加須(かぞ)という地名がどうして起こったのか?
その詳しい由来はよくわかっていません。
見慣れない言葉であるゆえに、
知らない人は「かぞ」とは読めないでしょう。
この謎めいた地名について、
『加須市の地名』(加須市史編さん室)では3つの説を挙げています。
1.加津説
加須の“光明寺”という寺は、
元亀2年(1571)に“加津内蔵丞長高”によって創建されたという。
この加津内蔵丞長高の「加津」にちなんで、加須の地名が起こったとする説。
2.神増説
加須市内に“大聖院”という寺がある。
これは京都の聖護院の流れをくむ修験の寺で、八幡山大聖院神増寺と号した。
この「神増寺」の「神増」から加須の地名が起こったとする説。
それを裏付けるかのように、市内には「神増村」と記されたものが存在する。
3.加増説
元禄頃より、利根川治水工事や新田開発が活発化し、
加須の地の石高が増加していった。
旗本にしてみれば、これは石高の「加増」を意味している。
ゆえに加須の地名が起こった。地誌『新編武蔵風土記稿』の「加須村」項には、
「古は加増と記しかぞと唱へしが、後文字は今の如く改めしといへど、
唱はもとの如くなり、正保の頃は未だ加増と記し、元禄の頃は加須村とのせたれば、
其改めしは元禄前のことなるべし」
と記されている。
このような説がある中、なぜ「加須」という表記になったのかは不明です。
「須」は川と関係性のある言葉。
やはりこれも古利根川に影響しているのでしょうか。
『加須市の地名』も、「加増から加須へ移行された原因は、正保から元禄の間の約4・50年の政治・経済の中に求めることができるのではないか」として、
明確な答えは出していません。
こうした謎めく地名以外は、
川や水にちなんだ地名が多くつけられている羽生と加須。
そしてそこに暮らす人々は、川と密着した生活を送っていたのでしょう。
いまの景色からでは想像できないほど、
湿地帯が広がっていたはずです。
現在は沼や湿地帯は姿を消し、
地面はアスファルトに覆われています。
大雨が降ると低いところがすぐに浸水してしまうのは昔の名残ですが、
普段それを実感することはありません。
では、アスファルトの下はどうなっているのでしょうか?
実際に地面を掘ってみたいと思います。
加須市北小浜に広がる沼です。
関東三大不動としていまも賑わいを見せる加須の總願寺です。
加須市を流れる会の川(古利根川)です。
その詳しい由来はよくわかっていません。
見慣れない言葉であるゆえに、
知らない人は「かぞ」とは読めないでしょう。
この謎めいた地名について、
『加須市の地名』(加須市史編さん室)では3つの説を挙げています。
1.加津説
加須の“光明寺”という寺は、
元亀2年(1571)に“加津内蔵丞長高”によって創建されたという。
この加津内蔵丞長高の「加津」にちなんで、加須の地名が起こったとする説。
2.神増説
加須市内に“大聖院”という寺がある。
これは京都の聖護院の流れをくむ修験の寺で、八幡山大聖院神増寺と号した。
この「神増寺」の「神増」から加須の地名が起こったとする説。
それを裏付けるかのように、市内には「神増村」と記されたものが存在する。
3.加増説
元禄頃より、利根川治水工事や新田開発が活発化し、
加須の地の石高が増加していった。
旗本にしてみれば、これは石高の「加増」を意味している。
ゆえに加須の地名が起こった。地誌『新編武蔵風土記稿』の「加須村」項には、
「古は加増と記しかぞと唱へしが、後文字は今の如く改めしといへど、
唱はもとの如くなり、正保の頃は未だ加増と記し、元禄の頃は加須村とのせたれば、
其改めしは元禄前のことなるべし」
と記されている。
このような説がある中、なぜ「加須」という表記になったのかは不明です。
「須」は川と関係性のある言葉。
やはりこれも古利根川に影響しているのでしょうか。
『加須市の地名』も、「加増から加須へ移行された原因は、正保から元禄の間の約4・50年の政治・経済の中に求めることができるのではないか」として、
明確な答えは出していません。
こうした謎めく地名以外は、
川や水にちなんだ地名が多くつけられている羽生と加須。
そしてそこに暮らす人々は、川と密着した生活を送っていたのでしょう。
いまの景色からでは想像できないほど、
湿地帯が広がっていたはずです。
現在は沼や湿地帯は姿を消し、
地面はアスファルトに覆われています。
大雨が降ると低いところがすぐに浸水してしまうのは昔の名残ですが、
普段それを実感することはありません。
では、アスファルトの下はどうなっているのでしょうか?
実際に地面を掘ってみたいと思います。
加須市北小浜に広がる沼です。
関東三大不動としていまも賑わいを見せる加須の總願寺です。
加須市を流れる会の川(古利根川)です。
加増の線は濃いと思います。
地名は歴史を繙くヒントの一方で、謎も深いですよね。
解明はなかなか難しいと思いますが、
歴史を考えるきっかけを与えてくれますね。