春の城攻め ③-12 天守曲輪

2024-01-29 10:11:12 | 佐伯城

豊後 佐伯城


                   ▽


天守台上から 本丸曲輪 北面西の角

北の丸入口の 食違い虎口の上ですね

北西 乾の角

櫓台跡のようにですが かなり小さい
▽          

右に回ります 


本丸曲輪北面から北の丸

▽    



本丸曲輪は 変形五角形で
天守台は 正方形です


南東面 巽の方角




そして 西側 堀切 廊下橋

本丸へ上がるには この石段のみ
   ▽


石段下りて 廊下橋渡ると 二の丸
                   ▽



本丸曲輪        本丸外曲輪 西面       



本丸曲輪に 下りました




堀切から 本丸外曲輪西側

北の丸につながる 通路になってます






廊下橋 本丸外曲輪 から 本丸曲輪に上がる 石段


かなり狭いです


石段の左側の 先まで 行きました

門  
▽  

▲       ▲           △       
大手道    スロープ      屋根付きの廊下橋     
登城の道                           
           





二の丸へのスロープは 大手道の門内になります
二の丸石垣角の位置に 門の跡らしき石が
道に直角にありますね




         南側出角 △





              △ 北側出角から




石段 下ります




廊下橋は 石垣まで あったでしょうね






橋と石垣の間は 手摺なしです






触ってませんが
木みたいなコンクリート製 だと思います




全体的に スケールは小さいですが

手が込んでます
丁寧に練られて造られています

ミニ岡城的 といえばいいですかね

関ケ原以降の 山城ですが
関ケ原直後というのも まだまだ戦国の気配もあり
こうなったんでしょうね

廊下橋渡って 二の丸行ってみましょ

いやいや すばらしい





春の城攻め ③-11 本丸天守

2024-01-28 18:18:18 | 佐伯城


豊後 佐伯城




本丸外曲輪 冠水門跡から見た 本丸

天守台ではなくて 本丸曲輪の石垣だ





不自然な石段
ここに来て 驚いたのなんの
想像もしなかった石段だ




どうやら 廃城後 神社とした時に
石垣を壊し 石段を造った

ま~ やってくれたわ~





石段側面は 石垣の石を使っている

段は 明らかに近年のもの



△       ▲                       
平櫓台跡   堀切へ行ける                     


もともと この山は 八幡様の山だった らしいし

普通に 神社の石段っぽい




石段 上がりましょ





Stairway to Heaven 



新角                    新角
▽                     ▽




ま~ 新段は いいとして

天守台






新段 上がり切ったら 本丸(天守曲輪)

天守台


△        

新段を上がり切った所には
本丸二重櫓があった
そこへの 石畳の通路かと思われる




天守台 にしては 低くいですね
古図 が 誇張して描かれてるのかな





この石段も 後から造ったものですね




天守台には 祠が あります

最盛期には 社 が あったのでしょうかね
若宮八幡宮は 城山の西側の麓にあるようです
そうなすると 上の宮は こんなんか…




それでも 石垣を石段にしたぐらいだから
ここで 神事をしてた時期があったのかもしれない



それで大事なことは


天守台
本丸(天守曲輪)
新しい石段
本丸外曲輪
冠水門

これら 東面 なんですが

天守閣の頃は
こちら側からは 上がれませんでした


天守曲輪 廻ってみましょ




春の城攻め ③-10🐟バカ

2024-01-28 00:27:44 | 佐伯城


豊後 佐伯城




19

って TV?

じっくり観たことないんですよね
あんな
調子のいい ヤツ 居ます~?
対応不可




本丸外曲輪
冠水門 南側
本丸外曲輪二重櫓台跡




ここも かなり コンパクト


いい角や




市街地
けっこう密集してる
もともとどんな地形だったか
資料館に行ってみたくなった






    市役所かな
     ▽



本丸外曲輪
冠水門跡
冠水門 というのは 初登場
ちょっと意味が分からない


100m以上ある山の上に 冠水?

冠木門なら 何も疑問に思わないのだが…

特命係の冠木亘!

それは置いといて…

3つ 勝手に考えた

① 門の先の城下の川に 冠水門があった

② どこかの冠水門の資材を再移用して建てた

③ 案内板 書き間違えた





冠水門跡


これまた 珍しい遺構
神社にした時の 鳥居の礎石だろうか

門は坂の上にあったはず
坂の両側が 門櫓の土台

元は 番所だった箇所に 独歩碑がある
この城山が舞台となった
「春の鳥」
せっかくの機会だから 青空文庫で読んだ

独歩碑                          
▽                          


けっこうな 勾配
しかも 石段ではなく 石坂

上から見下ろす 傾斜はよくわからない



シューズでも 砂が載ってると滑るくらい
草鞋なら問題なさそうだ





坂の下から

ここ 武装して上がるのは 無理だわ


東虎口跡
ともいうようだ



坂の上の横石が 扉があった位置だろうか


斜めからだと 傾斜がよくわかる

△  ▲                              
安全柵                                
観光用の 手摺もない 上がりにくい
が、これでいいと思う

下りの方が 怖い

坂を下りた正面は 崖なので 安全策の 安全柵がある
独歩碑の道は ▲ の方向



                       △

冠水門 北側に廻ると 石段がある
これも 神社になってからでしょうね


正面に戻って



滑りこけないように 登ります




これまた おったまげの

本丸石垣です


行ってみましょ








春の城攻め ③-9 花より🍡

2024-01-27 05:58:15 | 佐伯城


豊後 佐伯城





本丸外曲輪 東側


北の丸から見たら ココ
▽    

  


市内 海が展望できるベンチで 休憩
城攻め必需品
百均の遠足シート
ベンチがあっても 安心して座れる所は まず無い
ベンチが無くても 安心して座れる

座って休憩して 体力気力回復しつつ…です




眺めのいいですね~

正面 かわいい 小山
今は 山ですが 往時は 島だったのでしょうかね





宇和海 佐伯湾

といえば…戦艦「大和」

母港は 呉でしたが 巨艦ですからね
豊後水道を抜け 瀬戸内海の島々の奥まで帰港せず
太平洋に近い港で補給する方がいいですからね
ということで 海軍基地がありました
九州側は 佐伯  四国側は 宿毛
佐伯湾 宿毛湾で停泊中の「大和」の写真はよく見かけます


ここから 見えてたのでしょうね~




登城して そんな 見たこともない光景に
酔っていた 昭和親父



同行人たちは

花見が 始まっておりました
城下からは 桜祭りの 笛太鼓の音が 鳴っています






🍡🍡🍡

か~~い!

大好きですが

花より団子
よく言ったもので

🌸🌸🌸
見向きもしませんね







前の週 丸亀城 から帰り
松山で買った
坊ちゃん団子

九州の 佐伯城で 食べることになるとは!

国木田独歩も 夏目漱石には 勝てないようです


松山城 再攻したくなった



春の城攻め ③-8 北出丸

2024-01-26 15:07:00 | 佐伯城


豊後 佐伯城




北出丸

本丸 北側
食い違虎口跡
水の手門跡階段
越えて
本丸から飛び出た 北の丸



     
△                 △
西側                東側



木々の向こうに 城下




三重櫓 が あったようだが



かなり 狭い





城下側の角

下に 北側園路 があり
独歩碑の道 ~ 若宮の道
つながっているみたい




西側の角




北の丸から 本丸外曲輪 天守台 を見る

   



ここも 木が多い気がするが

桜だ






天守台
本丸外曲輪

その下に 階段状の 石垣が見つかった
4段もある

15年程前のこと
それまで 放置 やったんやね




△                       
4段の 階段状の石垣                    
▽                       



本丸下の階段状の石段発見は
長い間放置され 木々に覆われていて
木々の伐採 下刈り 除草
城址の整備によってだと思う
観光客の多い城ではないので
予算繰りも大変だろう

ムササビのいる森

というのも 木々の伐採も 簡単ではない
ただ 三の丸から 城山を見上げても
石垣は 見えない
それもまた どうなんだろう







北の丸と本丸で曲輪との 食違い虎口





北の丸は 本丸で曲輪よりも 低くなっていて




ここに 食い違い虎口 ということは
北の丸から攻められて
ここで 本丸侵入を防ぐということ

でもなくて
北の丸を守る ようにみえる

それに こちら側が どう見ても手薄になりそうだが



        △
石垣の角を左に行くと 堀切へつながっている


普通 ここに 門を設置する と思うのだが
門櫓は 右手の北の丸側にある
本丸出曲輪 一周できてしまう

仕切り門ぐらいだったのだろうか…





本丸石垣 北面



乱積みよりも 進化してる積み方
のように思う
打込み接ぎまではいかない
財政と工期の問題からか?

高度な乱積み と言いたい いい積みだ

同時期 関ケ原以降 築城した
日出暘谷城の 穴太積み とは
また違う

まてまて
こんな石垣 どこかで見たような…

岡城 西の丸から 家老屋敷辺り…

彦根も ちょっと こんな感じだった気もする