歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

迷ったらとにかく上を目指そう

2007-10-22 23:08:49 | 自然
 一昨日の夜、クラブの後輩の学生たちが遭難騒ぎを起こしました。
 家でのんびりビールを飲んでいると、「予定では夕方4時半には下山しているはずなのに、8時過ぎになっても下山してこない。携帯に電話しても通じない。何かあったのではないか。」という緊急連絡が在京の学生から入りました。急いで他のOBたちに連絡を取り、私も彼らが登っている山域の地図と資料、そして登山道具を引っ張りだし、万が一に備えました。彼らは普通の登山ではなく、ザイルを使う沢登りをしに行っていたので、どうしても嫌なことを想像してしまいます。
 しかしその後、携帯電話が通じて無事に下山しているとの連絡が入ったので、私の遭難救助出動(向かってもあまり役には立たなかったでしょうけれど)は無事に幻に終わりました。結局彼らはヘッドランプを付けて登山道を下り、夜の12時過ぎに麓に全員無事に下山したのですが、なぜそんなことになったのか、理由を知って山の中での焦りから出る判断ミスが大事に至るということを痛感しました。
 
 沢登りという登山は、普通は沢を登りきって稜線まで上がるものなのですが、彼らが事前に集めた情報では途中で沢を林業の作業道が横切っており、これを歩けば楽に下山できるということでした。予想以上に沢の中で時間をロスしてしまった彼らは是非ともその作業道を選択したかったのですが、あるはずの道がなかなかみつかりません。ようやく見つかった踏み跡を歩いてみると途中で完全に藪の中に埋もれてしまいました。作業道だと思った道は実はただの獣道だったのです。
 元の場所に引き返し、そこから稜線目指して登ればよかったのですが、日も落ちてきたので彼らは焦ったのでしょう。彼らはそのまま藪をかきわけトラバース(山腹を水平に移動していく)をしていけば登山道のある尾根にぶつかるだろう、そこで下山をすればよい、という選択をしてしまったのです。月明かりにも助けられながら山の中を進みますが、彼らの前に深い谷が立ちふさがります。さすがにこの状況の中で谷を突破するのは危険と判断した彼らは、そこから上方の稜線を目指して登り返し、8時半頃にやっと稜線にたどり着きます。
 稜線に立てば目指す下山道は容易に判明し、彼らはその下山道を慎重に下り、12時過ぎに麓に無事下山することができた、というのがことの次第です。

 メールで送られてきた学生の報告を読みながら、彼らの未熟さに歯がゆさを感じたと共に、焦りがとんでもない判断ミスを誘ってしまうという人の弱さというものを感じました。
 私は人に自慢できるような登山経験はありませんが、「迷ったらとにかく稜線まで登れ、安易に下ろうと思うな」という鉄則は守ってきたつもりです。迷ったら上を目指す、安易に下を目指さない。これは登山だけでなく仕事などにも通じる言葉かもしれません。しかし下界では色々と煩悩が働き、あまり実践できたためしがないような(苦笑)