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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

読了「1Q84」

2010-08-25 23:59:18 | 書籍の紹介

ようやく「1Q84」を読み終えました。

極めて個人的な感想ですが、「なんか微妙・・・」。
どうせならBOOK1~BOOK3まで同時刊行してほしかった。

それが理由と言うわけではないのですが、
村上ワールドと言われるものに微妙なずれを感じ始めてずいぶんたちます。

やはり自分にとって、最高の村上作品は、今でも「羊をめぐる冒険」です。

「ノルウェイの森」も一気に読み終えましたが、
このあたりから自分との微妙なずれを感じ始め、
それ以降、「羊をめぐる冒険」の時のような
フィッティング感というものを感じられなくなりました。

理由はわかっています。
自分の精神世界が、村上ワールドから遠ざかってしまったということです。
俗な言い方をすれば、歳をとったと言うことかもしれません。

「1Q84」も違った年代に読んでいたら、違った感じ方になっていたでしょう。

しかし、何年たっても独自の世界を創り、描き続けることができる作家、
「村上春樹」はすごい小説家だと思います。

「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞してデビューしたときは、
こんなすごい作家になるとは思いもしませんでした。

 


「龍馬が惚れた女たち」

2010-08-08 19:15:00 | 書籍の紹介

 「龍馬が惚れた女たち」(原口 泉 著・幻冬社 刊)

タイトルにある「女たち」とは、
言わずと知れた、平井加尾、千葉佐那、楢崎龍の三人です。
そしてサブタイトルの第四の女とは、
長崎の油商大浦屋の娘で、茶貿易で財をなした大浦慶です。

大浦慶の名は熱烈な龍馬ファンでもなければ、
ほとんど耳にしたことがないかもしれませんが、
大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬がカステラ販売の事業資金五両を借りた、
「猫を抱いたおばちゃん」といえば記憶にある人も多いでしょう。

「龍馬が惚れた」とは、加尾、佐那、お龍の三人は恋愛の対象として、
そしてお慶は、成功を収めた貿易商の大先輩として、
「惚れた」の意味に違いがあります。

 私たちが抱いている歴史上の人物のイメージは、
後世の講談や小説、ドラマや映画の影響を強く受けています。

本書では、新たに発見された史料などをもとに、
小説やドラマなどとは違った龍馬と、
彼をめぐる女性との関係をひも解いていきます。

たとえば、龍馬と佐那との関係について、多くの小説やドラマでは、
佐那の片思いであったかのように描かれています。

これは、明治の新聞に掲載されたお龍の回顧談で、
「お佐那はおれのためには随分骨を折ってくれたが、
おれは何だか好かぬから、取り合わなかったと(龍馬が)言って居りました」
とお龍が語っていることに、大きな影響を受けています。

しかし、一方で近年公開された、龍馬が姉の乙女にあてた手紙では、
「顔かたちは平井加尾よりすこしよく・・・・(略)
・・・前は平尾だったのが、いまはこの人」
と書き送っており、龍馬の佐那への想いの一端をのぞくことができます。

龍馬が正妻のお龍に、
「おれは何だか好かぬから、取り合わなかった」
と言ったことが事実であったとしても、
それが龍馬の本心だとは言い切れないでしょう。

正妻に、ましてあの「気が強い」と伝えられているお龍に、
昔、好きだった女性のことを「なんとも思わなかったように」言うのは、
龍馬といえども、男性としてあたりまえの心理でしょう。

また2009年には、
昭和初期に発刊されていた雑誌「キング」に掲載された、
龍馬とお龍の鹿児島旅行の様子に関する記事が発見されました。

これは、当時活躍していた歌人、吉井勇の手記で、
薩摩藩士だった彼の祖父が鹿児島旅行の案内役を仰せつかり、
それに同行した息子、すなわち吉井勇の父親から聞いたことを
まとめたものでした。

それによれば、龍馬がお龍のことを「お龍さん」と呼んでいたことや、
夫婦喧嘩をしたこと、また、暇があれば「釣り」をしたり、
ピストルで小鳥を撃って遊んでいたことなどが紹介されており、
日常の龍馬とお龍の様子が次々と明らかになりました。

小鳥を撃った龍馬が、その死骸を見るのは苦手だったらしく、
「早く捨てて来い」と声を荒げていたというくだりは、
龍馬の性格が垣間見えて興味深いものです。

そして本書の半分のページを割いている大浦慶については、
明治時代の講談師、伊藤痴遊によって、
「男なしではいられない、多情で淫乱な女豪傑」と喧伝されたことから、
後世、長くそのようなイメージがつきまとってきたといいます。

しかし本書では、それまで文化でしかなかった「お茶」に商品価値を見出して、
生糸と並ぶ日本の代表的な輸出品として育てた彼女の功績を実証し、
長崎で起業した亀山社中や龍馬との関わりについても検証しています。

近年、大浦慶の親族が保管していた龍馬の写真が、
現物(オリジナル)であることが判明したといいます。

当時、写真は名刺のように使用されていたことから、
龍馬とお慶の間にも、なんらかの接点があったと推測されます。
 むしろ、あの狭い長崎で龍馬が同じ商売を興すにあたり、
すでに豪商であったお慶と無縁であったとするほうが不自然というものでしょう。

これらは、司馬遼太郎の没後に発見された史料(事実)です。

現在の坂本龍馬のイメージを決定づけたのは、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」であったということに大きな異論はないでしょう。
しかし、もしこれらが「竜馬がゆく」を執筆する前に発見されていたとしたら、
龍馬のイメージもまた違っていたものになっていたかもしれません。

そんな想像をかきたてる一冊でした。

このような新史料が、
大河ドラマではどのように反映されるのか、興味深いところです。


 


自分が彼ではなかった理由とは~「レンタルチャイルド」石井光太 著

2010-07-18 23:22:34 | 書籍の紹介

衝撃的な内容の本でした。
この著者の作品は、どれもがアジア諸国の身体障害者や
貧困層の人々をテーマにしたものばかりですが、
その中でも、本書はその集大成ともいえる内容です。


「レンタルチャイルド」(石井光太 著  新潮社 刊)

「インドでは、マフィアが子供たちの手足を切断して物乞いをさせている」
2002年、著者はその噂を確めるため、インドの商都ムンバイを訪れます。

そこで著者が見たものは、
幼い子供たちを故意に身体障害者にして物乞いの女たちに貸し出す、
レンタルチャイルドと呼ばれる裏社会の商売でした。

その二年後、著者が再びムンバイを訪れると、
成長してレンタルチャイルドとして使えなくなった子供たちは、
マフィア組織から追い出され、生き残った者たちは、
ストリートで強盗や強姦を繰り返す「路上の悪魔」となっていました。

さらに四年後の2008年、著者の最後のムンバイ訪問。
怒涛の発展をとげつつあったインドは、
高層マンションの建設ラッシュの真っ只中にあり、
かつてのムンバイの街並みもすっかり変わってしまっていました。

国の施策によって、「路上の悪魔」と呼ばれた若者たちは、
捕らえられて施設に送られ、逃げ延びた者たちは郊外に移り住んで、
死体を物乞いのタネにするような、更にすさんだ状況になっていました。
それでも劣悪な環境の施設よりマシだと彼らは言います。

彼らがいなくなったムンバイの裏社会は、
麻薬を密売する黒人がアフリカから流入して仕切るようになり、
その凶悪さは、かつての「路上の悪魔」が恐れるほどです。

近年の経済発展が世界中から注目されるインドですが、
これはその発展の陰に埋もれ、決して公にされなかった、
インドの絶対的貧困層の変遷の記録です。

本書には目を覆いたくなるような描写がそこ、ここにあらわれます。
目をつぶされて失明した者や腕を切断されたばかりの子供、
ヤギと交わって性欲を処理する若者たち。
髪についたシラミや破れたボロボロの衣類についたゴキブリの死骸など、
その細かい描写のひとつひとつに、小説にはない圧倒的な衝撃を受けます。

そしてそれを現実のものとして受け止めながら読み進めたとき、
「手足や目を失って路上で生きる彼らと、
 この本を読んでいる自分との違いは、どこから生じるのだろうか」
と思わず考えてしまいます。

それは単なる偶然でしかないのか。
もしかしたら、路上で暮らす彼は自分だったということもありえるのではないか。
自分がインドの路地裏ではなく、日本に生まれたのはなぜなのか。

そう考えると、自分の意思ではどうにもならないものの存在、
神とか業とかいうものに思いが至ってしまいます。
「神に弄ばれる貧しき子供たち」は、まさに的を射た副題です。

宗教はこんな現実を目にして生れるものなのかも知れません。


一億総「お客様」の日本

2010-06-05 22:07:00 | 書籍の紹介

自民党政権下の2008年、
中国製毒入餃子事件や食品の産地偽装事件などで
食の安全対策が問題とされていたとき、
時の農水大臣がこんな発言をしたのを覚えているでしょうか。

「日本は安全なんだけど、消費者、国民がやかましいから調査を徹底していく」

この発言が報道されると、マスコミや国民はこれを「問題発言」として、
「撤回しろ」「謝罪しろ」「辞任しろ」の大合唱が起きました。

それでは、この農水大臣がこう発言していたらどうだったでしょう。

「国民の安全に対する意識や要求が高まっているから、調査を徹底していく」

おそらく、「撤回」や「謝罪」の要求は起きなかったはずです。
それでは、なぜ「やかましい」という言葉を使うと批判されたのでしょうか。
野党だった民主党の鳩山幹事長(当時)は、この発言をとりあげ、
「官尊民卑の発想が見え隠れしている」と非難しました。
早い話が「国民をバカにしている」ということです。

「お客様がやかましい」 森真一 著 ちくまプリマー新書 刊


本書では、これを「現代日本では国民=お客様になっている」と解釈しています。
すなわち、「納税者=お金を払っている」がゆえに、自分は「お客様」であり、
その意識によって、少しでも「不快な」思いをさせられ、「不満」を感じたら、
相手が大臣であろうと誰であろうと、謝罪させないと気がすまないのだ、
というのです。

もちろん、この大臣の発言を弁護するつもりはありません。
しかし、このときマスコミや国民は、
「国民をバカにしている」ということに非難の声を上げるのではなく、
「国民から、やかましく言われないとできないのか」
ということを問題にすべきだったのです。
そのほうが遥かに建設的で、問題解決への近道だったはずです。

いまや日本は、一億総お客様社会です。

消費者社会では「お金を支払う者」が「お客様」であり、
行きすぎた「お客様第一主義」が、「主人」と「下僕」の関係に似た、
歪んだ消費者社会を作り上げてしまいました。

客の暴言・暴力が頻繁に見られるのはコンビニエンスストアだといいます。
その次に多いといわれるのが、電車やバス、タクシー、飛行機などの乗り物です。

従業員に対して、見下した横柄な態度をとることは言うに及ばず、
従業員の態度や言葉遣いが、ちょっと気に入らなかったといって、
買った商品やお金を投げつけたり、土下座を要求したり。
「誰のおかげでメシが食えると思っているのか」などと暴言を吐くにとどまらず、
「死ね」だの「ボケ、カス」といった、
およそクレームなどとは無縁の罵詈雑言などは日常茶飯事だといいます。

さらに、そのような「お客様」はそういった行為について、
「自分はお金を払っている」のだから、
「自分を満足させ、気持ちよく扱われるのはあたりまえ」だと思っており、
だから「注意してやっている」「正してやっている」といった、
自己中心的な正義感に基づいているから余計に始末が悪いのです。

しかもいまや教育や医療の分野など、
「お客様」と「従業員」の関係では本来の役割が成り立たないような現場にまで、
国民の「お客様化」は拡大しています。

歪んだ消費者社会は、傲慢で暴力的な「お客様」を増やしました。
過剰な「お客様意識」は、先述の「やかましい」発言のときのように、
真に解決すべき問題の本質を見えなくしてしまいます。

それは決して「お客様」のためにならないことなのですが、
そのことに当の「お客様」が気づいていない。
いまの日本には、そういう悪循環が生れています。


幻となった味覚

2010-05-30 16:35:00 | 書籍の紹介

40代以降の人たちにとって、
忘れられない味の記憶といえば「クジラ」です。

地域によって竜田揚げだったりスキヤキだったり、
食べ方はさまざまですが、あの野性味あふれる独特の味わいは、
牛肉や豚肉、鶏肉などには決してない味覚でした。

一昨日の新聞で、普天間基地問題に隠れるように小さく、
「オーストラリアが日本の調査捕鯨禁止を求め、
国際司法裁判所に提訴することを決めた」という記事が掲載されました。

折りしも、たまたまこんな本を読んでおり、その記事が目に留まりました。
「鯨は国を助く」小泉武夫 著 小学館 刊


縄文時代からクジラを食べてきた日本人。
江戸時代中期には、その種類から捕獲・解体方法、道具、
赤身から目玉、子袋や陰茎にいたる67部位の調理法方まで書かれた
専門書もあったそうです。

石油の代わりとなる鯨油をとって、
他の部分はすべて海に捨てていた欧米の捕鯨と異なり、
日本人は、肉は言うに及ばず、内蔵から骨まで大事に活用してきたのです。

日本各地の捕鯨地には鯨墓や鯨塚が築かれ、
日本人はクジラに感謝し、畏敬の念をもって接してきました。
クジラを供養する文化を持つ民族は、
世界中の鯨食文化を持つ国々を見渡しても、
日本人だけだと著者はいいます。

しかし、本書はそのような伝統や文化の観点だけから、
商業捕鯨の再開を説いているのではありません。
著者は、調査捕鯨の意義やその成果、
反捕鯨の主張とそれに対する反論をわかりやすく説明しています。

反捕鯨派の主張は、概ね次のようなものです。
「鯨は絶滅の危機に瀕している」
「知能の高い鯨を獲るのは残酷である」
「捕殺しなくても調査はできる」
「牛肉や豚肉があるのに、鯨を獲る必要はない」

これに対して、著者は以下のように反論しています。
「絶滅の恐れがあるのは、シロナガスクジラとナガスクジラ、
ホッキョククジラの三種類だけである」
これを「クジラ」という言葉でひとくくりにして、
「絶滅する」と不勉強な人々を煽るのは反捕鯨派の戦略です。

「商業捕鯨が一時中止されてから30年を経て、
ミンククジラやマッコウクジラなどは大きく数を増やし、
国際捕鯨委員会も年間2000頭の捕獲なら問題ないと発表している」

「増えすぎたクジラは、イワシやサンマ、イカなどを大量に捕食し、
いまや国連食糧農業機関も鯨の過剰保護に警告を発するほど、
水産資源の著しい減少の危機をもたらしている」

「クジラに知性があるかどうかは証明されていない。
そもそも『知能が高いから食べてはいけない』と言う主張は、
『知能が低い牛や豚なら食べても良い』という理屈であり科学的ではない」

人間は「生きものの命」を食べる以外に生きていくことはできません。
生きものを殺す以上は、その生きものに感謝し、
無駄にすることなく「いただく」ことが大切なのだと著者は言います。
(食べられる命に手を合わせる「いただきます」という言葉は、日本にしかありません。
 キリスト教などの食前の祈りは、食べ物をもたらしてくれた神に感謝するものです)

そうやって長い歴史の中で培われた捕鯨の伝統と文化を、
「日本人のセンチメンタリズム」だと言って一蹴し、
科学的データからは目をそむけて、
「牛や豚は食べてもいいが、クジラは食べるな」という考え方こそ、
人間の傲慢さであると喝破しています。

しかし、もっとも問題なのは、
「クジラ」が政治や経済政策の道具として利用されていることです。

本書によれば、本来、国際捕鯨委員会は、
クジラ資源の保存と利用を目的に、捕鯨国だけで組織されました。
それが1970年代、アメリカ合衆国が非捕鯨国の加盟をさかんに促し、
それらの国々を抱き込んで全面的な反捕鯨の主張に転じました。

ちょうどこれはアメリカが捕鯨活動をやめた時期と重なり、
激しくなっていた「ベトナム戦争反対」の国内世論を、
環境保護という、別の問題に向けさせるために利用したと言われています。

そして何より、現在も日本に対して声高に反捕鯨を叫んでいるのは、
牛肉や豚肉の一大輸出国だけだということです。
つまり自国の畜産業者の保護と、選挙票の獲得が目的です。

確かに捕鯨を認めれば、大量の肉を自国で調達することができるようになり、
彼らの牛肉や豚肉の輸出にも少なからず影響があるでしょう。
日本で消費される牛肉の50%強がオーストラリア産であることを考えれば、
彼らがあれほど日本に対して、強行に捕鯨の全面禁止を訴える理由も
容易に理解することができます。

その証拠に彼らは、日本と同じ鯨食文化を持つロシア人やノルウェー人には、
「クジラを獲るな、牛を食え」とは言っていません。
アラスカのイヌイットなどは、
いまだに絶滅寸前のホッキョククジラを捕獲しているというのに!

捕鯨技術の継承は、伝統や文化の問題だけではなく、
今後の予測される食糧不足や
食糧自給率低下の問題を無視して考えることはできません。

「牛肉や豚肉があるのに、別にクジラなんか獲らなくてもいいのでは?」
という考えは、天下泰平・永久平和的な考え方に過ぎません。
食肉輸出大国の思惑通りになるということは、
私たちの生命線である食糧確保の道を彼らに掌握されるということなのです。

ところでタイトルからずいぶん外れてしまいました。
私にとってクジラ料理と言えば、
それは一も二もなく、「クジラのオーロラソース和え」です。
小学校のころは、必ず毎月一回は給食に出ていました。

日本の捕鯨活動が調査捕鯨だけになり、
それからは一度しか食べていない幻の料理です。