環境を変えてから、2年と少しの日々が過ぎました。本当に、自分の中では中身の濃い2年だったと思います。環境を変える前は、病気、薬、
健康不安、新しい土地での生活の不安、仕事などいろんな「課題」を抱えていました。環境を変えるかどうか慎重に1年位は悩みました。
「環境を変えるだけではすべては解決しない」自分の中で肝に銘じていた言葉です。環境を変えることがゴールではなくて、新しいスタート
ラインに立つと考えていたからです。
自分自身に向き合うことで結構必死だったのだと思います。ひとつひとつとにかく「課題」と向き合って、「改善」「解決」しなければ前に
は進めない。そういうタイミング、時期が来たのだと自分で感じていました。厳しい現実と向き合っている中で思ったことは、「自分のイ
メージしていた自分より、その先の自分を目指したい」自分のイメージしていた自分は環境を変える前にイメージしていました。いざ環境
を変えて自分と向き合っていたら、「これじゃない」そんなことに気づきました。それから、新しいイメージ、本当の自分を探し始めまし
た。そういう作業をしている中で気づいたことは色々ありました。
約2年間通い続けたカイロ。(先月閉院しました)1年間位は、通院・服薬をしている状態で施術をして頂いていました。「体と心」を整えて
行くうちに、だんだんとポジティブになっていく自分がいました。10年以上病気をしていて、薬も飲んでいたのに、そのリスクをぶち破るか
のように、仕事などでも結構きつい仕事にも挑戦していきました。足を少々痛めたり、髪の毛が抜けてしまったり色々ありましたが、基本的
には自己責任。何かに立ち向かったり挑戦すると自分自身に自信がつく、乗り越えると気持ちが楽になる。そんな感覚を学んでいきました。
精神的・体力的に負荷をかけすぎてかなり荒っぽいと思っていましたが、自分の中で立ち向かえると思ったからやってみました。薬を手放せ
ると感じたのは施術に通い始めて10か月後。それでも、薬というのは依存性が強いので、手放すことに不安を感じていました。
だけど、手放せる!!と確信できたきっかけはヨガでした。環境を変える前からお世話になっているヨガクラスではなくて、年に数回参加さ
せて頂いていた東京青梅市でのヨガクラス。薬を手放せると感じたのが年末だったので、年明けに参加させて頂きました。実はこの場所知っ
ていたのです。市民センターの2階なのですが、今は何もなくスカスカな場所なのですが、数年前はこの場所は、本がたくさんあって机があ
り、本を読んだり、勉強を出来る場所だったのです。2004年か2005年頃、私はここで朝から夜まで何かの勉強をしていました。かな
り辛い時期で、勉強をしていたんだか、途方に暮れていたのだかわからず孤独をさまよっていました。家に閉じこもっているのが嫌で、何か
をしないといけないと思い、実家から車で3か月~半年弱通っていたのを思い出しました。その場所で、元気になってヨガをやっている自分
がいる。絶対薬は手放せるし、そういう時期が来たのだと強く感じ、手放すことが出来ました。最近もヨガに参加させて頂いたのですが、建
物は同じなのですがその中のヨガをやる場所が微妙に変わっていて、「やばい、日にち間違えたかな?」と思いましたが、今回その場所が、
もろに過去辛い時期を過ごした場所でした。環境を変える前からこのヨガクラスがあることは知っていましたが、行くつもりはなかったので
すが、自然と引き寄せられるかのように2年前からぽつぽつと行っていました。こうなると、「自分で乗り越えたかったことを乗り越えた」
そのような実感が感じられ、薬を手放して1年3か月位ですが「感無量」です。最後のシャバアーサナ。涙が出て仕方なかったです。終わっ
てすぐにトイレに駆け込み顔を洗いました。ヨガは「つながる・つながり」そういう意味なのですが本当にそうなのかもしれません。ヨガが
ヨガをつないだのかもしれません。
カイロは自分自身と向き合える場所でしたし、病院とは違い施術とカウンセリングみたいなことでお世話になりました。今まで気づかなかっ
たことに気づいたり、自分が変わることが出来た場所。閉院してしまって寂しい気持ちもありましたが、通い続けた2年間で凄く元気になっ
たので感謝の気持ちでいっぱいです☆このカイロに通い続けて自分が乗り越えたかったものは乗り越えることが出来たし、ここでやることは
十分やり切ったと「充実感」でいっぱいです。だけど、ラストの施術の時は話すことがあまりなくて、私は帰り「ありがとうございました」
ではいつもと同じなのでとっさに発した言葉が「お疲れぴょんぴょん♪♪♪」でした(笑)こんな軽い感じの最後でした(笑)13年間お疲れ
様でした
ヨガは真南風さんつながりなんだと思います。ヨガからヨガで今の土地に住み始めて気づいたこと、学んだこと、元気になれたこと、成長出
来たこと、支えられたこと、自分の過去、自分の歩んでいた道は間違えではなく、自分で選んで歩んでいた道だと実感出来たこと。とにかく
、色々な事に気づかされたり、感じたり・・・。いまさらですが、真南風くんは、ウィークリーマンションでもなく、携帯電話の電波基地
でもなく「ヒーリングスタジオ」なんだなと、今更実感(笑)携帯恐怖症の自分にとって、こういうのはとてもありがたいし、自分自身に
足りないこと、必要なことだったのだと思います。
去年3月、自分の生まれた土地で、元主治医が講演会をして下さいました。時間があったので、私は参加させて頂きました。全然知らなかっ
たのですが、普通にシンギングボウルを持ってきて鳴らしていたり、普通に「クリスタルボウルは割れると困るから持ってこなかった」
そんなようなことを言っていました。長年病院に通院していたのですが、そういうことは全然知らなかったのです。私は、クリスタルボウル
やシンギングボウルは何回も聴いて来たのですが、まさか自分の生まれた土地でこの音を聴くとは思ってもいませんでした。「今、精神科医
は悪く言われています」とかハッキリ言ったり、シンギングボウル鳴らしたり・・・。何か医者も少しずつ変わってきているのかなとそんな
ことを感じました。もしそうであれば、10年以上薬を飲んできたけれど何かが許せると感じました。
この2年前の講演会の時は、主治医の講演と自死遺族の方の講演があったのですが、茨城にヨガをやりに行った時、駅の周りをフラフラして
いたら、路線バスの〇〇行きの文字が目に入り、ここからバスが出てるんだ、意外と近いのね。おそらくその土地から私の実家の土地で講演
して下さったのだろうなと急に思い出しました。
ずっと行っていた祖母のお墓参り。最近は、年に1回とか2回ですが、最近も行きました。亡くなって丸7年の月。私はこの場所にすごく
助けられ、環境を変えようと考えたきっかけもこの場所。青梅市成木に霊園があるのですが、その霊園のちょっと先には、病気になって
初めて行った精神科があります。だから、祖母が亡くなってお墓がどこなのか、少しだけ聞いただけで大まかかな場所はすぐにわかりまし
た。それは、過去に病院に通院するために車で走っていた道だから。
丸7年。この7年間中身の濃い時間だったと感じています。7年にして、私はお墓参りにお線香をもっていくのを忘れてしまいました。
墓石をきれいに拭いて、墓石を軽く抱きしめて・・・。お線香忘れちゃったからこんな感じで・・・。
この霊園の墓石は○○家とか名前が入っているお墓もあるのですが、いろんな文字が入っている墓石が多いんです。
「感謝」「愛」「平和」「ありがとう」「そら」「海」「おつかれさん」・・・。とにかく色々な文字が。
ちなみに祖母の墓石には「心」と入っています。
最近まで、都内の日本料理屋で働いていましたが、最後の日に仕事終わりに板長と1時間位飲みました。
「自分の過去に後悔してないだろ?」そんなことを聞かれました。「後悔してないから病気を手放せたり、新しい仕事に挑戦したり出来てい
る」素直にそんなふうに思いました。「何かこの先いいご縁があるといいんだけどな」とか「悪いものを積み重ねて行くと悪い方向に行っ
ちゃうから、いいものを積み重ねていけばいい方向に行くから」色々なアドバイスを貰って、「お前に会えてよかった」とか「また飲みに
行こう」とか言われて何か照れくさかったです(笑)この人も、辛い過去があったり、身近な大切な人を失ったりしています。最後に電話
番号を交換して、「何か困ったことがあったら電話しろ」そんな優しい言葉をもらい、こぶしを突き合わせて帰路に着きました。
他にもいろんな記憶がもどって来たり、色々な事があって変化した2年。「体と心」が入れ替わったのだと感じています。
切り替えの時期で、またここから新しい日々が始まっていくのだと思っています。
スピッツ「渚」