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クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

郷土史家さんの本棚(2)―つげ義春著『枯野の宿』―

2006年04月04日 | レビュー部屋
今回紹介する本は漫画家つげ義春氏の『枯野の宿』です。
いわゆるつげ義春氏の「旅もの」作品の一つで、1974年の発表です。
この作品は羽生が舞台となっています。
羽生市というと、とりわけ田山花袋の『田舎教師』の舞台として
取り上げられることがほとんどです。
しかし、『枯野の宿』も今後『田舎教師』と同様に大きく紹介されるべきでしょう。

つげ義春氏は言わずと知れた漫画家です。
新潮文庫『蟻地獄・枯野の宿』の作者プロフィールでは、次のように書かれています。
「1937(昭和12)年、東京都葛飾区生れ。小学校卒業と同時に、兄の勤め先のメッキ工場に見習い工として就職する。そのかたわら、マンガ家を志し、16歳で実質的なデビューを飾る。’65年頃から、雑誌「ガロ」に「沼」「チーコ」などの諸作品を発表し、注目を集める。代表作に「ねじ式」「紅い花」「無能の人」などがある(以下略)」

ぼくがつげ義春という漫画家を初めて知ったのは、18歳のときでした。
恩師の正津勉先生がつげ義春氏の作品に出ていると聞いたのがきっかけで、
図書館から全集を借りてひと通り読んだのです。
(ちなみに正津先生が登場してくるのは「池袋百点会」。
先生の顔を知っていればすぐにわかると思います。
さらに言えば、正津先生の著作『笑いかわせみ』(河出書房)の表紙を飾っています。
ただ作品はあくまでもフィクションであって、
創作上の人物と本人は全く別人らしいとのこと)

『枯野の宿』は、漫画家の「私」が主人公です。
遅筆で将来に不安を感じている「私」は、
自分の家を持つことで、経済的な負担が減るのではないかと考えます。
そこで予算二百万円を持って、なんとはなしに羽生へやってきます。
羽生の不動産屋に相談を持ちかけますが、
あっさりと追い返されてしまいます。
釈然としない思いで「私」は利根川の土手に座り、
渡し舟を眺めたり、弁当を食べたりして過ごします。
(ぼくはこの利根川の情景がとても好きです)
ところが、突然雨に降られます。
「私」は慌てて避難するのですが、近くに雨宿りする場所などなく、
這々の体で一軒の宿を見付けます。
それがこのタイトルにある「枯野の宿」です。

宿にいるのは、ややヒステリックな老婆と、その息子の「岩男」です。
かつて絵描きを志望して挫折した「岩男」は、この作品において重要な存在です。
愛嬌のある人物に描かれてもいますが、
どこか影を抱えている男でもあります。
宿の壁には「岩男」の描いた絵が一面に広がり、
本作品では三枚の絵が登場します。
一つは「ひどいデッサン」の三重塔のある絵。
もう一つは「千葉の海」を描いた絵。
最後に、部屋の窓からの景色を描いた「枯野の絵」です。
この「枯野の絵」は荒涼としたなんとも言えない寂しい絵で、
この宿に温もりが感じられないことを象徴しているように思われます。
「私」は雨に打たれ、見知らぬ土地で過ごす精神的ストレスのせいか、
その晩四十度近くの熱を出してしまいます。
外では一升瓶を片手に抱え、顔から血を流し、
川縁で叫ぶ「岩男」が描写されますが、
愛嬌のある彼とは別の一面を見るような、
不気味さと不吉な予感を感じさせる人物に描かれています。

翌日、「私」は枯野の絵のある部屋に寝かされます。
うとうとしていると、いつの間にか「私」は小舟の上にいます。
「岩男」が舵をとり「これからいい所へ行きましょう」と言います。
そこは枯野の間を流れる川で、二人以外に誰もいません。
だんだん霧が出てくると、「私」は焦りを覚えます。
「岩男さんひどい霧ですよ。帰りましょう」と「私」は言いますが、
「岩男」は何も返事をしません。
そして霧は濃くなり、「岩男」の姿もぼやけていきます。
「岩男さん!」と叫んだとき、「私」は目が覚めます。

夢から醒めた「私」がいるのは枯野の絵のある部屋ですが、
隣には電報を貰って駆けつけた妻がいます。
妻はこう言います。
「この部屋淋しいわね。この陰気な絵のせいかしら」
二人は枯野の宿を出ると、利根川の土手を歩きます。
妻は羽生に住むことを不安を感じているらしく、
買い物に不便なことと、誰も訪れてくれないことを口にします。
「私」はそんな妻の肩を抱くと、
「でも心配することはないよ。二百万円じゃ買えないんだから」と笑い、
この作品は終わります。

初めて『枯野の宿』を読んだとき、
狐に抓まれたような印象を受けたのを覚えています。
特に大きな事件があるわけではないし、
物語というより、日常をスケッチしたような私小説的な作品です。
作者がどういう意図でこの作品を描いたのか、
そのときぼくにはよくわかりませんでした。

藤田知浩氏は、『つげ義春の魅力』(勉誠出版)の中で、
「私」が終盤に迷い込む夢のシーンは、「岩男」の世界の中であり、
そこからさらなる異界へ誘われようとしていると言います。すなわち、
「岩男の精神世界ともいえるそこは枯野で圧迫感は無いが、薄暗く寂しく、岩男と主人公以外は人が一人も居ない。夢の岩男はさらに、船で別世界に連れていこうとするが、そこは岩男の世界の延長でしかない。
目が覚めた主人公は夢から抜け出す。岩男の精神世界から現実の世界に引き戻されたのである」と、藤田氏は書いています。

ぼくが『枯野の宿』から感じた羽生の印象は、
陰気、冷たさ、寂しさ、侘びしさといったマイナスのものばかりでした。
布団を勝手に使ったことをカンカンに怒る老婆といい、
川縁で血を流して叫ぶ「岩男」といい、
つげ義春作品の中でも、これほど陰気なキャラクターが描かれた作品は
ほかにないのではないでしょうか。
「私」の妻は、「淋しい」の言葉を二度使い、
彼女にとって羽生は「淋しい」土地にしか映らなかったのでしょう。
確かに「岩男」の描いた枯野の絵は、
どこにも救いがなく、これが羽生の風景だとしたらあまりにも荒涼としています。

今回『枯野の宿』を読み返して感じたのは、
境界としての羽生です。
この作品は、「夢」と「現実」の二つの世界を行き来し、
また「夢」の世界から、さらに「異界」があることを暗示しています。
この「現実」と「異世界」の両世界は、
羽生という土地そのものが、往古から内包している風土のように思います。
つまり、「境界線上に位置する土地」です。
このことは、『枯野の宿』にも頻繁に出てくる利根川が
大きく影響しているのではないでしょうか。

歴史を振り返ってみても、かつて利根川が荒川筋だった頃、
羽生は北関東と南関東のちょうど中間地点として考古学的に注目されていますし、
羽生城時代においても、天正年間の初期には、
上杉謙信と後北条氏の二つの大きな勢力がぶつかり合う境界線上にありました。
これらのことは、羽生の土地に少なからず影響を及ぼしたはずです。
「岩男」の夢と、その向こうに存在する異界、
妻のいる現実世界に生きる「私」のように、
羽生にはかつて、「現実」と「異世界」が隣り合う土地だったのかもしれません。

「岩男」が連れていこうとした「いい所」(=異世界)が、
どんな世界なのかわかりませんが、
実はそこはありふれた別の日常(=現実)だったようにも思います。
慶長19年(1614)に大久保忠隣の改易と共に羽生城は廃城となり、
村それぞれが別の国の支配下に置かれていましたから、
当時は隣村でさえ「異界」だったことが考えられます。
『枯野の宿』で描かれる人々や情景が、陰気だったり寂しかったりするのは、
ひとつの藩(羽生藩)としてまとまることができず、
統一性に欠けた風土が起因しているように思えてなりません。

今回改めて『枯野の宿』を読み返しましたが、
「境界としての羽生」という視点はいままでにありませんでした。
自分の言葉で語ろうとすると、別の発見があるものですね。
ここで改めて今回取り上げた本を紹介します。

書名:『蟻地獄・枯野の宿』
著者:つげ義春
発行日:平成11年5月1日発行
出版社:新潮社
※筑摩書房からは「つげ義春全集」が刊行されています。

参考文献
つげ義春著『蟻地獄・枯野の宿』新潮文庫
藤田知浩著「枯野の宿」(勉誠出版『つげ義春の魅力』所収)

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