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9月19日(日)に、埼玉県立嵐山史跡の博物館の令和3年度企画展「実相 忍びの者」に関連して、博物館セミナーが開催されました。
実は、講師の一人として私も参加する予定でした(他5名)。
私のテーマは羽生城。
上杉謙信が羽生城へ宛てた書状の中に忍びが登場するのにちなんでお声がかかりました。
しかし、随分前から病気にかかってしまい、療養中で出席することが叶いませんでした。
(コロナではありません)
楽しみにされていた方や、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。
職場にも多大なご迷惑をおかけしています。
本当に申し訳ありません。
病気になると健康のありがたみをつくづく実感します。
ご縁は一期一会。
コロナの流行がなければ去年開催するはずで、
歴史の猛者たちを相手にお話をするのは不安でしたが、私自身とても楽しみにしていたので、眠れないほど悔しい想いをしました。
機会を与えてくださったことに感謝するとともに、
皆さまのご期待に添えなかったことに深くお詫び申し上げます。
実は、講師の一人として私も参加する予定でした(他5名)。
私のテーマは羽生城。
上杉謙信が羽生城へ宛てた書状の中に忍びが登場するのにちなんでお声がかかりました。
しかし、随分前から病気にかかってしまい、療養中で出席することが叶いませんでした。
(コロナではありません)
楽しみにされていた方や、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。
職場にも多大なご迷惑をおかけしています。
本当に申し訳ありません。
病気になると健康のありがたみをつくづく実感します。
ご縁は一期一会。
コロナの流行がなければ去年開催するはずで、
歴史の猛者たちを相手にお話をするのは不安でしたが、私自身とても楽しみにしていたので、眠れないほど悔しい想いをしました。
機会を与えてくださったことに感謝するとともに、
皆さまのご期待に添えなかったことに深くお詫び申し上げます。
まさか自分が……という思いです。
人間、何があるかわかりませんね。
博物館セミナーの件は残念でなりません。
もう終了してしまいましたが、まだ後ろ髪を引かれる想いが消えないです。
眠れない日は、そのことが脳裡をよぎります。
いつか食べたうなぎ、おいしかったですね。
高田馬場へ行った20代の日々を思い出します。
僕の駄作も読んでいただいて、ありがたかったです。
詩人のゼミはいまどうなっているのでしょうね。
ときどき思い出しますが、色んな意味で若かったことを実感します。
眠れない夜は、あの日食べたうなぎとゼミのことを思うようにします。
またお気遣いいただき、恐縮です。
セミナーはテーマも面白かったので楽しみにしていましたが、結果的に迷惑をかけてしまいました。
きっと盛り上がったでしょうね。
僕はようやく死神がとれた気がしますが、行田を流れる見沼代用水路を見るとまだ妙な気持ちがわき上がってきます。
とうせ飛び込むなら思い出のあるT橋かなと思うのですが、人によってはすごく嫌味に思われてしまいそうなので、近付かないようにしています。
変な話をしてすみません。
寒暖差の激しい季節を迎えました。
油断すると精神にも影響を及ぼす季節です。
青木様もどうかお体をご自愛ください。
正津先生の映画監督のお嬢さん活躍してるみたいです。私たちも先生と映画見にいきましたよね。鈴木さんというジャーナリストで活躍してる人とバシバシしてるみたいです。鈴木さんは本もたくさん
書いてますがどちらかというと右翼と思われている人です。また私は羽生と縁があるのか新井さんという羽生の人と何度か会い顔を覚えてしまいました。タカトリさんは自宅療養しているのですか。
人生で後悔していることの一つに、あの日ゼミの皆さんと映画を行くことになっていましたが、僕は行けなかったんです。
何とか都合をつければよかったな、とふと思い出しては後悔しています。
でも、ご活躍とのこと。
以前、親子で対談している雑誌を読んだことがありました。
あれも買っておけばよかったな……
僕は自宅療養中です。
主に3つの病院にお世話なっており、つい3日前までクスリの副作用で地獄の苦しみを味わいましたが(大げさに言えば)、いまはクスリを替えてようやく落ち着きました。
お休みされているところ恐縮です。
拙ブログから距離を取り、長い間目にできない状態が続いていました。
さて、村君地区内の社寺の由来などについて、由緒書や縁起類が取っ掛かりとなりますが、まずは『羽生市史』ではないでしょうか。
『新編武蔵風土記稿』や『武蔵国郡村誌』などの地誌類をはじめ、寺院明細帳や『埼玉の神社』も参考になります。
そのほか、仏像や懸仏などの銘、足利市の鶏足寺の血脈、戦国期に羽生城主が永明寺を再興する際に発給した古文書(原本不明)も資料となりますので、『新編埼玉県史』や羽生近隣の市町村史も自ずと調査の対象になるかと思います。
ただ、いつ、誰が、何のために社寺を創建したという情報を明確に伝える資料は少ないものです。
そのため、お調べになるときは、文献資料はもとより、時には考古学的成果(発掘調査報告書など)も参考にしてもよいかと思います。