大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳番外編

2014年10月27日 | 労働者福祉
日曜朝の散歩途中で足を伸ばして母校の小学校へ行ってみました。
いつ頃かは定かではありませんが「金次郎像」があった場所にそれが無くなっていたことを思い出したからです。
その記憶は間違いかも知れないと思い、学校へ行きましたが確かにありません。
学校の周りを一周してみましたがどこにも見当たりませんでした。
「金次郎像」はどこへ消えてしまったのでしょうか?

わが国の国定教科書制度が確立したのは明治36年のことでした。
二宮金次郎(尊徳)は、“期待される少年像”として、最初から修身教科書のヒーローとして登場しています。
以来42年間にわたり教科書の中で紹介され続け、戦前の金次郎は一躍ヒーローになりました。
ところがそれらのいずれもが申し合わせたように少年時代だけの話です。
どの年の教科書も「金次郎は20歳の時に自分の家に帰り、せいだして働き、のちに偉い人になりました」で終わっています。
いわば金次郎は、富国強兵を担う意味での“徳の権化”としてのみ利用されてしまったのです。
金次郎がそのことを知ればどんなに悔しがったことでしょう。
村役人の選出にあたってもそれまでの習わしである上意下達を廃して、女性や未成年にまで参政権を与え、農民の全員投票を取り入れたり、農村改革の先駆者として「上を制し、下に厚い」という民主的な農政を敷いたことなどは完全に抹殺されてしまいました。

これほど偉大な人物が、戦後は軍国主義の手先だといわれて迫害されたことが、私は不憫でなりません。
二宮尊徳伝を読んでもらい、一人でも多くの方に真の姿を知ってほしいと願うのは私だけではないはずです。
混迷した現代においても尊徳の残した思想・哲学は充分に通用します。
政治家や官僚たちが分度を守って国家経営にあたっていれば1000兆円の借金などできなかったはずです。
推譲の考え方が浸透していればこれほどまでに格差が広がらなかったかもしれません。
戦後60年かけて失われてきたものは、これから先60年かけなければ復活できません。

「至誠」とは、真心を尽くすことです。
「勤労」とは、物事をよくよく観察し、認識し、それをもとに知恵を磨きながら働くことです。
「分度」とは、自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それにふさわしい生活を送ることです。
「推譲」とは、分度を守り、勤勉に働き、その結果得た余剰を家族や子孫のために蓄えたり、他人や社会のために役立てることです。
「積小為大」とは、小さな努力、小さな蓄積の累積がやがては大きな収穫や発展に結びつくということです。
「一円融合」とは、尊徳の世界観であり、尊徳思想の到達点とも言えるものです。
いわば東洋思想の原点でもある陰陽説とも相通ずるものです。
これら6つの原理はすべて分かちがたく結びついており、これらを実践することで世の中の幸福が実現することを尊徳は教え残しました。
しかも尊徳の偉大なところは単なる学者でなく実践主義者であり、悪しき官僚主義者たちと闘ってきたことです。。

作家童門冬二は、その著書「二宮尊徳の経営学」で官僚主義の悪についてこう書いております。
「官僚主義というのは、改革を嫌がり、現状保持にしがみつく一種の保守主義である。
特に役所にこの性癖が強く、すべて“先例”を重んじ、先例にないことはやらない、などというのが官僚主義の最たるものだ。
また、官僚の給与を出している国民(住民)に対する責務感が薄い。
したがって、国民側から何か要望や要求が出ても、それが新しいものであればすぐには応じない。
「検討します」とか「いずれ連絡します」などという対応をする。
あるいは責任逃れから“タライ回し”をする。
これが官僚主義の悪いところだ。
一言でいえば、官僚主義というのは「自分の給与の出し手の立場に立たず、常に自分たちの身分や椅子を保ちたいがための保守主義」をいう」

尊徳の教えとともに、私たち自身への戒めとしても強く受け止めていきたいと思います。

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