大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その28)

2016年05月10日 | 労働者福祉
興味を覚えるとなんでも体験したくなる性質の私、福祉基金協会から勧められた「災害ボランティア・コーディネーター養成講座」を受講したのは2008年12月のことでした。
連合東海ブロックでもいざという時の防災連携体制を考えていこうと検討中でしたから、その参考にしようとも考えての参加でした。
受講された方々は防災意識の高い人ばかりで圧倒されましたが、その時に「静岡県ボランティア協会」の存在を強く意識しました。
いざという時には素人同然の私たちがなにかしようと動くのではなく、防災プロも集うボラ協の下で協働して動いたほうがよいと感じたのです。

翌年、ボラ協からの依頼もあって連合静岡として運営委員会へ参画し、天野事務局長が「災害ボランティア図上訓練」へ参加したりして繋がりを深めていきました。
2011年3月11日、あの東日本大震災が発生します。
連合本部は東京発のボランティアを産別中心に募ります。
連合本部のボランティア派遣は最低1週間の派遣ですから、地方連合では独自にそれぞれショート派遣を計画していきました。
そんな時、県ボラ協から岩手県への派遣要請が来ます。
連合静岡では急きょ「連合静岡災害対策本部」を立ち上げ、澤崎之局長を中心にその後の対応を図ります。
ボラ協ではみなさんからのカンパ金を基にして、岩手県遠野市にボランティアのための拠点としてプレハブ2階建てのハウスを造ります。
静岡労金からもボランティアが寝泊まりできる大型のエアーテントを寄贈します。
そして木曜夜発ち月曜朝着のボランティアを県内各地から募りました。
毎週計画されるこのボランティアツアーに、毎回5名の連合静岡枠をいただき便乗させてもらいました。
募集をかければ翌日には埋まってしまうほどの盛況ぶりにびっくりさせられました。
11年3月11日ブログ3月29日ブログ


2008年1月28日、面白い青年を新聞記者から紹介されます。
当時話題に上っていた派遣切りにあった労働者や行き場を失った人たちの居場所でもある「ネットカフェ店長」の鈴木和樹氏です。
静岡版の「反貧困たすけあいネットワーク」をつくりたいと夢を語ってくれた彼は、現在「NPO法人POPOLO」や「フードバンクふじのくに」で中心的に活躍してくれています。
参考までに「フードバンクふじのくに」設立に至る経過も簡単に記しておきます。
2009年7月、中央労福協は地方労福協会議で「フードバンク」について課題提起を行います。
これを受けて静岡県労福協では平野会長名で「フードバンク静岡(仮称)設立検討委員会」への参加を関係7団体に呼びかけました。
10月28日に開かれた学習会でセカンドハーベスト・ジャパンの秋元氏から説明を受け、その練り上げられた組織に感心した記憶があります。
その後「設立検討会」は小休止し「フードバンクを考える研究会」として県労福協を中心に継続していきます。
具体的に動き始めたのは2013年のことでした。
そして2014年5月19日「フードバンクふじのくに」設立総会が開かれました。

(つづく)






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