなです。


三代目が国を潰す

2012-12-12 23:01:05 | 政治経済のことも考えよう
「三代目が会社を潰す」とは、よく聞く言葉です。
しかし、これは何も会社に限った話しではありません。
国家が道を誤るのも、節目から三代あと、
すなわち孫の代であることが多いものです。

たとえば日本。
明治維新で新しく生れ変った日本は、
維新を成し遂げた先達が一代目だとすると、
その子供たちが遺志を受け継いで近代国家を築くために邁進しました。
そして名実ともに近代国家の仲間入りを果たした日本は、
維新から数えておよそ孫の代で道を誤り、
不幸な戦争へと突き進んで行きました。

それは当時の軍人や政治家の多くに、
明治維新で活躍した人物の孫がいたことからも明らかです。
近代国家となり、彼らはアメリカやヨーロッパに留学し、
当時最高の教育を受けたはずにもかかわらず、
三代目は道を誤ったのです。

苦労知らずの三代目が、
会社の創業理念を忘れてしまうように、
国家も建国の志を忘れてしまうのでしょうか。

いま身近なところで孫の世代が統治する国家といえば、
すぐに思い当たるのは中国と北朝鮮です。
北朝鮮など、名実ともに「創業者の孫」です。
そして日本もまた、敗戦から出直したときから数え、
孫やひ孫の世代が政治の中心となりつつあります。

歴史を見れば、
対外的に諍いを起したり、内部崩壊で自滅したりと、
道の誤り方はさまざまですが、会社を例に挙げるまでもなく、
三代目の時代こそ、不幸な歴史を繰り返さないよう、
注意していかなければなりません。