クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

埼玉で1番古い高校はどこ? ―子ども昔語り(53)―

2007年09月17日 | 子どもの部屋
古利根川の流れる埼玉県加須市不動岡には“不動岡高校”があります。
100年以上の伝統を誇る県内最古の高校です。
この学校の前身となる“私立埼玉英和学校”を創設したのは、
“岡戸文右衛門”という人物でした。

文右衛門は天保6年(1835)に現在の埼玉県羽生市下手子林に生まれました。
長兄が早くに亡くなったので、
岡戸家10代目を継いだ文右衛門は幼い頃から学問に触れ、
のちに江戸に出て剣術を習いました。
そんな彼は早くから頭角を現し、
名主(なぬし)に任ぜられると30歳のときには“士分”に取り立てられます。
しかし、明治維新と共に帰農しました。

その後は、下手子林村の戸長や第12副区長などを歴任。
養蚕・製糸業・水利事業に力を尽くし、
自らお金を出して土地改良のための“排水路”を作りました。
これによって荒れた土地は作物が豊かに実り、
あまつさえ二毛作も可能となったのです。

そんな文右衛門が特に力を入れたのは“教育”でした。
早くから教育の必要性を感じ明治6年(1873)に、
“広聞学校(こうぶんがっこう)”を下手子林村の清浄院に設置しました。
(手子林小学校が発行する広報「こうぶん」はここからきています)

しかし、農家を本業としていた人が多かった村々では、
教育の必要性は感じてはいません。
学校へ行かせるより幼い頃から働かせるのが良しとされていた時代です。
「学問もいいけど食えればいいじゃないか」とか、
「女は飯炊きができればいい」
と、村人たちは文右衛門を疎(うと)んじたのです。

そんな言葉に屈することなく、文右衛門はわらじのはき替えと弁当を持ち、
教育がこれからの時代いかに大切であるかを辛抱強く説得してまわりました。
ゆえに、文右衛門の姿が見えると、
「またあの人がやってきた」と村人たちは囁き合ったそうです。

その地道な努力はいつしか実を結び、教育への関心は高まり始めます。
明治13年(1880)になると、岡戸文右衛門や網野長左衛門らの発意により、
不動岡村岡古井に“私立会川中学校”を開設。
その後、掘越寛介らを設立者として“埼玉英和学校”を開校しました(明治19年)。
明治30年には“私立埼玉尋常中学校”と改称。
大正10年(1921)に埼玉県に管理などの権限が移ると、
晴れて“埼玉県立不動岡中学校”となったのです。
大正13年、岡古井から現在の場所に新築移転し、
以後県内最古の学校としてその伝統がいまも受け継がれています。

こうした学校開設に携わった岡戸文右衛門は、
教育や事業への尽力が認められ、明治37年に“藍綬褒章”を受章しました。
しかし、その2年後の明治39年9月13日に他界。
享年72歳でした。
羽生市上手子林の“冨徳寺”に埋葬され、
静かに眠っています。



※最初の画像は岡戸文右衛門で、最後は旧校舎跡に建つ記念碑です。
 現在は「記念碑公園」という公園になっています。

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