2人の住職に会いました。
拙著『古利根川奇譚』のお祝い会ということで、
駅近くのイタリアンなお店でグラスを重ねました。
「住職」と言っても、昔ばなしに出てくるようなおじいちゃんではありません。
僕のひと回り上と、いくつか年下の住職です。
寺院名を出したいところですが、
許可をもらっていないので自粛。
ちょっとしたきっかけで出会った縁でした。
羽生城がつなげてくれた縁と言ってもいいかもしれません。
お付き合いをしてまだ10年も経っていませんが、
古くから知っているような感覚がします。
お店ではおいしい料理がテーブルを彩り、
ほかに置いてあることの少ない飲み物で乾杯。
ファンが多いお店です。
僕たち以外の客で店内は賑わっていました。
実を言うと、ここ最近心が情緒不安定になっていました。
ちょっとしたことが心に引っかかり、
普段ならば右から左へ受け流すのが、そうできなくなっていました。
ナイーブなときは、否定的な気持ちになってしまうものです。
他者や周囲を否定するのではなく、対象は自分自身。
元々ない自信がさらに失われ、切ない気持ちになることが多くありました。
忘れかけていた記憶なんかも蘇ってきて……。
そんなときに顔を合わせた2人の住職でした。
前向きな気持ちになれた気がします。
そんなことを気にしなくてもいい、と言ってくれたようにも感じます。
人との縁とはそういうものなのかもしれません。
心あたたかいお祝い会を開いて下さったお2人のご住職に感謝します。
なお、店内で拙著にサインを書きました。
ある書店にも僕のサインが飾られているのですが、
小学生のときに真面目に習字を習っておけばよかったと、
いまさらながら後悔しています。
拙著『古利根川奇譚』のお祝い会ということで、
駅近くのイタリアンなお店でグラスを重ねました。
「住職」と言っても、昔ばなしに出てくるようなおじいちゃんではありません。
僕のひと回り上と、いくつか年下の住職です。
寺院名を出したいところですが、
許可をもらっていないので自粛。
ちょっとしたきっかけで出会った縁でした。
羽生城がつなげてくれた縁と言ってもいいかもしれません。
お付き合いをしてまだ10年も経っていませんが、
古くから知っているような感覚がします。
お店ではおいしい料理がテーブルを彩り、
ほかに置いてあることの少ない飲み物で乾杯。
ファンが多いお店です。
僕たち以外の客で店内は賑わっていました。
実を言うと、ここ最近心が情緒不安定になっていました。
ちょっとしたことが心に引っかかり、
普段ならば右から左へ受け流すのが、そうできなくなっていました。
ナイーブなときは、否定的な気持ちになってしまうものです。
他者や周囲を否定するのではなく、対象は自分自身。
元々ない自信がさらに失われ、切ない気持ちになることが多くありました。
忘れかけていた記憶なんかも蘇ってきて……。
そんなときに顔を合わせた2人の住職でした。
前向きな気持ちになれた気がします。
そんなことを気にしなくてもいい、と言ってくれたようにも感じます。
人との縁とはそういうものなのかもしれません。
心あたたかいお祝い会を開いて下さったお2人のご住職に感謝します。
なお、店内で拙著にサインを書きました。
ある書店にも僕のサインが飾られているのですが、
小学生のときに真面目に習字を習っておけばよかったと、
いまさらながら後悔しています。
拙ブログと距離を置いており、開きもしていなかったのでコメントが遅れてすみません。
「羽生城主木戸重朝はどんな最期を遂げた?」の記事に寄せていただいたコメントの回答と重複するものですが、改めてここにも載せます。
御寺院ご所蔵のものの中に「重朝代」と書かれているとのこと。
寛永9年ですと1632年であり、羽生城自落の1574年から約60年後ということになります。
木戸重朝の生年月日は定かではありませんが、上杉謙信の書状にその名が書き記されていることを考えればすでに元服しており、羽生城将の立場にふさわしい年齢だったことが考えられます。
1632年当時、木戸重朝が存命であっても、長寿であればおかしくはないと思います。
私自身は、重朝は羽生城自落の際に自害したと考えていますが、新たな可能性を示すものかもしれません。
ところで、小泉城を本拠とした富岡氏の中に重朝と名乗る者がいます。
ここでの考証は避けますが、富岡氏という路線もあり得るかもしれません。
あくまでも、ここでは思い付いたことを書き記しましたので、ご参考に留めていただければと思います。