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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

クレーマー扱いされないために(15)

2011-02-19 23:54:00 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【番外】

番外:ここでちょっとだけ言い訳

こんなコメントをいただきました。曰く、

・「あれをするな」「これをするな」と企業側に都合のいいことばかり。
・企業側の戦略を誇示し、読者を脅迫しているようにしか見えない。
・企業が有意義と判断するクレームの基準を書かなければだめ。
・いかにしてクレーマーを作らないかを最優先することが大事。
・これでは単なる権利の抑制・・・云々。

確かに多くの人が、
「企業に都合のいいことばかり書いている」と感じているのかもしれません。

「ひとつのクレームの背後には、その何十倍もの物言わぬクレームが潜んでいる」
コメントはクレームではありませんが、この法則にあてはめるならば、
このブログを読んだ、ほとんどの人がそう思っていても不思議ではありません。

でも、ここに書いたのは、あくまでも度を越した発言のこと。
一度や二度、「株主総会で発言する」とか「「社長を出せ」と言ったところで、
悪質クレーマーとして扱ったり、弁護士を介入させたりするようなことはありません。

むしろ、担当者にクレーム対応力が欠けていると感じたら、
言うべきことは厳しく指摘すべきでしょう。
時には、文書で回答を要求することも必要だし、
担当者を上司に変えてもらうことも必要になります。

要は「言うべき内容と言い方は、よく考えましょう」ということです。

誰もがそうであるように、
私自信も私生活では、時にクレームを言う立場になります。
頭に血が上れば、これまでに書いたような「禁句」を使って、
企業の担当者に心理的圧力をかけたくなる気持ちはよくわかります。
「要求を通すため」というより、一種の「懲らしめ」の心理です。

企業のクレーム担当者の中には、
私生活ではここぞとばかり、相手をとことん困らせる、
悪質クレーマーに豹変する人もいるでしょう。

でもこんなものは、権利でもなんでもありません。
クレームを言うことと、相手を困らせることとは全く違うのです。

このコメントをくれた人が言うとおり、
企業側のクレーム対応で一番重要なのは、まさに、
「普通のクレーマーを悪質クレーマーに変えないようにすること」です。
一部の確信犯的な悪質クレーマーを除けば、
悪質クレーマーは企業自らが生み出していると言っても過言ではありません。

クレーム対応で、まず真っ先に教えられるのは、この一点に尽きます。

したがって、企業によっては、
「普通のクレーマーを悪質クレーマーにしないためのノウハウ」というものが
教育されていますし、それについて書かれたビジネス本も書店には並んでいます。
また「クレームは宝物」といった内容の、
企業にとってクレームを有意義に活用するためのハウツー本も数多くあります。

しかし、それはこのカテゴリーで書く題材ではありません。

これまで、「総務のお仕事(反社対応)」のカテゴリーでは、
悪質クレーマーにどう対応するか、という視点で書いてきました。

それがなぜ、「クレームのつけ方」の視点で書くことにしたか、
それには、小さな理由があります。

それはある一冊の本がきっかけでした。
その本は、悪質クレーマーのマニュアルとも言うべき内容でした。
ずいぶん昔に、「完全自殺マニュアル」という本が世間を騒がせましたが、
そういった類に分類される本だといえばイメージしやすいでしょうか。

あまりにも腹立たしいので、本のタイトルや著者は宣伝しませんが、
クレームで儲けることを謳ったその本には、以下のような内容が書かれていました。

・怒鳴る、怒る
 最初に威圧的な態度で、こちらのペースを握ることが大事。
・言葉遣いは敬語1割、タメ語9割
 相手が口を挟んだら、「黙ってろ」「人が話してんのに、何言ってんだ」と威嚇せよ。
・時間はいくらでもある
 長期戦で挑め。最後は根気比べ。
・相手にしゃべらせない
 相手の言動はわざと遮れ。真面目に聞いていてはペースを握ることはできない。
・クレームの基本
 ①我々は客である=偉い、②お前らは製造者・販売者=責任がある
 ③責任がある=客の要求には、不条理な内容であっても誠意をもってこたえろ。
・まずは、電話でのクレームで度胸と交渉の流れを学んで経験を積め・・・・・・などなど。

表現や出版の自由を論じるつもりはありません。
ただ、このような本を売って儲けている者がいるということに腹立たしさを感じた次第です。

そこでこれを逆の視点で書いてみたい。
そう思ったのが、このカテゴリーを書き始めた理由なのです。

ときどき視点がブレていますが、それは私の筆力のなさ。
お恥ずかしながら、どうかご容赦ください。


クレーマー扱いされないために(14)

2011-02-07 23:59:59 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【発言編】
その13.本当はこちらからお願いしたいくらいなのです

巷のクレーム対応本には、「クレームは宝の山」などと書かれています。
でもそれは、真っ当なクレームを真っ当な方法で訴えてこそ言えることです。

また、多くのクレーム対応本では、
悪質クレーマーにうまく対応して継続顧客に変えたとか、
自社製品のファンに転向させた、などといった事例が紹介されています。
でもそれは、クレーム対応本を執筆できるような、
類まれなる対人能力を持っている著者だからできたことです。

普通の人には、そんな神業のような真似はとてもできませんし、
精神力も維持できません。

「もうこんな店には二度と来ない」
「あなたのところの製品は、もう絶対に買わない」

そう言われると、クレーム対応担当者はあわてて、
「そんなことをおっしゃらずに」とか
「精一杯の対応をさせていただきますから、またご利用をお願いします」
などと言ってとりなします。

本当に「もう来ない」「買わない」と決意している人は、
わざわざそのような宣言はしません。

それを宣言するからには、
「客が一人減るぞ」「売上が一人分落ちるぞ」といった、
心理的圧力をかける意図が読み取れます。

したがってこういったセリフもまた、
悪質クレーマーの判断根拠とされてしまうのです。

クレーマー対応本にあるように、
悪質クレーマーを優良顧客に変えることができれば、
それに越したことはありません。

でも実際には、たった一人の行過ぎた悪質クレーマーよりも、
たくさんの普通の消費者に重きを置くというのが現実なのです。


クレーマー扱いされないために(13)

2011-02-05 20:51:00 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【発言編】

その12.「道義的責任」と「社会的責任」

「道義的責任」や「社会的責任」とは何でしょうか。

たとえば、スーパーマーケットで買ったお惣菜に、
明らかに自分のものとは違う髪の毛が混入していたため、
買ったお店にクレームを言ったとします。

クレーム解決には、大きく分けて「補償」「弁償」「交換」の三種類がありますが、
この場合は、食中毒などの被害が出ていないので「弁償」が一般的な対応でしょう。
瑕疵のある商品(キズモノ)を売ったわけですから、
お店には返金するか、同等のものと交換する法的義務があります。

数百円程度の商品で、実害も出ていないのであれば、
お詫びとともに代金を返してもらって終わるのが通常のはずです。

しかし、これに「道義的責任」や「社会的責任」を持ち出すと、次のようなクレームになります。

□「道義的責任」の場合。
  「食べなかったからいいという問題ではないでしょ。
  このおかげで、自分は忙しいのに時間を割いて来なければならなかったんです。
  それにガソリンも高いというのに、ウチは遠いから車でなければ来られないんです。
  確かに被害こそなかったけれど、お店には道義的責任というものがあるでしょ。
  いったい、どうしてくれるの」 

□「社会的責任」の場合。
  「チラシにはいつも『安心安全な暮らしのお手伝い』と書いてあるのに、
  この商品管理はあまりにもひどいんじゃないの。
  消費者に安心安全な食材を提供するのが、食品スーパーの社会的責任でしょ。
  それができていないなんて、どうするつもりなの」

つまり簡単に言えば、法的責任の有無や軽重に関係なく、
「道義的責任」は自分や特定の個人に対して、
「社会的責任」は不特定多数の人々に対して、
どのようにお詫びするのか答えなさい、となるわけです。

企業やお店は、まず第一に「お詫び」をするとともに、
クレームに対して「法的責任があるのかどうか」、
「法的責任があるのであれば、それをどう果たせばよいのか」を考えます。

法的責任を果たし、あるいは果たすことを伝えたにもかかわらず、
「道義的責任」や「社会的責任」をどうするのかと問われれば、
それは法的責任を果たす以上の要求をされているということになります。

「道義的責任」はしばしば「迷惑料」という形で、
「社会的責任」は「謝罪広告」という形で要求されることが多いものです。
しかし、そのどちらにも法的義務はありません。

法的義務のない要求は、クレームの内容に照らして判断することになります。
とくに「社会的責任」は、クレーマーに言われたからといって果たすものではありませんし、
クレーマーに対して何か具体的なお詫びをするという性質のものでもありません。

従っていずれの場合でも、クレームの内容に照らして過大な要求であれば、
それは不当要求、すなわち悪質クレーマーとして扱われてしまうのです。


クレーマー扱いされないために(12)

2011-01-31 23:10:20 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【発言編】

その11.「訴えてやる!」って言うだけじゃなくて

人は多くの場合、
「法的手段に持ち込まれるのを嫌がるだろう」と考えがちです。
悪質クレーマーも、それを狙って心理的圧力をかけます。

でも、実はそうじゃないんです。

たいていの場合、会社やお店は持ち込まれたクレームに対して、
すでに法的手段を取られても問題のない解決案を提示しています。
ですから「法的手段」という言葉をことさら重大にとらえたりはしません。

もちろん本当に調停や裁判になれば、時間もお金も労力も割かれるため、
会社やお店側としても望むところではないので、
なんとかそうならないよう理解していただこうと努力はします。

しかし、それは決して相手を特別扱いしたり、
言われるがままの過大な要求を受け入れたりして
穏便に済ますということではないのです。

法的解決というのは、ある意味とてもドライなものです。
クレーマーが要求する内容より、ずっと軽い着地点を示されることもしばしばです。
たとえ会社やお店にとって重い着地点であっても、
司法という公正な第三者の判断、あるいは仲介による決着ですから、
株主などから隠蔽や背任の指摘を受けたりしないという安心感があるのです。

テレビ番組の影響からなのか、
「対応次第では出るところに出る」「裁判も辞さない」「弁護士に相談する」
などと言うクレーマーが、昔に比べるとずいぶん増えました。

でも意外とそれを望んでいる担当者も多いのです。

以前、クレームで過大な要求をする反社会的組織の人間がいました。
クレーム自体は真っ当なものでしたが、要求内容が不当だったものです。

こちらが一定の解決策を提示し、一歩も引かないでいると、
「裁判費用のほうが高くつくかもしれないが、
 たとえ損をしてでも、ワシらは絶対にスジを通すからな!」
と啖呵をきられて物別れになりましたが、結局それっきりでした。

やっぱりお金は大事だったようです。





クレーマー扱いされないために(11)

2011-01-26 23:11:00 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【発言編】

その10.ご存知、クレーマーの十八番!「誠意を示せ」って言うけれど。

「誠意を見せろ」「誠意が感じられない」「誠意が足りない」
クレーム対応をしていると、耳にタコができるほど「誠意」という言葉を聞かされます。

そもそも「誠意」って何でしょう。

謝罪する側の態度が横柄で、言葉遣いもなっていないような、
「常識」以前の誠意の伝え方は論外として、
一般的には、人は相手がその能力や状況による制約を超え、
無理をして自分のために尽くしてくれて、
初めてそれを「誠意」と感じる傾向にあるようです。

つまり謝罪という行為では、謝罪する人が苦にならないような対応では、
人は「誠意がある」とは認めてくれないというわけです。

しかし、クレーム処理でやり取りされる「誠意」は、これとはちょっと違います。

会社やお店にやって来る悪質クレーマーが口にする「誠意」は、
「自分の要求を100%受け入れること」
または「期待以上の対応をすること」を意味しています。

「対応が遅い」「謝り方がなっていない」などといろいろ難癖をつけても、
結局のところは「自分を満足させなさい」の一語に尽きます。

一方、クレームを受ける側にとっての「誠意」とは、
「会社の規則や法律、社会通念に則り、最も適切な対応をさせていただく」ということです。
決して「他のお客様よりも厚遇したり、特別扱いしたりする」ということではありません。

普通のお客様であっても悪質クレーマーであっても、
クレームの内容が同じなら、対応結果も同じであるのがクレーム対応の大原則です。
なぜなら、違った対応をするということこそ、
他の大勢のお客様に対する誠意を著しく損ねることになるからです。

したがって「誠意を示せ」と言われたときと、そうでないときとで、
「金額」や「物品」などにおいて対応結果が違うなどということはありえないのです。

このように、お互いには「誠意」に対する認識の違いがありますから、
両者が納得するような「誠意」などというものはないのです。

そもそも「誠意を示せ」という言葉は、
昔から反社会的勢力が不当要求の際に常套句として使ってきたものです。

具体的な要求を示さず、言葉の裏には、
「満足できる結論でなければ許さない」という意味が込められていますから、
クレーム対応の担当者はどう対応したら良いのかわからず、
相当の心理的圧力を感じさせられます。

このような心理的圧力を手段に用いるクレーマーは悪質と判断されるのです。

「誠意」「誠意」と何度も繰り返すクレーマーには、
「具体的にどうすれば良いか言ってください」と聞き返すことがあります。
こうすることによって、悪質クレーマーの常習者か否かを見極めたり、
相手の目的が何なのかを確認したりします。

常習者は絶対に具体的な要求は口にせず、
「そんなことは、そちらで考えろ」としか答えません。
悪質クレーマーは、あとになって強要・恐喝の問題になったとき、
「あれは勝手にそちらが提案したこと」と言い逃れできるよう、リスクをとるからです。

もちろん、だからといってささいな内容のクレームで、
「慰謝料として何十万円ください」と法外な要求をしても、
それが叶うわけではありませんが。

クレームをつけるときには、
担当者に「やっかいな相手だ」と思われないようにすること。
結局これが一番良い方法なのです。

ところで余談ですが、
さだまさしの曲に「償い」という歌があります。
自動車で死亡事故を起こしてしまった加害者が、
毎月わずかな給料から7年間にわたり、
被害者の妻に仕送り続けたという実話をもとにした歌です。

この曲の終わりで、加害者の手元に被害者の妻から初めての手紙が届きます。
「もうあなたの気持ちはわかったから、自分の人生をどうかもとに戻してください」と。

もし、このお金が保険金で一括払いされて終わっていたら、
あるいはこの加害者が大層な高額所得者で、何の苦もなく仕送っていたのだとしたら、
それが例えどんなに大金であったとしても被害者の妻は、
手にしたお金に彼の「誠意」を感じることはなかったでしょう。

「誠意」というものは求めて得られるものではないし、
伝えようとして伝わるものではありません。

つまり「誠意」とはそういう性質のものです。
むずかしいですね。