大黒さんの金魚鉢

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私の運動史(連合静岡時代 その2)

2016年03月10日 | 労働者福祉
2月から始まった役員選考は石井会長の退任意向を受けて始まりましたが、その経緯も含めて古い資料をあれこれ見ながら整理を始めたら、過去をどんどん遡っていきます。
結局2002年にJAM静岡委員長に就任し、連合静岡副会長を拝命したころからの出来事から繋がっています。
政治的な問題もいろいろありました。
熊谷騒動、平成21分裂騒動、参院選候補者選定騒動、衆院選選挙違反騒動、県知事選騒動、とても文章にはできないような騒動のオンパレードでした。
JAM静岡でもストライキ騒動やハゲタカ騒動、新会館建設問題などなど実に賑やかな3年間でした。
おかげで私の体調も最悪期を迎えて、当時の日誌には「二日酔い」「アレルギー性鼻血」「蕁麻疹」「歯痛」「人間ドックD・E・F判定」「動脈硬化」の文字が踊っていました。
その一連の話をとても語れませんので、ここでは連合静岡時代のみの出来事のみに限定したいと思います。

まずは連合静岡時代の活動の柱となった「地域に根ざした顔の見える労働運動」について振り返っていきます。

(つづく)

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