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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「万引きGメンは見た!」

2011-03-27 20:23:03 | 書籍の紹介

我が家の近所にある書店での話です。

他の書店と同じように、この店でも万引きには頭を悩ませています。
日ごろから店長は「捕まえて必ず社会的に抹殺しちゃる!」と憤っており、
今回ようやくその犯人の一人を突き止めたそうです。

今回の犯人は中学2年生の男子。単独犯でした。
犯行現場を確認して店員が声をかけると、
少年は素直に応じるどころか、一目散に逃亡を謀ったそうです。

なりふり構わず逃げようとするところがまだ子供です。
お粗末にも彼は、逃亡の際に携帯電話や財布などを落としていったそうです。

その中には生徒手帳こそありませんでしたが、
スポーツクラブの会員証など、本人を特定する手がかりが入っていました。
店の防犯カメラに記録された犯行現場の映像とセットにすれば、
被害届を出すための証拠には充分です。

店長は「目にもの見せてやる」とばかりに、
鼻息を荒くして警察に被害届を出したことでしょう。
しかし数日後、信じられない報告が警察からあったそうです。

警察は現場に残された物証をもとに、市内の中学校をすべてあたったものの、
学校側は該当する生徒が在籍しているかどうかの回答を拒んだと言います。

それでも何とか学校と住所を特定して保護者(親)に連絡すると、
あろうことかその親は、弁護士を使って少年の犯罪を収拾しようとしたそうです。
「未成年者だから、なんだかんだ・・・」と言う理由で、
その少年や親は決して表に出てくることなく、
弁護士が間に入って、店側には何の謝罪もなかったそうです。

未成年の犯行であり、事後強盗などにも至っていないので、
警察も逮捕状をとって身柄を拘束するようなこともしません。

しばらくは根気強く抗議していた店長も、やがて疲れ果て、
商品の弁償を求めるだけに終わってしまったようです。

弁護士を雇うような家ですから、貧困家庭というわけではありません。
少年がこれまでに万引きした商品は、すべて少年の部屋にあったといいます。

「自分たちが護ってやらなければ、誰がこの子を護ってやるのか」
「自分たちが見放したら、この子は永遠に更生する機会を失くしてしまう」
学校も親も、おそらくそんな気持ちでいっぱいだったことは容易に想像できます。

でもこれからの彼の成長を考えたとき、
本当にそれが本人のためになっているのでしょうか。

「けじめ」
今はもうほとんど聞かれなくなった言葉ですが、
それがあってこそ、その少年はこれまでの非行に区切りをつけ、
新しく前に進むことができるのではないのでしょうか。

万引きは「いたずら」などではありません。
いまさら言うまでもなく、他人の財物を窃取する犯罪です。

金額の大小にかかわらず、
財物には必ず所有者がおり、所有権が存在しています。
自分が同じことをされたら・・・犯人にそう聞いてみたいものです。
「あなたは少額だったら、盗まれても許せるのか?」
「盗まれても、後でお金を払ってくれれば許せるのか?」

この本には、そんな他人の気持ちなどこれっぽっちもわからない、
とんでもない万引き犯が数多く登場します。


「万引きGメンは見た!」  伊東ゆう 著 / 河出書房新社 刊

居直ったり、刃物を振りまわしたり、泣きわめいたり、嘘をつきとおしたり。
万引きが、大きな犯罪の入り口であるということがよくわかります。

スーパーなどで買い物をしていると、
むずがる子供に精算前の商品を持たせ、
レジで「これも一緒です」と言ってお金を払う親を時どき見かけます。

物心がつく前からのこんな習慣が、
万引きを何とも思わない子供にしているような気がしてなりません。

少なくとも我が家では、
子供が自分でお金を払うことができるようになるまでは、
どんなに泣こうがわめこうが、精算前の商品を子供の手に持たせたことは、
一度たりともありませんでした。


「感染宣告」

2011-03-08 23:59:59 | 書籍の紹介
AIDS(エイズ:後天性免疫不全症候群)という病気は、
HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染して発症します。

世界で初めてAIDSの症例が報告されたのは、1981年のロサンゼルスでした。
それから6年後に、日本人初のHIV感染者が報告されて25年がたちました。

2000年頃までは治療法も確立されておらず、
AIDSは「死の病」として人々に恐れられていましたが、
いまは投薬治療によって根治には至らないものの、
ウィルスの増殖を抑え、AIDSの発症を防ぐことが可能になりました。

すなわち、HIV感染=AIDSではなくなったのです。

しかし、死の病ではなくなったとは言え、
一度感染すれば完治することのない病気であることに変わりはなく、
一生涯、ウィルスを体の中から消すことはできません。

「死の病」ではなくなったが、完治することのないHIV感染。
「死」が結末でなくなったゆえに、生き続けるがゆえに、
HIV感染者には、新たな苦悩や問題が生じます。

告知から恋愛、家族、結婚、出産・・・
死の病ではなくなったいま、HIV感染者は何を考え、どう生きているのか。
本書は、それらを描いたルポルタージュです。



「感染宣告」  石井光太 著 / 講談社 刊

学生時代に交際していた不良少年からHIVに感染し、
性同一性障害の女性との同棲を選択した女性。

容貌にコンプレックスがあり、女性と恋愛できず、
性欲を満たすための同性愛からHIVに感染した男性。

血友病の薬害でHIVに感染し、
福祉関係の女性と恋愛に陥るものの、
女性の親からの猛反対を押し切って結婚・出産した夫婦。

同性愛者であることをカムフラージュするために結婚し、
隠し続けた末に、60歳を過ぎてからHIV感染が発覚した男性。

これら以外にも、さまざまなHIV感染者が登場します。

「エイズは男女にとって一番大切なところに忍び込み、 彼らを極限まで追いつめる。
 弱さや醜さや高慢さといった負の内面をむき出しにし、人間性を試してくる。
 こんな底意地の悪い病気はない」

「HIVは、昔のようにすぐに人の命を奪うものではなくなった。
 しかし、人間が大切にしているものを根こそぎとっていくのは変わっていない」

本書に登場する人々は、このようなことを口々に言います。
死なないからこそ、恐ろしい病気というものがあるなら、まさにこれがそうではないか、
そんなことを感じました。



「食べモノの道理」

2011-02-26 23:59:59 | 書籍の紹介
「買ってはいけない」や「食べてはいけない」といった、
化学調味料や食品添加物、農薬や化学肥料の使用に警鐘を鳴らす本が多いなか、
その対極にある数少ない本です。


「食べモノの道理」 佐藤達夫 著 / じゃこめてい出版 刊

「量」や「食べ方」の概念を考慮しないで食品を論ずることが、
いかに迷信じみて先入観に満ちあふれたものであるかを考えさせられます。

「買ってはいけない」や「食べてはいけない」などの本に対抗意識があるのか、
これらの本と同様に、ときどき論調が暴走する傾向もありますが、
どちらの主張を支持するかは読者次第です。

その一例を抜粋すると・・・

『牛乳害悪論』
日本では、なぜか数年に一度の割合で「牛乳害悪論」が展開される。
数年前に出版された著名な外科医が書いた本には、
「牛乳はウシの赤ちゃんの食べ物であって、ヒトの食べ物ではない」
というようなことが書かれ、多くの若い母親たちがその影響を受けた。
そもそも「ヒトの食べ物」という定義をするなら、
豚肉やホウレンソウなども、もともと「食品」ではない。
ヒトが勝手に「食品」と決めつけているだけで、どれもこれも「他の生物の死体」である。
初めからヒトの食べ物として存在しているのは、せいぜい「母乳」と「果実」だけである。
牛乳は栄養学からみて、その栄養価は理想に近いと研究で評価されている。
重要なのは栄養の偏りに注意し、正しく摂取することである。

『酒は百薬の長』
「適量の飲酒は死亡率を低くする」という研究報告がある。
これは科学的にも確かな研究結果であるとされているが、
その適量とは、平均して二日に純アルコールで20グラム、
日本酒なら一合弱、ビールなら中ビン一本弱である。
これで我慢できる酒飲みがどれほどいるだろうか。
これに対し、酒が健康に悪いという研究結果は山ほどある。
結局、「酒は百薬の長」というよりも「百害あって一利あり」程度のモノ。

『日本食は体にいい』 
世界で注目される日本食。
日本の長寿地域のお年寄を調査すると、
伝統的な日本食を中心にした粗食であったという研究発表が多い。
しかし、日本食ばかりを食べていた戦前の日本人は、
欧米人に比べて体は小さく、不健康で平均寿命も短かった。
戦後、洋食文化が普及し、急速に日本人の体格が良くなったのは紛れもない事実であり、
それが日本人に体力をつけ、平均寿命をのばしたことと無関係であるとは断言できない。
問題は食事内容の洋風化が行き過ぎていることであり、
伝統的な和食を取り入れて栄養バランスを正しく保つことであり、
和食を食べることが健康になるということではない。

『善玉と悪玉のコレステロール』
「善玉」とされるLDLも「悪玉」とされるHDLも、ヒトの体には大事な栄養素。
コレステロールに「善玉」と「悪玉」があるわけではなく、
コレステロール値を調べる静脈血に残っていれば、
運動不足か食べすぎで使われていないというこである。
正すべきは、コレステロールを取らないことではなく、食べすぎと運動不足である。

『フィンランドショック』
緑黄色野菜が肺ガンのリスクを減らすという研究成果がある。
緑黄色野菜に豊富に含まれるβ-カロチンに予防効果があるとされている。
そこで1985年にフィンランドで喫煙男性3万人を対象に、
β-カロチンを与えた人とそうでなかった人の追跡調査が行われた。
もし、期待通りの結果がえられれば、肺ガンはβ-カロチンの投与で予防できる。
しかし、この調査は計画の6年を待たずに中止された。
なぜなら、β-カロチン投与群のほうが肺ガン発生率が高く、
総死亡率も高くなったからである。
この研究結果は世界中を駆け巡り研究者たちにショックを与えた。
同様の研究が繰り返されたが結果は同じであり、
そこから純粋なβ-カロチンの摂取は、
食物から摂取するの効果と同じではないという結論が導き出された。
このようにサプリメントについては、まだまだわからないことが多く、
過大な期待をすることは禁物である。

『おいしい食べ物は体に悪い』
おいしいものが体に悪いのではなく、
ヒトの舌が体に良いものをおいしく感じるように進化してきただけ。
太古より地球上の生物は食物獲得のために進化してきた。
そのため、ヒトは必要な栄養素を効率よく摂取できる食べ物をおいしく感じ、
また、他のライバルたちより少しでも早く腹の中に収められるよう、
やわらかいものをおいしいと感じるように進化してきた。
体にとって一番大事な栄養素であるタンパク質を豊富に含む肉類が、
植物性タンパク質よりもおいしく感じられ、
その次に重要な脂質と糖質をおいしく感じられるのは当然なのである。
要は、食べ物に困らなくなったにもかかわらず、
おいしいからと摂取し過ぎることが問題なのであり、
肉や砂糖などの食物そのものが体に悪いわけではない。

『ダイエット』
「これを食べればやせる」という食べ物は、この世に存在しない。
体の中に食べ物が入れば、その分だけ体重が増えるのは物の道理である。
それは飲み物、たとえ水であっても同じである。
ただ、食べ物の持つカロリーよりも、
体が消費するカロリーのほうが多い場合にのみ、
一定時間を経て体重が減るだけである。
もし「食べればやせる」というものがあれば、それは食品ではなく薬品である。

・・・などなど、言われてみれば当たり前の道理なのですが、
言われなければ気がつかないことも多いものです。



次に核を使う者(その2)

2011-02-06 17:27:36 | 書籍の紹介
先日、このブログで紹介した本、
「日本支配を狙って自滅する中国」(黄文雄 著)を読んで、
次に核を使う国は中国かもしれないと感じていたところですが、
今日のサーチナのニュースで次のような記事を見つけました。

【核爆発体験“売り物”の科学技術館「行きたい」半数近く=中国人】

その記事によれば、このほど四川省綿陽市に開館した科学技術館では、
弾道ミサイルや核兵器や核科学をテーマにした展示ブースが設置されているそうです。

核爆発の体験では、映像や震動、熱風などを組み合わせ、
核爆発現場に自分がいたように感じることができたり、
機器を操作して、核弾道ミサイルの発射をシミュレーションで体験できるようです。

サーチナ総合研究所の調査によれば、
中国人回答者の約半数がこの科学館へ「行ってみたい」と答えたそうで、
中国では核開発を担当した科学者・技術者たちを「英雄たち」と表現し、
核兵器への警戒感は乏しいといいます。

先に紹介した本でも、
中国では、核は準備を整えて先制使用すれば、核戦争に勝利できると教えられ、
ネットには「日本は三発の水爆で消滅させられる」
「日本の技術を消滅させるのはもったいないから、
 中性子爆弾を使って人間(日本人)だけを抹殺したほうがいい」など、
核の使用に賛同し、あおるような書き込みがあふれているといいます。

まるで「自分だけは事故を起こさない」とか、
「地震が起きても自分だけは助かる」というのと同じような、
愚かで根拠のない自信に満ちているようです。

そもそも「震動と熱風で核爆発を疑似体験できる」という発想そのものが、
あまりにも浅薄な知識と言わざるをえず、何をかいわんやです。

ありとあらゆる情報が統制され、
支配者に都合の良い情報しか与えられない
国家の恐ろしさを垣間見た思いがします。



「加害者家族」

2011-02-02 23:08:00 | 書籍の紹介
ある犯罪加害者の弟が言います。
「被害者の家族会はあるけれど、加害者のは、なぜないのかな。
  みんなどうやって生き長らえているんだろう」

犯罪被害者とその家族が被る理不尽な不幸は、頻繁にメディアにとりあげられますが、
犯罪加害者の家族がたどる過酷な現実は、ほとんど紹介されません。
この本で紹介されるのは、そのような加害者の家族です。


「加害者家族」 鈴木伸元 著 / 幻冬舎(幻冬社新書) 刊

身内の犯罪をきっかけに、失職や転居を余儀なくされるだけでなく、
インターネットで誹謗中傷されたり、住所や写真などの個人情報を流されたり。
電話による執拗な嫌がらせや、家の壁などへの落書きなど、
加害者の家族も凄惨な生活を強いられることになります。

近年の報道番組では、
加害者の親がメディアに引っ張り出され、
謝罪する光景もよく見かけられます。

「謝罪が不十分」「謝罪する服装ではない」「態度が、口調が・・・」
そうやってますます加害者家族へのバッシングがエスカレートしていきます。

親にも加害者を育てた責任がある。
そういう社会的風潮が蔓延していることは否めません。

仮に「親の責任」を問うことが正義だとしても、
一般の人々が電話やインターネットを使い、
匿名で家族を攻撃することは卑怯きわまるリンチにも等しい行為です。

ましてや、加害者の兄弟や子供、
叔父や叔母などの親戚にはなんの罪もありません。

しかし、親のみならず加害者の家族、そして親戚までもが、
社会から隠れるように息を殺し、怯えながら生きていかなければならないのが現実です。

「家」あるいは「親族」という単位で処罰された連座は、
江戸時代まではごくあたりまえの考え方でした。
それが、現在も日本人に深く根付いているのかもしれません。

「犯罪者の家族だから当然」なのでしょうか?
人は誰でも加害者家族になりうる可能性があります。
「親族に凶悪犯罪を起こすような者はいない」そう思うかもしれません。
しかし、自動車事故による加害者には誰でもなりうる可能性があります。
これもまた、加害者家族なのです。

犯罪を起こしたほとんどの加害者は、
家族がこのような過酷な生活を強いられてるとは想像もしていません。
そもそも、そのことに思いが至るような人間であれば、
最初から犯罪を思いとどまっているでしょう。

ある加害者の妻が言います。
「ここよりも、刑務所の中のほうがはるかに守られているのです」と。

加害者家族がたどる過酷な人生をもっと多くの人が知れば、
犯罪を思いとどまる人が増えるかもしれない。
著者はあとがきで取材の動機をこのように語っています。

しかし、それは同時に
「加害者家族の苦悩を前提にしている」という点で自己矛盾をはらんでいます。
とても難しい問題です。

正義面をして加害者家族を攻撃する者は、
犯罪加害者と同等か、それ以上の加害者であるということを
感じさせられた本でした。