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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

次に核を使う者

2011-01-29 23:59:59 | 書籍の紹介
この種の本は、往々にして著者の一方的な主観や偏見による場合も多いので、
左右の本をバランス良く、客観的な意識を忘れないように読むよう心がけねばなりません。

しかし、最近の中国に関する報道や過去の歴史を振り返ってみれば、
この本が単に嫌中評論家の中国バッシングであるとは片づけられません。


「日本支配を狙って自滅する中国」 黄文雄 著 / 徳間書店 刊

戦後日本の政権の中で、
最も親中であるはずの民主党政権下で起きた尖閣諸島海域での漁船衝突事件。
なぜ、中国は対日強硬姿勢をエスカレートさせているのか。
なぜ、中国はここにきて領土拡大の野心をあらわにし始めているのか。
日本の対中外交のどこに問題があったのか。

そんな中国と日本との間に横たわる基本的な疑問について、
漁船衝突事件後では、もっともわかりやすく解説している一冊だと思います。

その中でもショッキングなのは、
中国が2011年6月17日に決行を計画する「千船保船」作戦でした。

これは2010年の夏、ワシントンに集まった在外華僑が「保釣(釣魚台を守る)」を主張し、
両岸三地(中国・台湾・香港)の民船1000隻で尖閣を包囲することを呼びかけたものです。

尖閣諸島海域では、
すでに中国の漁業監視船が頻繁に出没するようになったことからもわかるように、
実行されれば民船の背後に人民解放軍海軍が護衛につくことは明らかです。

民船に対して武力行使をするわけにはいきませんから、日本は手も足も出せません。
そうして中国民兵は尖閣諸島に上陸し、日本の実効支配を放棄させるという計画です。
もし日本が実力行使でこれを阻止しようとするならば、
そのとき中国は、日本が侵略行為を行ったと主張して武力をもって応じるでしょう。

中国にとっては願ったり叶ったり。
どちらに転んでも中国が望むようになるシナリオなのです。
なにしろ今の中国は海軍力を増強し、世界第二位の経済大国になって自信満々です。
これが中国が「人民戦争」と呼ぶ民兵を使った戦争です。

たとえ6月17日の決行が杞憂に終わったとしても、
中国の軍備増強が整い、日米関係が弱体化したときを狙って、
中国は尖閣諸島を実行支配するため、いずれこの作戦を実行すると思います。
遅いか、早いか、ただそれだけの違いです。

先日、テレビの報道バラエティ番組で売れっ子タレントがこんなことを言っていました。
「尖閣諸島なんてちっぽけな島にこだわる必要はない。
 そのために膨大な防衛費を使うくらいなら、さっさと中国にやってしまって、
 そのお金を福祉にまわすべきだ」

逆説的な意味を強調するため、
そのように台本に書かれていたのかもしれません。
しかし、実際にそのように思っている日本人は、
口に出さないだけで結構いるのではないでしょうか。

なぜ、尖閣を死守しなければならないのか。
それは単なる領土や海底資源の奪い合いではないということを、
日本のメディアはもっと広く国民に周知すべきでしょう。

中国の核ミサイルは、間違いなく日本に向けられています。
多くの核保有国が、核を抑止力としているにもかかわらず、
中国は北朝鮮と同じように、あからさまに恫喝の手段として使っています。

中国はアメリカに対して、
「中台関係に首を突っ込むようなら、アメリカ本土への核攻撃も辞さない」と威嚇したり、
台湾は中国の領土であるということを前提に、
「核の先制不使用は、国内に対しては除外する」と台湾を恫喝してみたり。

中国の軍部では、核も準備を整えて先制使用すれば、
核戦争に勝利することができると教えられていると言います。
また、毛沢東の時代から
「核戦争が起きても、中国人は半数が生き残る」と発言しています。
だから中国の勝利なのだと。

国民をただの数でしか見ていない国。
これが人権のない国の人間観なのです。

大規模な対外戦争が起きれば、
中国はためらわずに核ミサイルを使用するでしょう。
そうなる前に、現体制が内部崩壊し、
開かれた民主国家に転換することを祈りたいものです。

易姓革命の考え方に基づいている中国では、
その長い歴史の中で、血を流さずに政治体制が交代した例はありません。


「江戸のお裁き」

2010-12-11 23:59:59 | 書籍の紹介
以前に「拷問と処刑の日本史」という本を紹介しましたが、
今回は、江戸時代に焦点をしぼり、拷問だけでなく、
裁判と刑罰の制度をわかりやすく解説した本です。


この本を読んで時代劇の「お裁き」のシーンを観ていると、
なんだか裁判を傍聴しているような気分になり、
思わず「お奉行様、それは御定書と違います!」とツっこみたくなります。


「江戸のお裁き」 河合 敦 著 / 角川学芸出版 刊

江戸時代は、罪人は誰でも簡単に死刑になりました。
殺人や放火・強盗のような凶悪犯だけでなく、詐欺や窃盗、不義密通など、
現代の法律では考えられないような罪状で死刑になりました。

処刑された罪人を葬った回向院には、
江戸時代250年間に20万人が埋葬されたというのですから、驚くべき数です。

これほど簡単に死刑になると、処刑の方法だけでなく、
死後の遺体の取り扱いまで罪の軽重によって細かく分けられています。
これは、「死んだらすべて終わり」と考える欧米にはない、
日本独特の死生観によるものと思われます。

江戸時代の刑罰は、庶民、武士、僧侶といった身分や、男女による違いもありました。
庶民に対する死刑だけでも「下手人、死罪、獄門、磔、火焙り、鋸引き」の六種類があります。
下手人から獄門までは、すべて刀で首を刎ねる方法ですが、
罪状による違いは、処刑された後の取り扱いが異なっていました。

下手人は単に首を刎ねるだけですが、
死罪は遺体を刀の試し斬りに使われたり、埋葬されずに放置されました。
また、獄門は台の上に首をさらされ、死後も恥辱を受けるという刑罰でした。
磔は火焙り、鋸引きは、主殺しや放火など、
当時の価値観では最も許しがたい罪に対して行われました。

そのほか、遠島や追放、入墨、鞭打ちなどが罪状や年齢などによって課せられました。

また、当時の裁判は自白主義でした。
自白がなければ処罰できなかったため、拷問という手法が許されていました。

ただ意外なのは、拷問するくらいだから「何でもアリ」かと思いきや、
拷問も法律によって方法や手続きなどが細かく定められていたと言います。

実際に守られていたのかどうかは疑問ですが、
拷問を用いて良いのは殺人や火付け・盗賊などの重罪の容疑者に限られ、
拷問を行うためには老中に申請し、許可を得る必要があり、
一回の拷問時間は2時間~4時間と定められていたそうです。

当時は、更生させるという考え方はありません。
江戸時代の刑罰には罪人に罪を償わせ、
犯罪抑止を最大の目的とした刑罰の特徴が強くあらわれています。 

日本に死刑制度の存続を容認する人々が多いのは、
「命をもって償う」といった日本独特の死生観にあるだけでなく、
250年間続いた独特の刑罰制度が私たちの生活や文化に影響を与え、
今も日本人のDNAの中に残っているのではないかと感じました。



「事件現場清掃人が行く」

2010-12-04 20:18:29 | 書籍の紹介
映画「おくりびと」のヒット以来、
人の死に関連したビジネスにも陽の光が当たるようになりました。
そして、特に最近では孤独死の増加にともなって、
遺品整理業や特殊清掃業などが新しいビジネスとして、
テレビなどで紹介されることも多くなりました。

この本の著者も、そのような特殊清掃業を営む会社の社長です。


「事件現場清掃人が行く」 高江洲 敦 著 / 飛鳥新社 刊

自殺や孤独死など、すぐに遺体が発見されない場合、
気温の高い夏ならば、4~5日で腐乱するといいます。
そのような状態で発見された室内は、大量のウジやハエが発生し、
遺体から流れ出る脂肪のまじった体液が床やその下のコンクリートに染み、
酷い場合には階下の天井や壁にまで染み出してくるといいます。
当然、臭気も尋常なものではありません。

そのような状態の部屋を清掃し、消臭消毒をするのが特殊清掃です。
依頼に応じて遺品の整理・処分から部屋のリフォームまで行います。

この本によれば、特殊清掃の七割が孤独死の現場だといいます。
そして残り三割が自殺現場。
本書のタイトルにイメージされるような、いわゆる刑事事件の現場はごくわずかだそうです。

この仕事は、肉体的にもきついが、精神的にはもっときついといいます。
悲しみにくれる故人の親族と、怒り狂う大家との間に立ったり、
故人の身寄りがほとんど付き合いのない遠戚しかいなかったり、
複雑な事情が絡んでいたりと、さまざまな人間関係に接しなければなりません。
しかも、このような場合の清掃代金などは誰が負担するのか、
法整備もされていないので揉めることも少なくないといいます。

なぜ、このような人が嫌がる仕事に携わるようになったのか?
当然、そのような疑問が浮かびます。

実入りが良いからというだけでできる仕事ではありません。
かといって、相手に感謝されることへの満足感や、
誰かがやらねばならないという使命感で始められる仕事でもありません。

そこにはやはり、著者がこの仕事を天職と語るだけの理由がありました。

1970年代、日本人の生涯未婚率はわずか1%に過ぎませんでした。
それが2030年には30%になると試算されています。
日本人の三人に一人が、家族をもたない独居老人になると予想されています。
さらに、ここに離婚して一人暮らしを余儀なくされている老人、
子どもの世話にはなりたくないと、自ら一人暮らしを選んだ老人などが加わり、
孤独死は、今後ますます増加するのは間違いのない現実といわれています。

「誰にも看取られず、独りで亡くなったからといって、
 故人が可哀想であると決めつけるのは間違いである」
最近はそんな主張もあり、「孤独死」という言葉の是非も話題に上ります。

しかし、問題はそんな呼び方を議論することではありません。
誰にも看取られなかった遺体は、凄絶な状態になって発見されるという現実があります。
そしてそれは、明日にも自分の身近なところで起きるかもしれない「事件」なのです。

最近は、アパートでの孤独死や自殺、犯罪などに備えた、
家主向けの保険商品も出始めましたが、まだまだ普及していません。
遺族と家主のどちらが費用を負担するのか、また家賃の補償は?
そのようなことに対する法整備や判例などは、まだまだ不十分なのが現実です。

このまま孤独死が増え続ければ、
いずれは現行法で解決できない社会問題となるのではないでしょうか。
そんなことを感じました。

そのほか、こんな本もありました。

「遺品整理屋は見た!」 吉田太一 著 / 扶桑社 刊

こちらは遺品整理を専門とする会社の社長が、
現場で体験した出来事をまとめたものです。



「団塊モンスター」

2010-11-06 23:59:59 | 書籍の紹介
「団塊世代の退職によって、クレーマーが増加する」
メディアなどで、そう言われてずいぶんたちます。

先日、講習を受けた講師の弁護士の話しによれば、
確かに、企業からの相談は増えているということでした。

もちろん程度をわきまえた、常識的なクレームもありますが、
弁護士に相談しなければならないような、悪質クレームも増えているということです。

長く企業人として勤め、商品やサービスの知識が豊富で、
会社の組織や慣習にも精通しているうえ、時間もたっぷりあることが、
彼らを行過ぎたクレーマーにさせているようです。

そんなクレーマーの実例を集めたのがこの本です。

「団塊モンスター」 高橋尚之 著  文藝春秋 刊

この本では、定年退職者の困ったクレームだけでなく、
退職しても、いつまでも企業にしがみくように職場にやってくるOBや、
いつまでも昭和の栄光から離れられず、
時代の変化に取り残された定年間際の管理職など、
さまざまな団塊世代が繰り広げるエピソードが紹介されています。

退職した後も会社にやってきて、かつての部下をつかまえ、
役員のことを自慢げに「あいつは昔、俺の部下だった」とか、
「いまの経営陣はなっとらん」などと言ってまわり、
失笑をかっているOBというのは、どこにでもいるものです。

でも、こんなのは序の口です。
私もこの本に載るような、勘違いOBを経験しました。

一人は自分の会社人生を、写真と短歌でつづった小冊子にして自費出版し、
定年直前に職場中の社員に配って退職していきました。

もう一人は、定年退職した昔の上司から、突然会社のメールアドレスあてにメールが・・・

「縁のあった方々へ」と書かれたタイトルを開くと、
そこには「今月の言葉」という文字の後に、
「人生における問題というものは、心の中に・・・なんたらかんたら・・・」
などと書かれた人生訓のようなものが。

「まさか」と思っていたら、本当に毎月送ってくるのでした。
そういうことはブログでやってほしい。

「他人(ひと)の振り見て、わが振り直せ」
この本はそういう本です。



「こんなに強い自衛隊」の続き

2010-10-30 23:59:59 | 書籍の紹介
昨日のブログで、書籍の紹介としながら、
本の内容をほとんど書かなかったので続きです。

日本は国防費こそ世界第7位と言われますが、その総兵力23万人は、
中国の10分の1、アメリカの7分の1、韓国の3分の1でしかありません。
日本の国防費の半分は高い人件費であり、兵員数や戦闘車両、航空機、艦艇などの保有数は、
他国に比べて圧倒的に少ないのが実情です。

それでも自衛隊の戦力は、世界でもトップクラスだと言われています。
その理由は、戦力の強弱は「量」だけでなく、「質」で大きく左右されるからです。

日本の戦力の高さは、最先端技術を駆使したハイテク兵器と、
兵士の教育レベルの高さにあると言われます。

確かに少数精鋭の軍隊が、その何倍もの兵力の軍隊を破った例は数多くあります。
しかし、いかに日本の戦力の質が優れていようとも、多勢に無勢の感は否めません。

そして戦後日本において、それを補ってきたのが在日米軍であったことは紛れもない事実です。
「日本に対して武力行使するということは、アメリカと戦争をする覚悟が必要である」
このことが領土的野心を持つ国から極東の国々、
ひいては日本を守ってきたということも、認めざるを得ない現実なのです。

そうやって日本は、本来は国防費にまわすべき多額の費用を
経済政策や社会福祉にまわすことができ、急速な復興と経済発展をとげ、
充実した福祉制度を実現することができました。

現在は質に優れた自衛隊の戦力ですが、
技術の開発は果てしのない「いたちごっこ」の競争です。

中国の軍事費は年々増大し、急速に近代化を遂げつつあります。
韓国も次々と最新鋭の航空機や艦艇を建造し、戦力の量と質の増強を図っています。

日本の軍事的脅威は、中国ばかりではありません。
近年、韓国が建造した強襲揚陸艦の名前は「独島(日本固有の領土「竹島」の韓国名)であり、
最新鋭潜水艦の名前は「安思根(伊藤博文をハルピン駅で暗殺した犯人)であることなど、
「何をかいわんや」です。
そのことをほとんどの日本人は知らされていません。

それにもかかわらず、日本では国防費が年々削減され、自衛隊の人員も削減されています。
またあいかわらず、武器使用の要件も「正当防衛」か「緊急避難」の場合に限られており、
領海や領空を侵犯されても、相手が発砲しない限り武器を使用することができません。

自分の家の中に、悪意を持ったならず者がずかずかと入り込んで居座っても、
相手が銃やナイフを使って攻撃してこない限り、叩き出すことができないばかりか、
「出て行ってください」としか言えないのが、いまの日本の法律なのです。

さらに現政権になって、
「自衛隊の制服は、製造費の安い外国から輸入すればよい」
などといった無知蒙昧な政治家が閣僚になる始末です。

自衛隊の制服の生地や縫製は国外に開示するものではありません。
敵国の工作員やテロリストが、外国で生産される制服を入手し、
日本国内や自衛隊内に潜入して対日工作活動を行う危険性など、
万年野党だった平和ボケの政治家には思いもつかなかったようです。

また、どんなに費用がかさんでも武器・弾薬を国産で賄うのも、
敵国によって部品や弾薬の供給が断たれないようにするためです。

そのような国防のイロハすら知らない、国防意識のない政党が政権を握り、
その党首が自衛隊の最高指揮官に就いているのです。

このままでは、日本は経済だけでなく、国防力さえボロボロになってしまいます。
それは、ひいては日本の消滅につながると言っても過言ではありません。

そんなことを考えさせられました。