歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

商売を考えるのであれば0.1μ制御ではなく1μ制御の工作機械を

2010-03-23 01:43:16 | ものづくり・素形材
 「プレス成形加工」(プレスフォーミングジャーナル社)という雑誌の2010年2月号を金型メーカーの経営者の方から頂きました。この会社が昨年参加されたEuro Moldの模様と欧州の金型産業の状況についてお話をうかがった際に参考資料として頂いたのですが、同誌に掲載されている欧州の金型事情に関するレポートもさることながら、以下の記事も私の興味を惹きました。

(以下引用)
ザブテック(本社:東京都港区高輪1-5-19-201.電話=03-5798-7227)は、長年にわたって台湾トップメーカーの各種工作機械やプレス機械、韓国で製造している農業機械部品などを日本企業に提供している。同社の安田亀代司社長には昨年の同時期、リーマン・ブラザース破綻後の台湾と韓国の機械業界の実情についてお話を伺ったが、その後の状況についてコメントをお願いした。 (聞き手:編集部)
(中略)
工作機械もそうなのですが、最近の需要は生産体系にあったスペックを持つ機械を買うというのが顕著になっていますから、2年前の絶頂期のように猫も杓子も高精度の機械を導入する時代は終わったといえます。
(中略)
メーカは客先の予算に合わせて高級機でも値段を下げて販売をしていましたが、今後はそうしたビジネススタイルではだめで、ユーザーが求める仕様に合い、なおかつそれに見合った値段の機械を開発すべきであるように感じました。プレス機械についても同様だと思います。しかし工作機械でもそうなのですが、高級ではない中級レベルの機械というのは、すでに日本で作られていないケースが多いのです。本当はそのレベルの機械で加工しても良いものもあるはずなのです。
多分、機械メーカーと市場ニーズがミスマッチをしているのではないでしょうか。特に工作機械には如実に現れていまして、機能面でのトップには0.1μ制御の5軸加工機がありますが、多くのメーカがこの仕様の機種を作っています。加工全体をみたときに、0.1μ制御の5軸加工機で行う仕事というのは5%ぐらいしかないのではないでしょうか。5軸加工への要望の多くが、3軸プラス付加軸での加工か、あるいは加工後の切粉を掃くために旋回軸を付けるというような要求なのですね。0.1μの仕様は必要ではなく、1μの精度で十分なのです。ところが日本の工作機械メーカは1μの制御は主流ではありません。しかし台湾メーカでは1ミクロン精度の5軸加工機を開発しているところもあります。10μから15μとかいう加工精度では、0.1μというようなハイエンドの機械ではなくて1μ制御の機械で十分間に合います。1μ制御機でテーブルの大きさにもよりますが、1000万円台からあります。
(引用終わり)

出所:「台湾と韓国の最新産業事情 ザブテック 安田亀代司社長に聞く」(「プレス成形加工」2010年2月号)

 前に私は情報通信機器の業界ではソフトウェアの発展により、「そこそこ」なものづくりでも消費者が満足できるようになってしまったと書きました。どうもマザーマシンの世界でも同じようなことが言えるようです。
 日本人は何事も「技」を極めようとします。この民族的特性により、日本は世界でも稀な洗練された文化を生み出し、一気に世界を代表する工業国にまで上り詰めることができたわけですが、やり過ぎるとビジネスの世界ではとんでもないことになってしまいます。本来は「商品」を作るべきところを、気がついたら芸術的な「作品」を作ってしまった、という感じでしょうか。
 0.1ミクロンの精度を実現するまでには、工作機械メーカー各社はそれこそ大変な努力を重ねてこられたと思います。今更その成果を自ら否定し、1ミクロン精度の5軸加工機を開発することなどプライドが許さないのかもしれません。しかし、世界でマーケットとして成長しているのは新興国であり、そこでのものづくりは主に「そこそこ」なものづくりであって、そんなマーケットニーズに即したマザーマシンを開発し売っていかなければ商売として成り立ちにくいことを、日本の工作機械メーカーは理解していく必要があります。しかし、とにかく「そこそこ」であればよい、という方針では、台湾や中国などとの泥沼のコスト競争に巻き込まれてしまいます。精度は「そこそこ」であっても、操作性は良く安定性も抜群で、しかも長持ちするしサービスもきめ細かい、という日本製品ならではの良さは堅持していく必要があるでしょう。
 2009年、日本の工作機械産業は長い間占めてきた生産額世界一の座を中国に譲ったばかりか、ドイツにも抜かれて第三位に転落してしまっています(こちら)。「ものづくり大国・日本」が過去の話とならないために、工作機械業界はマーケットニーズというものにきちんと向き合い、「作品」」ではなく「商品」を開発していく姿勢が求められるわけですが、この問題は広く日本の製造業全般に言えることではないかと思われます。