群馬県太田市に所在する“青蓮寺”(しょうれんじ)は、
岩松氏の居館跡である。
館が廃されてから、その近くにあった青蓮寺が移ってきたという。
寺の裏には土塁が残っている。
ここを訪れたとき、天気がひどく不安定だった。
晴れているかと思えば急に雨が降り出し、
また晴れるという空模様の繰り返し。
大雨は災害をもたらすが、
ごく普通の雨は好きである。
天気予報士かニュースキャスターが、
雨の予報を残念そうに伝えるのをたまに見かけるが、
誰しも晴れが好きというわけではないことを知ってほしい。
環境に何の不安も抱えてなければ、
雨マークに少しテンションが上がる。
雨だってそんなに嫌な奴ではないのだ。
青蓮寺の駐車場に車を停めたときは晴れていた。
ところが、境内に入った途端、みるみる雲行きが怪しくなる。
そして五分後には土砂降りの雨となった。
急遽、土塁の上の鬱蒼と生い茂る雑木林に雨宿り。
土塁の上で雨宿りをするのは初めてだった。
青蓮寺の本尊か、武将岩松氏か霊魂が立ち入りを拒んでいると考えてもいいのだが、
ぼくは雨が好きなので良い方にしか捉えない。
すなわち、歓迎である。
いつか、人生の転機と呼んでもいいことがあったとき、
晴れていたのに急に雨が降って、すぐに止んだことがあった。
また別のとき、神社にお礼参りへ行ったら、
ちょうど首筋に雨雫が落ちてきたこともある。
自然現象ゆえにどうということはないのだが、
場合が場合だっただけに、
何かしらのメッセージあるいは反応と捉えたものだ。
青蓮寺の雨も、快く迎えてくれたものと捉えたい。
雨はすぐに上がり、強い日射しが照りつけた。
物は何でも考え方や捉え方一つで変わってしまう。
ダメだと思えばダメだし、
大丈夫と思えば、自ずといい流れへと行くものだ。
どこかへ行ったとき、雨に降られたとする。
憂鬱になるかもしれないが(ぼくもときには気が重くなる)、
歓迎の雨、あるいは良いことが起きる前兆と捉えれば、
優しい雨に変わるかもしれない。
青蓮寺(群馬県太田市)
土塁跡
岩松氏の居館跡である。
館が廃されてから、その近くにあった青蓮寺が移ってきたという。
寺の裏には土塁が残っている。
ここを訪れたとき、天気がひどく不安定だった。
晴れているかと思えば急に雨が降り出し、
また晴れるという空模様の繰り返し。
大雨は災害をもたらすが、
ごく普通の雨は好きである。
天気予報士かニュースキャスターが、
雨の予報を残念そうに伝えるのをたまに見かけるが、
誰しも晴れが好きというわけではないことを知ってほしい。
環境に何の不安も抱えてなければ、
雨マークに少しテンションが上がる。
雨だってそんなに嫌な奴ではないのだ。
青蓮寺の駐車場に車を停めたときは晴れていた。
ところが、境内に入った途端、みるみる雲行きが怪しくなる。
そして五分後には土砂降りの雨となった。
急遽、土塁の上の鬱蒼と生い茂る雑木林に雨宿り。
土塁の上で雨宿りをするのは初めてだった。
青蓮寺の本尊か、武将岩松氏か霊魂が立ち入りを拒んでいると考えてもいいのだが、
ぼくは雨が好きなので良い方にしか捉えない。
すなわち、歓迎である。
いつか、人生の転機と呼んでもいいことがあったとき、
晴れていたのに急に雨が降って、すぐに止んだことがあった。
また別のとき、神社にお礼参りへ行ったら、
ちょうど首筋に雨雫が落ちてきたこともある。
自然現象ゆえにどうということはないのだが、
場合が場合だっただけに、
何かしらのメッセージあるいは反応と捉えたものだ。
青蓮寺の雨も、快く迎えてくれたものと捉えたい。
雨はすぐに上がり、強い日射しが照りつけた。
物は何でも考え方や捉え方一つで変わってしまう。
ダメだと思えばダメだし、
大丈夫と思えば、自ずといい流れへと行くものだ。
どこかへ行ったとき、雨に降られたとする。
憂鬱になるかもしれないが(ぼくもときには気が重くなる)、
歓迎の雨、あるいは良いことが起きる前兆と捉えれば、
優しい雨に変わるかもしれない。
青蓮寺(群馬県太田市)
土塁跡
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