クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の喜右エ門新田の“キタマチ”と“ミナミマチ”とは?

2024年04月23日 | 地名の部屋
6月開催の「歴史散策ウォーキング」の下見に随行する。
羽生市三田ヶ谷限定のウォーキングで、講師は文化財保護審議委員の尾花幸男氏が務める。

三田ヶ谷地区を歩く機会は、水郷公園やキヤッセ羽生以外になかったかもしれない。
『田舎教師』巡りをするのも自転車だった。
むろん、初めてというわけではないが、改めて歩くとなるととても新鮮に感じられた。

弥勒から喜右エ門新田を歩くコースである(いずれも羽生市)。
車だと、一瞬で通り過ぎてしまう景色もじっくり目に入ってくる。
路傍の石仏、用排水路を泳ぐ小魚の群れ、野に咲く草花……。
歴史散策の原点は、やはりじっくり見ることからだろう。

ところで、かつて喜右エ門新田には大きな沼が存在した。
現在は埋め立てられて田んぼとなっているが、土地が一段低くなっている。
耕地整理が実施される前は掘上田が広がり、大小さまざまな田んぼがあったと聞く。

尾花氏の話によると、この田園は水路を挟んで「キタマチ」と「ミナミマチ」と呼ばれていたという。
音だけ聞くと、「北町」「南町」と漢字変換したくなる。
が、とても「町」があったようには思えない。
古代に集落があったとしても、それに由来する呼び名ではないだろう。

国語辞書や地名辞典を引くと、マチとは一つに「田んぼ」という意味があるという。
なるほど、「田んぼ」なら頷ける。
つまり、キタマチ・ミナミマチとは、水路を挟んで北の田んぼ、南の田んぼから来ている呼び名なのだろう。
とすると、沼を掘上田として開拓するようになってから使用されるようになったのかもしれない。

むろん、にわか仕込み調査からの推測である。
断言も断定するつもりもない。
ノートのつもりでこれを記している。

というように、地元の人と一緒に散策をすると、文献にはない話が聞けるのが醍醐味である。
昔からの言い伝え、その土地の呼び名、本には書けない歴史的な裏話……。
3時間ほどの散策(下見)だったが、新たな“気付き”がたくさんあった。

まだまだ知らないことが多くある。
紫外線を厭わず、たまには原点の自転車に返った方がいいかもしれない。
パトロール中の警察官に久しぶりに呼び止められたい気もする。
尾花氏をはじめ、一緒に参加された方々に感謝申し上げます。
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