
日本は憲法9条さえ守っていれば、平和が約束されるのでしょうか。
日本にも死刑を廃止していた時期があったといいます。
それも374年という、長きにわたって。
時代は平安時代、
810年に「薬子の変」で藤原仲成が処刑されたのを最後に、
嵯峨天皇が818年に律を改正し、
死刑に値する罪を犯した者は、遠流または禁獄と定めたそうです。
そしてこれ以降、26代もの天皇がどんなに重罪であっても、
死刑を執行しませんでした。
これが日本で唯一、国政上の死刑が廃止されていた時代です。
これは当時、貴族たちの間に深く浸透した仏教思想と、
貴族政治とが融合した結果でしょう。
その死刑廃止の時代に終止符を打ったのは、
平安の貴族政治を終わらせ、武家政治の礎を築いた平清盛でした。
死刑の復活以降、統治権力が公家から武家に移行し、
武士による政治体制が磐石になるにつれて、
為政者による拷問や処刑の方法も残酷になり、凄惨を極めます。
「拷問と処刑の日本史」 歴史ミステリー研究会 編/双葉新書 刊
本書は、拷問や処刑が行われた時代背景や、
当時の宗教観、思想などを探求した学術書ではありません。
どちらかと言うと、
神話の時代から明治時代に至るまでのさまざまな文献から、
拷問や処刑の方法、その変遷についてだけを抜き出し、
とりまとめたような内容です。
そのため、日本にも古代ローマの暴君ネロのような天皇が存在していたことや、
大河ドラマなどでは決して描かれることのない、
日本人が大好きな戦国武将たちの酸鼻をきわめる暴虐ぶりが
容赦なく描かれています。
各地には、戦国武将を神として祭った神社があちらこちらにありますが、
「そこに手を合わせて拝むってどうよ?」と思ってしまうほどです。
もちろん、「人権」などといった概念など微塵もない時代のことです。
家臣はもとより、親族・兄弟にさえ寝首をかかれる時代背景も
念頭にいれて読まなければなりません。
しかしそれでも、
「この本の著者は、死刑制度廃止の推進派なのだろうか」
ふと、そんなことを考えてしまいました。
興味のある人だけ、読んでください。
多くの日本人が、その名を一度は聞いたことがある「ジョン万次郎」。
彼について書かれた書籍や資料は数多くありますが、
この本は彼の生涯が歴史小説風にまとめられ、
まるでドラマを見ているように読み進められる、非常に面白い一冊でした。
著者は、ジョン万次郎こと中濱万次郎の曾孫、中濱武彦氏です。
「ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎」
中濱武彦 著/講談社 刊
ジョン万次郎の名は昭和の時代になってから、
井伏鱒二の小説で初めて用いられ、広く呼ばれるようになったもので、
それ以前は、ジョン万次郎とは呼ばれてはいませんでした。
ジョン・マン(John Mung)、これが当時からの彼の呼び名です。
また、彼は日本人が「長州人だ」「薩摩人だ」などと、
藩人としての帰属意識しか持ち得なかった時代に、
「Japanese」と名乗った、おそらく始めての日本人でした。
それは明治維新の21年も前のことです。
私たちは、彼の数奇な人生について、
「彼は土佐の漁師で、漁の途中で遭難し、アメリカの捕鯨船に救助され、
アメリカで勉強をして日本に帰国後、維新の志士に大きな思想的影響を与えた」
という程度の認識しかもっていません。
学校の授業で教わる彼の歴史的役割については、その程度の内容です。
しかし、その人生は波乱万丈で、ドラマチックなものでした。
七日間の漂流と絶海の孤島での143日にわたるサバイバル生活。
米国の捕鯨船による救出とダイナミックな当時の鯨猟。
アメリカでは驚くことばかりの先進文明と民主主義思想と出会い、
高度な教育を受けて航海士となり、捕鯨船に乗って世界中の海を渡り歩きます。
そして世界中の欧米の植民地を目の当たりにして抱いた、
頑なに鎖国政策を続ける日本への危機感と帰国の決意。
ゴールドラッシュにわくカリフォルニアで、多くの荒くれどもと帰国資金を稼ぎ、
捕縛、斬首の危険を顧みず命を賭しての日本上陸。
幕末の志士や諸大名、幕臣との出会いと交流などなど・・・
「彼の生涯を描いたドラマ(映画)を見てみたい」
無性にそう感じさせるほど、想像力をかきたてられるものでした。
この本を読んだあと、
彼を主人公にしたドラマや映画はないものかと探しましたが、
これが不思議と見つかりません。
どれも脇役ばかりです。
同じ江戸時代の遭難者である大黒屋光太夫は、
緒形拳の主演で映画になっているというのに!
ぜひ彼の生涯を描いたドラマ(映画)を見てみたいものです。
成年になったジョン・マン役は、堤真一あたりでしょうか。
ラストシーンは、彼が日本に帰国して十数年後、
彼を太平洋の孤島で救助し、養父となったホイットフィールド船長と
二十一年ぶりに再会する場面で決まりです。
再会場面は、ちょっと感動します。