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(主に日経,ロイター,WSJから引用。賞味期限の短い記事は今後省きます)

ミャンマー与党、党首解任 野党接近で大統領と対立、総選挙控え波乱の芽

2015年08月14日 | 東南アジア(ASEAN)
(日経8/14:総合1面)
 【ヤンゴン=松井基一】ミャンマーの政権与党、連邦団結発展党(USDP)は13日、シュエ・マン党首の解任を発表した。11月の総選挙を前に続投に意欲を持つテイン・セイン大統領との対立が激化し、権力闘争に敗れたようだ。国内外で評価の高いテイン・セイン大統領の求心力は強まりそうだが、政治の混乱が外国投資にブレーキをかけるおそれもある。(関連記事国際2面に)

 12日夜、首都ネピドーで開いた会合でシュエ・マン党首の解任を決めた。新党首にはテイ・ウー氏が就いた。シュエ・マン氏に近いマウン・マウン・テイン総書記らも解任された。会議はシュエ・マン氏らが欠席するなかで開かれ、同氏の自宅が警官隊に包囲されたとの報道もある。USDPは13日、「シュエ・マン氏の重責を軽減するため党首職を解任した」と発表した。

外資導入で成長
 旧軍政の流れをくむUSDPは2010年の前回総選挙に圧勝。当初軍政ナンバー3のシュエ・マン氏の大統領就任が有力だったが、軍政トップのタン・シュエ上級大将はナンバー4のテイン・セイン氏を大統領に指名。シュエ・マン氏をUSDP党首と下院議長に就けた。


 その後シュエ・マン氏はアウン・サン・スー・チー氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)に接近。選挙制度改革などでNLDへの譲歩を繰り返した。11月の総選挙はNLDの優勢が予想されるが、現行憲法は外国籍の親族がいる人物の大統領資格を認めず、息子が英国籍のスー・チー氏は大統領になれない。シュエ・マン氏はNLDとの連立政権を樹立し、自身が大統領に就任することを狙っていたようだ。

 11年春の民主化後、ミャンマー経済は、外資導入をテコに順調な成長を続けてきた。2014年度の外国直接投資は前年度比2倍の80億ドル(約1兆円)に達し、民主化後で最高の水準となった。

政情不安リスク
 軍政時代は、中国企業による資源開発分野の投資が主体だったが、東南アジア諸国連合(ASEAN)や日本、欧米などからも投資が増加。製造業や通信・電力などのインフラ産業など業態の幅も広がってきた。アジア開発銀行(ADB)によれば、15年度のミャンマーの国内総生産(GDP)の成長率は、ASEANで最高の8.3%に達する。

 けん引役となった外資の流入は、テイン・セイン大統領の安定した政権基盤があって初めて実現したものだ。USDP内にはシュエ・マン氏を支持する勢力も残る。「政権内の権力闘争が続くなら、ミャンマー投資拡大はちゅうちょせざるを得ない」(日系商社)との不安の声も上がっている。

▼連邦団結発展党(USDP)
 テイン・セイン大統領の基盤。元国軍幹部を多数抱える与党。前身は公務員を中心に1993年発足した政権翼賛組織。民主化を前提とした2010年の前回総選挙の前に政党となった。

(国際2面)
▼ミャンマー与党、選挙前なぜ内紛 党首のスー・チー氏接近に反発 自宅軟禁続けば国際批判強まる

 ミャンマーの与党で、軍事政権の流れをくむ連邦団結発展党(USDP)は13日、シュエ・マン党首を解任した。11月に総選挙を控えるなか、USDPの内紛はなぜ起こったのか。総選挙や民主化への影響などをまとめた。

 Q USDPの党内対立の背景は。

 A 旧軍事政権の流れをくむUSDPは大半が元高級軍人だが、必ずしも一枚岩ではない。国軍との関係を重視し漸進的な政治改革を目指すテイン・セイン大統領と、野党勢力とも幅広く連携しようとするシュエ・マン党首との間で路線対立があったようだ。
 シュエ・マン党首はアウン・サン・スー・チー氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)に接近。総選挙後、NLDとの連立政権を樹立し自身が大統領を目指す姿勢も見せていた。USDPや国軍内部にはシュエ・マン氏に対する不満も強く、党内の声に押されたテイン・セイン氏が、シュエ・マン氏の排除を決断したとみられる。

 Q 解任は民主化に逆行するのではないか。

 A USDPは解任の理由を「下院議長などの重責を軽減するため」としているが、現地報道によればシュエ・マン氏は自宅で治安当局の監視下に置かれている。有力政治家が健康問題などを理由に解任され、自宅軟禁状態に置かれることがあった軍政時代と実態は変わらないとの批判はもっともだ。軟禁状態が続けば、国際社会からの批判が強まる可能性がある。

 Q 今回の内紛は総選挙にどう影響するのか。

 A 正確な予想は難しいが、USDPのなかでテイン・セイン大統領派がどれだけ求心力を維持できるかが焦点になる。一方でUSDPの選挙準備が遅れるのは確かで、NLDなどの野党に有利に働く可能性もある。

 Q これまでの民主化の流れは。

 A ミャンマーでは軍事政権時代の1990年と2010年にも総選挙が実施された。90年選挙はスー・チー氏率いるNLDが圧勝したが、当時の軍政は選挙結果を無視し政権移譲を拒否した。

 10年の選挙は、NLDが憲法の非民主性を理由にボイコットした。この結果、USDPの政権が誕生したが、民主的な選挙の結果とは言いがたかった。その後、NLDは12年春の補欠選挙に参加し、改選議席の9割を押さえた。現在はスー・チー氏の議席を含め上下両院に42議席を持つ。

 次回の選挙はNLDを含む、主要政党がすべて参加する初の総選挙になる。ミャンマーの民主化の進捗を評価する重要な試金石となる。

 Q 次回の総選挙がうまくいけばミャンマーの民主化は完了するのか。

 A 必ずしもそうとはいえない。ミャンマーの現行憲法は、国会議席の4分の1を国軍総司令官が指名する軍人議員に割り当てており、総司令官に非常時に国民を動員する権利を与えるなど、国軍の広範な政治関与を認めている。選挙後もこの構図は変わらない。

 このためアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDは、選挙勝利後の憲法改正を目指している。テイン・セイン大統領も国軍の政治関与を段階的に引き下げる必要性は認めており、今後の民主化の課題となりそうだ。  (ヤンゴン=松井基一)


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