大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ガンジー伝(6)

2014年11月13日 | 労働者福祉
政界には一気に解散風が吹き荒れています。
国民不在の政治状況をまたまた見せつけられて、これからこの国は何処へ行くんでしょうか?

『ガンジーの言葉』
腐敗は首都の周辺にだけ見られていました。
一般の民はそれから離れて、自分の田畑を耕作していました。
一般の民の前に真の自治がありました。

さて「ガンジー伝」の続きです。

ガンジーの構想では、欲望を自己制御することのできる人たちが、顔をつき合せることのできる範囲で行う自治こそが、理想の政治でした。
現代の議会制民主主義は、目指すべき方向性が定まらず、マスメディアの見解に振り回され、真理を見失っています。
少し弁が立ったり、パーティーを開いたりする人たちの意見に多くの人が一気になびき、熱狂が始まります。
ガンジーは中央集権的な国家ではなく、顔の見える範囲のコミュニティーをひとつの政治共同体と規定し、そこにおける合議こそが真のデモクラシーであると捉えていました。

ガンジーは1904年、南アフリカで「フェニックス農園」を開いて、協同組合的な共同体の実現を試みています。
この農園を開くことになったきっかけは、ジョン・ラスキンの「この最後の者にも」という本を読んだことでした。
この本の中でラスキンは、ある人が所有するものは他の人は所有することができないので、すべての人が十分に所有することができるようになるまで、富める者はぜいたくをつつしむべきだと述べています。

この最後の者にも・ごまとゆり (中公クラシックス)
クリエーター情報なし
中央公論新社
ガンジーは、ラスキンの描く、すべての人が平等に、ともに汗して働く理想の社会を実現したいと考え「フェニックス農園」をつくりました。
その精神は、のちの「トルストイ農園」や「アーシュラム(修養道場)」にも引き継がれていきます。
「アシューラム」には、大きな調理場、150エーカーの広い農場、学校、作業場、織り機など、たくさんの人が共同生活を送るために必要なものがすべてそろっていました。

インドにこうした協同組合運動の考えを紹介したのはガンジーですが、協同組合こそがインドが経済的自由を得る道だと、彼は固く信じていました。
そして今でもインドの農村のコミュニティでは、小規模融資(マイクロファイナンス)や銀行業務、農業に食品製造、そして販売や加工処理産業などで協同組合運動が盛んで、大きな利益を生んでいます。
都市部においても住宅の協同組合はよく知られていて人気があります。

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