自分の人生「本物」を選ぶか「偽り」を選ぶか。
病気人生約15年間で、私は生きているうえで色々な「選択」をしてきたのだと思います。誰でも生きていれば、その時その時に
「選択」をしなければいけない時などはありますが、向精神薬などを飲んでいると、思考などがぼやけてしまい、本当の思いかどうか
わからなくなってしまう時が過去にもありました。「うつ病の酷い時は大事なことを決めないほうがいい」こんなことを聞いたことは
ありますが、よく考えたらずーっと薬飲んでいたら大事なことは決められないまま時が過ぎて行く。そんなふうに言っても過言では
ないような気もします。だから、もろに薬づけになり、体と心が薬仕様になってしまうと「本当の自分」をしらないまま時間が過ぎて
しまったり、年をとっていったり・・・。本当は大変なことだと思います。自分で自分がどんな人間かわからないということは、人間
関係なども「つながる」ではなくて「つくる」になってしまう。私は、千葉に環境を変えてから腹の底でひそかに思っていたことは、
「つながりたい」自分で自分のことをわかっていないと、人間関係を表面だけで作ってしまう。これだけは気おつけてきました。
「つくる」というのは、見えないものですが人間の「波動」が合うとか、深い不思議な共通点など、そういうのは無いと思います。
「つながる」というのは、難しいのですが、「ご縁」だとそんなふうに思います。私自身、「偽り」は嫌なので、環境を変えてから
とにかく自分に向きあいました。病気で狂ってしまっていた時期が10年以上あるので、戸惑ってしまう時もありましたが、それでも
最近では、「本当の自分に戻った」そんなふうに感じます。
私が、奥深く自分と向きあってきたことには、理由があります。それは、東京(実家)と千葉では、いろんなことが180度違うから。
今になって色々な事に気づきますが、本当に震えが来てしまうほどです。もし、仮に今の土地(地域)にご縁が無かったり、引越してきて
生活していなかったら、絶対とは言い切れませんが、物凄く高い確率で「死」を強く意識していたと思います。親より先にお葬式とか。
ただ、親より先にお葬式と言っても、今の世の中珍しい事でも無くなっているのではないかと思います。それは、社会問題になっている
「自殺」私にも無縁のことではなく、身近な事。少し道を間違っていればそっち方向に行っていた可能性も否定できません。
だから、メンタルの病気・障がいや薬に関しては軽く考えないほうがいいと私は思います。私も道を間違っていたら、環境を変えて
からの「ご縁」や「出会い」は全部無いということになります。考えてみれば恐ろしい事です。紙一重みたいな感じです。
そういう所まで、悪い環境に追い込まれてしまっていた自分がいたのだと今になって思います。凄く重たい話になってしまいますが、
「現実」です。
人間関係を「つくる」というのは、私の実家のほうはそういう傾向が強いです。小さな町で、過疎化や高齢化が進んでしまい、人口が
減少し、町おこしなどをしなければ、10年先20年先住めなくなってしまう。そうなると若い人が必要になってくるのですが、まとまりが
ない。私も今の年齢からして、町おこしなどに携わるのなら最適な年齢なのでしようが、元精神障がい者から感じることは、人が少ない
からやたらめったら人をかき集めているだけのように感じ。そうしたら私などは「人」ではなく「物」扱い。又は奴隷。だから、環境を
変えてからもしばらくの間は、「町(地域)おこしをしている中心の人(同い年)をどうして助けてあげないの!」とか「中心の人は
頑張っているのになぁ~」とか、親兄弟からの嫌味はありました。だけど、何を言われても私にはどうにもこうにもならないし、私には
私の「重いもの」を背負っている訳だし・・・。人は「物ではない!」人は「人!」そんなことを言いたい自分もいるのですが、やめて
おきました。「人は人」この気持ちを忘れずにこれから先、自分の人生を歩んで生きたいとそんなふうに思います。
いろんな視点から見ると、メンタルの病気・障がい・薬などは「世直し」みたいなことをしていかなければいけないのかなと
思います。一度きりの人生が狂ってしまったり、何も感じず気づかずに本当の道とは違う道を歩んでしまったり、「死」に
向かってしまったり・・・。軽く考えたりすると本当に大変なことになってしまいます。「人がおかしくなってしまう」「その人が
その人ではなくなってしまう」いき過ぎてしまったり、狂ってしまったら、修正するなり、やり直すなりするしかないのですが、人間内側に
向き合うというのは大変です。それでも、自分の人生立て直したいのなら「自分の為」にやるしかない。深いことだけど、表面だけでは本物
は見つからないから。
しあわせになろうよ
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