クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

騎西城主は“種垂”に隠居する? ―武州騎西城(47)―

2014年07月19日 | 城・館の部屋
種垂城(たなだれじょう)は騎西城から南西の方角にある。
現在、城のある地域は「種足」と書くが、
城は「種垂城」と表記される。

城跡の一部は公園になっている。
周囲は田園風景が広がり、
そこに城があることを知らなければ通り過ぎるだけだろう。

佐々木氏のあと、種垂城主小田顕家が騎西城へ移る。
そして忍城主成田氏から婿養子をもらい、家督を譲ると、
種垂に隠居した。
城ではなく、百石耕地という場所に隠居したという。
顕家の墓碑は雲祥寺に現存している。

種垂はかつて伊賀光清の所領の一部であり、
日蓮宗の道場のある村だった。
そのような場所に城が建つのは、歴史の自然の流れだったのかもしれない。

種垂城も、騎西城から徒歩で行くにはやや遠いが、
自転車ならばさほど苦ではないだろう。
車ならあっという間だ。

騎西城から種垂城へ向かったならば、
併せて菖蒲城もおさえておきたいところ。
ただ、種垂城も菖蒲城も公園となっていて、
城をイメージさせるものはない。
天守閣はなく、いずれも砦のような城だったのだろう。
城跡を示す石碑は大げさに自己主張することなく、
物静かに佇んでいる。

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