歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

ポケモン映画を見に行きました

2007-07-16 22:42:09 | 日常
子供と一緒にポケモン映画「ディアルガVSパルキアVSダークライ」を見に行きました。昨日、一昨日が台風の影響でろくに外出できなかったため、台風が過ぎた今日は一斉に家族連れが行楽に出かけたようで、映画館は満員、立ち見のお客さんもかなりいました。
今年のポケモン映画は「世界初の試みとして、上映する全国全ての劇場で、本年度上映作品の主役である幻のポケモン・ダークライを、ワイヤレス通信でプレゼントする」というのが目玉です。劇場のスクリーン付近から「ダークライ」のデータが発信され、子供たちは持ってきた任天堂のDSやDS-Liteにそれをダウンロードする仕組みです。映画館に来ていたほぼ100%の子供たちがDSやDS-Liteを持っており、彼らの操作の手つきは実に手慣れたものです。
それにしても、映画への誘客だけでなくゲームソフト販売の仕掛けとして、このようなサービスは実にうまいやり方だな、と思いました。さすがは任天堂です。子供に人気のアニメにはゲーム化(逆のパターンもある)されたものが結構あるので、今後このような仕掛けが増えるのではないでしょうか。
ちなみに映画の内容は、私個人の意見としては・・・だったのですが、子供は大満足だったようなので黙っていることにしています。

藤本隆宏編著「ものづくり経営学 製造業を超える生産思想」

2007-07-16 07:00:28 | 読書
藤本隆宏編著「ものづくり経営学 製造業を超える生産思想」(光文社新書)を読みました。藤本氏(東京大学21世紀COEものづくり経営研究センター所長)は、ものづくりを「擦り合わせ(インテグラル)」、「組み合わせ(モジュラー)」という「製品アーキテクチャー」の概念で分析することで有名な方で、このブログでも何回か紹介しました。本書に収録された論文は34本、総ページ数564ページという新書とは思えないボリュームで、多くの研究者たちとの共同研究をまとめた集大成といったかんじです。
藤本氏は、世の中のあらゆる製品を「設計情報がメディア(情報を担う媒体)の上に乗ったもの」とみなし、「製品開発とはそうした設計情報の創造であり、生産とは設計情報を工程から製品へ、繰り返して転写していくことである。」とみなします。たとえば自動車のボディを成形するということは、設計情報を金型というメディアに乗せ、プレスすることで鋼板というメディアに設計情報を転写すること、とみなします。本書では製造業のみならず、この概念を様々な非製造業にも適用して分析を試み、ハードとソフトが相互に補完し合い、製造業とサービス業の境界が流動化する時代に直面する中「開かれたものづくり論」が必要だと論じている点が新鮮です。

(以下引用)
改めていえば、本書がよってたつのは「開かれたものづくり」という発想である。ここで「ものづくり」とは、人工物すなわち「あらかじめ設計された事物」によって顧客を満足させることにほかならない。
したがって、「ものづくり」の核心は「もの」というよりはむしろ「設計」である。新しい設計情報を顧客まで届け、その設計で顧客を喜ばせることが、「開かれたものづくり」の要諦である。顧客へ向かう「設計情報の流れ」にかかわるすべての活動、たとえば開発、生産、購買、販売はすべて「ものづくり」の範疇に入る。(中略)
顧客を喜ばせる新しい設計情報を創造し、媒体に転写し、顧客に向かう「設計情報のよい流れ」をつくることが、「開かれたものづくり」であれば、それが物財(製造業)だろうとサービスだろうと、等しく「ものづくり」である。
(引用終わり)

自動車用の鋼板のように転写が難しい素材、つまり「書き込みにくいメディア」に、現場に蓄積された知恵を活かしながらあえて設計情報を丹念に移し変えていく「作り込み」が日本の製造業の得意分野であるわけですが、サービス業については、従業員に正しい設計情報を仕込み、その劣化を防ぐために教育を施す「教え込み」を日本企業は得意とし、米国企業などよりも高い品質を実現してきた、と論じます。確かに航空会社の機内サービス、デパートの接客サービスは言うに及ばず、同じファーストフードのチェーン店でもサービスの質は日本と米国では大きな差がありますが、なるほど「教え込み」とは言いえて妙だと思います。両者に共通するのはいずれも、「擦り合わせ型」のアーキテクチャーであることです。

しかしながら、非製造業の「ものづくり」の分析はまだこなれていない印象があり、やはり藤本氏が得意とする自動車産業に関する論述の方が読み応えがあります。また、少々難解な箇所も多く、読み通すには体力と気力が必要かもしれません。しかし、製造業と非製造業、理系と文系の違いを超えて、幅広い読者層に読まれて欲しい本だと思います。